yurikago-sa

1939年生まれ
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遊びをします!!

四国八十八カ所 第七十三番 出釈迦寺

2015年01月30日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 12回目

 平成26年11月16日 第七十三番 我拝師山 出釈迦寺を参詣しました

出釈迦寺は 弘法大師が7歳の時 我拝師山に登り絶壁に立ち

「私は 仏門に入って 仏の教えを広め 多くの人を救いたい 私の願いが 

叶わぬのなら 命を捨ててもよい この身を仏に捧げる」と深い谷底に身を 投げたとき 

突然 釈迦如来と天女が現れ抱きとめられたといわれています 弘法大師は後に

釈迦如来像を刻み本尊として 我拝師山の山頂に寺を建て出釈迦寺と名付けたといわれ 

また我拝師山の山頂で虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える 虚空蔵求聞持法を修め 

虚空蔵菩薩像刻み安置され 四国霊場定められたと伝わっています

 江戸時代になって出釈迦寺は現在の地に下り

 山頂の寺は捨身ヶ嶽禅定といわれ奥ノ院となっています

出釈迦寺 境内図

 

なだらかな坂道の途中左に第七十三番の石標修行大師像

後ろは標高480mの我拝師山 大師が7歳で仏門に入り仏の教えを広め

人々を救いたいと願いが叶わなければ命を捨てると身を投げた禅定です

おなじく坂の途中左に もう一つ大師像

    

つづいて坂の途中左手に子宝の三鈷の松

葉が3本の珍しい松で 松の葉を身に着けていると子宝に恵まれるそうです

 

山門の手前右手に 十二支の 守り本尊が並んでいます 

 

 山門

山門をくぐると左に 手水場

 境内に入ると正面に休憩所 捨て身の場面の絵画や自販機等もあります

境内に入って右手の方から 鐘楼

  

西行法師の 歌碑

めぐりあはん ことのちぎりぞ たのもしき 

きびしき山の ちかい みるかな

つづいて大師の 虚空蔵求聞持の法を修法されたときのお姿

 数珠玉を計算機代わりに 虚空蔵菩薩のご真言を百万回唱え修行されます

虚空蔵菩薩のご真言をとなえると 記憶力が抜群によくなり 

学業成就 物忘れする人に ご利益があると書かれています

「南無大師遍照金剛」

四国霊場八十八ヶ所百五十周回記念碑

岐阜県 特任大先達 鈴木さんの奉納です

讃岐71~77番 七福神7ヶ所巡りの恵比寿

商売繁盛 除災招福 五穀豊穣 大魚にご利益があります

 大師堂

 本堂より大きい大師堂です

赤い衣のお大師さんが祀られています

大師堂の左に本堂

ご本尊は 大師作 釈迦如来 

ご真言 なうまく さんまんだ ぼだなんばく

智慧と慈悲の仏さまです

ご真言を唱えると 悟りが開け 煩悩が消えると言われています

三日 灯明 (以前に撮った画像)

大師堂の前の桜の根元に

小さな小さな お釈迦さまの像が祀られています

本堂の左手数段上がると我拝師山を望む

捨て身ケ嶽遥拝所があります

 

  

        虚空蔵像    修行大師像右手地蔵堂は修築中         

境内 左から納経所 捨身ヶ嶽遙拝所と地蔵堂(修築中) 桜の木(紅葉)に

かくれて本堂 右端大師堂

つぎは72番曼荼羅寺へバスで約10分です

おしまい 


清掃ボランティア活動

2015年01月28日 | 日記

1月25日 青少年育成市民会議 安芸市子ども会 

J・L・C(ジュニアーリーダークラブ)主催で

清掃ボランティア活動がおこなわれました 清掃場所は 野良時計 ちくたく通り周辺

 カリヨン広場 球場前駅 桜ケ丘高校通りの周辺 安芸駅周辺の3カ所に分散して行われ 

青少年育成に携わる各団体 中学校 高等学校の生徒さん達と共に 

私達×××OB会も活動に参加して 野良時計 ちくたく通り周辺のゴミ拾いをしました

 清潔で美しい安芸市をつくる を目指しているメンバー

みんな×××OB会ボランティアユニホームで参加

 金はさみと ビニール袋を持って

これへいっぱい ゴミを拾うよ~~

 清潔で美しい安芸市をつくる  たのもしい~~青少年たち

野良時計 武家屋敷周辺は 観光客さんが訪れるところ 日頃から地元の方達が  

景観 美化に気配りしているせいか ポイ捨のジュース缶やボトルも少なく ゴミも少なく

宝探しのようにゴミを探して 約1時間 袋の底にちょっぴりの 作業でした

     

おしまい


四国八十八カ所 第七十二番 曼荼羅寺

2015年01月25日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 12回目

 平成26年111月16日 第七十二番 我拝師山 曼荼羅寺を参詣しました

曼荼羅寺は596年 弘法大師の先祖である 讃岐の領主佐伯家の氏寺として創建され 

世坂寺(よさかでら)と呼ばれていました 後に弘法大師が 807年 唐から持ち帰った 

大日如来の 金剛界 胎蔵界の 曼荼羅を納め  唐の青龍寺にならって 

伽藍を三年がかりで建立 ご本尊に大日如来を祀り 寺号も曼荼羅寺と改め

四国霊場に定め 亡き母玉依御前の菩提寺としたと伝えられています

曼荼羅寺 境内図

仁王門

 

 表は金剛力士 背後は 奉納の大わらじです

 仁王門から堀にかかる石橋を渡ると正面に本堂 左手に 手水場

右手に鬼瓦のレリーフ 延命地蔵 修行大師像が並んでいます

 鬼瓦のレリーフ  鬼瓦は 旧本堂のものだそうです

延命地蔵 の銅像

うまれた子供たちを守り 短命若死を免れるといいます

修行大師像 の石像

 

左に手水場

手水場と並んで 鐘楼

仁王門の正面に本堂 

堂内は密教の世界曼荼羅が表現されているそうです

ご本尊に大日如来 密教界最高の仏さまです

ご真言 おん あびらうんけん ばざらだどばん

御真言を唱えると 生きていく全てのことに ご利益があるそうです

 「弘法大師御母玉依御前菩提所」と本堂に表記されています

 

本堂の左手前西行の昼寝石

西行法師はこの寺の近くで7年間暮らし 時折り寺を訪れ この石の上で

昼寝をしていたと伝わっています

 

笠かけ桜

 ある日 西行法師は 都に帰る人と寺を訪れ 桜の木に笠をかけ 忘れて帰り 

西行はその笠を見て

「笠はあり その身はいかになりぬらん あわれはかなき あめが下かな」と詠んでいます

笠かけ桜の左に 十二支 守り本尊

 

 大師堂に向かって左に忠魂碑         為実相院殿五輪塔

 

延命地蔵堂

愛染堂

愛染明王が祀られている かわいいお堂です

断ちがたい煩悩を悟りのエネルギーに変えてしまう仏さまです

地蔵堂

三界萬霊地蔵さんが祀られ あらゆる霊を供養し

供養の大切さを教えて下さるお地蔵さんです

仁王門から 左にある鐘楼の先を左に折れると大師堂

大師堂の右に水子地蔵

 

本堂左に 護摩堂

護摩堂は お護摩を焚いて修法するところ 不動明王かご本尊です

護摩堂の前に小さな不動明王像 を祀っています

護摩堂の左に八幡宮

五穀豊穣 家内安全 健康長寿 学業成就  交通安全 恋愛成就 のご利益

本堂向かって右 観音堂

等身大の聖観音菩薩立像が祀られ 

平安後期の作と言われ 県指定文化財です

つづいて 客殿

つづいて納経所

境内右の方に 大日如来石像 

  

大日如来像近くに 笠松大師

 大師お手植えの不老の松(笠松)が枯れ その松の名残りに 

高さは約1mの大師像を刻み お祀りしています

 

讃岐71番~77番までの 七福神七か所めぐりの福禄寿も祀られています

幸福 財産 長寿に ご利益があります

大日如来石像に向かって右に 茶堂(休憩所)があります

つぎ74番甲山寺までバスで約10分です

おしまい


四国八十八カ所 第七十一番 弥谷寺

2015年01月21日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 

12回目は 平成26年11月16日 71番から77番の7ヶ寺を巡りました

最初に 香川県三豊市三野 第七十一番 剣五山 弥谷寺を参詣しました

弥谷寺は 聖武天皇(在位724~749)の勅願で 行基菩薩が 光明皇后のご両親の

菩提を弔う為 寺院を建立したのが始まりとされ 山頂から 中国 四国の八つの国が

眺められたことから 蓮華山 八国寺と名付け開創されました 弘法大師が真魚(まお)と呼ばれた

7歳から12歳の間 岩窟の 獅子の岩屋で学問に励まれ 807年再びこの山を訪れ

虚空蔵求聞持法(こうくうぞうぐもんじほう)を修法され 満願の日に空から五本の

宝剣が降り 金剛蔵王権現が現れお告げがあり 千手観世音菩薩像を刻み安置し

伽藍を修復し五本の宝剣と 唐から持ち帰った五鈷鈴を納め 山号を剣五山千手院

寺名を谷が多いところから 弥谷寺と改め 霊場に定められたそうです

1573~1592年 長宗我部元親の兵火など 再度の焼失

1720年に丸亀藩主京極公が再興されたといわれています 

 

 弥谷寺は弥谷山382mの中腹にあり バスツアー遍路は 表参道の

上り口広場から お寺のマイクロバスに乗り変え有料道路を走ります

新しく出来た上り口広場の休息所

お寺の マイクロバス

弥谷寺 境内図

バスは庫裏の前までの乗車です

大師堂への石段上り口に 手水場

大師堂

 

大師堂は 土足厳禁 堂内の階段を上がると、左手に納経所

廊下を右に曲がると参拝をする所になっています

大師堂の奥に「獅子の岩屋」があり 建物と岩が一体となった 奥ノ院となっています

大師が真魚と呼ばれていた七歳のころ修行されていたところで 

ご両親の像も安置されています

大師堂 内陣 

内陣の後ろに獅子の岩屋 奥ノ院があります

  

大師堂内陣と向い合せに 護摩堂位牌堂びんずるさん

洞地蔵尊 

首から上の病にご利益があるといわれています 

獅子の岩屋へ通じる廊下に坐って頭を床にくっつけて

 10メートルも上を見上げると小さなお堂が見えます

大師堂の前に 讃岐70番~77番までの七福神七ヶ所巡りの大黒天を祀っています

五穀豊穣、子孫繁栄、出世開運 商売繁盛のご利益があります

1877年建立の多宝塔

大師堂から本堂に向かう参道の途中の上段に 顎を空に向けると見えます

修行大師像

多宝塔を見上げてさらに進むと左手に石を小山にした上に祀られています

 後方は十王堂です

さらに進むと右手に鐘楼堂があります 

このあたりから くねくね曲った石段が延々とつづきます

石段の左手に十王堂

 閻魔大王はじめ十王が安置されています

十王は 死霊の生前の悪行の裁きをします

石段を挟んで十王堂の向かいに 観音堂

 

石段の途中に 古いお堂と 本堂への古い道標があります

 

石段の両脇に 沢山の石仏が所狭しと並んでいます

    

 

 

本堂に向かう途中に 大師の「御加持水

  

 不動明王が祀られ「求聞持窟」と呼ばれています 

古く行者はこの窟で求聞持法や座禅の修行をしたといいます

 

大師の御加持水の向いに 大師像が祀られているお堂があります

 本堂への途中の岩壁にある磨崖仏 阿弥陀三尊像 

中央に阿弥陀如来 左脇侍に観音菩薩 右脇侍に勢至菩薩が刻まれています

 鎌倉時代に彫られたもので 岩壁には無数の磨崖仏があったそうですが 姿を留めていません

 本堂は一番奥にあり、岩壁が屏風のように迫っています

ご本尊は 大師が刻んだとされる 千手観世音菩薩で 秘仏です

ご真言 おん ばざらたらま きりく

千の手で救済し、除病、長寿、夫婦円満 難産などにご利益があると言われています

 

百八煩悩階段を下って

高さ5メートルの 金剛拳菩薩像

 金剛拳菩薩さまは 煩悩、悪行によって縛られているのを解放して下さる仏さまです

ここから マイクロバスで 表参道の上り口広場まで下ります

        

大先達花岡先生

弥谷山は 死者の霊の集まるところといわれています 

花岡大先達先生とご一緒した時 獅子の岩屋奥ノ院で不思議で信じられない

体験をさせていただきました それは 先生が 「私が般若心経を3回唱えます 皆さんは 

目を閉じて合掌するだけ そしたら 天国から逢いたい人が 右肩に現われて話しかけてくれます」

信じられると思いますか?それが本当に 主人の母が白い着物を着て 右肩後ろから 

「・・・さん すまんねえ」と繰り返し話しかけてくれたのです 他でお祀りするはずの仏さん達を

 諸事情で 我が家でお祀りをすることにしたのです 義母は天国で気にしていたのでしょうか

 私は「そんなことないよ 気にしなくていいよ」心で? 声になったのか?呟きながら泣いていました

 話ができたことで 義母もきっと天国で安堵していると思います 

花岡先生有難うございました

参道は樹木に覆われ薄暗く 細く長く くねくね曲った石段 左右に多数の石仏石塔 

お参りが終えると山門までは 後ろを振り向いてはいけないと伝わっています

霊の世界というか不思議な雰囲気の弥谷寺です

つぎは72番を後まわしにして73番 出釈迦寺を参詣しました バスで約20分です

おしまい
 


四国八十八カ所 第七十番 本山寺

2015年01月17日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第11回

 平成26年10月27日 第七十番 七宝山 本山寺を参詣しました

本山寺は807年 平城天皇の勅願で 弘法大師が国家安泰のために 

一夜と思えるほどの短い間に本堂を建立したと伝えられ その際に

 本尊馬頭観音像を脇侍に阿弥陀如来を刻み安置し 四国霊場に定められ 

当時は寺号を 長福寺と称し 寺領二千石の大寺と伝えられていました 

本山寺と改称したのは1716~1736年ごろといわれています 

本山寺 境内図

仁王門

 円柱の どっしりとした八脚門は 鎌倉時代後期の建立で 国の重要文化財です

1573~1592年長宗我部元親の四国平定の戦火から

仁王門 本堂 五重塔は焼失を免れたと言われています

  

金剛力士像

鎮守堂

小さなお社に 善女竜王像が祀られています

竜王は水中に住み雨を降らす神様です

 慰霊堂

満洲への開拓団の犠牲者の霊をとむらっています

手水場 

 

十王堂と 護摩堂

亡くなった人の生前の罪を裁く 閻魔王はじめ十人の裁判官が祀られています

護摩堂は不動明王 愛染明王が祀られ 護摩木に願い事を書き

護摩木を焚いて供養をします

五重塔

大空にひときわ美しくそそり立っている本山寺のシンボル

四国霊場で 竹林寺・志度寺・善通寺・本山寺の4ヶ所だけの五重塔です

明治43年 当時の住職 盲目の頼富実毅(よりとみじっき)さんが 

四国霊場を巡拝中59番国分寺を巡拝した後目が見えるようになり 

その恩に報いるため 遠くからでも目に付くよう塔を再建されたと言われています

 

五重塔 本堂との間に大日堂

 

     仁王門から正面に本堂        馬頭観音像(ダウンロード画像)   

                                            

 弘法大師一夜の建立と言われている本堂は1300年の 建築で 国の重要文化財

ご本尊は 四国霊場唯一の頭上に馬頭をいただいている馬頭観世音菩薩です

ご真言 「おん あみりと どはんば うん はった そわか」

馬が草をむさぼるように人々の煩悩を 食べ尽くし 

畜生道に迷っている心を救済し悪を懲らしめる仏さまです

    

本堂の後方に 庫裏 納経所があります

境内に入って右手に 大師堂です

大師堂の側に みちびき大師像

右手に錫杖 左手に数珠 一歩踏み出した 躍動の銅像です

大師堂に向かって左に ご本尊馬頭観音にあやかって 2頭の馬の像 

家畜の守り神になっています

馬の像の左後ろに十三重供養塔

仁王門をくぐって右手に 鐘楼

鐘を付くことは供養とされ また朝夕の時報として鐘のひびきを聴くと

一切の苦から逃れ 悟りの功徳があると言われています

 寄進された方々の石柱がずら~っと本山寺を囲んでいます 

             

本山寺の 本尊の脇仏 阿弥陀如来像は「太刀受けの弥陀」と呼ばれ

1573~1592年 長宗我部元親の軍が攻め入ったとき 当時の住職が

立ちはだかり 兵士は住職の腕を切り 寺に押し入ると 本堂 内陣の扉が開き

脇仏の阿弥陀如来が 兵士たちに姿を見せ その右腕から血を流していたといいます

兵士たちは恐れて退散し 阿弥陀如来が住職の身代わりになり 寺は兵火から難を免れ 

元親の兵火にかからなかった 数少ない寺といわれています

        

つぎ後回しにしていた68・69番札所神恵院 観音寺 まで 約10km バスで約20分です

 おしまい


四国八十八カ所 第六十八・九番 神恵院・観音寺

2015年01月13日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第11回

 平成26年10月27日 一つの境内に二つの札所がある

第六十八番 七宝山 神恵院(じんねいん)

 第六十九番 七宝山 観音寺を参詣しました

神恵院は 703年法相宗の日証上人が この地で修行中 嵐の日に 暗くなった 海上の

小舟から 琴の音が聞え「われ 九州 宇佐の 大八幡宮なり この地  風光明媚につき

去りがたし」とお告げを聞き 上人は村人たちと 大八幡宮を乗せた 神舟を 琴弾山の

山頂に引き上げ 社殿を建立し 琴弾八幡宮として お祀りをし  八幡宮の

別当寺として 寺を建てられたのが始まりとされています 806~810年弘法大師が 

この地を訪れ 琴弾八幡宮の 本地仏 阿弥陀如来を描いて本尊として祀り 神恵院と称し 

68番霊場に定め その後 明治初年の神仏分離令で琴弾八幡宮は 琴弾神社と 神恵院に分離され

 神恵院の 阿弥陀如来像を 観音寺の西金堂に移し(神恵院の本堂となる)

 神恵院と観音寺が一つの境内に同居するようになったといわれています

           

観音寺は 神恵院と ともに日証上人の  開創で 琴弾八幡宮の別当寺と

なったのが始まりとされています  806~810年弘法大師が 唐から帰国して

間もなくの頃 琴弾八幡宮を訪れ 第7代の住職となり 大師は 神恵院の縁起にある

宇佐八幡神が乗っていた神舟は 神功(じんぐう)皇后と ゆかりがあり皇后は観世音菩薩の

生まれ変わりと 聖観世音菩薩を刻み 琴弾山の中腹に 七堂伽藍を建立  

本尊として安置し 仏塔に ルリ サンゴ メノウなどの 七宝を埋めたことから

七宝山 観音寺寺名を改め 69番霊場に 定めたとされています

 神恵寺 ・観音寺 境内図

 

 仁王門

第68・69番霊場 七宝山 観音寺 神恵院と書かれている

 四国霊場では唯一の一山二霊場です

 

金剛力士像

仁王門を入ると左手に 閼伽井(あかい)の井戸があります

霊験豊かな仏前などにお供える水だそうです

境内の標識

宝物殿 左手前に 手水場があります

68・69番納経所

 

入り口に「六十八番札所神恵院本堂」と書いています 標識がないと?と思う・・・

中へ入り 石段を数段上ると コンクリート箱の中に 本堂があります

本堂 2002年に新築

ご本尊は大師が描いたと言われる 弥陀如来像 上の方に 来迎阿弥陀三尊 

下の方に 釈迦三尊が描かれ鎌倉時代末期の作と伝えられる秘仏です

来迎阿弥陀三尊は 極楽浄土へ導くため 阿弥陀仏や菩薩が 紫雲に乗って迎えに来る様子

釈迦三尊はお釈迦さまを中心に 文殊菩薩 普賢菩薩が配置されているそうです

ご真言 おん あみりた ていせいから うん

極楽往生を約束する 仏さまです

 

コンクリートの中 本堂と向い合せに 先祖供養 水子供養 交通安全 厄除けの

 お地蔵さん が祀られています 

本堂を下りて 右手に 山の斜面を利用した庭園 巍々園(ぎぎえん)があります 

 

本堂に向かって左手前に68番 大師堂 十王堂 太子堂が同じ棟(長屋のような)にあります

 

十王堂(閻魔堂)                  太子堂

 

神恵院本堂に向かって右手に69幡 観音寺の 朱色の大師堂があります

大師堂右に 愛染堂

愛染明王がお祀りされ 菩提心に高めて 断ちがたい煩悩を

悟りのエネルギーに変えてしまう仏さまです  

 

愛染堂の右に5体の如来石像

左から阿弥陀如来 薬師如来 大日如来 宝生如来? 釈迦如来と思います

  

 石像の右 石段を上がると薬師堂があります 以前は神恵院の 本堂だったそうです

  

  薬師堂の左に 心経堂 向かい合いで 金色の弘法大師像も祀られています

           

右の端に 観音寺の 朱色の本堂があります 室町期建立で 国の重要文化財です 

ご本尊 弘法大師が刻んだ 聖観世音菩薩像は秘仏 

本堂には前仏の聖観世音菩薩が安置されています

ご真言 おん あろきゃ そわか

七難三毒 といわれる 嫉妬・虚栄・依頼心・恐怖・中傷・欲ばり・怒り

おろかな考えなどを除いて下さる仏さまです

 

本堂の右手前に鐘楼

 雲海と四隅に竜の模様 屋根を支えている天邪鬼 見事な彫刻です

境内の中ほどに 樹齢1,000年とも言われている 巨木楠 

根元は岩のように 地上に根を張って苔むし長い歴史を感じます

 68・69番札所が11回目の結願となりました

おしまい 


四国八十八カ所 第六十七番 大興寺

2015年01月10日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第11回

 平成26年10月27日 第六十七番 小松尾山 大興を参詣しました

 大興寺は742年熊野三所権現鎮護のために東大寺の末寺として現在地の

約1キロ北西に建立され 822年嵯峨天皇の勅願で 弘法大師が再興 堂宇を建立し 

薬師如来を刻んで安置して四国霊場に定められ 寺は密教の 真言宗 天台宗の 

二大宗派によって管理され 修行の道場として栄えたといいます 

その後 長宗我部の四国平定の兵火や火災に遭い 1596~1615に現在地に再建されています

大興寺境内図

  

周囲はのどかな田園 大興寺手前の道路わきに お地蔵さん

仁王門の手前でお遍路さんを迎える お大師さん

 小さな橋を渡ると 風格のある仁王門です

 

金剛力士像 威風堂々とした像は 仏師として名高い 運慶作と伝えられています

木造の金剛力士像は、四国一の大きさだそうです

 

大草鞋 

霊場に数多くの大草鞋を奉納している 高松の遍路会の人達の奉納だそうです

  

仁王門をくぐると 長い石段がつづき右手に 大師お手植えと言われる カヤの巨木があります

カヤの木の上段に 楠の巨木

「これば~ふとい」

左に 石造り五重塔

石段94段上った 場所に境内が広がります

手水場

右に 鐘楼

鐘楼の 前に 水子地蔵尊

 水子となった子供や 病気 交通事故で亡くなった 子供たちを守ってくださいます

 

石段を上って正面に 本堂 1741年に再建されたものです

ご本尊 木造薬師如来座像は 平安時代の 弘法大師作といわれ秘仏 

61年に一度の ご開帳 県の有形文化財に指定されています

七日灯明

本堂で 病気平癒 安産 良縁など 赤い蝋燭に願を書いて 7日間灯明

祈祷していただくと 願いがかなうといわれています 

  

本堂に向かって右に 天台大師堂 智顗(ちぎ)大師を祀りしています

 天台大師堂の前に石像  智顗大師像?

 

     黒門 その向こうに本坊            黒門の左手前 池の中に地蔵尊

 

本堂に向かって 左に弘法大師を祀る 真言宗大師堂

 大師堂の左に お社と石仏が祀られています

 

本堂の前に 三鈷の松

密教法具 三鈷杵に似て 松葉の先が 3本にわかれ 

お財布の中に入れておくと 福徳 財畜 縁起が良いといわれています

屋根をした箱の中に松葉がたくさん用意されています

        

 つぎ68番69番を後回しにして70番札所 本山寺まで 約10km バスで約20分です

 おしまい


四国八十八カ所 第六十六番 雲辺寺

2015年01月07日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第11回

 平成26年10月27日 「菩提の道場」から 香川県「涅槃の道場」の打ち始め 

標高927m 霊場で最も高い所にあり 関所寺でもあります 

第六十六番 巨鼇山(きょごうざん)雲辺寺を参詣しました

雲辺寺は 弘法大師が16歳の789年雲辺山に登り 霊気を感じて堂宇を建立したのが

始まりとされ 818年大師45歳のとき 嵯峨天皇の勅命を受け 

千手観世音菩薩を刻み本尊とし 護摩修法を行い 仏舎利(釈迦さんの遺骨とか灰))と

毘虜遮紗那法印(びるしゃなほういん(仏法石))を納め 七仏供養をされ霊場に定められました

 鎌倉時代には 僧侶たちの学問・修行の道場となり 

七堂伽藍と12坊(僧侶の住居)が並び「四国高野」と呼ばれていたそうです

雲辺寺境内図

ロープウエイ

香川県 大野原から 全長2594mを7分で山頂まで行け

お天気が良ければ 瀬戸内海や 瀬戸大橋も見渡せますが・・・

県境 住所は徳島県ですが 霊場としては讃岐の打ち始めです

(徳島県側に雲辺寺 香川県側はロープウェイの山頂駅  靴は雲辺寺に向かっています)

 

山頂駅近くの 石柱と おむかえ大師像

     

  

五百羅漢像

釈迦のもとで修行した500人の優れた弟子達の羅漢さんが 喜怒哀楽 様々な表情で 

 山頂駅から 境内までのあちこちに祀られて お遍路の目を楽しませてくれます

 自分に似ている羅漢さんも居ると言いますよ

 

羅漢さんを楽しみながら坂道を下ると 雲辺寺の石柱と 手水場

   

そして  仁王門

 

金剛力士像

  

仁王門をくぐって 左に緩やかな坂を下り 厄除け女坂を上ったところが 本堂周辺の境内

参道の脇 いたるところに石灯燭が ずら~っと並んでいます

女坂を上がった 左手に 水堂

弘法大師が掘られたといわれる 霊水が湧く井戸「南無大師遍照金剛」と唱えて お水をいただきます

右手に 納経所 

納経所の近くに 水子地蔵尊

本坊の前に おたのみなす のブロンズ

  

 

本堂 コンクリート造です 

ご本尊 千手観音坐像は弘法大師が刻んだと伝えられ 国の重要文化財です

本堂内陣には 石造りの観音像が祀られています

ご真言 おん ばざらたらま きりく

千の慈悲の手と目で 願を叶えてくださり 除病 長寿 夫婦円満 

難産にご利益があると言われています

本堂の左に 護摩堂

 

護摩堂の左に 本坊 前におびんずるさんも安置されています

   

納経所左の坂道を上ると 大師堂 前に稚児大師像も安置されています 

大師堂の後ろに 大師堂奥拝殿があります

 

大師堂 左に 五社大権現

五社大権現の側 茄子の中に安産観音像 

安産をナスでしょう・・・(-_-)/~~~

  

大師堂付近に 一言観音さん      お地蔵さん 叩くと高く澄んだ音がしてカンカン石ともいいます                   

  

鐘楼

   

10月27日 雲辺寺の紅葉は間もなく満開といったところでした

         

1573~1592年土佐の戦国大名 長宗我部元親が 雲辺寺を訪れ 

当時の住職 俊崇坊(しゅんそうぼう)に 四国統一の 野望を 話したところ 

住職は「あなたの 器では四国平定は無理 土佐一国で相応 茶釜の蓋で水桶の蓋に

するようなもの」つまり器が小さいと 諌め 戦においては 容赦ない元親はこの時ばかりは

住職の言うことを聞き 雲辺寺は戦禍を免れたといわれています

        

つぎ67番札所 大興寺まで 約10km バスで約20分です

 おしまい 


安芸市新年恒例行事

2015年01月03日 | 日記

2015年元旦 初日が昇るにしたがって怪しい雲がひろがり

風をともなtった冷え込みの厳しい新年の幕開けとなりました

みなさま あけまして おめでとうございます

 今年も つたないブログの投稿を楽しみたいと思っています

よろしくお願いします

安芸市では1月1日 新春恒例の 第43回新年走ろう会は楽しく元気に8時30分スタート

栃煌山関幟開き餅投げは 栃煌山関の大関昇進を願って走ろう会が終了後に 

第50回寒中水泳大会は9時30分ごろから波浪注意報と厳寒のなか

今年のスローガンを掲げる隊列泳ぎやフルーツ拾いは

波が寄せるところで行われ 一年の健康を祈願されました

 動画にしました ご覧ください

 おしまい

 


四国八十八カ所 第六十五番 三角寺

2015年01月01日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第11回

 平成26年10月27日 愛媛県の 「菩提のの道場」最後の札所 

伊予の関所寺といわれています 第六十五番 由霊山(ゆれいざん)三角を参詣しました

三角寺は聖武天皇(在位724~749)の勅願によって 行基菩薩が開創したと伝えられ

815年 弘法大師がこの寺を訪れ 本尊の十一面観音像刻んで安置され 不動明王も

刻み 三角の護摩壇を築いて 21日間 国の安泰と万民の福祉を祈願し

降伏護摩の秘法を修法され 寺号を 三角護摩壇に由来し 三角寺と称し 霊場と定めたそうです

三角寺 境内図

 標高450mの三角寺山の中腹にある三角寺へは 麓でマイクロバスに

乗り分け 寺への上り口まで横着け 自然石の73段の石段を上る

鐘楼仁王門

参拝者は 入り鐘を打ちます 出る鐘(金)は打ちません

 

金剛力士像

 

門を入ると すぐ左にびんずるさん

 

右に 納経所 

正面に庫裏 

参道を左に進むと左手に手水場

休息所

山桜の木

樹齢300~400年といわれ つっかえ棒で支えるほどの 見事な枝ぶりです 

山桜の側に 一茶句碑

 1795年 三角寺に詣でた俳人 小林一茶が詠んだ句

  「是でこそ 登りかいあり 山桜」

本堂

 境内に入って 左奥に本堂があります

兵火で 本尊を除いて堂宇などは焼失 現在の本堂は1849年に再建されています

  ご本尊は 十一面観世音菩薩 兵火から 難を免れた 秘仏です

 安産 子安  開運 厄除けの観音さまとして信仰をされています

 妊婦さんが お寺で杓子をいただき 夫婦で食事のときに使い 

お産の時に床下に置くと 安産が出来るといわれています

出産すると お礼参りに 新しい杓子を奉納するそうです 

  

道標

本堂を前にして 「奥の院 是より五十八丁・・・」279回巡拝の記録の持ち主の 

中務(なかつか)茂平衛(100回目から名前を改め義教(ぎきょう)さん の 

お遍路の案内石(左)は 俳句を添えて 独力で四国に170基建てたと伝わっています

右の道標も「是より奥院まで 五十八丁」本堂を背にして立っていました

 大師堂

 本堂手前右上段に建っています

延命地蔵尊 

大師堂の左に 大きな延命地蔵像 銅製で高さ7m 昭和52年に建立されています

大師堂の下段右に 薬師堂

薬師堂の右に 三角池(みすみのいけ)

三角池は 大師が三角の護摩壇を築いて 21日間 降伏護摩の秘法を修した 

護摩壇跡と伝えられています 

 

池には三角形の島があり

学問 音楽 蓄財の神 弁財天さまが祀られています

 三角池右に 三界萬霊地蔵尊

過去 現在 未来 この世のすべての霊を供養して下さるお地蔵さまです

        

つぎ大野原ICを経て バスで約30分走って 66番札所雲辺寺 山麓 昼食です

おしまい