7月2~3日 安芸市日赤奉仕団は なぜかこの時期に 研修旅行をします
日頃の行い活動のお陰か 旅先での2日間は よい天気に恵まれます
今回は舞鶴市 引揚記念館 赤レンガ博物館 京都の奥座敷湯の花温泉でリフレッシュ
2日目は京都伏見稲荷 維新の宿寺田屋 黄桜酒造カッパカントリーで見学と昼食
大阪八尾市のコンペイトウミユジアムで金平糖作り体験などを楽しみました
始めに訪れた舞鶴引揚記念館からです
悲惨な戦争が終り 政府から引揚港に指定された舞鶴港は昭和20年10月7日に
引き揚げ第1号船 「雲仙丸」が入港して以来13年の間に66万人の引揚者と
1万6千柱の遺骨を迎えたといわれています 日本赤十字社もシベリアの地で
救護班として並々ならぬ活躍を されたことはいうまでもありません
この引揚の地舞鶴港を見下ろす丘の上に昭和45年引揚公園が造られ
昭和63年に全国からの寄付金で引揚記念館を建設
全国からの多くの貴重な資料が寄せられ展示されています
※写真を撮ったところだけの投稿です
引揚記念館
玄関ホール
ホールは シベリアの日本人収容所の大きな分布図と
時鐘 映像で学習するコーナーになっています
時鐘と引揚記念館建設の趣意書
収容所 筆舌に尽くしがたい抑留生活
過酷で ひどい環境と 強制労働が 強いられていまた
端野いせさん
来る日も来る日も 引揚船で帰る息子を待ちつづける母親
流行歌 映画「岸壁の母」のモデルになりました
引揚者が祖国に第一歩踏みしめた感動の画像
抑留生活の収蔵資料の中から570点がユネスコ世界記憶遺産に登録され
世界へ平和の願いを発信しています
筆舌に尽くしがたい抑留生活 引揚の歴史を拝見して
平和の尊さをつくづく感じました
舞鶴赤れんが博物館
赤れんが博物館
1901年(明治34年)に 旧舞鶴海軍の軍需品の倉庫として建設され
鉄骨とれんがを組み合わせた建築物として日本で最も古いものに入るといわれています
この倉庫のうち8棟が2008年(平成20年)国重要文化財指定 2016年成(平28年)日本遺産認定
1階 世界のれんが展示
れんがの歴史は1万年前からだそうです
2階 日本のれんがの歩み他を展示
中国 朝鮮から仏教建築の材料として伝わり明治維新以降は
文明開化によって多くのれんがの建物が作られたそうです
1914年(大正3年)に建てられた赤れんが東京駅
2003年国の重要文化財に指定されています
赤れんがパークの棟は
絵画 写真 音楽会の市民交流の場 喫茶 ショップ 旧海軍の展示
ものつくり工房 イベントホールなどに活用されているそうです
祝日本遺産認定の棟はショップの入り口になっていました
伏見稲荷
稲荷神社は全国に3万社あるといわれ その総本社が京都の伏見稲荷大社で
五穀豊穣 商売繁昌 家内安全 諸願成就の神様として崇められています
ずらりと連なる美しい朱色の 千本鳥居
坂本龍馬さん 薩摩藩士の寺田屋
大阪と京都を通う船の船宿だった 寺田屋
この部屋は寺田屋騒動のあった部屋です
明治維新当時 薩摩藩の定宿であった 寺田屋に倒幕の急進派たちが集まり
朝廷からの命で藩主島津久光が暴動を鎮めるため派遣した
鎮無士たちと急進派とが 再三の問答の結果 藩士同士の惨劇となり
急進派9名が犠牲になった寺田屋事件がありました
坂本龍馬さん愛室の梅の間
坂本龍馬さんは薩摩藩の紹介で寺田屋を京都の宿として利用していたそうです
1866年1月23日幕府側に襲撃され負傷しながらも この部屋を脱出
薩摩藩に保護されたそうです またお床に掛かる掛け軸は女将のお登世さんが
龍馬さんの身に殺気を感じて嫌がる龍馬さんを街の画家に
描かせたもので 亡くなる直前の 絵像だそうです
長々のブログ最後まで見ていただいて有難うございました
おしまい
研修旅行の2日間 よ~ま~お天気に恵まれたもんです
安芸の方は6月の28日から今日7月8日まで降りつづいて
6日の大雨で栃の木で安芸川の氾濫で床下浸水 土居曽津では県道の崩落
7日には高知県に大雨特別警報 西日本各地被害続出
光り回線不通 道路の通行止めなど 最大級の警戒を呼びかけています
安全な場所へ早めに避難しましょう