yurikago-sa

1939年生まれ
ボケないようにパソコン
遊びをします!!

安芸市 大山道路 開通

2015年02月28日 | 日記

国土交通省土佐国道工事務所が2008年から整備を進めてきた

高知県安芸市と徳島県阿南市を結ぶ阿南安芸自動車道の

安芸市大山道路が2月28日開通しました

安芸市下山から安芸市河野までの延長2kmのうち13Kmがトンネルという

短い区間ですが 盛大に開通式典とセレモニーが13時~15時に開催されました

式典は安芸市伊尾木小学校体育館で

セレモニーは河野池の西 大山道路付近で 手作り太鼓祭衆 テープカット

 くす玉開披 もち投げ 開通記念パレード が行われました


 

安芸市から車で走って来ると安芸市河野の新55号線入り口

左に曲がると旧55号線

片側1車線

河野側トンネルの入口

制限速度50

下山側トンネル

トンネルを出ると 旧55号線と合流する

左に曲がると大山岬沿岸55号線

 

       セレモニーの餅投げ         大きなお餅12個お菓子4個ゲット

 

国土交通省の車や自衛隊 消防車 救急車などの開通記念パレード  

大山道は大山岬を通る沿岸線が高波や土砂災害などで通行止めになることが

多かったので 安全で安心な道路の確保ができ一先ず 不安が解消されることと思います

 おしまい 


四国八十八ヶ所 第七十九番札所 天皇寺

2015年02月26日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 13回目

 平成26年12月21日 第七十九番 金華山 天皇寺を参詣しました

天皇寺は810~824年この地を訪れた弘法大師が 八十場(やそば)の泉の近くで

一本の木から霊感を受け その霊木で 十一面観世音菩薩 愛染明王 阿弥陀如来の 

三体の尊像を刻み 寺を建立し 妙成就寺と称し 霊場としたのが始まりで その後

保元の乱で敗れ 讃岐に流されて亡くなった 崇徳天皇を祀った崇徳上皇社の別当寺と

なったため 寺号を崇徳天皇にちなんで 天皇寺と改め 明治の初め神仏分離令で 

  崇徳上皇社と天皇寺が 分かれ上皇社は 白峰宮 となり同じ境内に建っています

天皇寺 境内図

天皇寺には山門はなく 大きな石標が立っています

  

白峰宮の、 朱色の瓦屋根付き 三輪鳥居

全国で3ヶ所にしかない珍しい鳥居です

 

 三輪鳥居の正面に 白峰宮と 崇徳天皇の愛馬の像

崇徳天皇は1119年 鳥羽天皇の第一子として生まれ、75代天皇となりましたが 

 1156年保元の乱に敗れ 讃岐の国に流され1164年 46歳の夏に崩御され 

 崇徳上皇の遺体は 京からの沙汰が下る20日間 近くにある八十場の泉水に浸し

腐損を防いだと伝わっています 崇徳上皇の冥福を祈って 二条天皇が 

境内に崇徳上皇社(白峰宮)を建立されたそうです

 

天皇寺石標の右手を進むと 庫裏 納経所があります

庫裏納経所の正面 赤門をくぐって 白峰宮を横切り本堂に向かいます

 本堂

ご本尊は弘法大師が刻んだとされる 十一面観世音菩薩 

7月の大般若法要のときに ご開帳される 秘仏です

ご真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

 四方八方に顔を向けられ 人々を救って下さり 災難除けの仏様です

本堂左に 大師堂

 

大師堂の左に 地蔵堂 

地蔵堂の前に 鐘楼

 

トイレの手洗いから ふっと前を見たら弁天堂?がありました

 

境内は白峰宮を囲むように右手に 庫裏 納経所 薬師堂 稲荷堂があり

左手に本堂 大師堂 地蔵堂 鐘楼が配置されています 

        

天皇寺への 踏切を渡って 道路脇の空き地に 真鍋 キクエさんが昭和31年7月に

寄進された お釈迦さまを中心に六地蔵をお祀りした素朴なお堂がありました

つぎ80番国分寺までバスで約15分です

おしまい


四国八十八ヶ所 第七十八番札所 郷照寺

2015年02月22日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 

13回目は 平成26年12月21日 78番~83番の6ヶ寺を巡りました

 始めに香川県 綾歌郡宇多津町 瀬戸大橋の足元 小高い丘の上の

 第78番 仏光山 郷照寺を参詣しました

郷照寺は725年 行基菩薩が 阿弥陀如来を刻み本尊として安置し

道場寺と称したのが始まりで 807年弘法大師がこの地を訪れ 大師自身の像を刻み 

厄除けの誓願をされ 伽藍を修築し 寺名を郷照寺と改め 霊場に定められました 

1288年 踊り念仏で知られる一遍上人が 全国行脚の時 郷照寺を訪れ

伽藍を修復し浄土宗の教えを広め その後兵火等で伽藍を焼失 江戸時代に高松藩主 

松平頼重公が再興され その時 一遍上人を偲ん時宗(じしゅ)と真言宗の寺として

四国札所で唯一の 両宗派の 霊場となっています

山門の手前で 開運大吉地蔵が お遍路を迎えてくれます

 山門

 参道の右手に観音さま

 

石段を 数段上ると鐘楼 手水場が並んでいます

さらに数段上がると左手に納経所

納経所から右に折れると  二層屋根の本堂があります

 

本堂の右手前に庚申堂 (こうしんどう)

青面金剛(青い肌で身体に蛇をからませ6本の手に武器を持っている)と

青面金剛の従者三猿祀られてています

諸病平癒に霊験があり

原因の分からない病気の病を除いて下さるそうです

 青面金剛 (しょうめんこんごう)ダウンロード画像

 

    庚申堂の縁さきに  撫で仏さま

仏様をさすると病気平癒の願いを叶えて下さいます

さぬきの三大ポックリさま 

お参りすると 歳をとっても人さまに 下の世話をかけないように

ポックリ逝けるそうです ピンピンポックリ です

 本堂から左脇の石段を上ると 大師堂です

 

大師堂 

大師自作の尊像は「厄除けうたづ大師」の名で親しまれています 

 

大師堂の前に  観音さまの足元の階段を下りると 万体観音洞

洞内に全国から奉納された 一万体を超える小さな観音像が並んでいます

大師堂の左横の広場に 十三仏など 沢山の石像 お社があります

  

           修行大師像                   波切不動明王

 

 

  淡島明神

安産 子授 裁縫の上達 婦人病治癒 人形供養など

 女性に関するすべてのことに霊験があるといわれています 

 

 郷照寺の守り神 常盤明神 商売繁盛の神様です

 古く 郷照寺の臨阿という優しい坊さんが 犬に追われ 傷ついたタヌキを

助けたことがあり 戦乱や飢餓で 悪人達が寺に住み付こうとすると 

タヌキのお化けが出て 追い払って寺を守り 

以来タヌキを守り神としてお祀りしているそうです

つぎ79番札所天皇寺まで車で約20分です

おしまい


四国八十八カ所 第七十七番 道隆寺

2015年02月19日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 12回目

 平成26年11月16日 77番 桑多山 道隆寺を参詣しました

道隆寺は712年 この地方の 領主、和気道隆公が 桑の大木から 怪しい光を放っているの

発見 弓の矢を射ったところ 乳母が矢にあたって死んでいた 道隆公は嘆き悲しみ 

その桑の大木で 薬師如来を刻み 小堂を建て供養のために祀ったのが始まりといわれ

その後 道隆公の子孫朝祐法師が807年 唐から帰国した弘法大師に懇願し 

大師は薬師如来立像を刻み その胎内に道隆公の小像を納めて本尊とし霊場に定められ

朝祐法師は大師から 授戒をうけて2代目住職となり 先祖伝来の財産を寺の造営にあて

七堂伽藍を建立 道隆公の名前をとって 道隆寺と名付けたと伝わっています

 

道隆寺 境内図

 

仁王門 

 

仁王門 仁王像ともに 四国霊場で最大級だそうです

 

背面の奉納の大草鞋は 2足

 

仁王門をくぐると参道沿いに 本堂左 側から 裏門まで

 高さ1mほどの 観音像270体がずらっと並んでいます 

納経所の手前に 休息所と淡島堂

手洗場

  

 本堂         

ご本尊 薬師如来を中心に日光 月光菩薩 四天王が祀られています

 大師は薬師如来を刻み 道隆の彫った小さな像を胎内に 納め

 「二体薬師」の本尊で 50年に一度のご開帳があるそうです 

病気を治し 貧しい者の衣食を満たしてくれる仏さまで 

特に 「目なおし薬師さま」として信仰されています

 年の数だけ”め”の文字、絵を書いて奉納すると霊験があると言われています

 

本堂から 左回りに 左奥に目の病に霊験のある潜徳院殿堂

 丸亀藩の御典医  京極左馬造公が 祀られています

 左馬造公は 盲目だった 幼少の頃 道隆寺の薬師如来の霊験で光を得  

その後 医学を学んで御典医になられ 特に眼科の名医だったそうです

こちらも 年の数だけ”め”の文字、絵を書いて祈願します

 

潜徳院殿堂の右に 正一位加茂稲荷大明神

 商売繁盛 五穀豊穣に ご利益があります

    

本堂の裏に幾つかお堂があります         もどり観音堂           

  

 大きな耳の愚痴きき地蔵           普賢延命大菩薩堂

    

       ?                      ?

弘法大師千五十回忌之塔大師堂

北門

北門を 出ると 県道に面して 仏心真如像 

周りには水子地蔵や 交通安全千体観音像などが並らんでいます

本堂の右後方に 道隆寺開祖、和気道隆公 朝祐御廟があります

多宝塔

弘法大師1150年忌の記念に建立されたそうです

大師堂

大師堂の ワニのくち 

このワニのくちは 以前先達でお世話になった 花岡 季代先生が奉納されたものです 

先生は 目が0,03のド近眼で大変不自由をなさり ご本尊に「この目をなんとかして下さい」と

お願いしたところ「手術をしなさい」と霊験があったそうです 手術をしたところ

ありがたい生活ができるようになったと そのお礼に奉納されたそうです

   

 大師堂の前に 悪行を悔いて 修行大師にひざまずいている 

 衛門三郎像(遍路の始祖)です

  

          大師堂の近くに十三重供養塔        観音堂

 

讃岐71~77番七福神巡り最後となる 寿老人堂

幸福長寿 家庭円満 延命長寿 福徳 智慧などのご利益があります

(撮りぬかり 以前の画像 使用です)

道隆寺を最後に バスツアー巡拝第12回目の参詣は 打ち止めです

  おしい  


安芸市老人クラブ芸能大会

2015年02月15日 | 日記

2月13日 第42回 安芸市老人クラブ連合会芸能大会が開催されました

安芸市に住んでいる高齢者の仲間が 親睦と 交流を深めるを目的とし 

また長寿をめざし 今を元気に過ごすため 趣味を生かし 日頃練習に励んでいる

歌や 踊りの成果を発表しました 今回は 100歳をなられた田村さん

99歳10ヶ月(ご本人があえておっしゃる)の野村さんが出演され

お二人とも 艶 張のある声で 素晴らしいのどを聞かせてくれました

 

100歳になられた田村さん

「祝い船」を若々しい声 音程もしっかり メガネもかけずテレビを見ながら

唄いました 歌詞は全部頭の中に入っているのかも知れません

99歳10ヶ月の 野村さん

太鼓に合わせて「磯節」を朗々と気持ちよさそうに唄いまし

お二人に記念品の贈呈

元気で長生きの秘訣は?

            田村さん・・・好きな歌を 唄うこと

            野村さん・・・あまり長生きをしたいとか思わず普通に生活していること

お二人から「元気」という ステキな贈りものをいただきました

歌謡曲を唄った皆さん

出演者の一部ですが紹介します

 

 日舞の皆さん

3B体操「ジパング」

伊尾木延寿会 「どんどん民謡」

安芸老連なでしこ会「安芸恋小唄」

安芸老連なでしこ会「剣山}

フォークダンス安芸「ヤン・トウホのポロネーズ」

プログラム42番まで 約4j時間 ご来場のみなさんに楽しんでいただき

出演者の仲間も楽しんだ 発表会でした

おしまい 


四国八十八カ所 第七十六番 金倉寺

2015年02月14日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 12回目

 平成26年11月16日 76番 鶏足山 金倉寺を参詣しました

金倉寺は 弘法大師の甥 智証大師(円珍)の誕生地で 774年智証大師の祖父 

和気道善(わけどうぜん)が開創され 道善寺と呼ばれていました その後 智証大師が

40歳で唐に渡り 5年間修行 帰国後 唐の青龍寺にならって伽藍を建立 薬師如来を

刻んで本尊とし 四国霊場に定め 928年 醍醐天皇の勅願寺となり

地名の金倉郷(かなくらごう)にちなんで 金倉寺(こんそうじ)と 改めたと伝わっています

金創寺 境内図

金倉寺は 駐車場続きに大師堂近くの裏口から境内に入ります

牛?と同行二人のお地蔵さんが祀られています

学問の神様 菅原道真地蔵さん?(ちょっと変わってるので気になる)

裏口に 智証大師はここで生まれた石碑

814年に生れ  弘法大師の甥(母親は大師の姪にあたる説もあります)

 広雄と命名され 幼少の頃から 経典を読み 霊感も強かったそうです

護国院殿像

多分 乃木希典将軍の銅象と思われます

明治31年に第十一師団長として善通寺に赴任し 金倉寺の客殿を

仮住まいとしていたそうです 明治天皇の大葬の日(1912年

静子夫人と自宅で 殉職されています

銅象の近くに 不動明王が祀られています 前を通って本堂へ

 

仁王門からの参道の正面に 本堂があります

幾度も 焼失 再建を繰り返し昭和58年の落成です

荘厳さを備え木造入母屋造りでは 四国霊場最大のものだそうです

ご本尊 薬師如来

本堂内の鴨居に奉納された、小さな仏像がずらりと並んでいます

願供養念珠

巨大な念珠がぶら下がっています 願い事を唱えながら

珠を引くと バチバチと珠が落下します

 本堂から左回りに

本堂左前に 金色の大黒さん金箔を一枚一枚貼っっています

 五穀豊穣、商売繁盛、出世開運のご利益があります

金色大黒さんの横に 金創寺にちなんでか 

金を創る財運小判碑と絵馬が奉納されています

近くに萬霊地蔵尊も祀られています  

あらゆる霊を供養し

また供養の大切さを教えて下さるお地蔵さんです

 

本堂左に訶利帝母堂 (かりていぼ鬼子母神ともいいます)

智証大師は 霊感の強かった5歳の頃に自分を守ってくれる 

訶利帝母尊が現れ 後に訶利帝母尊を刻んでお祀りしたと伝えられています

現在では 豊穣 安産 子育ての神さまとして信仰されています

同じく近くに 子育て地蔵尊

訶利帝母堂左に 休息所

休息所の左に 観音堂

十一面観音がお祀りされています

 十一面観音像は 頂上の一面は仏面 前の三面は慈悲 左の三面は怒り 

右の三面は善行 後部の一面は嘲笑いの顔をしているといいます 

十一面の顔で全ての方向を見守もって下さり

病気にかからない お金 衣 食に不自由をしない 

一切の苦しみを避ける事が出来 極楽往生ができる仏さまです

 

本堂に向って左手前に 大師堂

 智証大師を中心に弘法大師と神変大菩薩(修験道開祖)の像が祀られています

 

大師堂の左に 聖天堂    聖天さま

本堂の手前左に智証大師修行像

智証大師は15歳で比叡山に入り 後に天台宗比叡山延暦寺五代座主になり

園城寺中興開山 天台寺門宗の開祖となられたそうです

 

智証大師修行像近く 満宮

学問の神様 菅原道真公をお祀りしている?

側に道真公の神使牛の石像が奉られています

(裏口のお地蔵さんと同じ顔の牛です)

本堂の右に客殿 と 納経所

納経所の近くに 乃木将軍妻返しの松

将軍が師団長として 金倉寺を仮住まいとしていた頃病気になり 夫人が見舞いに

訪れたところ逢う事を許さず帰郷を命じ 夫人は松の根元で佇ずみ思案にくれたといいます

仁王門から入ると右手に手洗場

車での参拝組はほとんど仁王門 をくぐりません

必死に走って撮りました

  

仁王門正面は仁王像

背面は大草鞋

仁王門から左に しめ縄を巻いた御神木があります

 

御神木の近くに 「お遍路の 鈴の法楽 誕生寺」の歌碑鐘楼 

       

裏口出口に讃岐71番〜77番の七福神巡りの布袋さん

おおらかで円満、凶運も吉に変える強運のご利益があります

つぎ77番道隆寺までバスで約20分です

おしまい


四国八十八カ所 第七十五番 善通寺 (東院)

2015年02月10日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 12回目

 平成26年11月16日 弘法大師 誕生の地75番 五岳山 善通寺を参詣しました

善通寺は 弘法大師が 唐から帰国された807年 仏教真言宗を 広く普及させる

勅許を得て先祖の菩提供養の寺として 父親から譲り受けた 四町四方の地に

 恩師の恵果和尚の住した青龍寺にならって 6年の歳月をかけ堂塔を建立し

 父の名前 善通(よしみち)をとって善通寺と号し霊場に定められ 鎌倉時代に

佐伯家の邸宅跡に 誕生院が建立され 別々のお寺でしたが 明治時代に

善通寺として一つのお寺となり 真言宗善通寺派の総本山になっています

京都の東寺 高野山の金剛峯寺とともに 空海三大霊場でもあり

四国霊場75番札所でもあります 

(はじめに 創建地(東院) つぎに誕生院(西院)に分けて投稿します)

 

日曜日のため 駐車場はバス 乗用車で 満杯

駐車場に立つ 空海記念碑

同じく駐車場に お遍路の交通安全を祈る お地蔵さんを祀っています

同じく 正覚門建立の記念碑が建っています

駐車場からは済世橋を渡って境内に入ります

済世橋を渡り正覚門をくぐると 

 45000平方メートルもの境内が広がり 門は5つ 東院 西院に分かれ 

豪壮な伽藍が立ち並んでいます

東院の案内図 

 

  西院から八脚仁王門 (1907年建築 国登録有形文化財)をくぐり東院へ

   

 西院側からは大草鞋の奉納 東院側は梵字の紙が貼られ 

仁王門さんは留守をしていました

 

極楽掘りに架かる はつか橋を渡ります

 

 

はつか橋を渡ると右に観智院内の集合のお墓(納骨堂)

上に立っているのは弘法大師像 石柱には「昼夜愍萬民住普賢悲願」と書いています

 

つづいて 観智院 

大師が善通寺開山と同時に建立され ご本尊十一面観音菩薩(子安観音)を祀られ

子授け 安産で信仰されています

左に 華蔵院 ご本尊に商売繁盛の守り神 毘沙門天をお祀りしています

中門 (国登録有形文化財)くぐると 東院の境内が開けます

五百羅漢が境内を囲むように並んでいます

中門をくぐると右に 南大門(国登録有形文化財)からは正面に金堂があります

現在の建物は1699年上棟 国重要文化財 

7間四面の二層楼の 豪壮な佇まいです

ご本尊は薬師如来坐像 像高約3m江戸中期に

御室大仏師運長法橋の作と言われています

金堂の手前に子授大師像手水場大石

 手前に赤穂浪士 大石内蔵助さん奉納の「手洗い大石」があります

 

金堂の左後ろに 六角形の経堂  

金堂の右手前に 金堂お守り所(売店)

金堂の右後ろに天神社 (国登録有形文化財)

東院境内に東から入る赤門です

金堂の右手に釈迦堂( 国登録有形文化財)

重厚で見事な美しい五重塔

1845年再建を開始1902(明治35)年に完成

4代目の総高45メートル 重要文化財です

南大門 (国登録有形文化財)

こちらから入ると 右手に五重塔 左手に鐘楼 正面に金堂の配置です

 五社明神

大楠 (県指定天然記念物)

大楠は東院境内に2本あり 大師誕生の頃はすでに大樹で 

樹齢千数百年経っていると言われています

佐伯祖廟

大師の父善通(よしみち)と母玉寄御前のご尊像をお祀りしています

「善通寺」は父善通の名前からつけられています

鐘楼  江戸時代末期再建(国登録有形文化財) 

 撮り残しは沢山ありますが 善通寺 東院はおわり  

つづいて 誕生院 (西院)を投稿しますご覧下さい

 おしまい


四国八十八カ所 第七十五番 善通寺 西院

2015年02月10日 | 日記

創建地 伽藍(東院)につづいて 誕生院(西院)の御影堂を中心とした

諸堂 石仏など紹介します

西院境内 案内図

駐車場から正覚門をくぐると左に 戦没者供養塔のパゴダがあります

パゴダの手前に遍照の石碑

 弘法大師の精神 仏の光明で 全てに優しく分け隔てなく照らし

世のため人のために尽くすことです

つづいて遍照閣への参道の左手に 十二支守り本尊が並んでいます

遍照閣 

「四国八十八ヶ所お砂踏み道場」が開催されたり

写経、読誦 仏画を学んだりする研修の道場のようです

 

遍照閣への参道右手に 聖天堂 

歓喜天が祀られ どんな願い事でも叶えてくれ

約束を守らない者には容赦なく罰を与える神さまです

聖天堂の右に光明殿、納骨永代供養塔です

善通寺では 宗旨 宗派を問わず供養してくれます

進行方向 右手に 四国霊場満願成就 先祖代々菩提の石柱が並んでいます

左端に 弘法大師のお父さん 佐伯善通の名前ががあります

石柱の前に 地蔵さん 石積地蔵ちゃん お大師さんの像などがあります

 

 右左の建物 石碑など見て 御影堂と聖霊殿をつなぐ廊下の下を をくぐると

 

 

御影堂の北周辺に左から 聖霊殿

 (しょうれいでん1940年建築の仏堂 登録有形文化財)

 

 同じく 延命龍観音菩薩像 

足元に竜がどぐろを巻いています

この延命観音菩薩は呪いや毒薬の害を除いて下さる仏さまです

 

同じく 地蔵堂(国登録有形文化財)

ほやけ地蔵が祀られています 頬にやけどの痕がある娘が 日参し祈願したところ

きれいにとれ 地蔵尊の頬に痕が移ったという お地蔵さんをお祀りしています

 やけど しみの人に信仰があります

同じく  金堂から移されたという 木造 五百羅漢 

護摩堂から聖霊殿への回路に祀られています

同じく 親鸞堂と護摩堂の間に 閻魔堂 (国登録有形文化財)

地獄に行った人間を 閻魔大王が大将で十人の王で裁きをします

 

 

同じく 「不二地蔵菩薩」

護摩堂 1940年建築 国登録有形文化財

親鸞堂 

浄土真宗開祖の親鸞上人は 師とする法然上人が 弘法大師生誕の地に 

逆修の塔を建てていることから この地に来ることを 希望したそうですが 

果たせなかったので 自から自分(親鸞)像を刻み

 「鎌田の御影」という日本で唯一の親鸞像が祀られているそうです

納経所

鐘楼

  

 御影堂前廻路(1915年建築国登録有形文化財)には 

回路の両側に弘法大師生涯の絵が奉納されています

  

弘法大師誕生の佐伯家跡に建立した御影堂 

(1831年再建 1936年に修築 国登録有形文化財) 

下には暗闇の中 手探りで廻る戒壇巡りがあり 巡り着くと

大師誕生の聖地といわれる奥殿真下で お大師さまの お声が聞けます

 ダウンロード画像

御影堂には 自画像の 瞬目大師(めひき)像が祀られています

大師が唐へ留学される時御影池に姿を写し自画像を描き 母御前に残したといいます

当時の土御門天皇がこの絵をご覧になり 目をまばたきされ

「瞬目大師」の尊号を賜ったそうです

 

 

御影堂の前に稚児大師像

幼少時は真魚(まお)と呼ばれ 聡明で信仰心の篤いお子様だったそうです

御影堂の縁におびんずるさま

自分の痛む所を左手で びんずるさまを右手で同時に擦ると 

より効き目があるそうです

こんな 場面に出会いました

 

御影堂の左に大玄関 小玄関1907年建築 国登録有形文化財)

「総本山善通寺」「真言宗善通寺派宗務庁」の看板があります

勅使門  (1936年再建 国登録有形文化財)

 

御影池の近くに いくつか石仏が祀られています

不動三尊 

右にコンガラ童子左にセイタカ童子を従えています

煩悩の強い人を強引に導き 精進する人には慈悲に満ちた仏さまです

御影池

大師が唐へ留学の時 両親への形見に 自分の姿を池の水面に写し

 自画像を描いたといわれる池

現在は 大師とご両親の像が祀られています

 

水子地蔵 

水子となった子供たちを 守り救って下さいます

絵馬に願いを書いて祈願し 願いが叶ったら絵馬を奉納します

 讃岐71番~77番の七福神めぐりの布袋さんも近くに祀られています

おおらかで円満、凶運も吉に変える強運のご利益があります

 

御影堂を正面にみて左の端に宿坊 いろは会館  

 

 宿坊で昼食をしました

長いブログを覗いていただいて ありがとうございました 

つぎ76番金倉寺を参詣しますバスで約20分です

おしまい


四国八十八カ所 第七十四番 甲山寺

2015年02月06日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 12回目

 平成26年11月16日 74番 医王山 甲山寺を参詣しました

甲山寺は 弘法大師壮年の頃 善通寺と曼荼羅寺の間に 伽藍を建立する霊地を

探していたところ甲山の岩窟から老翁が現れ「ここに寺を建てれば 私がいつまでも守護しよう」と

お告げがあり 大師は 石に毘沙門天像を刻んで 岩窟に安置ししたのが始まりとされ 

その後大師は821年 嵯峨天皇の依頼で この地にある 満濃池の修築工事の監督を任せられ

甲山の岩窟で 薬師如来像を刻んで 工事の完成を祈願し 大師を慕う多くの人々が集まり

力を合わせて わずか三ヶ月で完成させ 朝廷から 贈られた功労金で 堂塔を建立し

祈願をこめて刻んだ 薬師如来像を本尊として安置し 山の形が毘沙門天の 甲(かぶと)に

似ていることから「甲山寺」と名づけ 霊場に定められたと伝わっています

甲山寺 境内図

 

 山門

白壁塀の趣のある山門です 

大師 満濃の池築造のゆかりのお寺と言われています

山門をくぐると右手に手水場

左におれて中門

中門をくぐると右手に庫裏 納経所

庫裏の前に 修行大師像

中門の正面に本堂

ご本尊は 満濃の池工事の完成を祈願して刻んだという 弘法大師作の薬師如来

甲山寺の 薬師如来は 特に眼病に霊験があるそうです

本堂の縁に おびんずるさん

  

本堂の左に大師堂 

黒い衣の大師像が祀られています

 

大師堂左上段に 親子地蔵尊  右手に錫丈 左手に稚児を抱き

足元 背後に ミニ地蔵さんがたくさん並んでいます 

その左に岩窟毘沙門天堂

老翁のお告げで 大師が石に刻んだ小さな毘沙門天像が祀られています

ご真言 おん べい しらまんだや そわか

讃岐71番~77番の七福神めぐりの一つにもなっています

1体で祀られる時は毘沙門天 四天王として4体で祀られる時は

多聞天(たもんてん)と呼び名を変えます

武道成就 降魔厄除 家内安全 夫婦和合にご利益があります

大師堂の左に願掛け不動尊

不動尊はどのお寺でも必ずお祀りしいるようす

病魔退散 家内安 、商売繁盛の ご利益があり また烈火のごとく怒って

煩悩を取り去り 精進する人には 慈悲の心で願いを叶えてくれます

不動尊を少し左に上がると 鐘楼

  

鐘楼の前に 淡島堂 淡島大明神が祀られています

婦人病、安産、子授け 裁縫の上達 人形供養など女性に関する霊験がある神様です

 つぎ弘法大師誕生の地75番 善通寺まで車で10分です

おしまい


安芸市 小・中学校工芸展

2015年02月03日 | 日記

 安芸市の「第40回 小・中学校 工芸展」が 安芸市教育委員会

安芸市教育研究会図工美術部会の主催で2年に1度の開催で 

今年は1月30日から2月1日まで市の体育館で開催されました

児童 生徒さん達の豊かな感性と 先生方のご指導で 想像を広げ

楽しみ苦心の 工夫を凝らした力作を 鑑賞し楽しんできました

お詫びそれぞれの学校の作品を紹介したく 写真が多くなりました

なかよし学習会 エコタウン安芸

  

下山小学校 東川小学校連合(児童が少ないので)の合同作品

 

私の手 ぼくの手

井ノ口小学校1年生  おにのめん

 

井ノ口小学校2年生  楽しい思い出

  

 井ノ口小学校3・4年生 ぼくの顔 私の顔

 井口小学校5年生

 安芸第一小学校 1年生

 安芸第一小学校 2年生 すてきなぼうし

 安芸第一小学校 3年生

 安芸第一小学校 5年生 それ行け たんけん隊

 

 

 穴内小学校 全校 合同作品  穴内三人衆

 

赤野小学校 1・2年生 おちばと木のみの リース オーナメント

 

 赤野小学校 1・2・3年生 赤野の森

 赤野小学校4年生 お正月リース メッセージボード

  

 赤野小学校4年生  将来の夢

 赤野小学校4年生

 赤野小学校5年生  壁掛けメッセージボード

 

赤野小学校6年生  紙で作ったくつ  縄文様式風・土器

 

 

安芸中学校2年生 木彫コースター

伊尾木小学校 全校生 伊尾木家おもてなし

下手な写真に長々お付き合いしていただき有難うございました

最後に伊尾木家おもてなしのご馳走をたっぷりご賞味して楽しんで下さいませ

 

  

  

 おしまい