yurikago-sa

1939年生まれ
ボケないようにパソコン
遊びをします!!

四国八十八ケ所 第二十二番札所 平等寺

2014年04月28日 | 日記

平成26年2月23日 第二十二番 白水山 平等寺を参詣しました

712ん年弘法大師 青年僧19歳の時この地を訪れ 修行をしていると 空中に

五色の霊雲が たなびき 黄金の梵字が浮かび上がり 見る間に 薬師如来の姿になりなりました

 四方に輝く光を見て 祈祷に使う水を求めて その地を錫杖で打つと白い乳色をした水が湧きだしたといいます

 大師はその霊水で 身を清め100日間の修行を重ね 薬師如来を刻み 堂宇を建立し霊水にちなんで 山号を 白水山

また人々が平等に救済され ご利益が賜るよう 平等寺と名付け 霊場に定めたそうです

県道からすぐ 13段の厄除けの石段を上ると仁王門です

大師修行中に 五色の霊雲がたなびいたことから どの堂宇にも 五色の幕が掛けられています

   

半裸の赤い肌の仁王門像

平等寺境内図

仁王門をくぐって参道の右に修行大師像とその後ろに手水場があります

本堂への石段は 開運厄除男坂になっています

登り口に 行儀よく並んでいる石仏に 満開の枝垂紅梅が春を灌いでいました 

石段を上ると 本堂

ご本尊は大師が刻んだ 薬師如来が祀られています

本堂の天井絵 ほとんど薄れてしまっています

   

本堂内の左に 2台の箱車が奉納されております 

大正 昭和の時代に 医者に見放された 足の不自由な人が巡拝を始め

この寺で霊験を授かり 歩けるようになり 記念に奉納された箱車だそうです

平等寺は 特に健脚に霊験があると 信仰されているといいます

信仰が厚く 祈願 お礼に折り鶴やお前掛けなどが たくさん 奉納されています

 

本堂から下を見ると 男厄除け坂 右に 霊水の井戸 水子地蔵尊 観音堂 大師堂  

鐘楼 正面に仁王門 左に回って 納経所 手水場 本坊 と 境内が一望できます

本堂から右手に少し下がって途中に 護摩堂

護摩堂から 33段の女厄除け石段の途中にも お地蔵さん

右から 開運厄除女坂の上り口  観音堂 

十三重石塔 世界平和祈願と書いた石柱があります

 霊水の井戸

大師が錫杖で打つと白い乳色をした水が湧き出したと言われ

現在は透明な水だそうですが 日照りにも涸れることもなく

万病に効くと信仰されているそうです

地蔵尊像

 

 子育て 水子地蔵尊  

水子や 子供たちを 見守ってくださるお地蔵さんです

 

 このような お言葉を見かけたら おおいに反省することシバシバ・・・

バスツアー巡拝 3回目は 平成26年2月23日 18番~ここ22番で打ち止めです

おしまい

 


四国八十八ケ所 第二十一番札所 太龍寺

2014年04月25日 | 日記

平成26年2月23日 第21番 舎心山 太龍寺を参詣しました

太龍寺は793年 弘法大師19歳の頃 舎心ヶ嶽の岩の上で虚空蔵菩薩の ご真言を100万遍唱える 

最も難行とされる修法虚空蔵求聞持法を 修行され 桓武天皇の勅願で 伽藍を建立され

虚空蔵菩薩を刻んで ご本尊とし 霊場と定め 山号は修行の地 舎心嶽から

また寺名は 修行を重ねても 悟りを開けず 谷に身を投げようとしたとき

太龍が現れ 大師を守護したのが 由来と言われています

西の高野寺と言われる太龍寺は 広大な寺領に 堂々とした伽藍が建ち

樹齢数百年の巨杉 巨桧の老樹に覆われ 霊気に包まれています

阿波の三大遍路ころがし 一に 12番焼山寺 二に 20番鶴林寺 三に 21番太龍寺

と言われた難所は 標高520mの山中にあり 476m山頂駅まで 

ロープウェイで約10分です

 

空海19歳 舎心ヶ嶽で 虚空蔵求聞持法の修行像 (拝借画像)

ズロンズ製で東向きに座っているそうです

太龍寺境内図

山頂駅を出ると 左ににあります

境内に入って右に行けば本坊 納経所へ

左の石段 百段余り上ると 正面に本堂があります

本堂への石段の途中に 手水場

 

 

本堂

おびんずるさま

太龍寺ではおびんずるさまが御堂の中で祀られていました

お釈迦さまの弟子で神通力にすぐれ、みだりに神通力を乱用したので

お釈迦さまが怒り 仏の悟りが できてないと縁側に出されるそうです

また 撫で仏ともいわれ 自分の病気のケ所を左手で 撫で仏のケ所を右手で

同時に撫でると ご利益があるといいます。

本堂から右手大師堂に向かう途中に 聖観世音菩薩さま

弁財天

多宝塔

虚空蔵菩薩の 五つの 知恵 慈悲を 五つの像で表した

法界 金剛 宝光 蓮華 業用虚空蔵の五大虚空蔵が祀られているそうです 

  

大師堂へ曲がるほぼ中央に修行大師像が ちいさな石仏と一緒に見守っています

西の高野寺と言われる太龍寺には 大師堂への御廟橋 があります 

大師堂

巨大な老杉が茂り木陰は深々 所々に雪がのこり霊気に包まれています

高野山 奥の院と同じく 大師堂拝殿の後ろに 御廟があります

中興堂 

大師堂の左手前にあり 長範和上(尚)が祀られています

 参道の 岩肌や 木の根っこの隙間に  色々な石仏があります

 

j大師堂参道から 石段を下ると 鐘楼門

さらに石段を下ると 手水場があります

手水場 から右に 本坊 納経所 持仏堂 の合同建物が建っています

天井絵

持仏堂の廊下の天井に 描かれた迫力のある龍は

1901年 高知県安芸市出身の武村 松嶺さんの作だそうです

天井絵はほとんど薄れて見えず 天井絵の写真がありましたので それをパチリ

持仏堂の右に 護摩堂

 そして 六角経蔵

 老樹に覆われ 西の高野山と言われる 太龍寺を後に

つぎは 22番札所 平等寺へ 麓駅から14㎞ バスで約20分です

 おしまい 

 


四国八十八ケ所第二十番札所 鶴林寺

2014年04月22日 | 日記

平成26年2月23日 第二十番 霊鷲山(りょうじゅざん) 鶴林寺を参詣しました

鶴林寺は798年 垣武天皇の勅願により 弘法大師が開創され 

大師が修業していたとき 雌雄の2羽の白鶴が 杉の梢に舞い降り 翼を広げ 

黄金の小さな地蔵菩薩像を かわるがわるに 護っている情景を見て  

霊木で 高さ90㎝の地蔵菩薩像を刻み 胎内に黄金の 地蔵菩薩を納めて本尊とし 

境内の山の姿が お釈迦様が説法された インドの鷲峰山に 似ていることから

霊鷲山と号し 2羽の鶴にちなんで 鶴林寺と名付けたそうです 

 仁王門

参詣したのは2月23日  日本列島を連日記録的な寒波が襲っていました 

標高550mの鶴林寺への 遍路道は杉や桧の 老木が覆うように茂り 

遍路道や 境内に 前日まで降った雪が残っていました

 

四国第二十番別格本山の 鶴林寺

  

仁王門には 木彫りの仁王像と 1対の鶴 それぞれ左右に納まっています

仁王像は運慶作と伝えられています 

 

 鶴林寺境内図

門をくぐると 境内も老木が茂り 静寂そのもの 右に 六角堂

六体の地蔵尊と 弘法大師像が祀られています

大師像

大僧正の石像 4基

 大師座像 (お大師さんも色々なお顔があります)

境内に入ると色々な仏像や 石塔があります

水子地蔵尊

 水子地蔵尊

 

十三重供養石塔

「無」の石塚

  仏さまの智慧 最も大切な 心を教えた

お経 「仏説摩訶般若波羅密多心経」には「無」の文字が21文字あります

忠霊殿 と不動明王

忠霊殿の右 石段を上がった高い所に 本堂があります

ご本尊は 地蔵菩薩さま 天界から地獄まで 救って下さる仏さまです

鶴林寺の地蔵菩薩は 平安時代の作で 国の重要文化財に指定されていて

別名「矢負地蔵」と言われ 村の猟師が 猪めがけて 矢を射かけたところ

猪が血を流しながら走り去り 跡をたどって行くと 鶴林寺の本堂につき

本堂の中を見ると 地蔵菩薩の胸に 矢が刺さり 血が流れていたのを見た猟師は

日頃の殺生を懺悔し 仁王門の前で 自害したといわれています 

仁王門の近くに「猟師塚」という墓石が建っているそうです

 

    

本堂のまえに 青銅の鶴 一対 高さ3mの大きさです

降臨の杉

本堂の左に 大師が修業していたとき 雌雄の2羽の白鶴が 

黄金の地蔵菩薩を護りながら 杉の梢に舞い降りたという 杉の木です

降臨の杉のまえに 南無大師遍照金剛像が祀られています

本堂の右前に 波切地蔵菩薩像

 海や山で働く人々の信仰を集めているそうです

三重塔

五智如来像が祀られています

江戸時代後期の建立と言われ その時代で残っている 貴重な建物だそうです

第二十一番札所太龍寺と 向かい合う位置にあり 太龍寺から 塔の屋根が見えます

 

 

                  大師堂                 大師堂に桓武天皇勅願寺の表札が掛かっています

 鉢に 小さなお地蔵さん像がありました (気配りが嬉しくなります) 

老木が生い茂り静寂 霊気を感じる鶴林寺をあとに

つぎは21番札所太龍寺へ ロープウェイ駅まで約9㎞ バスで20分です

おしまい


登り窯フェスタ

2014年04月18日 | 日記

安芸市 内原野 陶芸の里 恒例の「登り窯フェスタ」 秋に行われていましたが

今年は 「内原野つつじ祭り」に合わせてか 春に開催するようですよ

 みんなぁ~~行ちゃってよ~~ 来ちゃってよ~~

勝手宣伝係 ブログばあさんより

 第20回の「登り窯フェスタ」のブログです よかったら覗いて下さい!

 http://blog.goo.ne.jp/yurikago-sa/d/20121111

おしまい

 


四国八十八ケ所 第十九番札所 立江寺

2014年04月18日 | 日記

平成26年2月23日 第十九番 橋池山 立江寺を参詣しました

立江寺は 聖武天皇(在位724~749)勅願で行基菩薩によって開基され

光明皇后の安産を祈願して約6cmの黄金の延命地蔵尊を刻み本尊として

安置したのがはじまりといわれています 815年弘法大師が 寺を訪れ

小さな像では紛失のおそれがあると 約1、8mの大きな像を刻み 小さな像を

胸の中に納め 四国霊場と定めたそうです 

     

立江寺初会式(法要)と植木市の縁日で参道周辺に 露店商が並び

色々な植木の販売もあり たくさんの人で 賑わっていました

 

商店街で賑わう街なかに 立江寺の仁王門があります

 金剛力士 

立江寺境内図

仁王門をくぐると 右手の奥まったところに毘沙門堂

毘沙門天 (別名四天王のひとり多聞天 )が祀られています

単独で祀られるときは毘沙門天と呼びます

財福を授け 北方の守護神で 阿波の七福神の霊場にもなっているそうです

子授地蔵尊と 手水場

 手水場から右に曲がって 本堂と向い合せに 大師堂

大師堂右前に 多宝塔

大日如来を中心に 大日如来の知恵を分けた 

阿閦、宝生、無量寿、不空成就、四体の如来 五智如来が祀れれているそうです

 

 大師堂の右に 黒髪堂

江戸時代 島根県から 不義をし夫を殺害した お京という女がこの寺を訪れ 本堂で

懺悔しようとしたところ お京の髪の毛が 逆立ち 鐘の緒に からみつき かろうじて

命だけは助かったという お京の黒髪が巻き付いた 鐘の緒が納められているそうです

黒髪堂と並んで 白杉大明神

弘法大師入唐の守護神さまで霊験あらたかな明神さまだそうです

真の心で念じ続ければ一願は必ず 叶うそうです 

 不動明王

煩悩 人間のもつ欲 の強い人には強引に導き

精進する人には慈悲に満ちた優しい仏さまです

大師堂左前 神変堂 

修験道の祖 役行者が祀られています

仁王門から正面に 宿坊 納経所があります

本堂の右に並んで 護摩堂

仁王門をくぐって左側の石段を上がり 少し高くしたところに本堂があります

本堂のワニの口(鐘)とりっぱな

先祖 水子の法名を経木に書き お彼岸やお盆に 

海や川に流して供養をします

修行大師像と木柱が五色の紐で結ばれています

「奉為四国八十八ケ所霊場開創壱千二百年倍増法楽也」と書いています

おさすりすると さらにパワーをいただき願い事が叶います

行基が光明皇后の安産を祈願して開創 したことから 

 たくさんの地蔵像が安置され 「子安の地蔵尊」「立江の地蔵尊」

と呼ばれて 信仰され 親しまれているそうです

地蔵菩薩堂

立江寺では 地蔵菩薩 と 地蔵尊 どんな違いかな~?

昼食は 宿坊で いただきました 

立江寺は 阿波の関所寺 と呼ばれる札所です 罪人や 邪悪な人は

懺悔 改心しなければ お大師さんから 罰が下るといわれています

 他には高知県の27番神峯寺 愛媛県60番横峰寺 香川県66番雲辺寺 

の4ヶ寺が お遍路の関所寺と言われています

 つぎは20番 鶴林寺へ 15km余り バスで約30分です

 おしまい 


四国八十八ケ所 第十八番札所 恩山寺

2014年04月15日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1,200年記念の巡拝 3回目は 2月23日 

18番から22番札所の5ヶ寺を巡りました 連日 日本列島を記録的な寒波が襲い 

標高の高いお寺では雪が ここかしこにあり 寒い参詣となりました。

最初に 徳島県小松島市田野町恩山寺谷 第十八番 母養山 恩山寺を参詣します

恩山寺は聖武天皇(在位724~749年)の勅願で 行基菩薩が 厄除けの

薬師如来を刻んで 本尊として 大日山 福生院 密巌寺と称し 女人禁制でした

782~806年に弘法大師が この寺で修行していたとき 善通寺から 大師の母が

訪ねて来ましたが 女人禁制の為 登れませんでした 大師は滝にうたれ 秘法を修して

女人解禁の 祈願を成就して 母を迎える事が出来 孝養をつくしたと伝えられています

大師は山号を 母養山 恩山寺と 改め 霊場と定めたそうです

バス道路の右手に 山門(車窓よりパチリ)

びらんじゅ (車窓よりパチリ)

山門より少し上に 大師が 母玉依御前を お迎えしたとき 記念に

植えられと いわれています 県の天然記念物の指定です

別名 バクチの木ともいわれ 樹皮が うろこ状に剥がれ落ち

博打に負けて 衣をはがれることに たとえられています

駐車場から参道の坂を 少し上ると 突如 大きな 修行大師像

台座から4mを超えるという大きさです 

寺に日参して 病気が治った 信者さんが 寄贈されたそうです

参道脇に 石仏が行儀よく並んでいます

境内への山門はありません ここらあたりで 一礼して 境内へと進みます

本堂への石段の上り口に 手水場

正面の石段を40段余り上ったら 本堂です

石段は 左側を上る 下りも左側 お遍路のマナーです

本堂 ご本尊は 薬師如来 

ご真言は おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

衣食住を満たし 病気が治り 寿命が延び 眼病に霊験があるといわれています

本堂の 右前に鐘楼

 水子地蔵尊と たくさんの供養祈願の地蔵像が並んでいます 

左に石柱や石仏が並んでいます

本堂から石段を下って 左に大師堂と 御母公堂が寄り添うように建っています

大師堂は 814年大師 41歳の時 人々に 福を 授け 厄を除くことを

祈願して 自らの姿を刻んだ 大師像が安置されているそうです 

 

御母公堂 剃髪所と お堂に掲げられているご詠歌

「たらちねの 母こそしのべ 恩山寺

大師の利生 あらたなりけり 」

大師の母 玉依御前は 恩山寺で髪を剃って出家され

その髪が納められているそうです 

門柱から入った右側に 細長い建物があります

中には  座像地蔵尊 背後に千体のお地蔵さんがならび

 釈迦十大弟子像が 安置されています。

お大師さんが 孝養を尽くし 優しさが偲ばれる恩山寺を後にして

つぎ19番札所 立江寺まで 約5km バスで15分です

おしまい


四国八十八ケ所 第十七番札所 井戸寺

2014年04月11日 | 日記

平成26年1月27日 第十七番 瑠璃山 井戸寺を参詣しました

井戸寺は天武天皇の勅願寺で673年の開基とされ 本尊の七仏薬師如来像は

聖徳太子作 脇仏の日光 月光菩薩は行基の作といわれて当初は 「妙照寺」と

称していたそうです その後815年弘法大師が この仏さまを拝むために 

訪れた時十一面観世音菩薩を刻んで安置し 四国霊場と定めたそうです 

また 渇水や濁り水に悩む人々のために錫杖で井戸を掘ったところ一夜のうちに 

清らかな水が湧き出 それにちなんで寺名を「井戸寺」と改めたそうです

仁王門

阿波十代藩主 蜂須賀重喜公の別邸 茜門を寄進され移築したものだそうです

     

半裸の筋肉 モリモリ 金剛力士像

 

井戸寺 境内図

 仁王門をくぐって左手の建物から 手水場

六角堂

大悲殿の額を掲げた 白亜の六角堂は 護摩堂 不動明王が祀られています

日限大師堂

面影の井戸

日限大師堂の中にあり 大師が杖で一夜に掘ったと伝えられている井戸です

 大師はこの井戸に映った自分の面影を彫り 本尊として安置し 日限大師として

日を限って日参すればご利益があると伝えられています

また井戸をのぞいて 自分の姿が映れば 無病息災 映らなければ3年以内に

不幸があるそうです 

 

 水子地蔵尊

 仁王門から正面に本堂

ご本尊は  七仏薬師如来 七体の薬師如来を本尊としているのは全国的にも

珍しく 七難即滅 七福即生 厄除け開運など 霊験があるそうです

本堂の左前に修行大師像

本堂の右に光明殿

大師堂

大師堂と 木柱が白い布紐で つながっています 

 1200年お大師様は 入定されても 衆生を見守りつづけていらっしゃると いいます  

木柱をお擦りすることで そのパワーいただき 願い事が叶うそうです

 

仁王門をくぐった右に 記念供養塔や石仏が行儀よく並んでいます

 境内の右手に 手前から  八間堂 大師堂 光明殿が並び 本殿は仁王門から正面の位置です

 

境内左手に 手前から 六角堂 収蔵庫(大師が刻んだ 国の重要文化財 十一面観音像は

ここに納められています)つづいて 日限大師堂が並んでいます

 バスツアー巡拝 2回目は 平成26年1月27日 11番~ここ17番札所で打ち止めです

おしまい


四国八十八ケ所 第十六番札所 観音寺

2014年04月08日 | 日記

平成26年1月26日  第十六番 光耀山 観音寺を参詣しました

観音寺は741年 聖武天皇の勅願で行基菩薩が創建され

その後816年弘法大師がこの地を訪れ 本尊に自分と同じ等身大の

千手観世音菩薩を刻み脇待に不動明王 毘沙門天を刻み四国霊場に定めたそうです

鐘楼門

観音寺境内図

山門をくぐると左に手水場

山門から数歩で正面に 本堂

ご本像は千手観世音菩薩 文字通り千の手で人々をお救いくださり

病苦 難産  夫婦円満  長寿などに ご利益があるといわれています

「奉場四国八八ケ所霊場開創壱千二百年」と書かれた

木柱と白い布紐は本堂とつながっています

本堂の右手前に大師堂  

画像右隅は百度石 百度お参りして願いを叶えてもらえます

本堂の左手前に修行大師像

本堂の右側に水子地蔵尊

八幡大神宮 家内安全 必勝  安産 厄除け 長寿祈願の神様 と

惣社大御神(阿波国総社宮)を一緒に祀る神社があります

大師堂の左に庚申堂 青面金剛像 と見ざる 云わざる 聞かざるの三猿が祀られ 

魔除け あらゆる災難 あらゆる病気にご利益があるそうです

青面金剛像(ダウンロード画像)

    

夜泣き封じのお地蔵さま

子供の夜泣きを止めてくれます 夜眠れない人にもご利益があるそうです

    

塀を背に供養墓石やお地蔵さまが並んでいます

鐘楼門の両側には寄進の石柱が塀代わりに境内を囲ってます

つき17番井戸寺 まで3kmバスで10分です

おしまい

 


福山城の桜と 鞆の浦散策の旅

2014年04月05日 | 日記

医療生協 安芸支部では 春のバスツアー 日帰り旅行を計画

4月3日 会員42名で 広島県 福山城の桜 と 鞆の浦散策に行ってきました。

予報では 曇りと雨 レク担当の川島さんの「散策を終える 3時頃まではなんとか もってくれるでしょ」と

祈るように、 なんの なんの 行楽中は 上天気の ぽかぽか陽気 春うらら 上着もいらないほど  

帰り途中から降りだしたけれど 楽しい春の一日 でした。

 

お城を彩る 500本といわれる桜は 満満開  沢山の 花見の人でした、

1619年水野 勝成が 築城した江戸時代の 名城だったそうですが

昭和20年 8月の 空襲で焼滅し その後再建され 

現在は 福山城博物館になっていて 歴代藩主の遺品や資料が展示されているそうです。

   

 桜の下では こんな風景が あちこちで見られました。 

      

    伏見櫓                          筋鉄御門 

共に国の重要文化財に指定されています。      

  福山城からバスで約30分 おだやかな瀬戸内の海 鞆の浦に到着します。

先ず 我が 高知県 幕末の英雄 坂本龍馬 ゆかりの いろは丸 展示館を見学しました。 

展示館は 歴史を感じる 「大蔵」とよばれる 江戸時代建築の 国の有形文化財の中にあります。

 幕末の英雄は  鞆の浦でも 観光の大目玉になっています。

 司馬遼太郎先生は「龍馬は 書もいい。 文字に堂々たる自我をもっていて、芸術化することを

自然に おこなっている。その種の書がかけたのは 歴史上では豊臣秀吉ぐらいではないかと思う」と

書いています。

いろは丸の模型

1867年4月23日 坂本龍馬と海援隊が乗り組んだ 伊予大洲藩から借りた「いろは丸」が

長崎から大阪に向かう途中 幕府側の紀州藩の「明光丸」と衝突、 鞆の浦港に

 曳航中 沈没してしまいました。 

    

鞆の浦の町おこしグループで1988年4月ごろから 沈没した いろは丸の引き上げが計画され

 大量の石炭と 船体の部品 日用品などが引き揚げられ 引き揚げられたものは 館内に展示されています。

また いろは丸沈没状況を 実物の70%の立体で再現され 

上左の画像は石炭をエアーリフトで回収している様子の再現です。

展示館に 再現された隠れ部屋

幕府から命を狙われていた 龍馬は「枡屋清右衛門」宅の 階段のない2階で寝泊まりをし

暗殺の危機も かえりみず 幕府側 紀州藩との 賠償交渉を「魚屋萬蔵」宅でしたそうです。

交渉は難航し  龍馬の卓越した政治力と能力 広範囲な人脈 秀でた対応と

戦略で 賠償金7万両を 受け取ることで 決着がついたそうです。

京都 近江屋で暗殺される 半年まえのことだそうです。

左端が 枡屋清右衛門宅の写真です

漫画でいろは丸事件の全貌を公開

漫画本も800円で売っていました。

「よう来たのう 鞆の浦では  まっこと世話になったぜよ」

展示館では 懐かしい人に出会ったような 気がしました。

鞆の浦は 潮待ち港(潮流が変るのを待つ港)として 江戸時代に栄えた 商業都市です。

 黒塗りの商家の佇まい 保命酒屋の太田屋住宅 と向かいの朝宗亭は(手前の2軒)

共に 国の重要文化財に指定されています。

  

  

歴史の移ろい 癒しを感じる 通りには おもてなしのお店屋さんが並んでいます。

     

マップを見ると お寺さんが多いのに おどろきです。 数えると18軒もあります。

寺町通りには お寺さんが 何軒も並んでいるところもありました。

港沿いに 歩くと 鞆の浦のシンボル常夜灯と いろは丸展示館 朝宗亭 が見えます。

こんな昔ながらの港町のたたずまい 鞆の浦の風景を たくさんの人達が 写生に来ていました。

 

帰りのバスは しまなみ海道を走る ここかしこに 桜の満開 満開 「わ~~きれい きれい」

みんなの 感動の拍手が たびたび でした。

おしまい 


四国八十八ケ所 第十五番札所 国分寺

2014年04月03日 | 日記

平成26年1月27日 第十五番 薬養山 国分寺を参詣しました

 国分寺は741年聖武天皇の勅願で 諸国に天下泰平 五穀豊穣 政教一致

地方文化の向上を願って 全国66ヶ所に 法相宗の国分寺を創建され 四国には4県に

国分寺があります 行基菩薩の開創で 薬師如来を刻んで 本尊としていました

その後810年~824年に弘法大師が 四国霊場開創のために

巡教されたとき 宗派を真言宗に改め 四国霊場と定めたそうです

山門 

 天皇勅願所の碑

国分寺 境内図

 山門をくぐると 左に地蔵堂

 七重塔 心礎

鐘楼

鐘楼の右に供養塔

面に二層屋根の本堂 ご本尊は薬師如来 です

病気を治し 長命特に眼病に霊験があるといわれています

聖武天皇と光明皇后の位牌も祀られているそうです

仮大師堂

 仮大師堂の縁に大師座像  

仮大師堂つづき屋根に明王堂 

大師が刻んで安置したといわれる 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)をお祀しています

この明王は  不浄除けに霊験があるといわれ あらゆる不浄を清浄に

転じる力を持ち トイレの神様として信仰を集めているそうです

烏枢沙摩明王(ダウンロード画像)

 明王堂の右に並んで 瑜伽 秋葉 白山の三大権現大聖歓喜天が祀られています

      瑜伽大権現は 神仏習合の神様で阿弥陀如来 薬師如来の化身です

      秋葉大権現は 失火 延焼の火難を逃れる 病苦 災難から救う 願い事を叶えるくれます

      白山大権現は 神仏習合の神様で十一面観音菩薩の化身です 

      大聖歓喜天は  どんな願い事でも叶えますが 叶った約束を守らないと容赦ない罰を受けます  

焼失の大師堂跡に大師堂再建中

天皇勅願所の屋根瓦は菊の紋入りの瓦が使われています

つぎ16番観音寺 2、8kmバスで10分です

おしまい