夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

ウォーキングの後で映画の構成を考える

2023-04-16 15:56:05 | Weblog

冬の間休んでいたウォーキングを再開して週一で歩いています。

今日は一周3㌔、高低差50㍍を散歩ペースで歩きましたが軽く汗が出ました。

日曜日ですし、まあのんびりしましょう。

工房の編集ラックのテーブルで新作映画のプランを更に詰めることにしました。

タイトルはいまだに決まりません。

主なカットを見せちゃいます。

何度もお見せしているメインカットです。

これは主人公が通過する経路上から撮影します。

立体交差の下、短いトンネル。

敢えて彼の経路を外れて客観、第三者の視点です。

トンネルの中から出口側の様子。

トンネル出口を上の要壁から。

上の道路に上がる鉄階段。主人公はトンネルを出て階段に向かいます。

階段の上から。

「彼」が上がろうとしますが目線を上げると

階段の下。彼の目線です。

要壁の上を誰かが歩いて右にフレームアウト。これは重要なカットです。

階段を上がる彼の主観。手持ちカメラによる撮影で観客を一緒に上がらせます。

階段の上の道路。彼が現れます。

全部種明かしする訳にいかないので途中は省略します。

彼は山道を上りますがその先に先ほど通ったトンネル。

トンネルの入り口を上から。

彼が入り口に歩いてきます。客観カットです。

トンネルの入り口。

彼は一旦立ち止まって歩き出します。

トンネルの中。短いはずのトンネルが・・・

彼は奥へ歩いて行きます。

トンネルの途中、外への階段。

彼が右から現れ、階段を上がってきます。

これはほんの一部なので何がなんだかわかりませんが、全編この調子です。

ここで考えたのは、カメラはいったい誰なのか。

一般的に映像を撮る場合、カメラは観る側にとって最も「都合のいい位置」に置きます。

場合によってはあり得ない位置から撮影するなんてことも。

観る側も承知で、カメラは存在しないと考える決め事があります。(誰もそんな約束はしていないんですが)

この作品では基本的に主人公の歩く経路上から撮影します。

経路から外れる場合は「第三者の目」として、カメラは不自然な位置には置きません。

更に重きを置くのはこの作品に意味は一切無いということ。

テレビや通常の映画と同じ考えで観るとそれこそ「意味わかんない」「作者はいったい何が言いたいのか」。

頭が混乱するでしょうが、それが私の狙いです。

コメント
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