四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝第15回目平成27年3月20日から21日の
2日間 高野山お礼参り2日目 壇上伽藍のつぎに初めて慈尊院へ詣でました
平成16年に世界遺産に登録されたといわれる慈尊院は816年弘法大師が
高野山開創の時その表玄関として創建され 高野山全体の政務を取り仕切る
高野政所と呼ばれ 重要な寺院の一つといわれています
山上が雪に閉ざされると 冬季の修行の場にもなり また大師の母 玉依御前が
わが子が開創した高野山を一目見たいと来たものの 山上は女人禁制で入れなく
慈尊院で住んでいたといいます 大師は1ヶ月に九度 山上から 町石道(表参道)を通って
母に会いに来たと伝えられ このことから この町を九度山町と名づけられたといいます また
慈尊院の本尊弥勒菩薩は別名「慈尊」といい 寺名を慈尊院と呼ばれる由来になったとも伝わっています
慈尊院 表門
表門の外左側に下乗石 町の指定文化財です
平安時代に建立されたもので 馬 駕籠に乗っている人はここから
降りて歩かねばならす 天皇 関白 皇族 貴族さんもここで籠や馬を乗降されたそうです
表門を入ると右に 大師堂(四国堂)
知貞尼という女性の方が1766年に建立され
ご本尊は 弘法大師 脇に四国八十八ヶ所の ご本尊が祀られ
この堂を拝むと 四国霊場を巡った 功徳があるといわれています
大師堂の縁にお釈迦様の弟子 びんずりさま 撫で仏ともいいます
痛む箇所を左手でさすり 右手でびんずりさまのその箇所を撫でると
より効き目があるそうです
訶利帝母堂 (かりていぼ)
訶利帝母尊(鬼子母神ともいいます)が祀られ
豊穣 安産 子育ての神さまです
観音像
多宝塔 本尊は胎蔵界大日如来さまが祀られています
大師の創建といわれる多宝塔 度重なる火災で焼失し
現在の塔は 1624~1643年に再建され 高さ 約15m 県の指定文化財です
2015年の高野山開創1200年大法会に向けて 女性信者から3億円の
寄贈があり2012年に解体修復されたそうです
本堂の左に 水子地蔵尊が祀られています
納経所 売店
弥勒堂(本殿 鎌倉時代末期の建物で国の重要文化財)の参拝所
慈尊院は、平成16年「紀伊山地の霊場参詣道」として世界遺産に登録されました
ご本尊 木造弥勒菩薩座像 国宝で秘仏です
大師は 母公が亡くなった後 母公が崇拝していた 弥勒菩薩座像を刻み
ご本尊として安置し 弥勒堂を建てられ ご本尊の下には 舎利となった
母公が祀られ 弥勒堂は 母公の御廟と伝えられているぞうです
女人禁制で 高野山に参れなかった女性は 慈尊院に参ると高野山に参ったのと
同じ功徳があると 多くの女性が訪れ 女人高野と呼ばれるようになったそうです
現在も 良縁 子授け 安産 育児、授乳や乳がんなどの厄除けなどを願って
乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れるそうです
これは壇上伽藍 御影堂の 外縁の手すりの 止め金?です
弁天堂
恋愛成就、学業成就、諸芸上達、福徳施与の神様です
稲荷堂
財宝の成就 商売繁盛 五穀豊穣 万病平癒 の神様です
鐘楼
慈尊院住職さんの計らいで 大師像の横に「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられています
拝殿
弥勒堂(本殿)の弥勒菩薩を拝む位置に建てられています
拝殿の右隅に大師の母君玉衣御前のカラー座像が祀られていました
慈悲深く 優しく 上品な お姿の像でした
慈尊院境内右奥の方に 丹生官省符神社への石段があります
丹生官省符神社(丹生高野明神社)は816年弘法大師により開創されています
丹生高野御子大神(狩場明神)が猟師に姿を変え 大師を白黒の犬に案内させ 大師は高野山に
真言密教修法の根本地を開山することができました 大師は狩場明神を高野山への導きの神として
参道の中央正面上壇に 丹生高野明神社として祀られたそうです
(官省符とは 国の干渉を受けない特権があり 免税が許されていることだそうです)
高野山参詣の表参道の上り口に道しるべとして右手に180町石
1町(約109m)おきに石柱が立ち高野山上壇上伽藍の大塔の1町石から
約22Km180町目の町石が慈尊院にあり 町石道は大師が高野山を開山して以来の
信仰の道とされ 国の史跡に指定されています
境内の周囲3方を囲む 約250mの築地塀は県指定文化財です
初めて詣でた慈尊院 住職さんの慈悲のあふれる人柄にふれ感動
大きな満願のよろこびとなりました
慈尊院を最後に四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念の巡拝とお礼の旅はおわりました
おわり