yurikago-sa

1939年生まれ
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遊びをします!!

四国八十八ケ所 第二十八番札所 大日寺

2014年05月31日 | 日記

 平成26年4月14日 第二十八番  法界山 大日寺を参詣しました

大日寺は聖武天皇(在位724~749年)の勅願により 行基菩薩が大日如来を

刻み開創されました その後お寺は荒廃していましたが 815年弘法大師がこの地を訪れ 

人々の安泰を祈願 楠に爪で薬師如来像を刻み 奥の院をつくって霊場に定められました

 そのあとは 隆盛を誇り 土佐藩の 祈願寺となり堂塔も整備されましたが 明治の

神仏分離令で 一時廃寺となりましたが 地元の人達は 本堂を「大日堂」として守り 

明治17年に再興されたそうです

 

 山門 

数段の石段の途中に柱だけの簡素な造りの山門 さらに数段上ると 境内です

大日寺 境内図

 

石段の途中左に お地蔵さんが祀られています

 つづいて 鐘楼 があります

手水場は右手にあります

 

そして 六角堂  地蔵菩薩が 祀られています

 

山門の正面に 本堂

平成9年に再建され 檜と松を使って 釘を使わず 木組みだけで造られています

ご本尊の 大日如来座像は 行基菩薩が彫んだ146cmの寄木造りで 四国では

最大級といわれています  脇仏の聖観音立像は172cmの大きさで 弘法大師の甥 智証大師作で

 共に 国の重要文化財に指定されています

開創1200年記念の 御開帳のお知らせがされていました

平成26年4月21日~5月28日  10月21日~11月28日となっています

 

本堂の左に 日吉神社  方除け 魔除け 災難除け 縁結びに ご利益ありです

  

                     本堂の左に 地蔵菩薩像             金剛界大日如来像が並んでいます

                                                                    

大師堂 

 昭和58年に改修されています

ご本尊の大師像は 土佐2代目藩主 山内忠義公の寄贈だそうです

大師堂の左隅に 明治17年に再興された「復旧記念」碑かな?(裏を見てないザンネン!)

 

大師堂の左にも 供養墓石やお地蔵さんが並んでいます

 

 手水場から左に 庫裏 納経所 への門があります

庫裏 納経所 の門の前を通って 森の中の一本道を100m位行くと 奥ノ院です

弘法大師は 楠の大木の立ち木に 爪で薬師如来を彫り 奥の院とされました 

  

                      爪彫り薬師堂

爪で彫った薬師如来の 大木 楠は明治の台風で倒れ いまはその跡にお堂を建て

 倒れた楠を霊木として祀り 「爪彫り薬師如来」と呼んでいます

   

 前回巡拝の画像です (今回はお堂が新しくなっていました)

      

(同じく前回巡拝の画像です) 今回の巡拝では 上のような石は見当たりませんでした

「爪彫り薬師如来」は耳 目 鼻 口 などの首から上の病気に 霊験があるといわれ

願の叶った人は 穴のあいた石に 名前 ご利益のあったケ所を書いて奉納するそうです

       

御堂の近くに お大師さま縁の お加持水が 涸れることなく湧いています

山門の近く 遍路道の草生した中に可愛いお地蔵さんを見つけました

 つぎ29番札所 国分寺まで 約13km バスで30分です

おしまい

 

 


 吉良川小学校 運動会

2014年05月27日 | 日記

5月25日 5月晴れの 絶好の運動会日和 孫ま~君の 小学校最後の運動会

全校生徒60余名が 紅白に分かれ、力の限り全力で競技 声の限りに応援する姿に 感動

私達 シルバー席の じいちゃん ばあちゃんも つらされて 「ガンバレー」「 ガンバレー」

声が嗄れるほど 元気をもらった 運動会でした。

全校一同に勢ぞろい

 

親子DE近道 5・6年生             はやく見つけてね 1.2年生

 

大玉リレー 全校                  障害物リレー 6年生

 

 チェッコリ玉入れ 全校生            紅白リレー 選手

 

綱引き PTA 来賓               綱引き 全校生

全校生の 熱気あふれる 紅白応援合戦を動画にしました。

ここをクリックして下さい

閉会式

プログラム NO1~29番 みんな一生懸命 ガンバッタ 運動会でした。

感動と元気を ありがとう

おしまい

 

 

 


四国八十八ケ所 第二十七番札所 神峯寺

2014年05月24日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 

5回目は 4月14日 27番から33番の7ヶ寺を巡りました。

最初に 高知県安芸郡 安田町 第二十七番 竹林山 神峯寺を参詣しました

神峯寺は神功(じんぐ)皇后(在位201~」269年)の勅命で戦勝を祈願することを目的に

天照大神など諸神を祀ったのがはじまりといわれています 

その後 聖武天皇(在位724~749年)の勅命で 行基菩薩が 十一面観音像を刻み本尊として神仏合せ祀って開創

 その後804年に 弘法大師が 諸堂を建立し十一面観音像を納め「観音堂」と名付け 霊場に定められ 

明治の初めの神仏分離までは 寺と神社が同居していましたが 分離後は本尊の十一面観音像は

26番の金剛頂寺に移され 廃寺となっていましたが 明治20年に再興されたそうです。

神峯寺は お遍路の関所として  罪を犯した遍路 邪悪な心をもつ遍路は

懺悔 改心しなければ お大師さんから 罪が下るといわれています

  

バスツアーは 麓でマイクロバスに乗り替え約15分で 神峯寺参拝専用駐車場に着きます

神峯寺境内図

駐車場から急坂上りの途中にモニュメント

「こりゃ~ きつい!」 「まっこと  しんどい!」 泣きたいような 顔の 「同行二人」像

 愛知県 水谷夫婦の 愛の石碑 

昭和37年 愛知県の水谷繁治さんは 脊椎カリエスを患った奥さんを伴って霊場巡りをされ 

ここ神峰寺は 札所屈指の遍路ころがしといわれ まっ縦と呼ばれる急坂が続く霊場です 

歩けなくなった奥さんを 背負って 急な坂道で足を滑らし 背中の奥さんを 落としてしまい

その衝撃で 奥さんは自力で立ち上がり 歩けるようになったといいます

 夫婦は感謝 記念に この石碑を奉納されたそうです

 小松直幹翁の胸像

四国八十八ケ所 屈指の難所と言われた遍路道も 

 小松直幹翁が 自分の資財で 車が通れるよう 舗装道路をつけられました

当初は神仏同居でしたが 神仏分離 廃寺 再興を経て

神峯寺の 仁王門 神峯神社の鳥居が並んで建っています 

二層仁王門

    

金剛力士像

    

仁王門をくぐって 最初に お手洗場に 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)

この明王は  不浄除けに霊験があるといわれ

 あらゆる不浄を清 浄に転じる力を持ち トイレの神様として信仰を集めているそうです

 

本坊 納経所

納経所の前に休憩所

休憩所の左に 鐘楼

 

鐘楼の裏手に土佐の名水 神峯の水 と 水子地蔵尊

土佐の名水 神峯の水といわれる 霊水が湧いています

重病で危篤状態の女性が 夢にお大師さまが現れ 水を飲ませてもらったところ 

一命をとりとめ その水を探して まわったところ 神峰寺で見つけたと伝っています 

  

本堂まで150段余り  段の高さが やさしい石段が続きます

両脇に さつきの新緑が清々しく 隅々まで 手入れが行き届いた 美しい庭園が広がります

四国霊場屈指の 美しい庭と言われています

 

 石段の途中に石仏さんたち

 

石段を大方上ると途中で 不動明王像が見守っています

不動明王 は 大日如来の 使者といわれ 仏道に従わない者は無理やり救済します

 忿怒の顔で  右手に宝剣を持ち 左手に鎖を持つのですが~・・・ 持ってないどうして?

厳しくもやさしい 慈悲の仏さまです

  

不動明王像から左に登りきると 本堂の境内に辿り着きます 

手前に 躍動感あふれる みちびき大師像が迎えてくれます

 

本堂

ご本尊十一面観音 四方八方に お顔向けて人々を救ってくださいます。

三菱財閥を築いた岩崎弥太郎のお母さんは 安芸市井口の家から40㎞の道を歩いて

21日間 日参して息子の開運を 祈ったと伝えられています

また神峯寺は海の仕事に携わっている人達の 海の安全 豊漁を祈る 祈願所としても信仰されています

  

本堂の右に  観音堂 と 仏足石

観音堂には聖観音菩薩像が祀られ 参拝者の写経も納められています

  

 

本堂の 左に 地蔵堂

 地蔵堂の右に 行基菩薩 報恩供養塔 新しく建立されていました

 本堂から右に石段を上った所に 大師堂があります

石段に沿って 六地蔵が並んでいます

六地蔵は 悩み苦しむ人々を救ってくださる 六種類の地蔵菩薩さまです

お地蔵さまは人間界だけでなく 六道と呼ばれる六つの世界

地獄道 餓鬼道 畜生道 修羅道 人間道 天道を 救済する菩薩さまです

  

        大師堂                        お迎え大師像

 牡丹桜が彩り  静寂の空間 ホーホケキョ の声が聞え  手入れのいき届いた境内に 

心和むおもてなしの 27番 神峯寺でした

 

実はツアーのバスの中にカメラを忘れ 神峯寺は 次の日(4月15日)に行って

パチリをしてきました 参拝者の少ない時間帯でしたので 静かで ゆっくり パチリができ ラッキーでした

美しい庭園と 小鳥の鳴き声を 動画にしました  ブレ ブレですが ガマンして見て下さい

ここをクリックして下さい

おしまい

 


五台山 竹林寺 「平成の御開帳」

2014年05月20日 | 日記

四国霊場 第31番札所 五台山 竹林寺の 秘仏 ご本尊の文殊菩薩の50年に一度の御開帳が

春期平成26年4月25日~5月25日まで (秋期平成26年10月25日~11月25日)行われています。

4月14日のバスツアー巡拝の時は その準備が着々されている様子でした。

土・日曜や祝祭日には いろいろ法界があるようですが 人出の少ない平日(5月16日)に 秘仏

文殊菩薩さまを ご拝観に行ってきました。平日でも かなりの人出でした。

本坊 客殿の外壁に ご開帳の看板と 文殊さまの4人の侍者

須菩提尊者・優填尊者・善財童子・最勝老人の(お接待役)さんたちが

「ご開帳に ようこそ」

    

   仁王門の前でも 「文殊さまが お待ちです」 

   

仁王門をくぐると 参道 は 竹を使った 生け花 や モニュメントで お接待 

4月25日 開眼(入魂)法要が行われた 文殊さまの 侍者 善財童子像です。

内陣(本堂)参拝受付所

「開帳中 本尊 文殊さまを 本堂内で直接 お詣りすることができます。

参拝の方には「霊印加持」をお受けいただくとともに 文殊さまの 分身である

「文殊の利剣」にふれることができ 春期ご開帳の御守りをお授けいたします。」

と立て看板に書いてありました。

内陣参拝両1,000円 「渡海文殊」特別拝観料600円 共通の場合1,400円

 

受付で頂いたもの

竹林寺のはじまりとか 文殊菩薩とは 侍者の説明・・・・などが書かれています

ご開帳 限定記念品の案内 例えば 「善財童子の旅」 オリジナル冊子 二冊セットで1,500円

絵はがき 「渡海文殊」100円 額絵「渡海文殊」200円など・・・・

 

竹林寺の縁起とか 堂宇 庭園 宝物館内の仏像・・・などがカラーでご案内

  

ご開帳 共通入場券

文殊さま拝観にあたって ご住職さんの 文殊さまと4人の侍者

須菩提尊者・優填尊者・善財童子・最勝老人の説法(上の絵)をお聞きして

内陣へ  内陣に入ると 参拝の仕方などの説明  先ず 手前の 白衣観音さまを 拝み 

そして 文殊大菩薩さまを「南無 文殊菩薩」または ご真言「オンアラハシャノウ」を3回唱える・・・など

 霊印加持を お受けし 文殊の利剣にふれて祈願する・・・厳かというか 緊張というか そんな時でした。

 参拝が終わって 記念の御守をいただきました。

騎獅子文殊菩薩像 

竹林寺の 文殊さまは  獅子の上でお坐りになり 右手に利剣を 左手に 蓮の花をお持ちです。

724年行基菩薩が薬栴檀(やくせんだん)の霊木に刻んだといわれています。

上の画像は ダウンロードしたものですが ほぼ同じと思います。

本堂を出ると4人の侍者さん達

「ご参拝 ありがとうございました」

弘法大師 ご開創1200年記念 竹林寺の 大師堂

お大師さまとの結縁 お手綱 と なで五鈷杵です

お大師さまとつながる お手綱は 厄難をはらい より幸運をもたらしてくださいます 。

五鈷杵をなでて お大師さまとより深く ご縁を結ぶことが出来ます。

 

特別拝観    客殿と 名勝庭園  「帯結び展」 宝物館を観覧しました。

客殿に展示された「帯結び展」

竹林寺 栞より

宝物館では 国重要文化財の数々の仏像を拝観しました。

「帯結び展」を単独ブログにしました ここ をクリックして下さい

おしまい

                                

 

   


帯結び展

2014年05月20日 | 日記

竹林寺 客殿の 装道礼法きもの学院 会員の方々の「帯結び展」をブログにしました。

「一本の帯を使い、咲き競う帯の花と 土佐路の 名所、旧跡を 会員それぞれの イメージで表現しました。」会員一同

美しく 優雅で 素敵な創作の帯結びを見てきました。ご覧ください

 

高知市の花 土佐みずき  高知県の実 山桃

竹林寺

 

                           ハイビスカス                        ミニバラ    

 

                              ぼたん                          てっせん

 

                              薔薇                            のじぎく                                  

 

 ゆずの花                         もみじ

 

 菜の花                               あじさい

 

あやめ                                  桜

 

チューリップ                               長尾鶏

 

都わすれ                                桃

 

あさがお                           藤

 

水仙                            はまなす

 

ひまわり                             清き流れの四万十川

   

        春を呼ぶ椿のトンネル 足摺岬   歌人の熱き心 轟の滝   太古のロマン 龍河洞

  

                        おらんくの 鯨 池に泳ぐ                   コスモス

  

                   ゆり                    桜前線始動するのも 高知城

 

 月の名所の桂浜             純信お馬の恋のゆくえは はりまや橋

 おしま


四国八十八ケ所 第二十六番札所 金剛頂寺

2014年05月17日 | 日記

平成26年3月16日 第二十六番 龍頭山 金剛頂寺を参詣しました

金剛頂寺は806年 平城天皇の勅願で 弘法大師が 初めて創った 最初の寺と言われ

本尊 薬師如来を刻み「早く行きて坐り給え」というと 薬師如来は 自ら本堂の扉を開いて

 堂内に入り 鎮座したと伝わっています 創建のころは「金剛定寺」と称して霊場に定めていましたが

その後 嵯峨天皇(在位809~23)が「金剛頂寺」と勅額を奉納されたことから

寺名を、「金剛頂寺」と改められたそうです 

24番の最岬寺(東寺)と東西に向き合っていることから「西寺」とも呼ばれています 

 (金剛頂寺は広い境内に 堂宇 石仏が点在しているのでツアーでは時間的に

撮れない所もあって後日 撮り足して 編集しました 長~いブログになりました)

  

 駐車場から 厄除 134段 蓮の花を模った石段を上ります

仁王門

    

仁王門に奉納されている大草鞋

   

 金剛力士像

金剛頂寺 境内図

境内に入ると左に手水場

 右に 捕鯨 8、000頭の 供養塔

鐘楼

 弘法大師 幼少期の 真魚像

智光上人廟

金剛頂寺第二世 弘法大師が 835年高野山での ご入定の後を

慕って入定され 清浄な聖域として人々から尊敬 信仰されているそうです

本堂

ご本尊は 弘法大師が刻んだ  薬師如来で 秘仏とされています

 年末年始12月31日から1月8日まで ご開帳されるそうです

本堂の 左に 霊宝殿

密教法具 旅檀具 真言八祖像 など重要文化財が収蔵されているそうです 

 納経所

 大師と天狗が問答したという伝説を描いた 銅製のレリーフが掛かったお堂

大師は この山に棲み 人々に害をあたえる魔性の天狗と 問答をし 勝った大師は 

天狗が再びこの地に来ないよう 四国の最も南 足摺岬に封じ込めたといいます

「法性の 室戸といえど わがすめば 有為の波風 よせぬ日ぞ なき」 空海の歌碑です

天狗問答が行われた場所に 大師堂 が建っています

大師堂は 足摺岬の方を向いて 封じ込めた天狗を見張っているそうです 

  仁王門をくぐって 本堂への左手に 巡鍚されている大~きな 大師像

 一粒万倍の釜の左に 初々しいお顔の 大師像 

一粒万倍の釜

お大師さんが 一粒の米を入れて炊いたら万倍に増えたというお釜

   

       根元から こぶだらけのがん封じ椿  ・  御堂に納まったがん封じ椿のご霊木  ・  新しい植樹の椿

接待所

檀家の方達が毎日当番制で 美味しい ふかし芋とお茶が お接待されるそうです

大師堂の石段を下って 本坊方向の途中に 弁財天がお祀りされています

七福神の中の神様で 奈良時代にインドより伝わって来た神様で

芸術 学問 蓄財に 利益のあるといわれています

水の神様ともいわれ 池の浮島に祀られていることが多いです 

 本坊の近くに 護摩堂

本坊の下段に魚籃観音(ぎょらんかんのん) 魚を入れた籠を持つ観音さま 

 魚供養 大漁 海上安全の祈願 また 悪鬼 邪悪の害を除く ご利益があるそうです

   

     本坊の 上段に 三十六童子が 並んでいます

 大日如来の化身といわれる 不動明王に従えて 手足となって 働くそうです

金剛頂寺より 4km程下った国道沿い 室戸市 行当岬に 金剛頂寺の不動堂と

弘法大師が 求問持修行をされた不動岩があります 

  

国道沿いに 看板が出ています

不動堂 

金剛頂寺は かっては 女人禁制とされ 女の人達は 女人堂と呼ばれていた

不動堂から 遙拝していたそうです 現在では 縁日に たくさんお店が出て 

「お不動さん」のおまつりが賑やかに行われるそうです

 

大師堂 も建っています

     

   

  一帯は 巨岩に亜熱帯植物の木々がむき出しに 根を張り岩場には小さな大師像や 

赤いお前掛けの石仏が幾体も祀られ 窟には祠も幾つかおかれています

修行の霊地から眺める 大空と大海原は 當に絶景 クウカイ((壮快)です

修行の霊地から 西方を眺める 

修行の霊地から東方を眺める

行当港口と 手前の黒い岩あたりはジオパーク 遊歩道がついています

バスツアー巡拝 4回目は 平成26年3月16日 23番~ここ26番で打ち止めです

おしまい  

 

 


四国八十八ケ所 第二十五番札所 津照寺

2014年05月14日 | 日記

平成26年3月16日 第二十五番 宝珠山 津照寺(しんしょうじ)を参詣しました

津照寺は 807年 この地を訪れた 弘法大師は この山の形が

地蔵菩薩の持つ 宝珠に似ていて 港に近い地形から 海上の安全と

豊漁を祈って 高さ1mの 延命地蔵を一刀三礼(一彫りごとに三度礼拝)して刻み

堂宇を建て 安置し 宝珠山 津照寺と号され 霊場に定めたそうです

港のすぐ上の山門への道路脇には

四国第二十五番霊場 津寺」の石柱と お地蔵さんが迎えています

津照寺は 古くから 通称「津寺」と呼ばれ 人々から 親しまれています

山門

津照寺境内図

あいにく 本堂の屋根葺き替え工事のため石段は立ち入り禁止

 125段急傾斜の石段の途中に 朱色の龍宮城を思わせる 鐘楼門 があり

左右に青銅の 仁王像が立っています 

山門をくぐると 右に 大師堂

本堂工事中のため 大師堂を 仮本堂としているので 両方のおつとめをします

ご本尊は 大師が刻んだ 延命地蔵尊で 50年に1度 ご開帳される秘仏です

別名「かじ取地蔵」といわれ 1596~1615年の土佐藩主 山内一豊公が 室戸沖を航海中

暴風雨に遭い 船が転覆しそうになったとき 1人の僧が現れ 舵をとって 入港し 船が港に

着くと僧の姿が消え 一豊公は 仏の加護と 津照寺にお参りをすると 大師が刻んだ 

延命地蔵尊が ずぶ濡れになっていたという伝説があり それ以来 漁民や 船乗りの

信仰が篤く 夫婦円満 家内安全にも ご利益があるといわれています

 

開創1200年 お大師様は 入定されても 

人々を見守りつづけていらっしゃると いいます 

木柱をお擦りすることで そのパワー を いただけ願いごとが叶うそうです

手水場

大師堂の前に ソテツ 「子宝 ソテツ」と呼んでは・・・。

   

 赤いお前掛けの 石仏さんたち

 大師堂外壁に 津照寺を写生した 室戸小学校 6年生の作品を展示していました

 一木権兵衛君遺烈碑

寛文年間(1661~1672年)、野中兼山と一木権兵衛は室津港の改修工事を命じられ

港の入り口を 塞いでいた「お釜岩」のため 非常な難工事に 権兵衛は 岩を粉砕するため

海神に命を捧げると祈願し完成後 割腹したといわれています 本堂への石段の途中左に碑があります

石段通行禁止のため 大きな石塀の隙間から ズームで苦労のパチリです

つぎ26番札所金剛頂寺まで約5km バスで 15分です

おしまい

 


家族旅行 御穂神社・三保の松原・久能山東照宮・千本浜公園

2014年05月11日 | 日記

5月3日~5日 娘家族4人と 両おばあちゃんの6人で 春の家族旅行 

静岡の あちこちで富士山を眺め 観光する(予定)に行ってきました

今回の旅行はいろいろと想定外がありまして 小6ま~君の 野球の試合が4月29日に行われる予定が

雨の為5月3日に延期 旅行は 試合が終わってから 決めるということで 2試合目で負け 出発に決定 

結局 夜間走行となり 所々で休息しながらも  強行軍 最初の目的地 

東名高速 浜名湖サービスエリアに 4日の朝 9時に着きました。

ゴールデンウイークで 当然ながら 駐車場の車車 人人の凄かったこと・・・ 

浜名湖では 青く澄んだ湖面を眺めながら  みどりの庭園を散策しました。

奥の方に進むとロマンチックな「恋人の聖地」がありました。

NPO法人が 少子化対策 と 地域活性化への貢献をテーマーに

現在 全国118ヶ所に認定された聖地があるそうです。

カップルが ず~~っと一緒に・・・と願いを込めた南京錠が

フェンスに たくさん飾られていました ハートロックと呼ぶそうです。

      

次は羽衣伝説の 御穂神社と三保の松原へ向かいました。 途中 いちご狩りの いちごハウスが

久能街道沿線に 軒並みに 延々と続いているのには 驚きでした。

さほどの 渋滞もなく 無事 目的地に付きました。

御穂神社の鳥居

御穂神社は 世界遺産 富士山の構成資産として 登録されています。

拝殿

主祭神は 大国主命(オオクニヌシノミコト) 三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)が祀られ 

災難を免れ福徳を授けて下さる神様です。

また羽衣伝説の 羽衣の切れ端も保存されているそうです。

子安神社 

ご神祭は 大国主命の父母の 須佐之命(スサノオノミコト) 稲田姫命(イナダヒメノミコト)が祀られ

子宝 安産 子育ての神様として信仰されているそうです。

舞殿

春秋の御穂神社の大祭には 古くから伝わっている「羽衣の舞」が奉納されるそうです。

子供の守り神 何でも叶えてくれる 叶え馬 神馬

生活を守ってくれる 産霊神社 えびすさん 稲荷神社 磯前神社も祀られているそうです。

 神社の境内を出て 真向いの 名勝三保の松原につづく 神の道へと進みました。

 

観光客さんが順番待ちで ここで記念写真を撮っていました。

木を張った 長さ約500mの 神の道は歩きやすく 途中には 休息に椅子 テーブルもあり 

 いろいろの松の姿を観ながら 松並木の間を進みました。

神の道を通り抜けると  お土産さんのある広場 以前はここまで 観光バスが

来ていたように思いますが 世界遺産 構成資産 の関係で観光客が増えて 乗り入り禁止かな? 

 周辺は 道路整備が続行中で 臨時駐車場は と~っと離れた所に ありました。

 

    

駿河湾に面した 三保の松原には 93,000本の松があり 日本三大の松原の一つといわれ 国の名勝地に指定されています。 

松原を前景に 雄大な富士山を眺めるのは 絶景中の絶景で 砂浜と共に 世界遺産 富士山の構成資産として登録されています。

「富士山は 何処・・・・・」 絶景は 残念ながら 春霞で かろうじて 雪を頂いた 頭の先っちょ!

 これも想定外・・・・。

ズームで 富士山を 近くへ ひっぱってみました よーくみたら 「富士山だ~~」

つぎに向かったのは 静岡市 駿河区根古屋  国宝久能山東照宮に行きました・。

         

久能山に 鎮座する 徳川家康公を祀る神社 久能山東照宮です。

   

 久能山へは表参道からは1,159段の石段 日本平パークセンター発着のロープウェイでは 約5分で 久能山へ

ロープウェイ乗車 待ち時間1時間30分 立札を持って 「最後尾」を知らせろほどの行列

次へ行くか 思案 腹ごしらえをして 結局待って乗ることに・・・。

 

葵のご紋の印籠の形をしたゴンドラは 50人乗り 日本平から 駿河湾を眺めながら久能山へと下ります。

 久能山東照宮の境内図

  1568年 武田信玄はこの険しい地形が戦闘性に富んでいることから 久能山に

久能城を築いていたといいます。その後武田信玄は亡び 駿河の国は徳川のものになったそうです。 

 

楼門 ( 国の重要文化財指定)

後水尾天皇の書かれた 徳川家康公の神号「東照大権現」の額が掲げています。 

家康公は1542年 三河の国 岡崎城(愛知県 岡崎市)に生まれ  艱難辛苦の末 戦国時代に終止符を打ち 

江戸時代260年の長期に亘る 安泰の礎を築き 学問 産業 文化の基礎を確立したといわれています。

1616年4月17日、駿府城で七十五歳で生涯を閉じられ 遺言で久能山に埋葬するよう 命ぜられたそうです。

桜門をくぐると左に 神厩(しんきゅう)( 国の重要文化財指定)

神厩は家康公の愛馬を飼育する厩舎でしたが 愛馬は夜になると 家康公の 神廟の側で休み

朝になるとこの厩舎で餌を食べていたそうですが ある朝神廟の側で眠ったままだったそうです。 

その愛馬を 名工 左甚五郎が彫刻して 祀られているそうです。 

 

桜門をくぐって右側に 鼓楼(ころう) ( 国の重要文化財指定)

 国の重要文化財の 江戸城の太鼓が奉納されているそうです。

つづいて 神楽殿 ( 国の重要文化財指定)

一般的には 神楽を奉納する場ですが 東照宮神楽殿は

 武家さん達が奉納する絵馬を掲げていたそうです。

 

神庫 ( 国の重要文化財指定)

東照宮への奉納品が 納められているそうです。

   

唐門 ( 国の重要文化財指定)

唐門は1617年に建てられ  社殿の前にあります。

 社殿(本殿・石ノ間・拝殿) 

1617年 二代将軍秀忠公の命で 大工棟梁の中井正清によって1年7ヶ月の短期間に 久能山東照宮の

社殿が造営され 当時の最高の技術と芸術て 拝殿 石の間 本殿とで 接続した権現造は 全国に造営された

東照宮の原型と言われ 久能山東照宮は 中井正清の晩年の傑作と 平成22年12月に国宝に指定されています。

江戸時代には 20年に一度 明治時代以降は50年に一度の 建造物の 塗り替えが行われるそうです 

 平成27年 御鎮座400年を迎え 社殿の大改修が完成し400年の歴史が蘇っています。

豪華絢爛 きらびやかな国宝の社殿を動画にしました  いつもの事で見ずらいですが

ここを クリックして下さい

  

唐門をくgった 左に五重の塔跡があります。

   

廟門 ( 国の重要文化財指定)

社殿の左側にあり ここから廟所へ。1618年に建てられたものです。

廟所(びょうしょ)への参道

 廟門から 御神廟までの参道に 家康公に仕えた 武将たちが奉納した石灯篭が並んでいます。

参道の途中に神の世界への 鳥居があります。

 

手水場

 

 家康公の 神廟 ( 国の重要文化財指定)

 徳川家康公が埋葬された場所です 当初は小さな祠(ほこら)だったそうですが

三代将軍徳川家光公によって高さ5.5m、周り8mの石塔が建てられ

家康公の遺命で西向きに建てられ

 西の武将を見張っているとも 故郷の 岡崎市を見ているともいわれています。 

  

                廟所をくぐって右に 稲荷神社                          厳島神社

 

         久能山東照宮博物館        判金請取状(はんきんうけとりじょう)徳川家康筆

                                入館券として いただきました。

 徳川 歴代将軍の 武器 武具 軍陣の道具などが展示されています。

久能山東照宮 400年を記念して

 関ヶ原の合戦で 家康公が着装した歯朶具足(しだぐそく) 大黒頭巾形兜 の重要」文化財

七代童将軍 家継公 唯一の遺品 写形歯朶具足(うつしがたしだぐそく)が 一年がかりで修復されたという大黒頭巾形兜

歴代将軍の具足・甲冑等が特別公開されていました。

東照宮大権現が祀られ 根本大社の 久能山を後に 宿泊先 沼津まで走りました。

       

旅行日3日目 5月5日

ホテル5時起床 朝食7時から までに 東海道随一の景勝地といわれる千本浜公園からの富士山を眺めに行きました。

  

         薄曇りのため 富士山は何処へやら・・・              恨めしく 近くにあった看板の絵を 撮ってきました。

早朝の清んだ空気の中 浜辺では釣り人 堤防の上や 松林の中を 散歩したりジョギングの人達に出会いました。

私達も 松林の中を 少しだけ散歩をしました。

千本浜公園松原は1537年頃、駿河の今川・甲斐の武田と伊豆の北条との戦いで 伐り払われていたそうですが

そんな時 増誉(ぞうしょう)上人が 潮風の害を受けて困っている 人々を救うために、経文を唱えながら

何年もかかって 千本の松の苗を植えたそうです。現在は 美しい黒松が海岸線に沿って続き

「白砂青松100選」に選ばれた 景勝地となっています。 

 

こうして 出来た 千本松原をつくった 増誉上人を讃え 沼津市民から寄付を募り 増誉上人の像を建立したそうです。

現在は千本浜公園のシンボルとして親しまれ敬われているそうです。

散歩をしてホテルへ 食事の後 新東名高速 サービスエリアへ ことごとく立ち寄り 無鶴 若狭 自動車道を走り

 途中滋賀県の余呉 イタドリの名所(私達でこう呼んでる)へ周り 昨年と同様 ♪ポキポキ ♪やめられない ♪とまらない 

沢山のイタドリを取って 鳴門大橋を渡り 徳島周りで 5日を過ぎて帰り着きました。

沼津へ向かう途中 「うっわ~~富士山 富士山 」

助手席から ま~君が撮ってくれた写真です。

白糸の滝 浅間神社 田貫湖 朝霧高原もできたら観光の予定が大幅に 想定外の旅行・・・でした。

長々と お付き合い いただきましてありがとうございました 

おしまい 

 


四国八十八ケ所 第二十四番札所 最御崎寺

2014年05月08日 | 日記

 平成26年3月16日 第二十四番 室戸山 最御崎寺を参詣しました

 徳島県「発心の道場」からいよいよ「修行の道場」高知県入りです

最御崎寺は792年弘法大師 19歳のとき 岬の突端にある 御蔵洞で 厳しい 

虚空蔵菩薩求聞持法の修行を重ね 成就され その後 唐から帰国された807年に

 嵯峨天皇の勅願で 再びこの地を訪れ 厳しい修行で成就した 虚空蔵菩薩を刻み

本堂を建立 安置し 霊場に定めたそうです

最御崎寺は岬の最先端の丘の上にあり 26番の金剛頂寺(西寺)と東西に

向き合っていることから「東寺」とも呼ばれています

 

23番から左手に太平洋を眺めながら室戸路に入ると

大きな青年大師像が太平洋を眺めています(車窓からパチリ)

   

                     御蔵堂(御厨人窟)           洞窟の中の五社神社            修行の場 神明窟

792年弘法大師 19歳のとき 岬の突端にある 御蔵洞で 厳しい 

虚空菩薩求聞持法の修行を重ね 難行の最中に 明星が口に飛び込み 悟りが

開けたと 伝えられています また神明窟から眺めた 広大な 海と空に感銘し

「わが心空のごとくあれ  わが心海のごとくあれ」と

名前を「教海」から「空海」に 改めたといわれています

(今回のツアーは 御蔵堂に立ち寄りませんでしたが 前回巡拝の画像を使いました

なを御蔵堂は 落石があったため 2012年から立ち入り禁止となっているそうです)

洞窟から少しで 最御崎寺への上り口となっており

遍路道の右手に 忿怒んの顔の 馬頭観音像がお迎えをしています(車窓からパチリ)

仁王門ではお迎え大師像が迎えてくれます

仁王門をくぐって 境内側から 仁王門

仁王門をくぐると 第三十三世 大僧正 島田信保像

最御崎寺の 堂宇を再建し多大な功績を尽くされたそうです

石積みの上に たくさんの石仏が並んでいます

十一面観音像

鐘楼堂

土佐藩主二代目 山内忠義公より寄進された鐘楼だそうです

ご本尊でもある 虚空蔵菩薩の石像

抜群の記憶力と福徳知恵を授けて下さいます

多宝塔 

高さ20m ピンク色 昭和55年に再建されたそうです

本堂

ご本尊は 大師さまが 虚空蔵求聞持法を修行 成就され 刻んだとされる 虚空蔵菩薩 

虚空蔵求聞持法は ご真言 「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか」の

ご真言を100日で100万回 唱えるそうです

本堂の 鰐口を打つ 緒の裾にたくさん5円玉(お賽銭?)を結んでいました

   

手水場                 納経所      

    

     水子地蔵尊            子育て地蔵尊       

  

                                      大師堂 と                      その右側に修行大師像                   

空海七不思議のひとつ 鐘石 

石をたたくと 鐘のような音が出て 冥土まで届くそうです

 

                           本堂の左に鐘楼                 霊宝殿           

  

聖天堂

聖天(歓喜天)さまが祀られ 福徳の神 仏法の守護神様です

護摩堂

一言お願い地蔵

一言願いの ちっちゃな地蔵さんがいっぱい奉納されています

 空海の七不思議のひとつ 喰わずの芋

おばあさんが 芋を洗っていたところに お大師さまが 通りかかり その芋を乞うと

「これは食えない芋だ」といって与えなかったところ その芋は本当に

食べれなくなったと伝えられています

本堂の左から護摩堂 一言地蔵 の前を通って

宿坊 売店などの へんろセンターを通り抜けると お見送り小坊主さんが「おつかれさま」

つぎ 25番札所 津照寺まで 約7㎞ バスで15分です

おしまい


家庭菜園 いちごちゃん

2014年05月06日 | 日記

今年も我が家の畑で いちごちゃんの収穫が出来るようになりました。

昨年は 愛情不足で いまいち できが良くありませんでしたが

今年は たっぷりの愛情を注ぎ たくさんの 実をつけてくれます。

 白い花弁5枚の単純なかわいい花が 花弁を落しながら いちごのあかちゃんになります。

いちごちゃんが 家庭菜園の仲間に入ったのは 5年前で品種は忘れましたが

量販店で1鉢 150円ほどで いちごの値段ではそんなに高くない苗を 5鉢買ったのが始まりでした。

収穫が出来るようになると 割と粒も大きく 甘味も先ず先ず 今年は5代目の苗を 60株位植えて 収穫を楽しんでいます

     

土に触れると 病気が いちごちゃんを 蝕むので藁を敷いている

 ナメクジめが いちごちゃんを いじめるので 糠に一ころ薬を入れ ガラス器に入れ 所々に置いている

余分んな葉は こまめに除いて 風遠しよくする もちろん水分も・・・ こうしていちごちゃんを守っています 

なぁ~~んと一粒で・・・・・

ミスいちごちゃんを 10個選んで計りに乗せてみると・・・・見事でございましょう 

 こんな珍しいことも あるんですね

 頭の方から 豊かに 葉っぱを出し そのうえ あかちゃんまで 育てているんです。 

お皿に 少し水を入れ 鑑賞 1週間ぐらい 凜として あかちゃんも 茶色からみどり色に 色変わりしていましたが

次第におじぎをしだし さよならをしました 結構楽しませてくれた いちごちゃんでした

おしまい