柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

母の手編みのセーター

2020年02月10日 23時20分00秒 | 日記
母が暮らす鎌倉の家に、わたしが訪ねることはない。

母と電話で話すこともない。

手紙のやりとりもしない。

でも、今年20歳になったわたしの息子は、ときどき祖母(わたしの母)の家に泊まりに行く。

そして、毎年冬になると、
「これを、お姉さんに渡して」
とバーバから手編みのセーターを一枚受け取り、
わたしが暮らす南相馬に持ってくる。

「お姉さんは、こういう色が似合うのよ、ってバーバが言ってたよ」と。

その日から、わたしは母の手編みのセーターを着る。

毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日……

母には、御礼の手紙のようなものは書かないし、メールもしないし、電話もしない。

でも、母の手編みのセーターは着つづけている。

今年はグレーの横縞が入っている白いセーター。

このセーターを、昨年のクリスマスイブからずっと着ている。

不思議な関係だと思う。

いっしょに暮らしていた頃は、ママ、と呼んでいた。
わたしは長女だから、お姉さん、と呼ばれていた。

中2の春……
わたしは学校に通うことができなくなった。
いま振り返ると、
赤ちゃん返りのような現象だったと思うのだが、
座っている母の背中に抱きついたり、膝の上に仰向けになったりして、ベタベタするのをやめられなかった。

その直後に、わたしは精神科に処方された薬をまとめのみして、最初の自殺未遂を起こした。
母が119番通報をして、救急外来で胃洗浄を受け、翌朝病院で目を覚ましたような気がするが、前後の記憶は、無い。

その頃、母に何度も、「あんたなんて産まなければよかった。あんたを殺して、わたしも死んでやる!」と言われた。

「ママなんて大嫌い!」と叫んだら、

「それは、ママ大好き!って言われたのと同じだからね」と、言い返された。

わたしのセーターを編んでいるとき、母はなにを考えているんだろう?

お姉さんは、こういう色が似合うのよ」の、「お姉さん」は、いったい、いくつのわたしなんだろうか?








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする