湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

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◇ 肥後の手毬歌「あんたがたどこさ」の発祥地は何処さ

2015年06月03日 23時43分29秒 | 日常・その他
家から自転車で中心街へ向かって10数分行ったところに、坪井川にかかる「船場橋(センババシ)」があります。

【船場橋の場所】


この「船場橋」付近が、
ご存じの方も多い有名な手毬歌「あんたがたどこさ」(*)の舞台になっているところです。

    * : 肥後の手毬歌「あんたがたどこさ」

        あんたがた どこさ 肥後さ
        肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
        船場川には エビさがおってさ
        それを漁師が 網さでとってさ
        煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかぶせ

        あんたがた どこさ 肥後さ
        肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
        船場山には 狸がおってさ
        それを猟師が 鉄砲で打ってさ
        煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかぶせ

          ※「船場川」というのは熊本城の長塀に沿って流れる現在の「坪井川」のことです。
          ※"焼いてさ"が抜けていたり、
            "それを木の葉でちょいとかぶせ"のかわりに"うまさがさっさ"などと
            歌われている場合もあるようです。
         
「船場橋」には
「あんたがさどこさ」の歌詞にちなんで「エビ」と「狸」のモニュメントが2体づつ
橋の両側の親柱に計4体鎮座しています。



   ※出来ばえは ・・・

橋の直ぐ近くに熊本市電の停留所「洗馬橋」(**)があり、
そこに少しとぼけた顔をした「ふれあい親子狸」と名付けられた像もあります。


    ** : 橋名「船場橋」の字と違う駅名「洗馬橋」の由来は次のとおりです。(Wikipediaより)
          加藤清正の坪井川付け替えの際に水路が開削され船着き場が設けられ、
          大正時代まで熊本城下への水運の拠点となっていた。
          船着き場にちなんで東側に船場という町名が付けられた。
          洗馬という呼称は俳句などを詠む際に戦場・洗馬などの言葉と掛けていたのが
          はじまりだと言われている。

この狸像の大事な「金の○」がいやに光って見えます。
「金運」、「玉運(熊本には店が多いパチンコの運のこと(?))」を願う人が多いということでしょうか。

  この停留所は近くにある熊本県立第1高等学校(卒業生の約97%が女子)の最寄電停となっています。
  まさか「玉運」や「子宝」を願って「金の○」や「珍○」を撫でているのが彼女らではないはずですが ・・・

橋の袂にある「熊本中央郵便局」前にあるポストの上にも
狸の像が乗っかっていました。



 「あんたがたどこさ」の発祥地として、熊本説、関東(川越)説など諸説あるようですが、
      ほんとうのところは何処さ

       唄われている舞台がここ肥後(熊本)の船場であるのは間違いないと思っていますが、
           もし違っていたら、この狸たちの居場所が無くなってしまいます。


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