本と猫好きの日日社会メモ

本当の豊かさって何?などとたまに考えつつ、日日生活に流されながら、猫と戯れ本を読む・・そんな毎日を時々アップします。

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー著

2014-02-02 10:23:02 | 本・雑誌、読書
人間をコテコテ描いているモノを読みたくて、この本を選んでみました。

福岡生まれの方が福岡にいた時のことも書いていますから、実際の景色を見たことがある地名が出てきて、福岡を知らない人とは違った読み方になったんじゃないかと思います。

オトンとオカンは別居していて、オカンとボクには自分の家と言えるものがなくて、世間一般の基準で言えば、幸せな家族の範疇にならないだろう家族が、お互いをとても愛おしいと感じていて、強いきずなで結ばれていて。幸せってなんなんだろうと考えさせられました。

お金持ちと貧乏について・・お金について書いたところ、とても素敵だったので長いけれどそのまま引用で。

『貧しさは比較があって目立つものだ。この町で生活保護を受けている家庭、そうでない家庭、社会的状況は違っても、客観的にはどちらがゆとりのある暮らしをしているのかもわからない。金持ちが居なければ、貧乏も存在しない。

東京の大金持ちのような際立った存在がいなければ、あとは団栗(どんぐり)の背比べのようなもので、誰もが食うに困っているでもないのなら、必要なものだけあれば貧しくは感じない。

しかし、東京にいると「必要」なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。東京では「必要以上」のものを持って、初めて一般的な庶民であり「必要過剰」な財を手にして初めて、豊かなる者になる。

“貧乏でも満足している人間は金持ち、それも非常な金持ちです。だが、金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人間は、冬枯れのようなものです。”

「オセロー」に中に登場するこんな台詞も東京の舞台で耳にすると、観念的で平板な言葉にしか感じない。しかし、今、こうしてあの頃の、あの町の人々を思い出すと、確かにその通りだと思えてしまう。

必要以上を持っている東京の住人は、それでも自分のことを「貧しい」と決め込んでいるが、あの町で暮らしていた人々、子供たち、階段の上に座って原価の酒を飲んでいた人々が自分たちのことを「貧しい」と蔑んでいただろうか?金がない、仕事がないと悩んでいたかもしれないが、自らを「貧しい」と感じていたようにはまるで思えない。

なぜなら、貧しさたる気配が、そこにはまるで漂っていなかったからである。

ポケットの中に納められた百円は貧しくないが、ローンで買ったルイ・ヴィトンの札入れにある千円の全財産は悲しいほどに貧しい。』  (新潮文庫版 p 55-56)

「ルイ・ヴィトンの札入れにある千円の全財産は悲しいほどに貧しい。」・・・必要以上のものを買って自分たちは何がしたいんでしょう?

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