柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

柳美里の「ふたりとひとり」収録7本目

2013年02月15日 01時06分29秒 | 日記
左・松本寿枝(としえ)さん(34歳)。
震災前は小高区村上で暮らしていたが、津波で全壊。
現在は、原町の借り上げ住宅で暮らしている。
小学4年生と小学1年生の女の子のお母さん。

右・茂木美紀さん(38歳)。
生まれは小高だが、ご主人の仕事の都合で転居。
長男がいわきの小学校でいじめに遭ったこともあり、実家がある小高で子育てをした方が安心できる、と震災前日2011年3月10日に転居と転校の手続きをする。
小学4年生と小学1年生の男の子と、今年幼稚園にあがる女の子のお母さん。

お二人は、原町の道の駅から出発する(小高区の小学校には通えないので、鹿島区の仮設校舎に通っている)スクールバスを最後まで見送る母親として知り合い、言葉を交わすようになったということです。

お二人の詳しい「物語」は、南相馬ひばりFM・柳美里の「ふたりとひとり」を聴いてください。

収録後、高橋美加子さんから「原町時代のお祖父さんを知っているかもしれないひとが見つかった」と電話があったので、「北洋舎」に行き、
そのむかし朝鮮人(当時は「半島人」と呼ばれていた)がまとまって暮らしていた夜の森公園の、とある店に行き、
80歳を越える女性に話を聞きました。

祖父が、日本で初めて暮らした地が原町だということが、最近わかったのです。

背が高い男、靴をつくれる、小さな奥さんを連れて、男の子がいた。
やな、なんとかと名乗っていた。

わたしの祖父は身長180センチ、長距離ランナーでありながら、靴屋を営んで生計をたてていた。
朝鮮に残した家庭とは別に、日本人女性との間に男の子がいた。
本名は「梁(ヤン)」だが、「やながわ」と名乗っていたかもしれない。

確証は持てないけれども、祖父かもしれない、という気もします。

祖父だとしたら、夜の森公園下の、とあるお宅の二階を間借りして暮らしていたそうですが、
その方は、直接口をきいたことはないし、詳しいことはわからない、とおっしゃっていました。

たぶん、これ以上はわからないし、それでいいとも思います。

この地で、日本人社会に溶け込んでいる同胞たちの暮らしに波風を立てたくないという思いが強いからです。

在日韓国・朝鮮人の子孫だということを知られたくないひとも多いでしょう。

それぞれに事情があるだろうし……
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