母が暮らす鎌倉の家に、わたしが訪ねることはない。
母と電話で話すこともない。
手紙のやりとりもしない。
でも、今年20歳になったわたしの息子は、ときどき祖母(わたしの母)の家に泊まりに行く。
そして、毎年冬になると、
「これを、お姉さんに渡して」
とバーバから手編みのセーターを一枚受け取り、
わたしが暮らす南相馬に持ってくる。
「お姉さんは、こういう色が似合うのよ、ってバーバが言ってたよ」と。
その日から、わたしは母の手編みのセーターを着る。
毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日……
母には、御礼の手紙のようなものは書かないし、メールもしないし、電話もしない。
でも、母の手編みのセーターは着つづけている。
今年はグレーの横縞が入っている白いセーター。
このセーターを、昨年のクリスマスイブからずっと着ている。
不思議な関係だと思う。
いっしょに暮らしていた頃は、ママ、と呼んでいた。
わたしは長女だから、お姉さん、と呼ばれていた。
中2の春……
わたしは学校に通うことができなくなった。
いま振り返ると、
赤ちゃん返りのような現象だったと思うのだが、
座っている母の背中に抱きついたり、膝の上に仰向けになったりして、ベタベタするのをやめられなかった。
その直後に、わたしは精神科に処方された薬をまとめのみして、最初の自殺未遂を起こした。
母が119番通報をして、救急外来で胃洗浄を受け、翌朝病院で目を覚ましたような気がするが、前後の記憶は、無い。
その頃、母に何度も、「あんたなんて産まなければよかった。あんたを殺して、わたしも死んでやる!」と言われた。
「ママなんて大嫌い!」と叫んだら、
「それは、ママ大好き!って言われたのと同じだからね」と、言い返された。
わたしのセーターを編んでいるとき、母はなにを考えているんだろう?
「お姉さんは、こういう色が似合うのよ」の、「お姉さん」は、いったい、いくつのわたしなんだろうか?