遊民翁の”散策と絵”

”旅や散策”と”撮った写真をもとに描いた風景画”の紹介。

旧東海道”戸塚宿”から大船方向へ散策(2023/3/30)

2023-03-31 08:43:43 | 旅・散策
 前回(2023/3/9)に引き続き”旧東海道戸塚宿”を散策。出発は”JR戸塚駅”。道案内にGoogleマップを利用しているが、駅前の道路が複雑でウロウロ。やっと、たどり着いた”清源院”。
<<清源院>>
 旧東海道から少し離れた丘の上のお寺で、徳川家康の側室”お万の方”が、家康の死後、尼となり”清源院”と名乗りこの寺に入ったとのこと。


 この後、旧東海道を京都方向に戸塚宿を散策。
<<内田本陣跡・澤邉本陣跡>>
 戸塚郵便局辺りが内田本陣跡らしいのだが痕跡は見つからなかった。更に東海道を登ると右手に、戸塚宿開設に尽力した澤邉家による「澤邉本陣跡」。さらにその先に、澤邉家代々。旅の途中でこの地で没した藩士・文人の墓のあるという海蔵寺。


<<八坂神社>>
 この神社で毎年7月に行われる”お札まき”は横浜市の指定無形文化財。お札まきは、女装し島田髷の男子が唄をうたいながら五色札をうちわで舞わせるもので、御霊信仰の厄除け行事とのこと。神社の入り口左てには、国土地理院の水準点があった。




<<富塚八幡宮>>
 さらに進むと、右手に”富塚八幡宮”。急階段を登った先に本殿。更に背後の丘は、5C後半の古墳(前歩後円墳?)とのこと。登り口と思われる道が閉じられ、他の登り口も見つからず今回は登ることを断念。


<<上方見附跡>>
 ”大坂下バス停”傍に”上方見附跡”の表示。後で知ったのだが詳細な掲示は道路の反対側にあったようだ。


 この後、戸塚宿から藤沢宿に続く東海道は”大坂”から、横浜新道へ。可成りきつい登りの大坂は、江戸時代にはもっと、一番坂、二番坂と続く急坂だったようだ。登り切った場所は松並木で、富士山もよく見えたとのことだが、この日、富士は拝めず。坂途中に、庚申塔群。


 交通量の多い横浜新道沿いに、「お軽勘平戸塚山中道行の場の碑」。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の「戸塚山中道行の場」の場面の舞台とのこと。更に、横浜新道を進むと右手に浅間神社。この近くに、原宿の一里塚跡の表示があるはずだが、道路の両側とも工事中で取り外されていたようだ。


 浅間神社を参詣の後、横浜新道から離れ、大船方向に進み、「田谷の洞窟」のある定泉寺へ。
<<田谷の洞窟:定泉寺>>
 定泉寺は比較的境内の狭い寺で、本堂右手に”田谷の洞窟”の入り口。全長1㎞の洞窟で、観音霊場・両界曼荼羅諸尊・十八羅漢等の多くの仏が刻まれているとのことだが、閉所恐怖症気味なので、洞窟内の散策は中止。



 この後、定泉寺前の”洞窟バス停”から、バスで大船駅へ。駅ビルで遅めの昼食で、この日の散策は終了。

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