yurikago-sa

1939年生まれ
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遊びをします!!

関門海峡 満ぷく 大感謝祭の旅(1日目)

2014年07月30日 | 日記

某旅行会社のバスツアー 「ドッキリ! 関門海峡満ぷく大感謝祭 2日間」

 1日目 関門トンネル人道→門司港レトロ→夕食は海鮮炭焼きと 焼肉バーベキュウ&バイキング→ 海峡の夜景 

2日目 関門海峡クルージング→唐戸市場 亀山八幡宮参拝 昼食は ふく刺身 陶板焼き御膳→城下町長府散策 

枕が変ったら寝れん症候群の主人が めずらしく 行って見ようか・・・めったに ない事で 雨が降らねば・・・と

心配・・・私めの日頃の行いが よっぽど良いのか お天気には めぐまれて 楽しい2日間の旅をしてきました

先ず 世界的にも珍しい歩行者用海底トンネルを歩いて九州へ・・・(旅行会社の キャッチフレーズ)

 

  関門トンネル人道下関側入り口         エレベーター乗降口

昭和33年3月9日に21年の歳月をかけて完成したという 下関と門司をつなぐ トンネル 二重構造になっていて 上が車道

下が人道 エレベーターで 約55m降りると 約780mの人道トンネルです 歩いて 約15分で 通行料は無料 

自転車 原付は20円の通行料が必要で 押して歩かないと 監視カメラが見張っているそうですます。 

 

トンネルの中の 境界線 記念撮影をされる人はここ!

 

壁には魚や海草が描かれて まるで海中を歩いているような 演出がされています

 

トンネルを歩いて 門司側は地下から約60m上ると 目の前に 関門海峡のシンボル関門橋

昭和48年に開通し 全長1,068m 海面からの高さは 61mあるといわれています

  

歩いた記念に「関門 TOPPA記念証」が授与されます その裏に 受験に 目標に 自分との戦いに 必勝祈願!

勝利の歴史を物語る 関門の神社「大歳神社」(下関)・「甲宗八幡宮」(門司)が紹介されています

          

次は 異国情緒が漂うロマンあふれる 門司港レトロ街を散策・・・(旅行会社の キャッチフレーズ)

 門司港レトロ展望室は

日本を代表する建築家 黒川起章氏が設計した 高層マンションの レトロハイマートの31階にあります

  

高さ103mから 関門海峡 や 門司港周辺の絶景パノラマを 楽しめます

 

          レトロの街を散策します  国際友好記念図書館            旧門司三井倶楽部 大正10年の建造

かつて 貿易港として栄えた門司港には 明治から大正にかけて作られた建物が今でも残っていて 新しくできた

ホテルや 商業施設なども レトロ調に建造されて 懐かしい風景を楽しむ 観光スポットとなっています

   

           旧門司税関 明治45年に建てられた 煉瓦造り                  門司港ホテル         

第一船だまりに架かっている「恋人の聖地」認定の ブルーウイングもじ はね橋は 1日に6回開閉します

恋人たちの架け橋として 人気で

 

   

 旧大阪商船 大正6年の建物                            日本郵船

     

新しく建造された 商業施設 や  海峡プラザなど

 

ストリート では バナナの叩き売り実演 発祥の地と言われています  バナナマンの モニュメント

 

        ミユジシャン マジシャンが 楽しく 面白く パフォーマンスです

 

門司港レトロ観光トロッコ列車 「潮風号」               街角の レトロ ポスト

レトロの観光遊覧船のバック

 2時間30分のレトロ感を味わい 関門橋を渡って下関へ 

ビニールハウスのレストランで 海鮮セットと 焼肉バーベキュー&バイキングの食べ放題の 夕食です 

 

モンゴルの馬頭琴(民族楽器)の演奏を聞きながら

食べ放題 満ぷくへの夕食 

 

夕食 ホテルにチェックインのあと 地元の観光バスで 標高268mの火の山公園の山頂へ 

少々お年をめした ガイドさんが 山頂へ着くまで 周辺の観光スポットを 熱心にガイドをしてくれました

 山頂展望台からは 九州市までも 望むことができ360度の絶景パノラマを 感応

お天気もよく 今夜は最高の夜景です・・・ガイドさんが云っていました

ホテルの 玄関口に 我が高知県 幕末の英雄 坂本龍馬さんがお龍さんを伴って 

龍馬さんに 関わった 下関の人達と ともに9ショットが描かれていました

龍馬さんは慶応2年(1866)1月 長府藩士三吉慎蔵さんと上京して 京都薩摩屋敷で 薩長同盟を実現され 

その後慶応3年(1867)2月 伊藤助太夫さんの邸宅の一室「自然堂」を借りて お龍さんとの生活を始めたそうです

お龍さんの後を 慎蔵さんに(遺言を)託され 龍馬さんが亡くなった後 慎蔵さんは お龍さんを土佐の坂本家に送りとどけたそうです

龍馬さんは慎蔵さんと 上京するとき 高杉晋作さんから漢詩と拳銃を贈られているそうです

ドッキリ!大感謝祭の1日目の日程は終了 「某ホテル 下関」で宿泊です

おしまい 


四国八十八ケ所 第三十八番札所 金剛福寺

2014年07月27日 | 日記

平成26年5月26日 天気 雨  第三十八番 蹉跎山 金剛福寺を参詣しました

金剛福寺は 822年弘法大師が 四国の最南端の この地を訪れ 太平洋の大海原に観世音菩薩の住む

 補陀落の理想の世界を感得し 嵯峨天皇の 勅願で 伽藍を 建立 三面千手観音菩薩像を刻み安置し

 寺を開創 「金剛福寺」と名づけ 霊場に定めたそうです補陀落とはインドの南海岸にある 観音さまの住む山のことです)

 

 観音さまの浄土に一番近いと言われる 金剛福寺は 四国最南端の足摺岬に建ち

雨が降り 風がそえば 傘の柄をしっかり支えてないと 風が暴れながら通りすぎます

 

金剛福寺境内図

仁王門 

 仁王門 には 平安時代の三筆(嵯峨天皇・弘法大師・橘逸勢) といわれた差峨天皇の

 書いた「補陀落東門」と彫られた木額を掲げています

  

金剛力士

 迫力が今一つ ボディビル金剛力士さん 

仁王門を入ると 左に 手水場    

 

 

つづいて石造の 大師亀 頭を撫でて お祈りすると ご利益があります 撫でられて 亀の頭 は ツルピカです

  お大師さんが亀を呼び 海の不動岩に渡って 修行したと伝えられています

右手に 納経所

 

 

そして 不動堂

その奥に 多宝塔 

源頼光公が清和天皇の供養の為に 建立されたもので ご本尊は胎蔵界の 大日如来さまが祀られています

平成に大修理され 屋根の九輪の宝塔は寺のシンボルといわれています 

仁王門から正面奥に 本堂 

ご本尊は 三面千手観世音菩薩(秘仏) 

 このような観音さま (ダウンロード画像)

本面の左右に脇面が付き 秘仏は高さ約1.6mの檜材寄せ木造りだそうで

 高知県の保護有形文化財に指定されています 

  病気 長寿 などにご利益があり 特に夫婦円満 難産にご利益があるといわれています 

 

本堂の左に 愛染堂 

良縁 夫婦円満 煩悩を悟りの心に高めて下さる 愛染明王(県の保護有形文化財の指定)と   

病気が治り 子どもが授かるという 十一面観音の化身とされる歓喜天が祀られています

愛染堂の左大きな岩と十三重の塔の間に薬師如来像

 

すごく立派な 十三重供養塔 土台に 鯨や魚のレリーフが彫られています

権現堂

その左に 金剛福寺の守護神が祀られている権現堂

その左に 水かけ地蔵さん 

すごく立派な 三界萬霊供養塔

八十八ケ所の ご本尊の石仏が並んでいます

 

 

 

大師堂

本堂から 左に数々のお堂 石仏が並んだ 境内の左の端に・・大師堂があります

 開創1200年記念 お手綱と大きな五鈷杵が置かれています

歴代の住職さんの?五輪塔が並び 大師七不思議の くわず芋が芽を出しています

大師堂から仁王門に向かう参道脇にも堂宇 石仏が安置されています

 

龍棲池の石塔 と 池

鐘楼堂

 弁天堂

  七福神のなかの一神様 弁天様が祀られ

 芸術 学問 蓄財の神様として 信仰されています

 

 修行大師

龍棲池を囲むような 参道の終わりに お迎え お見送りと思える 修行大師像が佇んでいます

岩と水庭園に整理された金剛福寺を最後に 6回目巡拝の打ち止めです

  最後に いいわけ    

雨に降られ レンズを ふきながらのパチリ *ツアーは 「ここからが えい・・・」などと

狙いを 選り好みをする余裕などなく 「いきあたり ばったり」 お見苦しい画像で ごめんなさい

 おしまい


四国八十八ケ所 第三十七番札所 岩本寺

2014年07月23日 | 日記

平成26年5月26日天気雨 第三十七番 藤井山 岩本寺を参詣しました

岩本寺は 聖武天皇天皇の勅命で 行基菩薩が 仁井田郷に 天の七星を形どって

 仁井田明神の そばに七ヶ寺を建立 仁井田七福寺と称して開創され 815年弘法大師がこの地を訪れ 

さらに五社 五寺を増建して 仁井田五社 十二福寺と称し 星供養曼荼羅を描いて 三国相承の星供秘法を修法し 

 中心的な寺であった福円満寺を 藤井山と改名し 四国霊場に定められました 

戦国時代 廃寺となりましたが その後 現在のところに寺を再建 寺名も岩本寺と改めましたが 

明治の廃仏毀釈で 再度廃寺となり 明治二十三年再興されたそううです

岩本寺境内図

商店街から 数段の石段を上ると 仁王門 があります


 

山門の仁王像

山門をくぐると左手に手水場、その向こう側に納経所 庫裏 宿坊があります

 

仁王門を 入って右手に 円形の珍しい御堂 聖天堂が目につきます 

 本尊は歓喜天が祀られ 頭が像で 身体は人間の姿をしています 

「聖天さん」で親しまれ 仏法守護 福徳 夫婦円満の神として信仰を集めています

またどんな願い事でも叶えてくれますが 約束を守らない者には 容赦ない罪を与えるといわれています

  

右手奥に 大師堂 200年ほど前の建物で、岩本寺では最も古いといわれています

ご開創1200年記念の 大師堂は 五色のお手綱と 五鈷杵 が用意され お大師さまと より ご縁をむすびます

 大師堂の右横に 開山堂

鐘楼

阿弥陀堂

  

仁王門を入って正面奥の右に 本堂 ご本尊が五体祀られ ています

阿弥陀如来 死後 極楽浄土に導いて下さる

  ご真言 おん あみりた ていせいからうん

聖観世音菩薩 福観音と言われ 水害を救って下さる

 ご真言 おん あろりきゃ そわか

不動明王  福と繁栄をもたらして下さる

 ご真言  のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた  かんまん

薬師如来 病気を治し 長生きができます

  ご真言 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

地蔵菩薩 現世 来世 無量の功徳を下さる

 ご真言 おん かかかびさんまえい そわか

五仏のご真言を三回づつ(5×3)唱えます

  

本堂内神と天井絵  

昭和53年に 全国から公募した  日本画 洋画 仏画 など様々な天井絵は有名で575枚 なかでも

手前の マリリンモンローさんの絵に注目!

 

本堂のそばに 聖観音像               水子地蔵像

本堂の左に 行基菩薩 報恩供養塔です

 水天宮  

祭神は安徳天皇と母建礼門院(平徳子)と祖母平時子(清盛の妻)が祀られ

 水難除けと安産祈願の神として信仰されているそうです

 

 境内左奥の方には沢山の石仏が行儀よく並んでいます

 宿坊 

宿坊の昼食

  つぎ38番札所 金剛福寺まで 約95km バスで約2時間10分です

おしまい 

 


四国八十八ケ所 第三十五番札所 清滝寺

2014年07月19日 | 日記

平成26年5月25日 天気 雨  第三十五番 医王山 清滝寺を参詣しました

清滝寺は723年に行基菩薩が 薬師如来像を刻み 寺を建て本尊として安置

「影山密院・繹木寺」と名づけて開創したのが初まりと伝えられています 

その後810~824年 弘法大師が訪れ寺の北300mの山中で修法し7日目の満願の日に

 五穀豊穣を祈願して 金剛杖で 大地を突くと 清水が湧き出て滝となり 鏡のような池になり 

そこで山号を医王山 鏡池院 清滝寺と改め、霊場と定めたそうです

清滝寺境内図

バスツアーは 標高150mの清滝寺までは 麓でマイクロバスに乗り換え境内まで直行 

マイクロバスを下りると 右の方に 赤い消防車が 目につきます

備えあれば 憂いは 少々で・・・・

鐘楼  

消防車の東に 庭園、鐘楼 本坊、納経所があります

消防車の左に 琴平神社 の鳥居があります

手水場

 

                    手水場の右の 小さなお堂に ?仏                その右に 苔むし時代を感じる石仏が並んでいます

本堂に上がる石段の左側に 大きな薬師如来像 台座ふくめると高さ15メートル 

中は108段の戒壇めぐりができ「おんころころ せんだり まとうぎ そわか」ご真言を唱えながら 

薬師如来の胎内をくぐると厄除けに ご利益があるといわれています 

昭和8年 地元の製紙業者さんの寄進だそうです

 

本堂に上がる石段の右側に 大僧正伊東像岳和尚像

 勲五等隻光旭日章を受けられた記念碑だそです

子安地蔵

安産の祈願  ご利益が有ると 底の抜けた柄杓が奉納されます

  

弘法大師が 金剛杖を打つと 

清い滝のような水が湧き出たと 伝えられています

水子地蔵

水かけ地蔵さん

石段を上って高い所に 本堂

ご本尊は723年 行基菩薩が 刻んだ 高さ154cmの 薬師如来立像で国重要文化財です

本堂と並んで左に大師堂

大師堂の左縁側に おびんずるさま 撫で仏さまです

大師堂の左下段に 地蔵堂

地蔵堂を囲むように山際に たくさんのお地蔵さんが並んでいます

地蔵堂の 左に 観音堂

          

弘法大師の十大弟子の一人 真如が 死後のために自ら 造った墓 逆修塔 が  

寺の南西 いらずの山に あるそうです 

真如は 平城天皇(病弱の為 実弟嵯峨天皇に譲る)の 第三皇子 高岳親王(たかおか・・)で 

父君も 寵愛をしていた藤原薬子らの内乱の連座の罪で仏門に入り 高岳親王も皇太子を廃され 

大師の弟子になり 法名を真如と改めたそうです そんな真如のゆかりの清滝寺をあとに  

つぎ 37番札所 岩本寺へ行きます 土佐IC~ 四万十町IC 高知道を走って 約1時間20分です

おしまい


四国八十八ケ所 第三十六番札所 青龍寺

2014年07月15日 | 日記

平成26年5月26日 天気 雨  第三十六番 独鈷山 青龍寺を参詣しました

バスツアー は県道から  お土産とレストランのマイクロバスで 細く曲がった道を 青龍寺に行きます

清龍寺は804年 弘法大師は唐に渡り 長安の青龍寺で 恵果和尚から真言の 秘法を学び

 大師は その恩に報いるため「寺院建立の 景勝地に溜まり給え」と東の方に独鈷杵を投げ

 帰朝後 大師がこの地を訪れ 山中の松の枝に 独鈷杵を見つけ  嵯峨天皇(在位809~823)

その不思議を 申し上げ 815年大師は この地に堂宇を建立 波切不動明王を刻み安置し 

山号は投げた「独鈷」にちなみ独鈷山 寺名は恩師を偲んで青龍寺と称し 霊場と定めたそうです

 

青龍寺境内図

駐車場から見える 客殿と 多宝塔

鐘楼門

 本堂への石段 上り口右手に 奥の院に向かう門 鐘楼門があります

 駐車場の一段高い所に納経所と その左に恵果堂があります

恵果堂は 弘法大師に真言密教の奥義を授けた 唐・青龍寺の 恵果阿蘭梨高祖が祀られ

お墓は 三重塔の 奥の参道にあります

 石段を上り始めると途中 右手に 修行大師像

観音像

三重塔があります

 

そして 仁王門  金剛力士像  

 

仁王門をくぐると170段の石段が続きます  

石段の途中に 水子地蔵

滝行場

手水場

弁天堂

 七福神のなかの一神様 弁天様をおまつりしています

芸術 学問 蓄財の神様として 信仰されています

石段右手に 聖天堂

 歓喜天が祀られ  仏法守護 福徳 夫婦和合の神として信仰を集めています

 どんな」願い事でも 叶えてくれるそうですが 約束を守らない者には 容赦ない罰を与えるといいます 

 

三界万霊地蔵尊

ありとあらゆる精霊を供養するお地蔵さまです。

  

170の急な石段を上りきった正面に本堂 本堂前に立つ 波切不動明王像 と本堂の内陣

ご本尊の波切不動明王像は 大師が唐へ 真言密教の修行に渡る途中 暴風雨にあい

船が転覆直前 波間から不動明王が 現れ船を守ったと伝えられています

いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも 鎮めてくれると 深く信仰されています 

また縁結び 家庭円満 人々の苦しみのすべてを救ってくれる 愛染明王も

不動明王と一緒に安置され 鎌倉時代の作で国の重要文化財に指定されています

本堂と大師堂の間にも 不動明王像

 

本堂の左に 大師堂

 

そして本堂の右に薬師堂 

本堂を中心に 左に大師堂 右に薬師堂 この並びは 唐の青龍寺と同じといわれています

薬師堂の右に 白山大権現   

白山の山岳信仰と修験道が融合した 神仏習合の神様で十一面観音菩薩の化身だそうです

 

石段を上りきった 左に 西国三十三観音像

石段登り口 そぼふる雨に お遍路を迎え 見送るかのように 紫陽花は咲き誇っています

 つぎ時間の都合で 35番札所 清滝寺へ行きます 約15km 

バスとマイクロバスに乗り換え約25分です

                                             おしまい


油絵&ボールペン画 女性の家NO14

2014年07月11日 | 日記

7月女性の家常掲展は油絵&ボールペンの抽象画です。

 自然の息吹 命を ご自分の 気持ちで表現されたという 樋口さん

見る方によって 言葉では 伝えらないものを 自由に感じとってもらえれば・・・と云っていました。 

県展特選の名誉をお持ち 特別 先生に教わることもなく 

自分の 生まれ持った 才能と感性で  2m四方のキャンバスに 

繊細なタッチで描かえた 大作 素晴らしい 作品をご覧ください

 

女性の家へ  圧倒される 作品を 見にi行ってくださいね。

 女性の家からのお知らせです。

 (写真が下手で 折角の作品が ダ イ ナ シ 樋口さんごめん  です。)

おしまい


リュウキュウ(蓮芋)の花

2014年07月08日 | 日記

4月の中ごろ 芋に茎のついた リュウキュウ(蓮芋)の苗?種?をもらい

 半日日照で半日影が良いと教わったので そんな条件の 塀のそばに植えました 

 そのうちの2株が 直径が20センチもあるような大きさで 半分に切るほどでした

順調に根をおろし まずまずの生育 ところが その2株から花?らしきものが出ているのに

 気付きました リュウキュウ(蓮芋)はサトイモ科で 高温 多湿で生育の良いものに 

花が咲くそうで 5月~6月にかけて 結構気温も高く 梅雨に入ったので

条件がよかったのか 初めて 珍しい リュウキュウの花を見ました

リュウキュウ畑 いちばん右奥の2株に花が咲きました。

 

花に気が付いたのが6月17日午前6時頃 薄~いベージュ色の 優しい細長い 花です

こんな花を「仏焔苞(ぶつえんほう」というそうで

仏・ほとけ  焔・ほむら  苞・ほう(花や花序のつぼみを包んでいる葉のこと)と

 いうことは・・・なかの棒状の芯が花で 包んでいるのは葉・下の球状は?・・・

 

                          6月17日 午前10時頃               6月17日 午後2時頃

   時間が経につれ 花は縮んで色も少し茶色ぽくなったような感じ

苞は次第に花から離れていきます

 

                                         次の日 6月18日午前7時ごろ 24時間たつと

         芯(花)は瑞々しさがなくなり疲れ気味 苞はすっかり くたびれていました

       6月27日 10日後は 花も苞も色変わりして枯れていました

      一つの根元にいくつか花をつけますが 美人(花)薄命です

おしまい


四国八十八ケ所 第三十四番札所 種間寺

2014年07月04日 | 日記

国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 

6回目は 5月26日 34番から38番の5ヶ寺を巡り 心配していた お天気は予報通りの 雨・・・雨 の参詣となりました

最初に 高知県吾川郡春野町 第三十四番 本尾山(もとおざん) 種間寺を参詣しました

種間寺は  敏達(びだつ)天皇時代 577年に 摂津の国(大阪)に四天王寺を 建てるために来ていた 

百済(くだら)国(朝鮮)の 仏師や画工達が仕事を終え 帰りの途中 土佐沖で暴風雨におそわれて 

この地の 秋山の港に避難し 無時に帰れるようにと 海上の安全を祈って 薬師如来坐像を刻み 

本尾山の山頂に 祀ったのが寺の始まりとされています その後、200年以上が経過して 唐から帰国した 

弘法大師がこの地を訪れ 大師は その薬師如来像を本尊として安置し 堂宇を建てて開創され

その時 唐から持ち帰った 米、麦、粟、きび、豆の種の五穀を境内に蒔いた ことから、

種間寺と名付け 霊場に定めたといわれています

明治の初め廃仏希釈で 廃寺となっていましたが明治13年に再興されています

種間寺境内図

 

駐車場から 境内の入り口 左に光明殿があります

 入り口の右手 一段高い所に 鐘楼があります

 

その左に 修行大師像がお迎えです

お地蔵さんも

そして庫裏と 納経所とつづいています

手水場 1677年に作られた 手水鉢 だそうです

地蔵堂

子安観音堂

子安観音像

 妊婦さんが 柄杓を持参して祈願すると 寺では柄杓の底をぬいて

3日間祈祷して渡し 無事出産すると 柄杓を奉納します 柄杓の底を抜くのは

「よく通じる」のおまじないだそうで 底の抜けた柄杓が沢山奉納されています

ご開創1200年の 木柱が 立っている 本堂 別名「薬師如来奉安殿」と呼ばれています

堂宇は すべて昭和45年の台風の後に再建されたものだそうです

ご本尊 薬師如来は約145cmの座像 百済(くだら)の仏師の作といわれています

国の重要文化財で 秘仏 毎年旧暦の1月20日ご開帳されるそうです

本堂内に おさすり大黒さま

大黒様さまは仏法を守り 五穀豊穣 飲食を豊かに 財福 福徳 を授かる神様です

 ♪ 大きな袋をかたにかけ・・・♪担いでいる袋の中身?

人間が生きていくために 最も大切な七宝 寿命・人望・清麗・威光・裕福 ・愛嬌、大量 の

七つの精神的な宝物がはいっているそうです

大師堂

  

大師堂に お手綱 と 五鈷杵 が用意され 「お大師さまと ご縁を 結んでください」と書かれています

本堂の左前に 弘法大師座像

赤い お前掛け や帽子の小さなお地蔵さんが並び

きれいに整とんされた 境内でした

つぎ 巡拝の都合で 35番をあとにして 36番札所 青龍寺まで バスで30分です

おしまい