柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

震災前・震災後

2020年01月20日 06時20分00秒 | 日記
震災前は、周期的に調子が悪くなり、
精神科に通院し、薬を処方してもらっていました。

震災後、やめました。
自分でなんとかしよう、なんとかするしかない、と決めました。
なぜ、そう決めたのかについては、わたしの行動と直結しているので、昨年出版した『沈黙の作法』、2月に出版する『南相馬メドレー』を読んでください。

昨年の12月から調子が悪く、 
でも、震災後ひとりで薬に頼らずやってきたので、薬をのむことには強い抵抗があり、なかなか精神科には行く踏ん切りがつきませんでした。
それで、一時的だ、眠れればいいんだから、と自分に言い聞かせて、
(これはしてはいけないことですが)津波で家族を失い、眠れない友人から睡眠薬を分けてもらってのんでいたのですが、
これが、どうしても眠れない。

年明けから具合がさらに悪くなりました。
つまり、全く眠れなくなった。
幻覚や幻聴もひどくなった。

先日、思い切って、市内の精神科に行きました。
(大船渡の医師の友人、岩渕さん、せっかくご紹介いただいたのですが、今の精神状態で福島市まで行くのはなかなかハードルが高いです。落ち着いたら、先生にメールをして行ってみます)

相談内容と、診断内容は、言いません。

が、その診断内容と、処方薬の種類(なんの病気に処方されるのか)と副作用に抵抗があり、なかなか服用することが出来ませんでした。

でも、あまりにも辛いので、のみました。

5時間眠れた。





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夜ですね。

2020年01月19日 22時49分00秒 | 日記
忌野清志郎・甲本ヒロトがいっしょに歌った「REMEMBER YOU」(作詞作曲は、清志郎)を繰り返し聴いている。

わたしは、清志郎の「完全復活祭」にも、2009年5月9日の葬儀「青山ロックン・ロール・ショー 」にも行っている。
ヒロトの弔辞も聴いた。

その年の7月25日のフジロックで、ヒロトが一人で歌った「REMEMBER YOU」は、聴くのがつらいほど悲しい。






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朝ですね。

2020年01月19日 08時30分00秒 | 日記
眠れなかった布団の中で、
YUKIの『うれしくって抱き合うよ』の中の「汽車に乗って」と「同じ手」を聴いていた。

YUKIが2歳になる前の男の子を突然死で失った後の曲で、わたしは掛け替えのない存在の喪失の歌として聴いています。








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訃報

2020年01月16日 08時38分00秒 | 日記
実はね、
一昨日、由紀夫に海を見せてやった、
南相馬市鹿島区八沢地区の観音像の前で、
扶桑社の田中陽子さんからのメールが届いた。

坪内祐三さんの訃報だった。

由紀夫の骨壺を抱いたまま凍りついた。

いまはもうない、『en-taxi』(エンタクシー)は、福田和也さん、坪内祐三さん、リリー・フランキーさん、わたしの4人の責任編集で、扶桑社編集者の壹岐真也さんと田中陽子さんと共に、2003年に創刊した季刊誌だ。

編集会議のために4人で集まって、六本木や新宿や銀座で、食べ、呑み、話しまくった夜が懐かしい。
福田和也さんが美食美酒に拘り抜いた人だったから、編集会議は超高い店ばかりだった。
あ、でも、4人の顔合わせの日は六本木のラ・ゴーラだったし、ほとんど入り浸っていたな、ラ・ゴーラに。で、閉店後に澤口知之シェフを待って、銀座に呑みに行くというコース。

澤口さん、瞬間湯沸器とか無頼派シェフとか言われてたけど(わたしもそんな感じの作家に思われてた)、いつも心の機微に触れる繊細な料理を出してくれた。特に、東由多加が死んだ後や、サイン会中止事件の日は、メニューを開こうとすると、「今日は、澤口さんが、」と言われて、澤口さんは出てこなかったけど、食べながら、励ましや労りを超えたわたしの痛苦への共震みたいなものを受け取った。だから、ひとりでも行けた唯一のレストランだった。
編集者との打ち合わせとか、本が出た打ち上げとか、わたしの誕生日会とかもラ・ゴーラだったな。
(偶然店内で遭った田中康夫には、翌週の週刊誌連載に、料理は素晴らしいけど、柳美里が通っている客筋の悪い店とか書かれたけど。その場では、田中康夫の方から名刺を渡してきた癖に)

盟友、福田和也と澤口さんの関係は、また違ったと思うけどね。

澤口さんは、2017年9月18日に59歳でこの世を去ってしまった。


わたしは、19号でエンタクシーの編集同人を降りたけれど、巷で言われているような坪内さんとの確執ではなかった。

編集同人降板から2年後の2009年12月16日、上野公園の「鰻割烹 伊豆栄 梅川亭」で「談志噺を聴く会」が催された。
席亭は嵐山光三郎さんだった。

みんな、立川談志という落語会を畏怖して前のほうに座りたがらず、前3列だけ空く、という奇妙な事態になって、嵐山さんが直前に、だれか前に座ってください、とおっしゃったので、講談社の藤田康雄さんとわたしが最前列の真ん中に座った。

家元の友人知人のみの80人くらい、鰻屋二階の座敷で「金玉医者」と「芝浜」を聴いた。

終演後に鰻を食べる段になって、坪内さんの姿を見つけてうれしくなって、わたしは坪内さんの向かいの席に座ったっけ。

思い出は書き切れない。

お通夜にも告別式にも、参列する。

坪内さん、どうして、死んじゃったかな……




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猫の鳴き声が聴こえない朝

2020年01月16日 06時50分00秒 | 日記
何故だろう、
他の猫たちも、起こしに来なくなった。

あのニャーニャーカリカリ(障子戸や襖を引っ掻く音)は、由紀夫が先導していたのか……

眠り方がわからず寝返りを打ちつづける夜と、
また眠れなかった、と天井を見上げる朝と、
どちらが、よりつらいんだろう?

夜も朝も、同じくらいつらい。

全身脂汗。


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眠りについて

2020年01月16日 05時38分00秒 | 日記
以前は、どうやって眠ってたんだっけ?

いったい、どうしたら、眠れるんだろう?と、毎夜考えている。

走ったりは、してるんですよ。

体を極限まで疲れさせれば、眠れるんじゃないかと思って……

体がいくら疲れても、眠りは訪れない。

目を開けている時間が長いから、眼球が乾き、目の下にくまができてる。

ひとに会いたくない顔をしてる。





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感情がショートして、

2020年01月16日 05時23分00秒 | 日記
不眠が……

2時に寝て、3時に起き……

3時半に寝て、4時に起き……

もうずっと眠れない、という感じ。

紹介していただいた精神科医はいるのですが、
まだメールできていません。

せっかくご紹介いただいたのに、ごめんなさい。

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昨日の出来事

2020年01月15日 21時09分00秒 | 日記
昨日はずっと泣いていて、
今朝まで眠れず、
ブログを更新できませんでした。

由紀夫に供花を送ってくださった村山由佳さん、ありがとうございます。

そして、供花を持って我が家に駆けつけてくれた、たいせいさん、ありがとう。
たいせいさんは、3年前に由紀夫がうちからいなくなった時、徹夜で街中、由紀夫の名を呼びながら捜し回ってくれたよね。
今回も、相馬のペットメモリアルランドに到着した途端に泣いて泣いて、焼き上がった後もなかなか骨になった由紀夫に近づけなかったわたしの代わりに骨を骨壺に納めてくれた。

由紀夫の骨を拾いながら、東日本大震災の大津波で亡くなられたお兄さん夫妻の遺骨、一昨年の夏に先天性の心臓病で亡くなった10歳のKくん(お兄さん夫妻の息子)の遺骨、震災後に亡くなった3びきの猫の遺骨のことを思い出しているのではないかと思って……

わたしも骨になった由紀夫に近づいて、一つ一つ箸でつまんで骨壺に入れながら、わたしのもとから旅立った猫たちや犬たちのことや、東由多加のことを思い出し、喪失と悲しみがいっしょくたになって、また嗚咽が止まらなくなった。

帰りに、由紀夫に初めての海を見せてやりたくて、南相馬市鹿島区八沢地区の慰霊の観音像がある高台へと向かった。

観音像は震災前に避難場所に指定された高台から海を臨む場所に建立されている。
でも、高台に避難していた方々を含めて、八沢地区だけで65人の方々が亡くなられた。

由紀夫に海を……















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由紀夫と家を出ます。

2020年01月14日 09時16分00秒 | 日記
ほんとうに臆病で、
ドアが開いてても外に出なかった由紀夫を、
外に運び出しました。

由紀夫は黙っていました。

涙しか出ない。

小高から相馬へ向かいます。






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いくら呼んでも……

2020年01月14日 08時16分00秒 | 日記
由紀夫……

由紀夫くん……

ゆっきちゃん……

いくら呼んでも耳が動かない。






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