一度は見てみたい 武蔵と小次郎 決戦の地 巌流島 源平合戦の地 壇ノ浦を遊覧(ツアーのキャッチフレーズ)
ツアー2日目は はじめに 関門海峡クルージングを楽しみました
唐戸桟橋に掲げている横断幕です
遠く後ろに関門橋 遊覧船から流れるガイドを聞きながら クルージングは唐戸桟橋を出発
下関港に自衛艦が 係留 大勢の見学者が並んでいるのが見えました
右は 「はい!からっと横丁」のアミューズメントパークの
高さ60m 海峡のパノラマが 一望できる大観覧車です
遊覧船の進行方向 左に 巌流島 が見えました 散策道も整備され 周囲1,6㎞の島です
佐々木小次郎三尺一寸(103㎝)太刀 宮本武蔵 舟の櫂を削った木刀を振りかざし
宙を舞う 武蔵と小次郎の決闘の像が見えます 遊覧船は 巌流島を 回ってUターンします
下関 壇ノ浦町 関門橋の 直下辺りが 源平合戦の 地といわれています
寿永4年(1185)3月2日源平両軍4,000艘ともいわれる軍船が 潮の流れが速く
変化が激しい関門海峡で合戦 平家は東に流れる潮に乗り はじめは優勢でしたが
見方の寝返りと 潮の流れが 反対に流れ出したため 平家は敗れたと 云われています
関門橋と 関門トンネル人道入り口の建物
前には壇ノ浦古戦場跡の みもすそ川公園があります
昨夜最高の夜景を楽しんだ 火の山公園 標高268m 山頂へは
ロープウエイも運行され 展望台には 回転レストランもあります
海峡沿いの民家は3階建の家が多いのが印象的でした
赤間神宮 白壁に朱塗りの水天門
源平 壇ノ浦合戦で破れ 二位の尼に抱かれて入水された 清盛の孫 安徳天皇を祀った神社です
水の中の 龍宮城ををイメージして造られています また 平家物語を語る 琵琶法師 耳なし芳一の
伝説もこの地で生まれ 境内には 芳一堂もあるそうです
春帆楼(しゅんぱんろう)
日清戦争の講和条約を結んだ会場です
伊藤博文公 陸奥宗光公が投宿された宿で 伊藤博文公は 春帆楼の名前も 命名
豊臣秀吉がフグの食用を禁止して以来、300年経って フグ食用禁止令を解禁し
春帆楼はフグ料理の 公許第一号のお店だそうです
海峡の向こう 門司港 31階に展望室のある 高層マンション「レトロ ハイマート」 と
ズームで拡大すると ブルーウイングもじ (恋人の聖地)が 丁度 開いたところでした
下関側 左から自衛艦 観覧車 海峡ゆめタワー 高さ143mの展望室は360度のパノラマ
夜間は季節 曜日によってライトアップが変化し 恋人の聖地に認定です つづいて海響館(水族館)を
右に見ながら遊覧船は唐戸桟橋へ クルージングは終了です
唐戸桟橋周辺を散策 ボードウォークがされており快適に散策が出来ます 写真左から下関と云えば ふく・・・ふく親子のモニュメント
下関でも 大人気の龍馬・お龍さん 顔いれてツーショット 日本にキリスト教を最初に伝えた 聖フランシスコ・ザビエルの
下関上陸記念の碑が建っています 桟橋の近くに唐戸市場があり お魚センターや 青果センター
食料品センターなどがあり いろいろな食材を取り揃えた 卸市場です
一般向きにも 直売もされており 活気があふれています 観るのに夢中で 市場の中を撮ってなくて残念!
市場から 外に出ると 名物の「ふぐのフクロ競り」のモニュメントです
仲買人が 筒状の黒い袋の中に手を入れ 競る人の指を握って値を決めている様子です
唐戸市場では新鮮な食材で作った 海鮮丼 寿司 揚げ物 ふくの刺身 ふく汁 等のいろいろな
海の幸グルメが 凄い活気で売られており のぞきながら歩いていると ハッポースチロールのお皿とお箸を
持たされる 勢いです 大トロ鮨が一切れ400円 シャリの2倍も大きい海老は200円 揚げ物と」ビールを買って・・・
グルメを買った人達が ボードウォークで 関門海峡を眺めながら食べていました
食い気の方に熱中して 下関亀山八宮は行きませんでしたが みかげ石の 日本最大の鳥居があり
「亀山宮」と 書かれた石の額は 畳3畳分もあるそうです
次は 萩の 某蒲鉾店で お買いもの 店内に入るなり 何人もの店員さんの
各商品の宣伝の 凄いさえずりに 圧倒されそうでした
次は ふくの関 長府観光会館で ふく刺身付「ふく陶板焼き御膳」の昼食
「腹がはって 喰えん・・・」 主人
昼食後は各自で 城下町長府 維新のあふれる 町並み 高杉晋作挙兵の寺「功山寺」など散策(ツアーのキャッチフレーズ)
満腹と暑さに参っている主人「おまん(あんた) 行ってきいや・・・」と云う訳で 方向音痴が 一人で 散策
地図にかじりつきながら・・・
城下町長府は大化の改新の後 長門国の国府が置かれたことから 長府と呼ばれるようになったそうで
江戸時代には 長府 毛利藩5万石の城下町として栄え 幕末には
時勢を一変させる 維新回天の舞台となったと云われています
はじめに 功山寺へ行きました 道路に面して山門があります
功山寺は数々の歴史の舞台となったところで 毛利元就に追われた 周防最後の当主大内義長が
境内で自害されたり 高杉晋作が伊藤俊輔(博文)他をを率いて挙兵したところでもあり
また初代藩主毛利秀元をはじめ 7人の藩主の毛利家のお墓のあるところです
功山寺仏殿 鎌倉時代に創建され わが国最古の禅寺様式を残した仏殿 国宝に指定さrています
仏殿の裏に 藩主毛利家のお墓があります
功山寺 書院に 七卿潜居の間(しちきょうせんきょのま)があります
七卿とは、長州藩邸に駆け込んだ 尊王攘夷派の 三条實美 東久世道禧 三条西季
壬生基修 四条隆謌 錦小路頼徳 澤宣嘉の七人の公家さんのことです
功山寺の境内に「高杉晋作回天義挙像」岸信介書 の銅像があります
1864年長州は幕府に主導権を握られ 三家老の切腹と藩主の蟄居謹慎で幕府に従う姿勢を
示した時 高杉晋作は わずか80人を率いて挙兵 討幕へと導き維新が大きく動き
日本の歴史を変えたといいます
次は 歴史とやすらぎの毛利邸へ 毛利家14代 元敏公が東京から長府に帰り 明治31年(1898)から
明治36年6月に5年もかけて完成し 大正8年(1919)まで邸宅として使用されていたそうです
ご門でございます
武家屋敷造りの 母屋でございます
ご邸宅は こんな間取りになっています
一部の部屋はそのまま残されているそうです
明治天皇が明治35年11月に 熊本で行われた陸軍大演習の視察のとき宿泊された お部屋でございます
池泉回遊式庭園 中庭
純日本庭園の落ち着いた風情を楽しみ 各所には季節の花が生けてあり
おもてなしの心をいただいた 毛利邸見学でございました
思うようにパチリも出来 無事時間内にゴール でも内心 ハラハラドキドキの一人散策でした
ドッキリ! 関門海峡 満ぷく 大感謝祭 2日間 の旅はおわりました
長~~いブログにお付き合いくださいましてありがとうございました
おしまい
先の頃にはコメント頂きありがとうございました。
ブログ 見てくれて 有難うございます
写真を撮るとき あれも これもと欲張るので ブログが長ご~なって・・・・
YARANKA塾の皆さん PC益々上達されて 楽しんでいるでしょうね
不純なお天気が続きそうです お体を大切にね
つぎの投稿を待っています