湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 夜桜に慰められる公衆電話

2015年03月28日 23時16分07秒 | 日常・その他
今日は晴れて気温も上がったので
土曜日ということもあり花見にくりだした方が多かったことと思います。

仕事先から自転車(*)で帰る途中でも、
芝生の広場がある公園で花見イベントがあっていました。

     * : 自宅から勤務先まで10km近くありますが
        運動がてらに自転車でいくことが偶にあります。
        自転車で行くときはバイパス経由の大回りではなく、
        街の中を突っ切る最短距離のルートをとります。

その公園の桜(ソメイヨシノ)は3分咲き程度でした。
(熊本市内で早い木は7分咲き程度)

自宅が近くなった頃は日が暮れていました。


自宅から一番近いところにある公衆電話ボックスです。
街灯のあかりに桜の花が浮かび上がっていました。

     ※小学校の正門の横にあります。
      この小学校には1年生から4年生のときまで通いました。


  最近では公衆電話がめっきり少なくなりました(**)。

    ** : 公衆電話台数の推移(全国)

         1985年(昭和60年)度末 約91万台
         2000年(平成12年)度末 約71万台
         2006年(平成18年)度末 約36万台
         2013年(平成25年)度末 約20万台

    「公衆電話が少なくて困る」という意見などを投書欄などで見ることがあります。

    しかし、このグリーン公衆も、使用している人を見たことがありません。
    一人当たりに均したら、”困ったとき”というのは1年に1回もないかもしれません。

    無いと困る方(困るとき)があるかとは思いますが、
    不採算(?)の役務提供で、NTT西日本さんにとってはお荷物なのかもしれません。


  送受話器を持たれることがほとんどないであろうこの公衆電話機は
  人恋しそうに佇んでいました。

慰めてあげようとでもするかのように、
公衆電話ボックスまで桜の枝が伸びてきています。


ずっと昔には、この場所に名桜として有名な「千原桜(チハラザクラ)」(***)の
原木がありました。

     *** : 「千原桜」については
         熊本市立千原台高等学校のWebサイトにある次の説明文を引用させて
         いただきます。

          熊本城の近くにある行幸(みゆき)橋のたもとに鎮座している清正公の
          銅像の横に咲く桜の名前をご存じですか?
          この桜は「千原桜(ちはらざくら)」という名前で、ヤマザクラという
          桜の変種です。島崎の千原台に原木があったことからこの名前が付きました。
          この原木は残念ながら、大正14(1925)年に道路拡張のため伐採されて
          しまいました。千原桜保存会会長の岩村さんのお話によるとその時には
          なんと樹齢は推定300年といわれており、大人二人でやっと手がまわるくらい
          大きな幹周りだったそうです。
          伐採されてしまった今は、城西小学校の正門付近に標木と石碑が建てられて
          います。
          千原桜は、ソメイヨシノより花弁が大きく純白で、一枝に一重と八重が咲き、
          とても綺麗なのが特徴です。千原桜の見ごろは、4月の上旬あたりが一番の
          見ごろです。
          この千原桜、今は城西小学校で見られるほか、保存会の方々の努力で市内の
          あちらこちらで見ることができます。熊本市内で千原桜がたくさん見られる
          オススメスポットは、熊本城、城西小学校、千原台高校、花岡山、小萩園、
          二の丸公園、島崎二丁目公園などです。
          皆さんも、ソメイヨシノより少し遅めに咲き始める千原桜、
          見つけてみませんか?


そう多くはないと思いますが国内にある全ての千原桜のルーツは
ここにあった原木です。

  実はウチの家庭菜園があるところにも千原桜の木が1本あります。
  亡き父が千原桜保存会の方から苗をいただいて植えたものです。

  今では幹径30センチ以上の大木に育っています。

  まだ蕾のようですが満開になったら
  是非その美しい姿を見ていただきたいと思っています。

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