yurikago-sa

1939年生まれ
ボケないようにパソコン
遊びをします!!

高野山 慈尊院

2015年05月30日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝15回目平成27年3月20日から21日の

2日間 高野山お礼参り2日目 壇上伽藍のつぎに初めて慈尊院へ詣でました 

平成16年に世界遺産に登録されたといわれる慈尊院は816年弘法大師が 

高野山開創の時その表玄関として創建され 高野山全体の政務を取り仕切る

高野政所と呼ばれ 重要な寺院の一つといわれています

 山上が雪に閉ざされると 冬季の修行の場にもなり また大師の母 玉依御前が 

わが子が開創した高野山を一目見たいと来たものの 山上は女人禁制で入れなく  

慈尊院で住んでいたといいます 大師は1ヶ月に九度 山上から 町石道(表参道)を通って

母に会いに来たと伝えられ このことから この町を九度山町と名づけられたといいます また

 慈尊院の本尊弥勒菩薩は別名「慈尊」といい 寺名を慈尊院と呼ばれる由来になったとも伝わっています

 

慈尊院 表門

表門の外左側に下乗石 町の指定文化財です

平安時代に建立されたもので 馬 駕籠に乗っている人はここから 

降りて歩かねばならす 天皇 関白 皇族 貴族さんもここで籠や馬を乗降されたそうです

表門を入ると右に 大師堂(四国堂)

知貞尼という女性の方が1766年に建立され

 ご本尊は 弘法大師 脇に四国八十八ヶ所の ご本尊が祀られ

 この堂を拝むと 四国霊場を巡った 功徳があるといわれています

大師堂の縁にお釈迦様の弟子 びんずりさま 撫で仏ともいいます

痛む箇所を左手でさすり 右手でびんずりさまのその箇所を撫でると

より効き目があるそうです

訶利帝母堂 (かりていぼ)

訶利帝母尊(鬼子母神ともいいます)が祀られ 

豊穣 安産 子育ての神さまです

観音像

多宝塔  本尊は胎蔵界大日如来さまが祀られています

大師の創建といわれる多宝塔 度重なる火災で焼失し

現在の塔は 1624~1643年に再建され 高さ 約15m 県の指定文化財です 

2015年の高野山開創1200年大法会に向けて 女性信者から3億円の

寄贈があり2012年に解体修復されたそうです

 本堂の左に 水子地蔵尊が祀られています

納経所 売店

 弥勒堂(本殿 鎌倉時代末期の建物で国の重要文化財)の参拝所

慈尊院は、平成16年「紀伊山地の霊場参詣道」として世界遺産に登録されました

ご本尊 木造弥勒菩薩座像 国宝で秘仏です

大師は 母公が亡くなった後 母公が崇拝していた 弥勒菩薩座像を刻み 

ご本尊として安置し 弥勒堂を建てられ ご本尊の下には 舎利となった

母公が祀られ 弥勒堂は 母公の御廟と伝えられているぞうです

女人禁制で 高野山に参れなかった女性は 慈尊院に参ると高野山に参ったのと

同じ功徳があると 多くの女性が訪れ 女人高野と呼ばれるようになったそうです

現在も  良縁 子授け 安産 育児、授乳や乳がんなどの厄除けなどを願って 

乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れるそうです

これは壇上伽藍 御影堂の 外縁の手すりの 止め金?です

 弁天堂

 恋愛成就、学業成就、諸芸上達、福徳施与の神様です

稲荷堂

財宝の成就 商売繁盛 五穀豊穣 万病平癒 の神様です

鐘楼

 

大師像と高野山の案内犬ゴンの碑
  
ゴンは 最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を案内する野良犬でしたが 慈尊院の鐘の音が
 
大好きで 「ゴン」と呼ばれるようになり いつしか高野山町石道を歩く 参詣者やハイキングの人々を
 
案内するようになりました 大師空海を案内した白黒犬の再来ではといわれ 平成元年頃から慈尊院の
 
飼い犬となり 慈尊院から高野山上の大門までの町石道20㎞余りを朝出発し
 
道案内をし 夜には慈尊院に帰る毎日を送っていました 長く険しい山道を歩き続けたため
 
体力年齢的に無理になり案内犬を引退し その後老衰のため 平成14年6月に亡くなったそうです

慈尊院住職さんの計らいで 大師像の横に「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられています

拝殿

弥勒堂(本殿)の弥勒菩薩を拝む位置に建てられています

拝殿の右隅に大師の母君玉衣御前のカラー座像が祀られていました 

慈悲深く 優しく 上品な  お姿の像でした

慈尊院境内右奥の方に 丹生官省符神社への石段があります

丹生官省符神社(丹生高野明神社)は816年弘法大師により開創されています

丹生高野御子大神(狩場明神)が猟師に姿を変え 大師を白黒の犬に案内させ 大師は高野山に

 真言密教修法の根本地を開山することができました 大師は狩場明神を高野山への導きの神として

参道の中央正面上壇に 丹生高野明神社として祀られたそうです  

(官省符とは 国の干渉を受けない特権があり 免税が許されていることだそうです) 

高野山参詣の表参道の上り口に道しるべとして右手に180町石

1町(約109m)おきに石柱が立ち高野山上壇上伽藍の大塔の1町石から

約22Km180町目の町石が慈尊院にあり 町石道は大師が高野山を開山して以来の

信仰の道とされ  国の史跡に指定されています

境内の周囲3方を囲む 約250mの築地塀は県指定文化財です

初めて詣でた慈尊院 住職さんの慈悲のあふれる人柄にふれ感動

大きな満願のよろこびとなりました

慈尊院を最後に四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念の巡拝とお礼の旅はおわりました 

おわり

 


開運なんでも鑑定団in安芸

2015年05月26日 | 日記

 平成27年5月23日 テレビでお馴染みの「開運なんでも鑑定団」のテレビ収録が

「テレビ高知開局45周年」と「高知家 まるごと東部博」のイベントとして

「なんでも鑑定団in安芸」と題して出張鑑定が6人の依頼人と700人の観覧者が集まり

安芸市市民会館で開催されました

依頼人ご自慢のお宝を 紫の布で覆いメインの位置に置く 徐に布が除かれ

 依頼人がお宝を手に入れるまでの話を 司会者が面白可笑しく聞き出し会場は笑いの渦

 番組の醍醐味でもある自己評価額と鑑定結果の発表があると 観覧席から熱い拍手(練習済み) 鑑定価格が高いと

「うわ~(練習済み)」の声も交えて会場は大盛り上がり その後は鑑定士さんのうんちく(批評)で1件 落着!

鑑定士の先生方右から

北原照久 (ぶりきのおもちゃ博物館館長)

永井龍之介 (永井画廊代表取締役)

森由美 (陶磁器研究家)

司会 原口あきまさ (ものまねタレント お笑い芸人)

                                                           アシスタント ?  (聞きもらしました)

 洋画 自己評価額 500万円  鑑定価格5000円

壺 自己評価額 200万円 鑑定価格10万円

 

おもちゃ  自己評価額 8万円 鑑定価格35万円

  

洋画  自己評価額 100万円 鑑定価格150万円

  

ポスター  自己評価額 10万円 鑑定価格2万円

 

有田焼大皿  自己評価額 10万円 鑑定価格5万

額以下の依頼人さん残念でした

希望額以上の依頼人さんおめでとうございます

本物と偽物の明暗 喜びと落胆するところに醍醐味があり面白いところでした

開運なんでも鑑定団in安芸の放送は

 平成27年7月12日(日)午前10時~を予定しています

 おしまい

 


全国大学女子硬式野球選手権高知大会

2015年05月23日 | 日記

5月16と17日の2日間 第1回全国大学女子硬式野球選手権高知大会が

タイガータウン安芸市営球場で開催されました

大会出場チームは7大学 約150人の選手が参加して トーナメント戦で6試合が行われ 初日は朝から

雨が降りお天気が心配されましたが 小雨が降ったり止んだりのなか 開始時間2時間遅れて試合を開始 

予定通り3試合が行われたそうで 2日目は上天気に恵まれて白球を追うマドンナさん達の熱戦を観に行きました

  

球場での試合                            補助グラウンドでの試合

決勝戦の結果 

優勝! よろこびの胴上げ

 

    優勝の平城国際大学(埼玉県)                     準優勝の至学館大学(愛知県)

 

この大会が また安芸市で開催されますよう 選手の方々の益々の活躍を祈っています

  おしまい


高野山 壇上伽藍

2015年05月20日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝15回目 平成27年3月20日から21日の

2日間 高野山お礼参り2日目 金剛峯寺のつぎに 壇上伽藍(国指定史跡地域)へ詣でました  

  壇上伽藍は 弘法大師御廟(ごびょう)のある奥の院とともに 高野山の二大聖地といわれ 

弘法大師が 人々が厳しい修行によって悟りを開くために 真言密教の道場として 

高野山で最初に開かれた場所といわれています 多くの諸堂が配され荘厳さが伝わる壇上伽藍です 

 

金剛峯寺から通じる道 蛇腹道から壇上伽藍に入ると 

最初に 東塔 があります

白川上皇の発願で1127年に建立され 当初は上皇等身大の 尊勝仏頂尊

(そんしょうぶっちょうそん)が本尊として祀られ 後に不動明王 

降三世(ごうさんぜ)明王の2体が脇侍として祀られています

焼失再建を繰り返し現在の建物は昭和59年(1984)に

弘法大師御入定1150年の記念に再建されています

三昧堂 (さんまいどう)

928年頃 真然僧正(弘法大師の甥)が真言堂跡に建てていたものを

1166~1169年に 金剛峯寺六代目座主の済高上人が

この地に移したものといわれ 済高上人が

修行三昧された ことから三昧堂といわれているそうです 

  大会堂(だいえどう) 

鳥羽法皇の皇女 五辻斎院(ごつじさいいん)内親王が

1175年に発願 度重なる火災に遭い 1848年に再建され 

法会を行う 集会所的な場所になっているそうです

 

大会堂の左に 愛染堂

1334年後醍醐天皇の発願で 天下泰平を祈願するため

護摩をたくお堂として建立 度重なる火災に遭い1848年に再建されています

ご本尊の愛染明王は 後醍醐天皇の等身大といわれています

根本大塔の下 愛染堂の前に町石 一町石があります

奥の院御廟まで4K 36基 の町石が置かれているそうです  

檜皮葺(ひわだぶき)の不動堂 は落雷から免れ

鎌倉時代の書院造り様式で 1899年に国宝に指定されいます

鳥羽院皇女の八条女院の発願で 1198年 行勝上人が建立され、

4人の建築士の発想が織り込まれているそうですが

違和感の無い建物になっていると いわれています

 本尊不動明王坐像と 運慶作の八大童子像が祀られているそうです

 

 

真言密教のシンボル根本大塔

816年~887年まで 大師と 真然僧正(大師の甥)と二代を費やして完成され

多宝塔としては日本で最初に建てられもので 落雷などで焼失 現在の大塔は

昭和12年(1937年)に再建 高さ約49m 4面約24mの偉容を誇っています

(お借り画像)

内陣は中央に 胎蔵界の大日如来が 四方に 金剛界四仏 

阿閦仏、 宝生仏、阿弥陀仏、不空成就仏が祀られ

周囲16本の柱には 堂本印象画伯の 十六大菩薩が描かれ 

内壁には、真言八祖像と 花鳥が描かれ 立体曼荼羅を表しているそうです

夜空に鮮やかに浮き出された ライトアップの根本大塔 

夕食後散策でパチリ

 大塔の鐘

  巨大な銅鐘は弘法大師空海が発願し 真然僧正(大師の甥)の代に完成

焼失して 1857年に3代目の改鋳 直径2mの銅鐘が

吊るされ「高野山四郎」と呼ばれています

除夜の鐘108つ突くときは 一桁は小石 10突くごとに大き目の石で数えるそうです


再建中の中門  (前回の時パチリ)

何回も大火に見舞われ 1843年から 172年ぶりの再建です

 中門 8代目 高野山開創1200年記念に完成

新たな中門は 鎌倉時代の建築様式をもとに

東西25m南北15m高さ16m 焼失していた増長天 広目天

が新たに作られ多聞天 持国天とともに 四天王がそろって安置されました

開創1200年記念大法会の初日 平成27年4月2日に

中門前の広場で 横綱 第69代白鴎関 

第70代白馬富士関が 土俵入りを披露されるそうです

 中門の左に納経所 お守りなども売っているお堂があります

金剛界の大日如来さまが祀られ ご馳走が供えられています

仏さまは香りがご馳走で 少しでも香りが出るよう 斜めカットしでお供えをするそうです

金堂

高野山開創当時から 1932年(昭和7年)に7度目の再建がされています

ご本尊は  明治・大正時代の 仏師 彫刻家 高村光雲作の薬師如来が祀られ

壁画は 明治から昭和初期の 日本画家 木村武山画伯の筆で描かれているそうです

また、胎蔵界 金剛界の曼荼羅の大日如来の王冠には 

平清盛が額を割った血を混ぜて描いた「血の曼荼羅」が奉納されているそうです

開創1200年記念大法会の期間中 ご本尊が初めて特別公開されるそです

 

六角経蔵 (荒川経蔵)

1159年 鳥羽天皇の妃 美福門院が鳥羽天皇菩提を弔うために

紺紙金字一切経を浄写 3,573巻の 一切経を収めるために建立されたそうです

領地の荒川庄を寄進されことから 荒川経蔵と呼ばれ また経蔵が

六角形をしていることから六角経蔵とも呼ばれ 1934年に再建されています

 

一切経保存のため経蔵の下部が回転式になっており 取っ手を持って

回転さすと 空気の入れ換えができる仕組みになっていて

経蔵を一周すると 一切経を一通り読誦した 功徳があるといわれています

 お坊さんの 願掛け絵馬  御社(みやしろ)の側にあります

成就が叶うと一番お世話になった方に捧げるそうです

御社の 山王院本殿 (明神社) 1522年に再建され  国の重要文化財です

向って右から一の宮に丹生明神社(山の神) 二の宮に高野明神社(狩場明神)

三の宮に総社(十二王子と百二十番神)が並んで建っており 御社の入り口左右で 

白黒二匹の犬が御社を守っています

狩場明神は白黒二匹の犬を連れた猟師姿で現れ 法大師空海は二匹の犬の先導で

高野山に開山することが出来 導きの神として また 丹生明神は高野山一帯の豪族の丹生氏の

氏神であり 弘法大師空海は丹生氏の助けで高野山に開山する事が出来 山の神として 狩場明神 丹生明神を

高野山の真言密教の守り神として御社を金堂に続き建立されたと伝わっています


 

 山王院 (さんのういん) 

御社の拝殿として建立され 両側面向拝付入母屋造り

(りょうがわめんこうはいつきいりもやづくり)の建物で

藤原時代に建立され 幅21、3m 奥行7,8mあり 1594年に再建されています

国の重要文化財です

 西塔 国の重要文化財です 

887年に年光孝天皇の発願で建立され 現在は5代目で

高さ27,27m 1834年に再建され 

金剛界大日如来と胎蔵界4仏が安置されています


 鐘楼

 孔雀堂

1199年後鳥羽法王の御願で 京都東寺の延杲大僧正が祈雨の修法を成就し

その賞賜として建立され 1983年に再建されています

本尊孔雀明王像は 創建時快慶の作で 重要文化財です 

准胝堂  准胝観音が祀られています

准胝観音像は大師が得度剃髪の際 自ら本尊として刻んだと伝えられる像で

当初は食堂に安置され 973年に お堂を建立して安置されています

現在の堂は 883年に再建 されています

御影堂 (みえどう)

御影堂は高野山で最も尊厳を尊ぶ御堂とされています

大師の持仏堂として 仏像や古文書などを保管する場所でした

大師の弟子真如法親王(平城天皇の第三王子)が大師入定前に

描かれた 大師の御影を安置した事から御影堂と呼ばれるようになり

堂内は大師の十大弟子の肖像が大師の御影を護るように掲げられているそうです

旧3月20日には 御逮夜が行われ一般内拝ができるそうです

現在のお堂は1843年炎焼後 1847年に再建されています

     

檀上伽藍のほぼ中央に 三鈷の松

大師が唐の都長安の青龍寺で恵果和尚から真言密教を学び

唐から帰国される際 明州の浜から真言密教を広めるためにふさわしい

場所を求め 日本に向けて三鈷杵を投げたところ

雲に乗った三鈷杵が日本に飛んできたそうです

後に大師が二匹の犬に導かれ 高野山を訪れると 三鈷杵が引っかかった

松があり この地こそ 密教を広めるのに ふさわしいと決心されたそうです

その松は法具三鈷杵と似て 三葉の松で「三鈷の松」といわれ 参拝の方たちは

縁起物として持って帰り 特にお財布に入れておくと お金持ちになるそうです

高野山一山の玄関口にそびえる朱塗りの総門大門 

高さ約26m 1705年に再建されています

両側に高さ約5mの 阿・吽の金剛力士像が

大宗教の都 高野山を訪れる方々を送迎しています バスから パチリ!

つぎは 世界遺産に登録され 女人高野と呼ばれる慈尊院へ

おしまい   


安芸市広域公園 ホタルの観賞

2015年05月17日 | 日記

「童謡の里にホタルを飛ばす会」主催の

ホタルの観賞に行ってきました

ホタルの観賞を5月30日頃を予定していたそうですが ホタルのふ化が早く

成虫になっての命は短く2週間ぐらいしかなく 観賞の夕べを早めたそうです

ホタルの光は乱舞とまでは・・・でも あっちでチカ こっちでチカ そのうちにあちもこっちもチカチカ

「けっこう おるねぇ~」多くの家族連れが訪れ 初夏の風物詩 幻想的なホタルの光を楽しみました

 

自然観察指導員さんが ホタルのおはなしを パワーポイントでしました

これは何? ホタルの卵です ホタルは卵のときから死ぬまで 光っているそうです

ナス公園への上り口 ホタル水路に架かっている 「ほたるばし」

この橋から川上を見るとホタルの光がよく観賞できます

 ホタルの光が なんとか 白く点 点と・・・すみません ムシメガネで見て下さい 

ホタルの光はメスの光は弱く オスが強い光を放ってプロポーズをしている合図で

夜の7時~9時頃までの 雲りで蒸し暑く風がないときが活動的で多く見られるそうです

こども達がよろこぶお店も出ていました

自然観察指導員さんがホタルが生息している天神坊谷川から

ビニール袋に入ったゴミを拾ってきていました 

わたしたちは沢山のホタルや身近な生き物たちが生きていけるよう 

一人一人が自然を大切に守らなくてはと思います

おしまい


安芸市 内原野公園

2015年05月13日 | 日記

大型連休が終わり 賑わったつつじ祭りも終わった5月9日所用で

内原野に行くことがあり 公園まで足を延ばしてみました 

つつじは鮮やかな新緑にさまがわり緑豊かな森となっていました

 晴れ渡る大空と まわりの緑を映す弁天池の水面は蒼く静か

 周りののどかな風景とで 心和む雰囲気を醸し出していました

 

弁天池の南の土手より南の方を眺めると のどかな風景が広がり

その向こうに大平洋が眺められます

 

こんな歌碑も建っています 

 

今まで気が付かなかったけれども(歌碑の裏) 歌碑を建てる会の中に

 高校時代の同級生 小川さん 五百蔵さんの名前を見つけて嬉しくなりました

静かな公園で人知れずテレビの収録をしていました

収録が終わって横にきてくれた彼に遠慮がちに 「失礼ですが お名前は・・・」

これって ミーハーばあちゃん かいな~って思いながら!(^^)!

「ひらがなで やまだ ひさし」優しく答えて下さいました

「ネットで調べさせてもらいますね・・・」 

年甲斐もなく 何の収録か何時放送かなど肝心なこと聞くの抜かっちゃって

       

 人気の少なくなった公園を 

5月の心地よい風に自然の息吹を体感しながら のんびり歩くのも また格別でした

おしまい 


高野山 金剛峯寺

2015年05月09日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝15回目高野山お礼参り

2日目大師教会のつぎに 高野山真言宗の総本山金剛峯寺へ詣でました

「 金剛峯寺(こんごうぶじ)」という名称は弘法大師によって 

金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)という

お経から名付けられ 高野山ー山を 表す総称だったそうです

  金剛峯寺と称しているは建物は 1593年豊臣秀吉が亡き母の菩提のために

建立され当初は青巖寺と称していたそうです 

明治期以降 金剛峯寺と改称され 高野山真言宗座主が住まわれるようになり

 高野山真言宗の宗務所として全国 海外4,000ヶ寺の総本山となっています

 

建立以来火災に遭わず 420年経っている 表門

表門には豊臣家 家紋 五七桐紋と 武将の家紋でもあり 

弘法大師佐伯家の家紋でもある 三つ巴の提灯を掛けています

塀壁の白線 はお寺の格を表し 最高位の5本線です

大主殿 和歌山県重要文化財

  48,295坪の広大な境内に 東西約60メートル 南北約70メートルの建物

雷落により2度焼失 現在の建物は江戸末期の1863年に再建されています

持仏間(大広間)には弘法大師尊像が本尊とそして祀られ 金剛峯寺の

歴代の代座主の位牌も祀られて 日々の勤行が行われているそうです

大主殿の屋根に置かれている 天水桶(てんすいおけ)

屋根は檜の皮を重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっていて 桶に雨水を溜め 

火災発生時 火の粉が飛んで 屋根が燃えないよう 防火用 の水桶でした

一つの桶に大人3人が入れるそうです

  

大玄関 と小玄関

大玄関は 天皇や皇族 高野山重職の方がお使いになり

小玄関は上綱(お坊さんの上位)職の方 一般のお坊さんは 裏口より出入りしたそうです

現在の拝観出入口は 昔は裏口といわれていました 

2000年の高野杉の年輪です

奥の院 高野杉の断面

高さ 57m 直径 2.87m 株元周囲 9m

 
柳の間  (お借り画像)

豊臣秀吉は実子が生まれると二代目関白 豊臣秀次(姉の子)に

切腹を命じ 秀次は1595年 この柳の間で28歳で自害されたそうです

新別殿の大広間

参拝者の休憩所として お茶と菓子が出て 僧侶さんの法話も聞けます

1984年  法大師御入定1150年の大法要のとき 大勢の参詣者の
 
接待所として建てられ 鉄筋コンクリート造りで 91帖と78帖の
 
合わせて169帖の大広間です
 
                       台所  (ダお借り画像)

江戸時代からの大勢の僧侶さんの食事を賄った台所で

1つのお釜で約7斗(98kg)のご飯が炊けるお釜が3基

一度に2,000人分のご飯が炊けるそうです

天井からつり下ろした棚は 風通しがよく食物の保存に 紙を垂らしてネズミの侵入防ぎに 

水は湧水を高野槇の水槽(水の長持がよい)に溜め いろいろ工夫がされています

 大きなかまどは現在も使われているそうです

蟠龍庭(ばんりゅうてい) と奥殿 (お借り画像)

弘法大師御入定1150年のとき造園され 雲海の中で雄と雌の龍が

奥殿を守っているように表現され 石庭としては日本では最大と言われ

 石は お大師さまの 誕生の地四国の花崗岩が使われているそうです

また奥殿は貴賓室で 1934年(昭和9年)の弘法大師御入定1100年の

大法要のときに建てられ 昭和天皇 皇后両陛下が 昭和52年にお泊りされたそうです

  

天皇 皇后両陛下の記念樹 樹齢30年の高野槇 

門をくぐって左手 念樹の左 経蔵 (お借り画像) 

1679年大阪の有志から寄進されたもので 重要なものを収納するため

火災が発生しても安全なように 主殿と別に建てられたそうです

鐘楼 

金剛峯寺が青巌寺と称していたころの鐘楼で1860年の大火に遭い

1864年再建されて県指定文化財になっています

        

次檀上伽藍へ行きます

おしまい
 
 


おにわマルシェ  安芸市  妙山寺

2015年05月04日 | 日記

大型連休の5月3日 夫さんが 「内原野の橋のもとの公園で テントを100ばあ連ねて店がどっさり出て

人もどっさり来ちゅう」「まるごと東部博のイベント?情報誌には無いに~」 早速 1時ごろモーターで行ってみた

会場のとっと手前から道路脇にずら~っと車車 入り口には かなり広い駐車場も「満車」の立て看板

ひろ~い公園に まっこと どっさりの人人 色々な楽しい お店が テントを連ねている

「何のイベントやろ~」とにかくパンフレット頂きたいと本部らしきを探しても見当たらず 尋ねると

「北の方から3・4軒目のお店」 店番のお兄さんがパンフレットをあっちの袋 こっちの袋と探して下さったが 

見つからず・・・・「何のイベントやろ~」と思いつつ 可愛くて 楽しくて 面白くてのお店をパチリした

メインの所に ひょっと これじゃろか「おにわマルシェ」をパチリしてよかった

帰って「おにわマルシェ(フランス語で市場)」を ネットで調べた「おにわマルシェ妙山寺ー 安芸市

お寺が?と思ったが調べていくうちに 分かった分かった♪ 回目は妙山寺のお庭で開催された由 

今回 2回目 安芸市広域公園 自然がいっぱい みどりの芝生のひろ~いおにわで開催されたというわけ!! 

というわけでネットのパンフレットから 開催のメッセージをお借りしました

小さい文字をかなり膨張しました 見辛いですが ごめんなさい(ー_ー)!!

 

 

 

 

  

 

 

  

 

 

 

                                  Makiさ~ん!ウッドワークス典子さんのお店も出ていましたよ

   

 ひろ~いおにわでライブも!                         緑いっぱいの中でのピクニックが楽しそう!

県内外から80軒余り(と思う)のお店が集合 全部を紹介出来ないのが残念だけど 

ほとんどのお店の 店主が若い! 手作りの温もりを感じさせてくれる

素敵で楽しいお店がいっぱい! 来ているお客さんも おじいちゃん おばあちゃん

ぴちぴち姉ちゃん 兄ちゃん 小学生までをもつ若い家族漣れ 子ども達は自然の中で戯れうれしそう 

 「元気! 温もり!人と人との絆!」を共感させてくれるイベント!と 76歳は思った

弥太郎さんは妙見山の麓で思ったに違いない「こりゃ~わしのイベントの時より  どっさりの人出じゃ~」

来年が楽しみな 「おにわマルシェ 妙山寺」の開催でした

おしまい