ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

蟲が蠢動して、どうにもおさまらない。

2007-05-05 | 映画


蟲師

原作を知らない。アニメも見ていない。それでもまずまずどういう話かの、把握くらいは出来た。

そういう映画なのである。当然原作やアニメを知っている人はもっと深く理解もするだろうし、わたしとは逆に物足りなくも思うだろう。

オダギリジョーのギンコは、その存在感もなかなかのものだと感じたが、あるいは原作の彼の方が深みがあるのかもしれない。オダギリジョーというと、自分などは「旅する男」として、どこか「クウガ」の雄介を重ねてしまうのだが。背負った宿命の中にも苦境を跳ね除ける明るさが、雄介のように感じられるのであって、多分ギンコというキャラクターの本質とは、本当は違うのだろうな、となんとなく感じる。

冒頭の「阿」「吽」が自分の中で谺している少女の話から、蠢く虹=虹蛇という蟲=を探している虹郎(大森南朋)との合流を経て、作品の背景が、闇を電気の灯りが駆逐する前の時代のこととわかる。

蟲というのが「精霊」でもなく「妖怪」でもないというそのニュアンス自体はよくわからないのだが、いずれにせよ機械文明・物質文明の波が駆逐してしまった何かに重なる存在であるということには間違いない。

蟲の素性を伝録として書きとめることで、蟲を封ずる淡幽(蒼井優)の発した奇病が「常闇」という蟲に由来するということから、ギンコの過去へと話が至る。「常闇」の誕生と、その中で生きる盲の魚の姿の蟲「ギンコ」。ギンコの失われた過去と真の名前、ぬいという女蟲師(江角マキコ)との関わりが明かされていく……。

大友克洋の実写といえば「ワールド・アパートメント・ホラー」が頭に浮ぶが、あれは原作もご本人だから、これとは趣も監督としての動機も違うだろう。

それではこちらもこれをきっかけに原作なり、アニメなり見てみようか、とそう思った。