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日本共産党中央委員会・党建設委員会に勤務。時々、思うことをつづります。

阪神・淡路大震災から20年~支え合いの心、さらに広げて

2015年01月17日 18時58分40秒 | 日記
早いものです。あの阪神・淡路大震災から20年。
報道に接するたび、被災地の惨状と悲しみを、昨日のことのように思い出します。

当時、私は大学3年生。
現地から刻々と伝えられる報道の1つひとつに、衝撃を受けました。
当時、民青同盟の仲間だった学生のA君。
いてもたってもいられず、自ら警察に直談判し交通許可証を取得。
「すぐ支援に行こう」と提起してくれました。
震災から1週間後。
A君が用意した軽自動車に支援物資を積み込み、昼夜寝ずの交代で20時間かけ現地に向かいました。
空襲を受けたかのような長田区の焼野原。
その中を、思い出の品など探し歩く被災者の皆さん。
冷たい食べ物が当たり前の被災地で、暖かい炊き出しは喜ばれはしましたが…。
大事な命とともに生活が奪われた被災者の皆さんに、どう声をかけたらいいのか?
自分たちに何ができるのか?
その無力感。悔しさ。忘れることができません。

その後も広がる被災地ボランティア。
いつしか、支援に行った人たちの間で、
「政治の力で、被災者の生活応援を」
が、合言葉となっていきました。
被災地と全国で運動が広がり、政府も否定していた個人補償を認める流れが生まれ、不十分ながら、今日の東日本大震災の被災者支援にも生きています。

もう1つ、大きな流れになったのは、ボランティア活動が根付きはじめたこと。
阪神・淡路大震災は、それまで「社会参加に無関心」とされた若い世代を動かし、
多くの方々がボランティアに立ち上がりました。
2年後に起こった日本海重油流出事故では、阪神・淡路大震災の被災地からも若い人が支援に向かい、全国からのべ30万人と言われるボランティアが活動。
当時、大学院生だった私。現地支援を呼びかけたところ、研究室の教授や仲間からタオルなど多くの物資が寄せられ、本当に感動しました。
この流れは、東日本大震災含め、今も根付き、広がっているように感じます。
支え合ってこそ、助け合ってこそ。
そして、政治を変えてこそ。
震災はなくせなくても、政治の力、人の力で、人災はなくせる。
この広がりを、さらに、本格的なものに!
あの日から20年の今日、心から思います。

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