大きなディズニーのアイス(サーティワン)のクリスマスケーキを頂きました。ピンクちゃん宅に届けてあげようと思っていましたが、予定が狂い、結局寝る前に二人で食べることに。
寝る前に食べてはいけないね、とお互いに言い合いながら・・・。
さて、年賀状ですが、昨年は年末からピンクちゃんらと伊豆方面へ旅行に出かけたので、今日あたりで全てが完了していました。
今年は今日から5日間、がむしゃらに年賀状書きに没頭します。
大きなディズニーのアイス(サーティワン)のクリスマスケーキを頂きました。ピンクちゃん宅に届けてあげようと思っていましたが、予定が狂い、結局寝る前に二人で食べることに。
寝る前に食べてはいけないね、とお互いに言い合いながら・・・。
さて、年賀状ですが、昨年は年末からピンクちゃんらと伊豆方面へ旅行に出かけたので、今日あたりで全てが完了していました。
今年は今日から5日間、がむしゃらに年賀状書きに没頭します。
やじ馬
事件が起きると、その現場には「やじ馬」が押し寄せます。自分とは関係が無いのに見物したり、興味本位で騒ぐ人を「やじ馬」と言いますが、「おやじ馬」を略した言葉とか。
「おやじ馬」は、年老いた牡馬(ぼぼ)のこと。馬は群れで行動する動物であり、若いころはリーダーとして集団を統率していた牡馬(ぼぼ)も、年をとるとリーダーを若い牡馬に譲り、群れの後ろについて歩くようになります。
そこから、人の尻にくっついて回る人を「おやじ馬」といい、略して「やじ馬」と言うようになったそうです。
じゃじゃ馬
気が強く、わがままで手を焼かせられる女性のことを「じゃじゃ馬」と言います。
じゃじゃ馬とは、もともとは人間ではなく人になつかない暴れ馬のことを指して言われた言葉のようですね。
「じゃじゃ」は、「いやじゃ、いやじゃ」の「いや」を略したもので、「いやじゃ、いやじゃ」と逆らう馬に用いられた言葉だとか・・・
「じゃじゃ馬」がやがて人の言うことを聞かず、扱いが厄介な女性についても用いられるようになったのだそうですね。
陶芸教室に通っておられるNさんとTさんの共同作品です。
来年は我々二人の当たり年と言うことで記念にプレゼントして頂きました。
「ウマが合う」という言葉があります。この「ウマ」は漢字では「馬」と書きます。人と人との相性を言う時、「馬」が出てくるのは、かつて人と馬の相性が非常に大事だったからだそうですね。
クルマや電車が無かった時代は交通手段に馬が使われていました。徒歩で旅をする人も、険しい山道を越えるときなどは馬子の曳く馬を使いましたが、時には暴れ馬に振り落とされたりしたものです。そんな時は、「人と馬の相性が悪い」と言われました。
それから人間同士の相性が悪いことを「ウマが合わない」と言うようになったそうです。
今年、息子さんの御不幸で沈んでおられたパン作りの先生であるOさんから、クリスマスのシュトーレンが送られてきました。
今は、パン工房で朝の5時から夕方までお勤めをされているとの報告を受けホッとしています。
寶顕師からご紹介して頂いた7冊の法話集を事あるごとに読ませて頂いています。
人は身近な死に直面することによって、人生の意味を問い直す、とあります。「何のために自分は生きているのだろう」と真摯に考えたなら、本当の人生の意義を見出すことが出来るようです。
共に暮らした幸せをかみしめて、泣きながら笑いなさい、笑いながら泣きましょう、とあります。一緒にいないのは寂しいと思うでしょうが、故人が本当に寂しく思うのはその想いが無くなることだそうです。
餅付き大会を任されて仲間15人と参加していた3年前の今日、母危篤の知らせが。ここから車を走らせても約2時間掛かる。無念だが今ここを放って出掛けることも出来ず、大会の終わりを待つ。
98歳で天国に旅だった母の命日が3年前のクリスマスの日。今年は私の周りでも、不運にも亡くなられた方が多い。生きとし生けるものには死は付き物だが、母のように天寿を全うできる者はそう多くはない。
寶顕師の説法にあるように、一日一生、一日一善、生きている間に功徳を積むことをあらためて深く心に刻んだ25日の朝でした。
血圧の降圧剤を貰いに内科クリニックへ。二人とも血圧が高いので塩分を控えています。
クリスマスイヴ。昔ほど騒ぎ立てる人もいないですね。静かに二人で過ごします。
朝から馬の切り絵を色紙にステンシルするための作業を。型番を作ってクリアーホルダーに写し、デザインナイフで切り抜きました。
後は、パステルの赤で色を着けました。
今日から26日まで教室があります。それがすめば2月9日までの長い冬休みに入ります。
除夜の鐘
「除夜」とは「旧年を除く夜」ということで大晦日の夜のことを言うそうですね。お寺では大晦日の深夜に年越しを挟んで鐘を108回打ち鳴らします。これは人間の煩悩が108つあり、それらを取り除いて清い心で新年を迎えるためだと言われています。
煩悩とは欲望や怒り、執着など人間の心身を悩ませる心の在り方のことですが、この数は一体どこから来たのでしょうね。
仏教では人間には6つの感覚器官「六根(ろっこん)」(眼・耳・鼻・舌・身・意)と、それらの認識対象となる「六境(ろっきょう)」(色・声・香・味・触・法)があり、それぞれに「好(良い)・悪(悪い)・平(どちらでもない)」の3つの状態があると考えられています。
6×3と6×3で36個。更に現在・過去・未来の3つの時間も関わり、36×3=108の煩悩の数となるようです。
また、「煩悩説」以外にも、12カ月の「12」、二十四節気の「24」、七十二候の「72」を足した数が108となり、「四苦八苦」を取り除く意味がるとか・・・
紅白歌合戦の後、鳴り響く除夜の鐘の音に耳を傾ける方も多いと思いますが、1年間に起こった出来事がしみじみと思い起こされます。鐘が一つ鳴るごとに心が洗われ、清らかな気持ちで新年を迎えられそうな気がします。
「大切にしたい、にっぽんの暮らし」参照
AさんからB4サイズの馬の切り絵を頂きました。
自分でバックの色合いを変えてみました。
余白に私の好きなこの言葉を入れてみたいのですが・・・。