小説を書けていない……
缶詰中に台風に遭い……
(二本松市に滞在しているのですが、二本松市にも台風19号で避難勧告が出て、土砂崩れで2人が亡くなり、断水が続いているエリアもあります。二本松市に隣接している本宮市では阿武隈川と支流の安達太良川が氾濫して中心部一帯が浸水して、7人が亡くなりました)
精神的に厳しいなか、エッセイは4本書いて送った。
連載エッセイ1本、
来年単行本化されるエッセイ集『南相馬メドレー』のまえがきとあとがき、
フランス版、韓国版、イギリス版に続いて、近くアメリカ版が出版される『JR上野駅公園口』=『Tokyo Ueno Station』のあとがき、
です、書いたのは。
あとは、友人や知人に、「ある晴れた日に」のチラシを郵送する際に一言書き添えたり、公演案内のメールやメッセンジャーやTwitterのDMを送ったりーー。
でも、このままだと、缶詰になった意味がないので、22日、23日の2日間で小説を書き出します。
ホテルの部屋番号の512が東由多加の誕生日で、
到着した日の廊下に東がいちばん好きだったThe Cascades の「Rhythm Of The Rain / 悲しき雨音 」が流れていたから、東に「がんばれ」と言われている気がする。
https://m.youtube.com/watch?v=7wwECD9m9hI
外は雨……
現在のフルハウス
どちらも、途中です。
La MaMa ODAKAも、フルハウスも、「ある晴れた日に」が終わってから、「次」に向けて整備します。
そして、「次」のためにも、「ある晴れた日に」は満席にしないと。
台風19号の被害で、公演の宣伝を自粛していたのですが、今日から宣伝します。
席が空くのは、芝居にマイナスに作用するから。
悲しいから。
台風19号で、福島県内では30の河川が氾濫しました。
今なお、川内村でトンネル工事をしていた60代の作業員の方が行方不明で、捜索が行われています。
わたしが暮らす南相馬市小高区でも、小高交流センターで働く25歳の市職員が車ごと水に流され死亡しました。
同年代の親御さんが気の毒で、気がつくと泣いていて、何日か仕事が手につきませんでしたが、わたしはわたしのやるべきことを一つ一つていねいにやれるだけやらなければ、と仕事に復帰しました。
相馬地方(相馬市、新地町、南相馬市鹿島区)の断水が一部地域を除いて解消され、
35900戸が断水しているいわき市でも、浄水場復旧の目処が立った、ということも大きいです。
いわき市では、昨日21 日に平配水池への貯水を開始し、満水になり次第、今日から平地区→四倉地区→久之 浜・大久地区の順に通水作業を実施するということです。
(二本松市、矢祭町、飯舘村では、通水の日時がまだはっきりしない地域もあります)
今日から、台風20号、21号の影響で、南東北は再び雨に見舞われ、心配ではあるのですが、
青春五月党は「ある晴れた日に」を上演しなければなりません。
芝居の稽古は、台風の一日を休んだだけで、毎日行われています。
出演者の長谷川洋子さんはいわき市出身です。
制作の仙台ボクシーズにも相馬出身のスタッフがいます。
逆境中の逆境で、「ある晴れた日に」の幕は開きます。
けれど、わたしは、言葉が、言葉としての役割を最終的に問われるのは、不運や不幸に直面した時だと思うのです。
演劇における言葉は、その時、その場所で、目の前の一人一人に語り掛ける言葉です。
言葉は、言葉にならない沈黙によって支えられています。
その沈黙を、その場で伝えられるのが、演劇です。
演劇では、語らい合うことも出来るし、語り得ないことを真ん中において、黙り合うことも出来るのです。
わたしは、逆境の中で客席を用意して、あなたを待っています。
待つというのは、わたしの時間でもない、あなたの時間でもない、あなたとわたしの間に横たわる時間です。
「ある晴れた日に」は、待つという時間が、テーマでもあります。
ラストシーンで、悲しみが祈りと共に胸から飛び立てばいいな、と思っています。
悲しみに沈むのでも、悲しみに浸るのでもなく、悲しみを飛び立たせる。
悲しみを励まそうとしたり、悲しみに慰めや喜びを押し付けるのではなく、悲しみを悲しみのままの姿で飛び立たせ、みんなで見送りたいーー。
もう一つ、お伝えしたいことがあります。
「ある晴れた日に」は、小高の我が家の敷地内にあるLa MaMa ODAKAで幕を開けます。
La MaMa ODAKAは、小劇場ではありません。
資金繰りをクリアして、今後少しずつ設備を整えたいとは思っていますが、現時点では、倉庫です。
バラック、と言っても過言ではありません。
寒い、です。
ダウンジャケット、使い捨てカイロ、毛糸帽、マフラー、手袋、厚手の靴下など、万全の防寒装備でいらっしゃってください。
開演前までストーブをつけますが、音がうるさいため、上演中はストーブを消します。
上演時間は、1時間10分前後の予定です。
東京の、設備の整った劇場で、芝居を観る、だけが、観劇体験ではありません。
旅支度をして、小高、仙台、盛岡に向かうところから、劇は始まります。
道中目にする景色、耳にする声も、芝居の大切な要素だと、わたしは考えます。
芝居を観る、ということは、受け身の行為ではありません。
客の目の前で演じる俳優も、俳優の目の前で観る客も、等しく、同じ時、同じ場で、その役の体験を分かち持つ。
芝居の登場人物の体験は、俳優の体験になると同時に、観客の体験にもなるのです。
演劇は、客が観る、その眼差しがなければ、成立しない芸術です。
あなたの眼差しが、必要です。
「ある晴れた日に」を観に来てください。
きっと観に来てくれる、と信じて、小高で、盛岡で、仙台で、あなたを待っています。
http://gogatsutou.info/index.html