yurikago-sa

1939年生まれ
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遊びをします!!

四国八十八ケ所 第八十六番札所 志度寺

2015年03月31日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 14回目

 平成27年1月11日 第八十六番  補陀落(ふだらくざん)志度寺を参拝しました

志度寺は 推古天皇の時代625年 薗子という尼さんが志度の港に流れてきた

霊木で観世音菩薩を刻み 草庵へ安置したのが始まりとされています

その後 藤原不比等が唐の皇帝の妃(妹)から送られた宝珠を竜神に奪われ 

取り返すために 犠牲になった妻海女の死を悼んで堂宇を建立「死度道場」と

名づけられ 693年不比等の息子 房前が 行基と寺を訪れ 母の追悼供養に

堂宇を増築 寺名を「志度寺」と改めたと伝えられ 810~824年頃に

弘法大師が この寺を訪れ霊場に定めたと言われています 

その後戦乱で荒廃 藤原氏の子孫 生駒親生の支援を経て 1671年

高松藩主 松平頼重公が 本堂 仁王門を寄進され再興されています

詫び 84番~高野山まで 平成13年9月~「お遍路徒然」で投稿をしていたブログに

    写真を加えて投稿をしますのでよろしく

志度寺 境内図

住宅街の一角に志度寺への参道 正面に仁王門 五重塔が見えます


 

参道の途中右手に 常楽寺の山門

   平賀源内のお墓(大師像の右)

 江戸中期に 蘭学を修め 漢方医学 作家 画家 発明など

 あらゆる分野で才能を発揮した人です

どっしりとした重厚な 志度寺の 仁王門

1670年 高松藩主 松平頼重公により 寄進されたものです

国の重要文化財に指定されています

 

 仁王門の 堂々とした豪快な金剛力士像は鎌倉時代 運慶の作と言われ

阿形は3m4㎝  吽形は3m25㎝の像で県指定の文化財です

四国平定で 讃岐を攻めてきた土佐の長宗我部元親が山門を入ろうとした時

急に馬が動かなくり 両脇の仁王像を見ると 後光がさしていたので

志度寺を焼く事を止め 寺仏に礼拝して引き上げたと伝えられています

 

手水場

      

観音さま             薬師如来 

 

お釈迦さま 

仁王門をくぐるとあちこちに石仏が並んでいます  

 

小さな 不動尊?と 観音さま            右足を立てている如意輪観音さま?

 

鐘楼

鐘楼の右に悲願金剛地蔵菩薩像

~   ~   ~

志度寺は 他の札所と違ってお参りの順序が決まっています

一番に奪衣姿堂(だつえばどう) 二番に本堂 三番に大師堂 四番に魔堂です

 

本堂の手前に 奪衣姿堂

  奪衣姿堂 内陣

1634に建てられ香川県有形文化財に指定されております

 奪衣姿は 三途の川のほとりに居て 亡者の着物を奪い取って

 地獄への引導を渡す恐ろしい鬼婆です

ご朱印を押している白衣は奪われないと言われています

本堂

1670年 高松初代藩主 松平頼繁重公が建立

ご本尊は十一面観世音菩薩  脇侍に不動明王 毘沙門天も祀られています 

平安時代初期~中期の作で 本堂 本尊 脇侍2体ともに 国の重要文化財です

ご真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

災難除けの仏さまで 四方八方に お顔向けて人々を救ってくださいます

本堂の右に 大師堂

お堂の背後の大楠は 弘法大師 お手植だそうです

 

琰魔堂 志度寺の閻魔は字が異なっています

中には冠に11体の観音像を載せた琰魔大王像が祀られているそうで

1671年の建立 県の有形文化財に指定されています

阿弥尼が一度冥途に赴いたものの 琰魔大王の依頼で

琰魔像を刻むため 蘇生したという 言い伝えのある お堂だそうです

 

本堂の左に墓地の入り口に阿弥陀さま 

本堂の近くには多くの石仏がそのまま地面におかれています 

八十八ケ所のご本尊では?

  

本堂の左後ろに地蔵尊像           子育て観音像 

  

 

海女のお墓 

奈良時代の高官藤原不比等(ふひと)が唐の高宗皇帝(不比等の妹)から贈られた宝珠を

志度湾の 竜神に奪われ 取り戻すために 志度に出向き 地元の海女に 恋をしました 

やがて男の子が生まれ 海女は 我が子 房前の出世を願い 

世継ぎにしてくれることを約束 死と引き替えに宝珠を取り戻しました

不比等は その死を悼んで お墓と 寺を建立「死度道場」と名づけました

境内の西隅一角に 海女の墓 五輪塔があります 市の指定文化財です

中央の大きな五輪塔が海女の墓 左右の石塔は内部を空洞にして経典を収める経塔です

海女の命日である6月16日には大法会が行なわれ 供養が続けられているそうです


 

高浜虚子の長男が訪れた時の句

   

       海女の墓で毎日墓守をしている 近くの おばあちゃん

        

 大師堂の近くに多くのお社 石碑 石仏が祀られています

小さなお堂が3つ並んでいました 立札が朽ちて字が読めませんが

春日社 賀茂社 天神さま?

 

三尊仏 左から観音さま 阿弥陀さま 薬師如来さま

藩主松平頼重公が若気の至りで 側近の3人に切腹を命じ

後に後悔して 菩提を弔うために3仏を造らせ 高松市宮脇町のお山ご殿に

安置 冥福を祈ったそうです 1702年お山ご殿が取り壊される時

当時の住職が 藩に願い出て 志度寺境内に移転されたそうです


 

四国八十八ケ所光明真言一億萬遍塔 

四国八十八ケ所の  ご本尊が刻まれている大きな石碑

仏の光明が全ての人たちに 届くようにとの願いが込められています

 

十一面観世音菩薩像

覚阿上人霊塔

源平合戦で義経の身代わりとなって忠死した 佐藤嗣信の戦死を悲しんで義経に引導を

渡したのが当時の住職覚阿上人で 嗣信の30代目の子孫 山形県の佐藤信古氏が

 先祖か世話になったと 昭和36年に追福のために建立された石碑です

薬師堂 

中門のむこうに書院  があります

   

仁王門を入ると左に 朱色の鮮やかな五重塔 昭和50年建立 高さ33m 

少年時代から志度寺の三十三代住職十河 龍澄和尚に可愛がられ励まされた

 地元の実業家が寄進されたそうです

 

おしまい


四国八十八ケ所 第八十五番札所八栗寺

2015年03月28日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 14回目

 平成27年1月11日 第八十五番  五剣山 八栗寺を参拝しました

八栗寺は弘法大師が青年時代(空海)に五剣山に登り 求聞持法(ぐもんじほう)を

修行していた時 天から五剣が降ってき 山の鎮守の金剛蔵王権現が現れ

「この山は仏教の霊地なり」とお告げがあり 空海は五剣を岩穴に埋め 

蔵王権現を刻んで山の鎮守とし五剣山と号し 804年弘法大師が入唐する時

入唐求法の効果を試みるため五剣山に登り 八個の焼き栗を埋め

旅の無事を祈願ししたところ 帰国後その栗が芽を出し成長して

いたことから 八栗寺と改め四国霊場に定めたと伝えられています

詫び 84番~高野山までの投稿は 平成13年9月~「お遍路徒然」で

一度投稿をしていたブログに 新しい写真を加えて投稿をします よろしく

 

八栗ケーブル 

八栗寺は五剣山の山懐にあり ケーブルで 八栗山上駅まで約5分で着きます

八栗寺 境内図

ケーブルを降りると裏参道 聖天さまの鳥居をくぐって木立の細長い参道を行きます

参道脇の お土産店

参道にある八栗寺 境内案内図

参道の右上に本坊

 

参道の右上に 四国八十八ケ所のご本尊が祀られ お砂踏み霊場巡りが出来ます

境内に入って 細長い参道の右手の山地には 

三仏の お地蔵さま 観音様 薬師如来さま など

ほかにもたくさんの石仏が並んでいます

 

 参道の右側に多宝塔 

昭和59年に建立され 金剛界の大日地如来さまが祀られ

四方の扉には八大菩薩が描かれているそうです

つづいて大師堂  本堂から約100m離れて手前に建っています

つづいて 厄除け招福の十二支守り本尊像 が並んでいます

つづいて お地蔵さま石像地蔵堂   

つづいて木の実や草などを食料にして修行する修験者京都の僧

木食以空上人(もくじきいくう) 像 が祀られています 

八栗寺聖天堂に祀られている歓喜天は 弘法大師作で 

以空上人が東福門院(後水尾天皇の皇后)から賜ったものと伝わっています

お正月 月で 一般参拝者も多く境内には出店が出て 栗を売っていました

一月五日は聖天さまの縁日 注連縄が飾られていました

鳥居の正面に聖天堂が見えます

 

 鳥居をくぐると右手に鐘楼 

吊鐘に歌人会津八一のが刻まれているそうです

「わだつみの 底ゆく魚のひれにさえ ひびけこの鐘 のりのみために」 

つづいて右手に 表参道の二天門からは正面に五剣山を背に本堂

本堂の前には神仏習合の名残り 一対の狛犬さんがいます

本堂は長宗我部元親の戦火に遭い1594年無辺上人が再建され

弘法大師作の千手観音像を聖観自在菩薩像に替え

ご本尊として祀られ院号も観自在院と改めたとています

 ご本尊の聖観自在菩薩像 高松藩主松平頼重公の寄進で 秘仏とされています 

 ご真言 おん あろりきゃ そわか

 本尊名と ご真言を唱えればどのような災害でも救って下さり

 七難三毒(嫉妬 虚栄 依頼心 恐怖 中傷 欲ばり怒り 愚かな考えが除かれます

本堂の左に中将坊堂への鳥居

石段を上ると五剣山の守護神 修験者の象徴天狗さまが祀られています

鳥居の左に 十一面観世音菩薩像

本堂左手前に 聖天堂

1676年 高松の富豪の寄進で 建立されたそうです

 ご本尊歓喜天像は京都の僧 木食以空上人( 参道に祀られている像)が

 後水尾天皇のお妃 東福門院より賜った 弘法大師作の 高さ15㎝の

 黄金の像 歓喜天像(聖天像とも言う)が祀られ 50年に一度ご開帳がされる秘仏です

 

歓喜天像 (ダウンロード画像)

 歓喜天は頭部が像の形で 人体の姿をしています

 単身像のものと 双身歓喜天があり 双身の方は 二尊が抱き合っている

姿像になっています 願い事は必ず叶えるが お礼参りが必要 

また約束を守らないと しっぺ返しがきて 大変恐ろしい神様といわれています

 商売繁盛 福徳 夫婦円満 「八栗の聖天さん」と 信仰されています

 

聖天堂の左に護摩堂と中に納経所

護摩堂の向かいに 手水場とその左が札場

表参道の二天門から眺める五剣山 右の端は1707年の大地震で崩れたそうです

五剣山は 役行者が開いた修験の行場として 多くの山伏が山岳修行をしたところです

山岳修験者 役行者(えんのぎょうじゃ)

表参道からの 二天門 

 

二天門の外 表参道の一角に お迎え大師像が祀られ展望台にもなっています

 屋島と麓の風景 が眺望できます

山岳修験の行場 深閑とした霊場 八栗の聖天さんを後にケーブルで下ります

駅構内はお土産店 お茶のお接待もいただけます

~   ~   ~

 

昼食はお正月 月にふさわしく グッと趣のある郷屋敷で

  

ご馳走は + 釜揚げうどん(撮ること忘れた)+ お庭の観賞大変結構でございました

次は 海女悲恋伝説の寺 志度寺へ向かいます

おしまい 


四国八十八ケ所 第八十四番札所 屋島寺

2015年03月24日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 14回目は 

平成27年1月11日 84番から 結願寺88番の5ヶ寺を巡りました

 始めに香川県高松市屋島東町 瀬戸内海国立公園のほぼ中央にある

 第84番 南面山 屋島寺を参詣しました

屋島寺は奈良時代の末749~757年 唐の名僧 鑑真和上(がんじんわじょう)が

屋島に立ち寄り 北峰の霊地に霊光を感じ 普賢菩薩をご本尊と普賢堂を建立され

その後 弟子の恵雲律師が伽藍を創建 屋島寺と号し 初代の住職になり

810年弘法大師が嵯峨天皇の勅命で 南峰の現在の位置に移し

十一面観世音菩薩を刻み ご本尊とし中興開山され霊場に定めたそうです

お詫び 84番~高野山まで 平成13年9月~「お遍路徒然」で一度投稿をしていた写真に

新しく写真をくわえ 手直しして投稿をしますのでよろしく

        

源平合戦ゆかりの景勝地 シーズンには 観光客や お遍路さんを 

お迎えする 静御前と弁慶さんが登場していました

瑠璃宝池

弘法大師が 屋島寺創建の時 宝珠を本堂の前に埋め 

その周りに池を掘った由来から その名があります

また源平合戦の時 源氏軍兵士が 血の刀を洗ったところ 池は真っ赤に染まり

「血の池」ともいわれています

東大門

駐車場に近い東大門から境内に入ります

 

屋島寺 境内図 

東大門から境内に入ると左手に 左から 観音様 阿弥陀様 お地蔵さまが並んでいます  

門の正面で十一面観音さまが お出迎えです

その奥に 五重の石塔 が見えます

右手に 天女像の手洗い

つづいて 千体堂 

千体の観音像をお祀りしています

 

つづいて 三躰堂

阿弥陀如来 釈迦如来と屋島寺の開創の基を築かれた

鑑真和上が祀られています

 

つづいて 一願不動尊 と並んでいます

一つだけ願いを叶えてくれます 多くを願ったら 忿怒の顔で怒ります

大師堂

大師堂左に 七福神が並び 熊野権現堂があります

つづいて左に 蓑山明神(みのやまみょうじん)

弘法大師が道に迷った時 菅笠をかぶった老婆姿で現れ 道案内をしたという

伝説の四国狸の総大将 屋島太三郎狸が祀られています

日本三大有名狸で 家庭円満 縁結び 子宝授かり 水商売の神として信仰を集めていま

狸石像は高さ3mもあり 笠を背にしているのがご主人 子狸抱っこは奥さん狸です

本堂 

ご本尊はに弘法大師が寺を現在地に移した時 刻んだ十一面千手観音菩薩

ご真言 おん ばざらたらま きりく

四方八方にお顔を向けて すべての人々を救って下さいます

本堂に向かって右手前に 納経所があります

本堂に向かって左手前に 宝物館

源平合戦の貴重な遺品や 屋島に伝わる貴重な文化財  

美術品 が保存 展示されています

鐘楼

釣鐘は鎌倉時代の初めのもので形も音も美しい古鐘で

 土地の人は平家供養の鐘と呼んでいるそうです

大師堂前から撮ると左から納経所 隠れて見えませんが手水場 鐘楼があり

正面に宝物館 右に本堂 蓑山明神 が並んでいます

四天門

  

 

  四天門に祀られている青銅の仏の守護神 毘沙門天 持国天 広目天 増長天 

仰之碑(ぎょうしのひ)

1903年大正天皇が皇太子の頃

屋島山に登られた記念の碑だそうです

四天門から仁王門への途中に右に伸びる参道を進むと記念碑や本坊などがあります

獅子の霊岩

大師さんが屋島寺を建立の時 完成しないうちに日が沈みかけ

近くの断崖に突き出ている岩(獅子に似ていた岩)に立って夕日を招いたところ

再び日が高く上り 寺が完成できたという伝説があるそうです

 その左に 月光殿

その左に 本坊

参道を挟んで左に 源平合戦の供養碑

 供養碑を進むとお遍路用品や土産物の商店街がつづいています

 引き返し右に曲がると仁王門に出ます

仁王門

次は  85番札所八栗寺へ行きます

おしまい


四国八十八カ所 第八十三番 一宮寺

2015年03月19日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 13回目

 平成26年12月21日 第八十三番 神毫山 一宮寺を参詣しました

 高松市郊外の田園風景の中にある一宮寺は701~704年 法相宗の高僧

 義渕(ぎえん)によって開創され 法相宗の大宝院と称していました

その後 全国に一宮が建立され 讃岐一宮として 田村神社が建てられ 大宝院は

その神社の別当寺となり 別当職となった義渕僧正の弟子 行基が堂宇など修築し 

この時寺号も一宮寺と改め その後806~810年 弘法大師が一宮寺を

訪れ 聖観音菩薩を刻んで本尊とされ 寺を真言宗とし霊場に定めたそうです

後に戦火によって堂宇など焼失 1679年高松藩主松平頼重公の再興の時に

田村神社と一宮寺に分けられたと伝わっています

一宮寺境内図

西門

 駐車場からは西門から 境内へ行きます

 

西門から入ると 右手に菩薩堂

 

左手に水掛け不動尊

 つづいて稲荷堂 があります

五穀豊穣 商売繁盛 除災開運の神様として信仰されています

本堂に向かって左手前に一宮御陵

大宝院供養塔として 田村神社の祭神が祀られています 

孝霊天皇 百襲姫 吉備津彦命の三神の宝塔で

江戸時代 田村神社と分けられた時 神社から移されたそうです

手水場

薬師如来祠

薬師如来をお祀りしている小さな石の祠があります

祠の中に頭を入れると 地獄の釜の音が聞こえると言われ

心がけの悪い人は石の扉が閉まって頭が抜けなくなると伝えられています

仁王門から正面に本堂

 ご本尊は 弘法大師の作 聖観世音菩薩は秘仏 

ご真言 おんあろりきゃ そわか

御真言を唱えると この世で出会う どのような災害も 救って下さり 

七難三毒が除かれるそうです

蓮の花をイメージした 般若心経の石碑

元総理大臣 岸 信介さんによる般若心経記念碑

高松市出身の政治家 福家俊一氏 が衆議院議員に最年少で当選

「今日あるのは 先生の山よりも高く 海よりも深いご指導の賜物」と

 昭和60年に奉納されたものだそうです

 

 護摩堂

 

本堂の右手に大師堂

地蔵堂 

   

 仁王門から入ると右に 観世音菩薩像  左に厄除け大師像 

 苦しい時「南無 観世音菩薩」 と3回唱えると どんな難関も乗り越えられるそうです

つづいて 庫裏 納経所

 左に鐘楼

 

仁王門

 バスツアー遍路は駐車場の関係で 仁王門をくぐらなことがあります

仁王門を探してパチリしました 

一宮寺を最後に バスツアー巡拝第13回目の参詣は 打ち止めです

おしまい


岩崎弥太郎さん銅像 移設

2015年03月16日 | 日記

安芸市の偉人 三菱グループの創始者 岩崎弥太郎さんの銅像が

安芸市矢ノ丸2丁目 江ノ川上公園(別名 弥太郎公園と呼んでいる)に

所在していましたが 高規格道路阿南安芸自動車道の安芸中央インターへの

道路が 弥太郎さんの銅像の場所を 通ることになり工事の為  このほど

江ノ川を上った 安芸市井口の 生家の近くへ転居されました 

弥太郎さん生誕150周年にちなんで建てられた

安芸郵便局を背にしている 威風堂々とした弥太郎さん 

 

弥太郎さんが居らなくなった工事現場

郵便局も移転するそうです

 

牧歌的風景のなかに移転したばかり工事中の弥太郎さん

工事が終えると 4月の観光開きまで シートで覆うそうです 

弥太郎さんが移転した場所から生家まで約50m

 参考までに 高規格道路 阿南安芸自動車道(紫線)です(ダウンロード図)

おしまい


四国八十八ヶ所 第八十二番札所 根香寺

2015年03月13日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 13回目

 平成26年12月21日 第八十二番 青峰山 根香寺を参詣しました

根香寺は810~824年 弘法大師が この地を訪れ五智如来を感得され

 密教の適地と悟り 坂出市と高松市にまたがる五つの峰を 

五智如来にちなんで 赤峰 黄峰 青峰 黒峰 白峯と名付け 

青峰に一院を建立し華蔵院と号し 衆生のために五大明王を刻み安置し

霊場に定められ その後 智証大師が 市之瀬明神のお告げにより霊木で 

千手観音を刻み 本尊として千手院を創建し 華蔵院と千手院の二院を

総称し根香寺と号したと伝えられています 寺名の由来は 千手観音を刻んだ

 霊木から芳香を放ち続けたことから 付けられたと言われています

根香寺 境内図

 仁王門前 駐車場の左手の木立の中に 魔除けの 牛鬼 の像

牛鬼の怪物が村人を困らせるので 殿様が 弓の名人山田蔵人に命じて退治させ

山田蔵人は 褒美の米6石と鬼牛の角を寺に奉納し 供養されたそうです

仁王門

   

表は仁王像 背面は大草鞋が奉納されています

仁王門をくぐるといったん石段を下り 木立に覆われた上りながらの参道を進みます 

   

  数十段の石段を上ると右手に牛頭観音(ごずかんのん)の石像 

頭は牛で 体は人身の姿で 地獄にいる亡者を責めたり 苦しめたり苛むそうです

 

牛頭観音の右に役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)と左右の脇士の鬼像

役行者は飛鳥時代から奈良時代の 呪術者で 山岳修験道の開祖です

脇士は小角に付き従う守護神霊といわれ小角の弟子たちを現しているそうです

さらに石段を上がると右手に 水かけ地蔵尊

 

 さらに石段を数十段 左手に注連縄を巻いた 白猴欅

手水場

納経所

 

納経所の背後に五大堂 五大明王像が祀られています 県指定重要文化財です

不動明王(大日如来の化身)悪を滅ぼし 福と繁栄をもたらす仏さま

降三世明王(こさんぜ) 苦悩を除く仏さま

大威徳明王(だいとく) 他人の誤解や恨みを解く仏さま

金剛夜叉明王(こんごうやしゃ) 煩悩を破壊する仏さま

軍荼利明王(ぐんだり) 人々を外敵から守る仏さま

経蔵(きょうぞう)お釈迦さまの説いた仏の教えの書などを納めておく蔵です 

 

さらに数十段 上がった所仁王門から正面に拝殿 この奥に本堂があります

左手の入り口から回路を経て本堂へ 回路には3万体とも言われる 

金色の観音像が全国から奉納され ぎっしりと祀られています

 

本堂

ご本尊 智証大師が刻んだ 千手観音菩薩像 国の重要文化財です

三十三年に一度の御開帳 つぎのご開帳は2036年です

本堂の参詣が終え 出口に向って さらに万体観音がつづく回路を通り

 左手奥に阿弥陀堂があります

 

拝殿から境内に出ると 左手に赤柱の大師堂 明治~大正にかけての建立

弘法大師と中国の天台宗の高僧 天台大師智(ちぎ)が祀られています

 当時 三筆の一人と言われた 弘法大師 直筆の書 いろはに・・・(コピー)の額があります 

 

大師堂の周辺に 悲願金剛の六角堂 延命地蔵尊が祀られています

  

 鐘楼 などがあります

 

参詣がおわり仁王門に向かって石段を上がります

おしまい


四国八十八カ所 第八十一番 白峯寺

2015年03月09日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 13回目

 平成26年12月21日 第八十一番 綾松山 白峯寺を参詣しました

 白峰寺は 五つの峰からなる五色台の白峰にあり 大師が810年この山に登り

山頂に如意宝珠を埋め閼伽井戸(あかいど)を掘って 衆生済度を祈願し霊場に定められ

後に智証大師が 白峯権現から霊地のお告げを受け 瀬戸内海で光を放つ流木で 

千手観世音菩薩を刻み本尊とし 仏堂を建てたと伝わっています  

   

 白峯寺への遍路道の右手に 西国三十三観音の石仏が祀られています

 同じく右手に十三重塔が2基

源 頼朝が 崇徳上皇の供養のために 建立したと伝えられ 

 手前 元享四年(1324年 )奥 弘安元年(1278年)銘が刻まれ

鎌倉時代の様式を現した貴重な石塔で ともに国の重要文化財です

道の左側に 新しくトイレが建っていました

 

 七棟門の前に 出迎え修行大師像

 

白峰寺境内図

境内への山門 七棟門 1718年に再建されたものです

門をくぐり 右手に 客殿 県の有形文化財です

 七棟門から正面に 護摩堂 入り口が 納経所になっています

 護摩堂を左に折れると右手に 経蔵?

つづいて七福神で 唯一の女神 弁財天 が祀られています 

恋愛、学業成就 諸芸上達のご利益があります

 つぎに 水子地蔵樽

つぎに 石積み地蔵さんが祀られています

 

護摩堂を左折すると正面に勅額門(後ほど)があり その右手

杉の木立の中の石段を30段余り上がると左手に薬師堂 

 金剛界大日如来 薬師如来 胎蔵界大日如来像が祀られています

大日如来さまは 未 申歳生まれの守り本尊です 

お堂前に七福神の福禄寿も祀られ 財運 招福 延命長寿 出世のご利益があります

(各諸堂には 干支の守り本尊を祀られ 七福神の石像が置かれています)

 石段を挟んで右手に 鐘楼

 さらに石段を上がると右に 行者堂

地蔵菩薩 神変大菩薩 閻魔王 虚空像菩薩が祀られています

虚空菩薩さまは 丑 寅 生まれの 守り本尊は です

 お堂前に七福神の寿老人が祀られ 幸福 家庭円満 延命長寿のご利益があります

 

右手に回向堂

 さらに石段を上がって正面に 本堂 1599年の再建です

ご本尊は 智証大師作といわれる 千手観世音菩薩で秘仏です

ご真言 おん ばざらたらま きりく 

千の慈悲の手と目を持ち 一切の悩みから救い すべての願いを叶え

除病 、長寿、夫婦円満 安産などに ご利益があります また子年の守り本尊です 

七福神の毘沙門天が祀られ 武道成就 厄除 家内安全 夫婦和合などのご利益があります

本堂と大師堂の間に 仏足跡

本堂の右に大師堂 1811年の再建です

 

 本堂の左に阿弥陀堂

観世菩薩 阿弥陀如来 勢至菩薩が祀られています

阿弥陀さまは午 戌 猪年の守り本尊です

七福神の布袋さんが祀られ 千客万来 運隆盛 家庭円満のご利益があります

 大師堂から右に地蔵堂

善如龍王堂

瑜祗塔(ゆぎとう)本堂前にあります

密教の根本である 金剛界と 胎蔵界の精神は同じものですよ・・・の塔です

  

護摩堂を左折すると奥正面に 勅額門(ちょくがくもん) 

1156年保元の乱で敗れ 讃岐に流され崩御された 崇徳上皇の供養の為に

 後小松(ごこまつ)天皇が書かれたという額を掲げている門で 額は複製です 

実物は国の重要文化財で 宝物殿に収納されています 

  

 勅額門をくぐると  どっしりとした 頓証寺殿(とんしょうじでん) 

崩御された 崇徳上皇の御廟所です

1680年 松平頼重 頼常両公の再建と言われています

お堂前に 卯年の守り本尊 文殊菩薩 兎の石像も祀られ

七福神の恵比寿さんも祀られています

商売繁盛 除災招福 五穀豊穣 大魚などのご利益があります

 

第七十五代崇徳天皇の御陵頓証寺殿の左裏手

 静寂を讃える杉の木立の中にあり白峯御陵」と言われています

1164年9月21日46歳で崩御されています  

  

頓証寺殿の左に 上皇没後4年目の1168年西行法師が

御廟に詣で 霊前に捧げた歌碑があります

「松山や 波に流れて きし舟の やがて空しく なりにけるかな」

「よしや君 昔の玉の 床とても かからん後は 何にかはせん 」

歌碑の側に 石の上に座った西行法師の石像があります

御陵の前に座り読経をされていたといわれています

頓証寺殿の左前に白峯山の相模坊大権現像

相模の国の修験の行者で 白峯山に入山 無限の神通力 

法力があり 大権現と呼ばれ 白峯山の守護神 また崇徳天皇の

守護神として祀られ 人々の諸願も 叶えてくれる権現さまです

ご本尊(実物)は秘仏で 石像は 前仏として建立されています

  

 勅額門手前玉章の木(たまずさのき)の ケヤキの木があります

樹齢八百余年で枯れ 二代目だそうです

 「啼けばきく 聞けば都の 恋しさに この里過ぎよ 山ホトトギス」と 

ホトトギスの鳴き声に 上皇が詠まれ  ホトトギスは上皇の意を察し 

葉をくちばしに巻いて 声を忍んで鳴いたと伝えられています

 巻いた葉の形が 玉章(巻手紙)に似ていたといわれ

 玉章の木の葉を身につけていると よい便りがあるそうです

           

 車窓よりパチリ

白峯寺への遍路道脇に高家神社があります 別名「血の宮」と呼ばれています

保元の乱に敗れた崇徳天皇は 讃岐国に流され 無念の最期を遂げられ

遺体の置かれた八十場から 荼毘に付すために白峰山に運ぶ途中 雷雨に遭い 

この社で棺を休めたところ 棺から血が流れ落ちたことから「血の宮」と

呼ばれるようになり その血は白峯に辿り着くまでぽつぽつと落ち 崇徳天皇の無念の死は 

怨霊の力だと伝わり 上皇の霊を慰める高屋神社が建立されたと伝わっています

        

写真は残念ながら撮れませんでしたが 血の宮から少し上がった所に

青海神社「煙の神社」があります 白峯山で荼毘に付した時

その煙は都を慕われた 上皇の怨霊の力で都の方になびいたといわれ 

煙がこもった山麓地に宮を建てて 上皇の霊を奉祀したそうです

白峰寺遍路道から眺めた瀬戸海の絶景

「かんぽの宿坂出」で昼食でした

つぎは82番札所 根香寺バスで15分です

おしまい         


四国八十八ヶ所 第八十番札所 国分寺

2015年03月05日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 13回目

 平成26年12月21日 第八十番 白牛山 國分寺を参詣しました

741年聖武天皇は護国安泰の為に 全国に国分寺の建立を勧められ

四国では阿波の第15番 土佐の第29番 伊予の第59番

それぞれの国分寺は 行基菩薩の開創と言われています

 讃岐の国分寺には 本尊の千手観世音菩薩を刻み 開創されたのが

始まりで 810~824年弘法大師がこの地を訪れ伽藍 本尊を補修し

霊場に定められ 天正年間長宗我部の兵火で 堂塔のほとんどを焼失 

その後 讃岐の藩主 生駒氏や松平氏によって再興されています

国分寺境内図

仁王門

境内の全域が国の特別史蹟になっています

   

仁王門をくぐると正面本堂までの参道の両脇に 四国霊場の

本尊88体の石像が並び ミニ霊場巡り ができます

 

 右手には創建当時 奈良時代の 七重塔の 礎石が17基があり 

10m四方の大塔だったそうです

 

つづいて千体地蔵堂が建っています

つぎに 鐘楼 が建っています

鐘楼の梵鐘は 奈良時代末期の鋳造のもので 国の重要文化財です 

長宗我部の戦火から難をのがれた 香川県最古の銅鐘で 

梵鐘にまつわる2つの伝説が立札に説明されています

 左手に 閻魔堂 

地獄に堕ちるか 天国に行けるか 生前の行いにより

死後の世界の裁判官 閻魔大王が祀られています

閻魔堂の前に お迎え弁天さま

閻魔堂のちかくに 創建当時 奈良時代の 金堂跡の 礎石があります

 金堂は 東西28m南北14mの大堂で 当時の壮麗な伽藍が偲ばれます

 つづいて延命地蔵尊 へんろ大師の石像が祀られています

    

本堂前の 池 の中に お願い弁財天とその前に七福神像が並んでいます

手水場

仁王門から正面奥にどっしりとした 本堂  鎌倉中期に再建されたもので

 長宗我部の兵火から難を逃れ 国の重要文化財です

  

ご本尊は行基菩薩作のケヤキの一木造りで十一面千手観世音菩薩

重要文化財で秘仏 内陣には前仏が祀られてます

ご真言 おん ばざらたらま きりく 

千の慈悲の手と目を持ち一切の悩みから救い すべての願いを叶え

除病 、長寿、夫婦円満 安産などに ご利益があると言われています

本堂の右に春日大社

  

その右に福龍  竜の形をした枯れ木が 細長く横たわっています

 大師が本尊の補修に使った霊木です

本堂から中門への参道脇に 縁結社

 

      金箔を貼って願掛けをする願掛け金箔大師像    願掛け不動明王

周辺にはたくさんの石仏や縁起仏が祀られています

  

 

 

境内右手奥に大師堂の参拝殿への 中門 です

中門に入ると左手に 水子地蔵尊と供養のお地蔵さんがぐるりと並んでいます

 

 鉄筋コンクリート製で白亜の多宝塔のような 大師堂 右の屋根は参拝殿 

上段の大師堂参拝殿内からお参りします

参拝殿内は売店があり 地下には千体地蔵も祀られています 

  

 大師堂で参拝を終え仁王門方向に向かうと

十三重の塔 と白蛇が住んでいたといわれる福松 

見上げると黒い固まり 松の小枝が密集しています

ちかくに 毘沙門天が祀られている 毘沙門堂があります 

 単独で祀られる時は 毘沙門天とよばれ 商売繁盛  福徳のご利益があります

 四天王の1人として多聞天と呼ばれ 北の方を守る神様でもあります 

 

どうしてか? 北向き地蔵堂 中には14体のお地蔵さんが祀られています

   

本堂前に ご奉賛のお願い!がありました

 副住職さんから再現される金剛界大日如来像下画 の説明がありました

木造等身大座像 台座 光背が含まれ 平成28年に開眼の予定

現在の 毘沙門堂に安置されるそうです

ご奉賛は1円から100万円以上 それぞれ金額に応じてご授与の内容が異なります

         おしまい 


安芸市 本町商店街のひなまつり

2015年03月01日 | 日記

 春の訪れ 桃の節句です

今年も 県東部6市町村の「土佐の町家ひなまつり」が

2月28日から3月3日まで 開催されています

安芸市商店街でも それぞれのお店に それぞれ趣のあるお雛さまを飾り

観光ボランティアでの ご案内や スタンプラリー 抹茶のお接待(有料)

内原野焼きおひなさまの販売 28日には お琴の演奏もあり 

ご観覧のみなさまをお迎えしています

 いきいき安芸をもりあげる 安芸のひなものがたりに参加している

お店と お店のひとことコメント(チラシから)をそえ ご紹介します

 

 ごめん なはり線安芸駅の うたこちゃんも おめかしをして

みなさまのお出でを お待ちしています

それでは スマイル通りから本町通りへと順番に紹介しますね

(写真が下手 ガラスに反射したりしてまずいですが 悪しからず!)

お菓子の浜幸 

”美味しい”おひなさまのケーキや”あまおう大福”はいかが?

レディースうえた

40年前の”木目込みびな”を展示しています

笑美寿や

明治からのヒナ人形がいっぱい きっと欲しくなる?!

お待ちしています

有光薬品

ご来場してからのお楽しみ 待ってます

赤ちゃんの店シュシュ

おばあさんの思い出が詰まったおひなさまを展示

真慶寺

江戸時代の”安芸古地図”展示

あなたもブラタモリ?!

佐藤定紙文具店

むかしなつかしいい文具とタイガース・グッズがたくさんあります

景山帽子店

奥様手作りの”小物”がすごい 作り方を教えて

居宅介護事業所南風

古いおひなさまを飾っている介護事業所 建物も見所です

弥っ太郎市

60年ほど前のおひなさまが やさしくお迎えします

カフェハマカワ

からだにやさしいお料理が お・た・の・し・み

 

カメラの愛光

塩入お守り」びな・貝がらびなが 超かわいい

リカーショップアベ

商売繁盛の”干支の絵馬”を全部揃えました

  サカモト

高知では見られない”北陸”のおひなさまは 必見

クスリのイナガキ

めずらしい”うさぎのおひなさま”に合いに来てね

コマツ洋装店

洋服の仕立て お直しなら 当店にお任せ

(なんとセンベイも販売しています♪)

メイン会場 杉本客殿

登録文化財の建物で見る古い人形は タイムスリップ気分!

※2013年2月に投稿した杉本客殿の

安芸のひなものがたり(クリック)見て下さい

ギフトのさとう

ガラス製 陶器製のめずらしいおひなさまを展示と販売

  

西田屋薬局

明治~昭和にかけての時代の品物やお人形を展示しています

文具館マルオカ

おひなさまと なつかしい文具を展示しています

丸岡商事

佐藤満子作のおひなさまを展示 作者に会えるかも?

和食屋本店

代々伝わって来た和洋菓子 食べてみてね

他に写真に撮れてない 見ごたえのある ステキなお人形がどっさりですよ!

おしまい