
この小説を構想しはじめたのは、12年前のことです。
2006年に、ホームレスの方々のあいだで「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材を行いました。
「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施1週間前、2日前の時もあるということで、東京在住の友人に頼んで上野公園に通ってもらい、貼り紙の情報を送ってもらいました。
上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前7時から、公園に戻る5時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。
真冬の激しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。
「山狩り」の取材は、3回行いました。
彼らと話をして歩き、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多い、ということを知りました。彼らの話に相槌を打ったり質問をしたりしていると――、70代の男性が、わたしとのあいだの空間に、両手で三角と直線を描きました。
「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われました。
彼が描いたのは、屋根と壁――、家でした。
その後、8年の歳月が過ぎ、わたしはこの作品のことを気に掛けながら、5冊の小説と2冊のノンフィクションと2冊の対談集を出版しました。
2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
3月12日に東京電力福島第一原子力発電所1号機が水素爆発、14日に3号機が水素爆発、15日に4号機が爆発しました。
わたしは、原発から半径20キロ圏内の地域が「警戒区域」として閉ざされた4月22日の前日から原発周辺地域に通いはじめました。
2012年3月16日からは、福島県南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という30分番組のパーソナリティを務めています。
南相馬在住・南相馬出身・南相馬に縁がある「ふたり」と話をするという内容です。
2月7日現在で、第94回まで放送されたので、200人以上(ゲストが3人以上の時もあるので)の方々とお話をしたことになります。
放送とは別に、南相馬市内(主に鹿島区)にある仮設住宅の集会所を訪ね、お年寄りのお話を聞きに行くこともあります。
この地に原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった、という話を何度も耳にしました。
家を津波で流されたり、「警戒区域」内に家があるために避難生活を余儀なくされている方々の痛苦と、出稼ぎで郷里を離れているうちに帰るべき家を失くしてしまったホームレスの方々の痛苦がわたしの中で相対し、二者の痛苦を繋げる蝶番のような小説を書きたい、――と思いました。
それから、南相馬と鎌倉の自宅を往き来するあいだに、上野公園近くのホテルに泊まるようになりました。
上野公園は、わたしが最初に「山狩り」の取材をした2006年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられていました。
昨年、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました。
先日、東京五輪の経済効果が20兆円、120万人の雇用を生むと発表されました。宿泊・体育施設の建設や、道路などの基盤整備の前倒しが挙げられ、ハイビジョンTVなどの高性能電気機器の購入や、スポーツ用品の購入などで国民の貯蓄が消費に回され景気が上向きになるとも予想されています。
一方で、五輪特需が首都圏に集中し、資材高騰や人手不足で東北沿岸部の復旧・復興の遅れが深刻化するのではないかという懸念も報じられています。
オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います。
多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。
「感動」や「熱狂」の後先を――。
2014年2月7日