yurikago-sa

1939年生まれ
ボケないようにパソコン
遊びをします!!

ファミリーウオーキング

2014年06月30日 | 日記

6月29日 安芸ドームで 「元気・ふれあい会議」主催の

市政施行60周年記念事業としての 第12回

「家族で楽しく ファミリーウオーキング」が開かれれました。

楽しく!美しく!健康!に 正しい 効果的なウォーキングの方法を

昨年と同じく  健康運動指導士 前田 郁先生の 楽しい ご指導で 行われました。

開会式

     

効果的なウオーギングの前には 必ず準備体操 筋肉のトレーニング大切  

 

さ~ お腹を 引っ込め  顎を引き 肩甲骨を動かして 手は後ろに振って 

お尻はプリプリと左右にを気にしながら リズミカルに! 

 

ドーム1周約200m 1回 廻るごとにシールを貼ってもらいます シール10枚で ゴール

 

運動疲労が 早く回復できるよう ウォーキングの後は 整理体操

体調に合わせて無理をしないよう、 20分毎の水分の補給も忘れないよう!

健康は 自分の宝 自分の健康は自分で!意志を強く持って 続けましょう!

「家族で楽しく ファミリーウオーキング」に参加されると

今年から5回・10回と 節目の回に素敵なプレゼントあるようです 

まずは5回を目指して頑張りましょう 

「元気・ふれあい会議」スタッフの皆さん 今年も ご苦労さまでした。

 おしまい


東山森林公園

2014年06月28日 | 日記

 ブログ 「吾輩はニャーでござります(ここクリック)のニャーの長生きの恩人 

Oさんと早朝の(午前5時出発)安芸市伊尾木の山林を整備した自然公園 東山森林公園に行きました。

 毎朝の散歩で彼女の家の前を通るので 時々会って「おはよう~」の挨拶を交わしていました。 

ある日 「朝 早ように 1人で 山歩きをしている」と聞いて 是非一緒に・・・とお願。

早速 「昨日 東山公園へ 行ちょったら やまももがなっちゅうきに 行かんかね」ということで実現。

「女1人で 山へ」と思いきや 元は 山岳会のメンバーで日本の山は勿論 外国の山まで登頂を 楽しみ 

今でも 1人で 大きなランドクルーザで 日本列島を走り山登りを楽しんでいるといいます。 

木や草花 山の知識 何処でもテントを張って寝れるという 全然次元の違う 山の世界の♪山女♪さんです。

というわけで 大船に乗ったというか 安心して 彼女と 誰もいない早朝の山歩きをしました。

  

             東山森林公園 「生活環境保全林」の案内図        駐車場のトイレの 向こうに子供の遊具等もあるそうです

ここまでOさんの車で・・・   標高360mの公園は 全部を廻れば3~4時間はかかると言っていました。

今回は 素人の私のためにか 取りあえず「グルメの森」までが目標・・・

  

                        見回り車が通るらしく こんな道          谷にかかった丸木橋 

 

 あずまや 昭和62年に開園とか 施設も老朽化・・・   山中のトイレ 絶えず水をポチ ポチ落して溜めています

                                          ジャ~ッと出ないそうです

 

   カエデの若葉                          所々に分岐 案内

   

  紫陽花                       ドクダミ                       ねじり草

今の時期 花類はあまり見えませんでした

 

 キノコを見つけました

 

グルメの森は 山桃の木があります

熟した実は高い所 Oさんが木に登って ゆすって実を落してくれました

 グルメの森への途中 展望所から 大平洋と安芸市の街

緑いっぱい 自然いっぱい 小鳥の鳴き声  鶯の子供が「ホ~ホケキョ」の練習の

鳴き声が 面白くほほえましい 癒しの楽しい早朝の山歩きでした 8時30分家に帰り着きました。

おしまい


四国八十八ケ所 第三十三番札所 雪蹊寺

2014年06月25日 | 日記

平成26年4月14日 第三十三番 高福山 雪蹊寺を参詣しました

雪蹊寺は782~806年間 弘法大師の開基とされ 当初は真言宗の霊場「高福寺」と

号していましたが  その後 鎌倉時代の仏師 運慶と長男湛慶(たんけい)が訪れ  

本尊に薬師如来 他毘沙門天を刻み 安置したことから「慶運寺」と改めていましたが 

一時荒廃となり その後 戦国時代 長宗我部元親が 月峰上人を招いて再興し

1599年元親の死後 4男の盛親が長宗我部の菩提寺 元親の法号「雪渓恕三」に

ちなんで「雪蹊寺」と改めたのが 寺号の由来となり

 明治の廃仏毀釈で一時 廃寺となり 明治12年に再興されているそうです

 石柱の門

雪蹊寺は 四国八十八ヶ所霊場のうち 2ヶ寺しかない 臨済宗妙心寺派のお寺です

雪蹊寺 境内図

門を入ると すぐに 山本玄峰老師の像 

失明の身で 裸足で四国霊場を巡り中 雪蹊寺の前で 行き倒れになり

山本太玄住職に助けられ 後に雪蹊寺の十八代目住職になった逸話があります

 玄峰老師が 失明でありながら 書いた師匠の十七代目 山本太玄住職の供養塔

つづいて 墓石 地蔵群があります

修行大師像

 

                  手水場 と 休息所          手水場にも修行大師像が佇んでいます

通夜堂

雪蹊寺十八代住職 山本玄峰師は 通夜堂に泊り 大玄師匠から

「心眼を開け」と悟されたと言います

山本玄峰師は 後に多くの寺を復興させ 臨済宗妙心寺派本山 妙心寺館長になられた方です

安産堂

 安産地蔵が祀られ 安産祈願に多くの人が参拝されるそうです。

観音堂

旅の安全を守る 馬頭観音菩薩が祀られ  お遍路さんに信仰されています

客殿 ・ 納経所

門を入って右手に 鐘楼

次に 大師堂 があります

 正面に  本堂 平成16年に再建されました

雪蹊寺は四国八十八ヶ所霊場のうち 2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であり

ご本尊 薬師如来と 脇侍仏 日光月光菩薩は 鎌倉時代の 仏師として名高い

運慶作で 運慶子湛慶作の 毘沙門天 吉祥天女 善膩師童子も安置され 共に国の重要文化財です

鰐の口

「早朝 悟りのない 夢を 鐘の音に破られ 夕べの鐘の音は 修行をして

清く 汚れのない悟りの心境で 聴く」という意味の銘が書かれているそうです

おびんずるさま

お釈迦様の一番弟子で 撫で仏とも言われ 自分の痛むケ所を左手で

 右手で 撫で仏のケ所を同時に撫でると ご利益があるそうです

 頭も撫でると良くなるそうで 学力向上に も信仰されているそうです

台座に「摂津国 西宮町 遊郭中」と彫っています。遊郭で働いていた方たちの 寄贈 だそうです。

今日はお天気が良かったので 境内に 出店屋さんが 店を出していました 

バスツアー巡拝 5回目は 平成26年4月14日 27番~ここ33番で打ち止めです

おしまい  


我が家の 家庭菜園

2014年06月21日 | 日記

よそ様の田んぼ 1反を3人で借りて (1人当たり約100坪・300㎡・3アール)家庭菜園を楽しんでいます。 

6月21日現在  菜園の メンバーたちを紹介します。

  

    プリンスメロン3本           胡瓜接ぎ木3本          いちごは 収穫 終わりました

            一本にやっと3個づつ玉を付けています   

 

       ミニトマト6本                          ナス6本のうち長ナス2本

  

         枝豆                   キャベツ             ジャンボオクラと普通のオクラ

 

      大根                              サニーレタス

   

     ニラ                     ネギ                 モロッコ豆 つるなし

 

          リュウキュウ                ジャンボシシトウ2本・ピーマン3本

  

           新メンバー 四角いマメ 7本               ゴーヤ2本

  

6月21日に苗をもらって植えました レタス と モロヘイヤ       キュウリ直蒔きです

 

  時期的に どうかなと思いながら モチキビ          まくわうりの 苗をおこしています

  

別の砂地の畑も作らしてもらっています 手前タカノツメ2本 向こう 坊ちゃんかぼちゃ 

3本 大分玉が大きくなっています

 

サツマイモ (紅東)20本         収穫まえのジャガイモ

 6月21日 家庭菜園場 から収穫してきました

ゴーヤ(1こ)とオクラ(4こ)が初収穫です 

胡瓜は3本の木からこんなに沢山ぶら下がっていました ピーマンも いまのところ優秀

ミニトマトはこれからが最盛期です サラダ菜は下の方からもぎながら 収穫

リュウキュウ(蓮芋)は芋に茎?のついた苗?をもらって今年からの新メンバーです 

外側の茎を切り取りながら 次から次と 中心から新茎がうまれてきます 

珍しく 一つの根元に 花をつけていました 滅多にない事のようです 後日紹介します。

おしまい


四国八十八ケ所 第三十二番札所 禅師峰寺

2014年06月20日 | 日記

平成26年4月14日 第三十二番 八葉山 禅師峰寺を参詣しました

禅師峰寺は弘法大師が815年 この地を訪れ 十一面観音を彫り 本尊として安置 

山の姿が 仏菩薩が座る八葉の蓮台に似ていることから山号を八葉山 

行基菩薩の開創であることから禅師(特に禅定を修めた高祖のこと)

峰山(小高い山こと) 禅師峰寺と称して霊場に定めたそうです

禅師峰寺 境内図

駐車場の 十一面観音像

駐車場の石仏 ずらり並んでいます 

参道 石段の脇にもいろいろな石仏が並んでいます

参道の右手に宝物館

手水場 後方は宝物館

  

奇岩を背にした池には 不動明王弁財天が祀られています 

仁王門

 

金剛力士像 

鎌倉時代の仏師定明作の 仁王像二体は国の重要文化財の指定

宝物館に収蔵されています

   

仁王門から 右手に奇岩がつづき 石段を上りつめると 潮の満ち干によって 岩に溜まった水が 増減する珍しい岩があります

その奇岩の上の小さなお堂に お地蔵さんがすわっています

 真中の写真は 満潮で溜まった水の写真です 「もう少し したら水が減る」と

掃除をしていた おじさん(と云っていいか ゴメン!)が丁寧に教えてくれました

鐘楼 

梵鐘は1308年の 銘が入っていて 高知県の文化財に指定されています

 

                                 本堂                                  鰐口

ご本尊は弘法大師作の 十一面観世音菩薩 土佐沖を航行する船の安全を祈願して刻まれました

「船魂観音(ふなだまかんのん)」とも 言われ 漁民の信仰を集めています

 歴代の土佐藩主も 浦戸湾を出帆するときには 必ず海上安全の祈願に訪れたと言います

鰐口は1570年の銘が入っているそうです

      内陣  扉は オープンです

大師

大師堂に ご開帳1200年を記念して 五色のお手綱で結ばれた 五鈷杵が置かれています 

持ち上げ お祈りすると 厄難をはらい より幸運をもたらしてくださいます 

五鈷杵をなでて お大師さまとより深く ご縁を結ぶことが出来ます。

 

 

子安地蔵堂も オープンされています

子授け 安産 子育ての ご利益があります

阿弥陀堂

極楽往生を願う仏さまです

 

禅師峰寺にはあちこちにたくさんの石仏が安置されています

 

 狸像も お出迎え お見送りをしています

地元では みねじ みねんじ の愛称で親しまれ 境内から 土佐湾が一望でき

 先に見えるのは 桂浜です

 つぎ33番札所 雪蹊寺まで 約11km バスで25分です 

おしまい

 

 


吾輩はニャ~でござります

2014年06月17日 | 日記

吾輩は・・・と偉そうにいっても 夏目漱石の 「吾輩」ほど恵まれた環境で生きているのではありません。

生まれも 育ちも 不明 その上 住所不定 人間様の家族の温もりなどまったく知らない ニャ~であります。

吾輩 東の空が白みだすと 決まったように  何処からともなく 安芸駅前の Oさん宅の

入り口の石段に 坐るのが 一日の始まりで あります。

坐っていると 5時頃 北の方から 散歩のおばあちゃんが来ます。

  「ねこちゃん お早う」「ニャ~ちゃん お早う」  と云って挨拶をして通ります。 

吾輩も 初めのうちは お恐る  お恐る 逃げる振りをしていましたが そのうち 馴れて 

ある朝 おばあちゃんが 声を掛ける前に 吾輩から 「ニャ~ ニャ~」と声を掛けると 

「ま~ ニャ~ちゃんから お早うかね」と大変嬉しがっていた。

 吾輩は「食べるものを 頂戴」のつもりだったが どうも 勘違いしているらしい。

それからは 気が向くと「ニャ~ ニャ~」と云ってあげることにしている。

 先日おばあちゃんは 吾輩がいつも同じ所に座っているのを ブログに すると カメラを持っ来た。

 吾輩は Oさんの家の前には早朝でないと坐らないし 諸用がすんだら退散するし

 散歩のおばあちゃんにも逢わないので  仕方ないかと モデルになった。

おばあちゃんは 吾輩が逃げると思ってか 遠くからパチリをした

これじゃ 吾輩やら にゃ~やらさっぱりニャ~

近くでパチリをしても しっかりカメラに向かって ハイポーズが出来る吾輩である。

偶然にも Oさんが  いつものように 吾輩に 食事をもって出てきた

おばあちゃんは 「ラッキー」 と」ばかり パチリ

「この猫ちゃん 何んていう名前?」  

「この猫は うちで飼いゆうがと違うぞね  雄で ここへ来るようになって 15年になる  家の前の  

チリの収集場の カラスを 追っ払ってくれるし チリに群がる雀を 捕るのが上手  

 以前は 彼女を 追っかけて 元気が あったけんど 最近は  食欲も 半分に 減ったぞね・・・」 

 と云う訳で吾輩は名前すら ありません おばあちゃんが勝手に付けた ニャ~であります。

 

吾輩のリビングルームは車の下だ Oさんが毎朝 フードを

丼に入れて持ってきてくれる 若い時は お代りもしていた。

近くでパチリをしても  吾輩は 先ず腹ごしらえだ。

フードを食べたら  吾輩には お楽しみがある 遠慮勝ちに ニャー ニャー  Oさんを呼ぶ

Oさんが一線を引いて 暖かく吾輩を見守って くれていることは 心得ている

Oさんの家の中も 吾輩が入るのは ここまでだ 

好物の ウインナーを 出してくれるのを おとなしく 待っているのだ 

 お陰様で 吾輩は人間様の暖かいハートに触れることも事も出来たし 15年も生きてこれた・・・

Oさんには 言葉ニャー 言い尽くせないほど感謝している。

おばあちゃんが 「Oさん ニャ~ちゃんと ツーショットを」とパチリをした。  

        

それから 約40分後 おばあちゃんが 散歩から帰る途中 偶然にも

吾輩が 別の所を トボトボ 歩いているところを 見られてしまった 

早速おばあちゃんは ラッキーとばかり パチリだ

 

おばあちゃんは 散歩の途中に いつも お地蔵さんに 一日の無事を お祈りするそうだ 

「お地蔵さん 今朝は 偶然のラッキーが 2つもありました 良いブログが出来そう・・・ありがとう 」と

心の中で 感謝したそうだ

 ・・・・と云う訳で吾輩の一日 おばあちゃんの一日が始まった・・・。

おしまい

 


四国八十八ケ所 第三十一番札所 竹林寺

2014年06月14日 | 日記

 平成26年4月14日 第三十一番 五台山 竹林寺を参詣しました

竹林寺は聖武天皇(在位 724~749年)はある夜 中国唐の五台山で文殊菩薩を

拝んだ夢を見られ 天皇は行基菩薩に わが国にも五台山の霊地に似た山容を

見付けるよう 命じ 行基菩薩は 諸国を歩き 土佐のこの地が 天皇の霊夢に相応しいと

文殊菩薩を刻み寺を建て 安置したのが はじまりで その後(806~810年)に弘法大師が

この地を 訪れ「瑜加行法」を修法し 荒廃した堂宇を補修し霊場に定められたそうです

 

竹林寺境内図

納経所

本坊 客殿

客殿は江戸時代の初め 藩主参詣の接待殿として建立されたもので 

高知県指定文化財  一部納経所となっています

客殿の周りに広がる庭園は鎌倉時代後期の 作庭で 国指定の名勝といわれています 

位牌堂 

2014年1月 高さ83cmの 木像阿弥陀如来立像に 徳川家康を供養する 内容の文字が

朱書きされていることが X線撮影で判明 家康の養女で 土佐藩2代目藩主山内忠義公の妻 

阿姫(くまひめ)が奉納された像で 位牌堂に 安置されています

宝物館

国指定重要文化財 鎌倉 平安 室町時代作の 木像の立像 座像13体の仏像と 

文殊菩薩像は50年に一度の開帳の秘仏ですが

待者像4体と 菩薩台座の獅子像は宝物館に安置され 有料で常時拝観できます

 

 

虚空蔵菩薩堂

丑・寅うまれの守り本尊 

抜群の記憶力と 福徳 知恵を授けて下さいます

 

二層仁王門

 

金剛力士像

新暦と旧暦の1月16日に 仁王さんに鏡餅をお供えして中風除けを祈願する

習わしがあり大勢の信者さんが参詣されるそうです 

手水場

 

  ご本尊 ご開帳の お知らせ 看板

春期 平静26年4月25日~5月25日

  秋期 平静26年10月25日~11月25日

本堂

屋根の曲線が美しい 杮葺き(こけらぶき)の本堂は 「文殊堂」とも呼ばれ

 竹林寺にある 最も古い建造物で 1672年焼失したそうですが 

土佐2代藩主山内忠義公によって再建され 国の重要文化財です

四国八十八ケ所で 文殊菩薩を ご本尊としているのは 唯一31番竹林寺だけです

ご本尊は4人の侍者を伴い 獅子にまたがった「騎獅子文殊」で 国の重要文化財です

 

騎獅子文殊菩薩像(ダウンロード画像)と4人の侍者(絵左から須菩提尊者・優填尊者・善財童子・最勝老人)

智慧を象徴する 文殊菩薩は お釈迦様の弟子の中で 最も智慧に長けていたといわれ 

お釈迦さまは 文殊菩薩から 知恵を借りていたそうです 

受験シーズンには 合格 学力向上を祈願する学生さんで賑わいます

接待所 売店もあります

本堂から 右奥に 聖天堂

歓喜天が祀られています

本堂と向い合せに 大師堂 1644年土佐2代藩主山内忠義公から 寄進されたそうです

 朱色の五重の塔は 周りの緑と 青空に映えて美しいく 高さ31m 

 当初は 三重の塔だったそうですが 明治33年 台風で倒壊 

昭和55年に信者さん達の 浄財で再建 されました 

インドより分霊された お釈迦様の遺骨と大日如来が祀られているそうです

 仁王門から石段を上がった 正面に 五智如来の石像があります

 大師堂の裏手に 一言地蔵堂

 願い事は120%ではなく 少し控えめの98%位がいいそうです

 

「赤ちゃんが授かりますように・・・」でしょうか 赤ちゃん地蔵さんがいっぱい奉納されています

 

                        仏陀(お釈迦さま)ドーム

船岡堂 

明治の廃仏毀釈で廃寺となった 竹林寺を再興され

多大な功績を尽くされた 住職の船岡和尚が祀られています

この周辺は 奥ノ院とされています

池の中に 水かけ地蔵さん

子安地蔵堂 

子供授かり 安産が出来るよう 祈願し子供を護って下さるお地蔵さまです

淡島堂

女性を護って下さる神様です 婦人病に霊験があるそうです

稲荷神社

五穀豊穣 商売繁盛の神様 祈願や願い事には 即効性があるそうです

 お地蔵さまに 見守られている 無縁墓石 

奥ノ院の 裏口にも 文殊菩薩の侍者が描かれて4月25日からの ご開帳の準備がされていました

バスツアーでは 毎回 奥ノ院から境内に入りますが 編集のを ありゃこりゃ(反対 )にしました

 つぎ32番札所 禅師峰寺まで 約9km バスで20分です 

投稿が後先になりましたが 5月20日に投稿をしました 

「竹林寺 平成のご開帳」のブログもよかったら覗いて下さい ここ をクリックして下さい

おしまい

 

 


四国八十八ケ所 第三十番札所 善楽寺

2014年06月10日 | 日記

平成26年4月14日 第三十番札所 百々山 善楽寺を参詣しました

善楽寺は 806~810年弘法大師が この地を訪れ 土佐の国 一宮 総鎮守である 高鴨神社の

別当寺として 善楽寺を建立し 霊場と定められ 神仏合祀っていましたが

明治の廃仏毀釈で廃寺となり 本尊の阿弥陀如来は 29番国分寺に預けられ 明治9年 

善楽寺から6㎞離れた 安楽寺が 公許を経て ご本尊阿弥陀如来を招いて 三十番霊場の業務を始めました 

その後 善楽寺は 復興されましたが 安楽寺は札所の業務を続け 三十番札所は二ヶ所となり 

「どちらに お参りを・・・」遍路泣かせといわれた札所は 平成6年に 大師が霊場として開創をした

善楽寺を30番札所に 安楽寺は 善楽寺の奥の院と 定められたそうです

  

道路と境内の境 門柱

善楽寺境内図

境内に入って左に 高さ5mもありそうな 十一面観音像 

 

                       手水場       あまのじゃくが 重い石の手水鉢を支えています 仏道に従わない戒めです                                                         

                              昭和57年に改築された  本堂 

ご本尊 阿弥陀如来  極楽往生を願う仏さまです 

ご真言 おん あみりた ていせいから うん 真言を唱えることにより 

死後は極楽浄土ができるといわれています

      

本堂の前に仏足跡

 

 不動明王 も本堂の前に 安置されています   

大日如来の 使者といわれ 仏道に従わない者は無理やり救済するため 

 忿怒の顔で 右手に宝剣を持ち 左手に鎖を持ち 厳しくてやさしい 慈悲の仏さまです 

 

                    本堂の左に大師堂 大正時代に建てられています  修行大師像                                       

大師像は 厄除け大師といわれ 厄除け 交通安全に霊験があるといわれています

  

 本堂と向い合せに 子安地蔵堂             子育て地蔵尊

 地蔵尊は弘法大師作の 地蔵尊が祀られています

 大師が 難産で苦しんでいる女性を 祈祷し 無事に安産ができた 伝説があり

 安産 子宝祈願に 信仰を集めており 水子供養の祈願もされるそうです 

 

地蔵堂

 

     可愛いフェルトのお地蔵さんが奉納されています

梅見地蔵 

子安地蔵堂の左に1816年から佇む 首から上の病気  ノイローゼ 脳の病気 

ボケ封じに ご利益があり 合格祈願をする人も多いそうです

 

平和の塔

 境内の一番東に平和の塔があります

昭和13年旧満州に 出兵した戦没者の供養塔です 

二度と戦争を起こさないよう 永久の平和を祈念して建てられています

 

               庫裏 納経所                  「納経所はこちら」案内地蔵さん

広々とした境内に 堂宇はコの字型に 並び 見通しが良く 

パチリをしていても 置いてきぼりの心配なしの 善楽寺を後に

 つぎ31番札所 竹林寺まで 約9km バスで20分です 

おしまい


色紙絵展 女性お家NO13

2014年06月07日 | 日記

しばらくお休みをしていた 女性の家の常掲展が 久しぶりに展示されています。

色紙絵を楽しんでいる 小川さんんは60歳半ばだそうです。

 人柄を感じさせる 美しい色づかいと 優しい風合いの 素敵な作品をご覧ください。

 

 

 

  

  

 

  

  

 

 

 

                                          おしまい


四国八十八ケ所 第二十九番札所 国分寺

2014年06月05日 | 日記

平成26年4月14日 第二十九番 摩尼山(まにざん) 国分寺を参詣しました

国分寺は聖武天皇(在位724~749年)が 天下泰平 五穀豊穣 政教一致 

地方文化の向上を願って 全国68ヶ所に勅願所として 国分寺を創建されました

 土佐の 国分寺は741年 行基菩薩が 千手観音を刻んで本尊として 開創でされ 

その後弘法大師が42歳の時 この地を訪れ 自らと人々のために

厄除けの「星供の秘法」を修得され 「星供の根本道場」として霊場に定めたそうです

 

仁王門 

1655年 土佐二代目藩主 山内忠義公の寄進で 豪壮な二層造りです

  

金剛力士像

国分寺境内図

高い杉の木立と真っ直ぐな石畳の参道 正面は本堂です

  

右に手水場

鐘楼 

梵鐘は 国の重要文化財です

左に 開山堂 二間四方の建物です

 

 聖観音菩薩像                 地蔵菩薩像

酒断ち地蔵 (一言地蔵)

ある夫婦が夫の禁酒の願掛けをしたところ 叶えてくれたので

最近は酒断ち地蔵と呼ばれているそうです

 

最近葺き替えられた 美しい柿葺き(こけらぶき)の 本堂(金堂) 

現在の本堂は 1558に長宗我部元親 国親の父子によって再建され  国の重要文化財に指定されています 

ご本尊は 行基菩薩作の 千手観音菩薩 脇仏の薬師如来2体も祀られ 共に国の重要文化財指定です

 

大師堂  

弘法大師42歳の時 この寺で 厄除けを祈願し 星供秘法修得され 

星供の根本道場となり この寺の大師像は 「星供大師」と呼ばれています    

 

大師堂の左にお地蔵さんと 墓石がたくさん並んでいます 

 

                           鐘楼の左の石畳を進むと   中門                牡丹のお花見のおもてなしです

   

中門をくぐると正面に 光明殿

 極楽浄土へ おみちびきの阿弥陀如来と 日々の幸福を願う不動明王が祀られています

中門をくぐると 両脇に庭園が広がり 杉苔が美しく 「土佐の苔寺」といわれています

丹精を 込めた 牡丹の花と雨傘が咲いています

 

歌碑 

「来し方を 行く方を草 朧(おぼろ)かな」

 高浜虚子の五女の高木晴子さん作です 

 庫裏 納経所

 国分寺は創建当時の土塁が残り「土佐国分寺跡」として

境内全体が国の文化財指定になっています

境内の隅々まで 手入れが行き届き 落ち着いた雰囲気 おもてなしの国分寺を後に

  

昼食は バスで10分位走った 西島園芸団地です 

ブーゲンビリア満開の下で とれとれのフルーツ と ジュース とまとカレーを食べました

 つぎ30番札所 善楽寺まで バスで20分です

おしまい