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ひまわりの早期胃癌闘病日記 ~胃切後の経過と体調について~

35歳の時に胃癌と胆石症が発覚し、開腹手術をした経緯とその後のダンピング症状や日々の体調について書いてます。

尿管が外された

2003年12月23日 | 手術・入院
朝、座薬を入れてもらった。日にちが薬とはよく言ったものだ。あんなに痛くて痛くて我慢できなかった痛みが我慢できるくらいの痛みになってきた。
今日は歩く練習をして、トイレのところまで行って帰ってこれたので、もう尿の管も外しましょうって事で外してもらえた♪これでまた身軽になった。
病室からトイレまでの道のりは結構ある。なのでトイレに行くまでがとてもハードなんだけど、痛みを我慢しつつ4回トイレに行った。
お昼に旦那が子供を連れてきてくれた!うれしかったっずっと会いたかったんだもんっ。なんかパワーをもらえた気がした。この子の笑顔が何よりも特攻薬だっ!
抗生剤は今日の夕方で終わった。夜の9時に背中からの麻酔を入れてもらった。おいらは痛いけど、同室の他の方よりも回復が早い。同室の方は年配の方ばかりだからやっぱり治りが悪いのかなぁ?
おいらが切ったところじゃなくて、横隔膜のあたりが痛いとじいちゃん先生に言ったら、じいちゃん先生は「きっと手術後に物凄い痛がっていたでしょ~、その時にそこの筋肉を使って痛みを堪えていたから、筋肉痛みたいに炎症をおこしているんでしょう」と言うことだった。おいらはこんな物凄い筋肉痛になるくらい痛みを堪えていたんだと改めて感じた。
それにしても今ではこの筋肉痛の方が痛いよぉ~っ。息もしにくいし、咳もしにくい。。。咳をするたびに切ったところの痛みと筋肉痛の痛みで苦しくて時々一人でへばっていた。。。

歩く練習

2003年12月22日 | 手術・入院
朝方4時頃からまた傷口が傷み出して、6時まで我慢してみたが、痛みが治まらず我慢できなくなってしまったので、看護婦さんを呼ぶと「もう少し我慢出来ない?」と言われた。我慢出来ないから呼んだのに・・・。「背中の麻酔は12時間は効くはずなんだけどね・・・」と言われてムッとした。でも痛いんだからどうしようもないのにっっもうこの痛みを理解してくれないのが悲しくなってしまった。
午前中の回診の時に、鼻のチュウブをじいちゃん先生が抜いてくれた。じいちゃん先生に「痛いよー」と訴えると「そりゃー切ったんやもん痛いよぉ~」というので「でも他の人は痛み止めが効いてるみたいで痛がってないでしょー?私はヘンな人ですか?なんでこんなに痛いんだろう?」と言うと「そんなことはないよ、痛みは人によっても違うからね」とじいちゃん先生は優しく言ってくれて、なんかやっと自分の感情が受け入れられたと思ってうれしかった。そして、酸素マスクも呼吸が整ってきたので外された。
それから、痛みに耐えながら看護婦さんに「歩く練習しませんか?」と言われて、少しだけど歩く練習をした。
昼前にけろ姉ちゃんが来てくれてついボヤいた。けろ姉ちゃんは「人によって痛み方がそれぞれ違うし、痛み止めも人によって効き方も違うのにね~」と理解してくれてうれしかった。
昼から婦人科から助産婦さんが来てくれた。少しお乳を軽く搾って、湿布を貼っていってくれた。ありがとうなり~っっ。
夕方、上半身を少し起こしてパソコンを見た。旦那が見やすい角度にノートパソコンを広げてくれて、布団の手元にマウスを置いてくれて、見れたのだ。進歩だ。
やっと少し落ち着いてきて、子供に無償に会いたくて会いたくてしかたないという感情が沸いてきた。。。入院してまだ一度も会っていないのだ。。。とてもやりきれない思いだ。。。会いたくて会いたくて泣けてきてしまうのだ・・・。
夜、ボスが来てくれて、『子供におっぱい飲ませたいけど飲ませてあげられない』と言うと「今はしかたないよ、でも世の中にはおっぱいあげたくてもあげられない人はたくさんいるんだから・・・」と言われて「そうだよね~」と納得。。。いろんな意味でいろんな状況であげられない人はたくさんいるんだもんね。。。

座る練習

2003年12月21日 | 手術・入院
今日は熱が38.8度まで出た。痛み止めの座薬をしては少し熱も下がってというのを繰り返していたが、この痛みで苦しんでいるおいらに、看護婦さんが早く動く練習をしろと言ってきた。『なんて冷たい人たちなんだっ。一昨日手術したばっかりなのに、まだこんなに痛みで苦しんでいるのに、熱もあって体もだるくてしかたないのにそれでも動けっていうのかーっ?』と思ったが、早く動くようにしないと切ったところが癒着したりするらしいからなるべく少しずつでも動けるようにした方がいいと言われたので、おいらも甘えて動こうとしないと思われるのが嫌だったので、看護婦さんの手を借りて座る練習をした。なんとか座ることは出来たけど、息も出来ないくらい痛かった~っ。看護婦さんにゆっくり大きく深呼吸してくださいって言われたけど、その深呼吸が出来ないくらい息が出来ないくらい痛かったのだ。
はじめて座った時は頭がフラフラしていた。そりゃあそうだろう・・・。
どの看護婦さんもおいらが「すみません、痛いので座薬か背中の麻酔お願いしたいんですが・・・」と言うと「ひまわりさんは痛みに弱いのね~」と言ってのけた。人それぞれ痛み方も違うだろうに、今おいらが感じている痛みを自分たちが感じたらどんな風に思うんだろうかと思った。この痛みがわかんないくせにそんな風に言うなぁってちょっとムカついた。
他の年配の人たちは痛み止めがよく効いているみたいで、おいらみたいに痛いと訴える人はいなかった。でもおいらは本当に痛くて痛くて耐えられなかったんだもん。。。

痛い・・・

2003年12月20日 | 手術・入院
回復室はとてもうるさい。おじさんやおじいちゃんたちがワガママを言ったり、無断で歩こうと立ち上がったりして看護婦さんたちが大変そうだった。。。そんな声が1日中響いていた。
おいらの痛みは相変わらず昨夜と同じで痛かった。背中からの麻酔も座薬もほとんど効き目がなく、1日中痛みでうなされていた。。。
夕方、部屋がもとの病室に戻った。回復室ではゆっくり眠れなかったが、部屋に戻るとまた正反対のように静かだ。でもおかげで少しは眠れた。
旦那が早くから来てくれていたけど、ほとんどボーッとしてうとうとしたり痛みを訴えたりの繰り返しだった。
熱が37.9度から38.3度になったりしていた。座薬をすると37.2度くらいまで下がってはまたあがってというのを繰り返していた。
痛くて痛くて本当にしんどい。。。もう嫌だ・・・もう二度とゴメンだ・・・。

手術日

2003年12月19日 | 手術・入院
朝、6時過ぎに目が覚めた。と同時にトイレに直行。昨日の下剤の影響か?お腹が痛くてトイレに長いこと座り込んでいた。
それと朝からおっぱいが張って痛い。。。一人で少し搾っておいた。このお乳を子供に飲ませてあげられないのが辛い。。。
今日は初雪が降ったみたいで寒い1日だったようだ。。。病室の中からではその雪の降る光景は見えなかった。。。
まだお乳が張ってしかたないので処置室を使ってもらってもいいので・・・と言う事だったので処置室でお乳を搾らせてもらった。でも片方のお乳を搾るのもしんどくてある程度でやめてしまった。
朝、8時頃けろ姉ちゃんが来てくれた。勇気づけられる。。。8時半に浣腸、そして9時半に浣腸された。もう出るものがないだろうっていうくらいピーピーだった。AM11時点滴開始。。。11時半に婦人科病棟の主任さんが来てくれた。主任さんがお乳を搾りだしてくれたので随分楽になった。。。この主任さんも今年のはじめに同じ胃癌で胃を全摘しているのでとてもおいらには頼りになる同じ病気の先輩?という感じで助けられている。

婦人科のみんながおいらの事を応援してくれていると言う事でとてもうれしかったしちょっとウルってきた。。。PM12時頃またけろ姉ちゃんが様子を見に来てくれた。PM13時点滴2本目をして、そのまま車椅子に乗って二階の手術室へ。。。手術室に入って機材がたくさんある中の真ん中にベットがあってそこに横になってくださいと言われて、横になるとすぐに頭にキャップをかぶらされて、両手を広げられて大の字に。。。片手には血圧がつけられて、心電図をつけられて、麻酔が開始された。。。それからおいらは記憶がなくなってしまったのだ・・・。
おいらがオペ室から出たのはPM18時30分頃らしい。オペ自体は4時間くらいだったみたいだ。後は前後の処置の時間なのだろう。。。
今日の手術で、おいらの胃の3分の2と、その周辺のリンパ節と、胆嚢を摘出したようだ。胆嚢の中には1cm強の胆石が二つ入っていたらしい。その胆嚢も癒着しかかっていたのでおいらはずっと背中が痛かったのだろうと後で言われたらしい。このおいらの取り出された臓器は旦那とうちの兄と母親の三人で見て、じいちゃん先生の説明をオペ室の入り口の術前室みたいなところで聞かされたと言っていた。年明けにリンパ節は病理にかけるようだ。。。
術後おいらが気がついたのは何時頃だっただろうか?気がつくと回復室にいた。でも気づいたと同時に激痛で激しくのたうちまわって痛がっていた。これは意識がボーッとしていた中でも覚えている。。。ものすごく痛くて痛くて「痛いよ~助けて~」とベットの上で苦しんでいた。そこへ看護婦さんが来てやっと座薬を入れてくれて、ほんの少しだけ痛みが和らいだ。気休め程度だけど。。。
旦那がそばにいてくれた事はわかっていて、術後先生からこんな話しがあったよっと話してくれていたけど、頭にはほとんど入ってこなかった。痛くて痛くて苦しかったから・・・
そんな中、夜も9時半くらいだったろうか?ボスが様子を見に来てくれた。「どう、よくがんばったね、お疲れさん」とかなんとか言ったような?おいらは「ボス~痛いよぉ~、痛いところ治してぇ~」と半べそかいたらボスは「そりゃーさっき手術したばっかりやもん痛いよ~」と言ってた。おいらの手術には終わり頃ちょこっとしか立ち会えなかったと言っていた。ボスもオペが入っていたらしいからしかたないよね。。。
ボスが帰って、旦那もそろそろ帰ると言って帰った。それからもおいらは痛くて痛くて夜中ずっと痛がっていた。それでも痛がっていると看護婦さんに「手術後に一番強い痛み止めしているんですよ~そんなに暴れたらオマタが見えますよ~」と言われたけど痛いものはしかたない。我慢できないくらい痛いんだもん。。。我慢できればおいらも我慢したよ。。。それにお股が見えないようにカーテンを引いてくれればいいのに~って思った。でも回復室はおじさんやおじいちゃんばかりで夜中に点滴を抜いたり、一人でフラフラ歩き回ったりしていて、夜中じゅうずっとうるさくてほとんど眠れなかった。おいらも物凄い痛みでそれどころではなかったけど、夜中は痛みをジッと堪えておいた。。。痛いって言ったらいけないみたいな、なんかそんな雰囲気を看護婦さんから感じたからだ。「ひまわりさんは痛がりですね」って言われてカチンときた「それならあんた自分が切ってみたらいいじゃん!どんだけ痛いか経験してみろっ」と思った。とても口に出しては言えなかったけど。。。あまりの痛みでおいらも気が立っていたのだろう。。。