7月23日、今年で54回目となる国民平和大行進に参加してきました
国民平和大行進は、1958年、広島から東京まで1日も休まず行進したのがはじまり…。当時、広島を出発した数人の参加者は、東京に到着するときには1万人を超える大行進となり、ビル群からは紙ふぶきが舞ったとか…
そこから毎年、多くの方が参加し平和のバトンをつないできた平和行進…。今日、期日をきっての核兵器廃絶という国際世論にもつながる、被爆国日本の大事な伝統的ピースウォークです
出発地の砂川支所に到着すると、100名を超える参加者が!
今年は大震災・原発事故を受けてはじめての平和行進…。北海道から東北地方をずっと通しで歩いてこられた“通し行進者”の方のお話は衝撃的でした
●津波被害の海岸付近はいまだに通行不可能な場所が多く、平和行進のルートがとれなかった
●避難区域に指定されていない福島県・二本松市では、放射線量が高いという理由から平和行進ができず、集会を開催。子どもたちをどこに疎開させるか?が日常会話となっている…
「ヒロシマ・ナガサキに続き、フクシマという被爆地を生み出した原発は許されない」~ 被災地をずっと歩いてこられた実感のこもったお話は、深い決意と思いがこもったものでした
今回のコースは、砂川支所から立川相互病院まで、約5・5キロ。私も、平和行進の決意表明!さっそく行進を開始しました
砂川支所は、かつて基地拡張に反対した歴史的な砂川闘争がたたかわれた場所でもあります。「あそこが基地闘争参加者が座り込んだ団結通り」「あそこに記念碑が建っています」など、参加者から教えてもらいながらのパレードとなりました
それにいしても、パレードへの手ふりの多いこと、多いこと!車の中から、お店の中から、次々と手がふられます
汗まみれになりながら、歩くこと、約1時間半。コースの終点であり、国立への中継地点でもある立川相互病院では、スイカや飲み物も用意されていました。歩きとおしたあとのスイカ、おいしさは格別でした。