わあ。また、人がお亡くなりになられた。
自分が長く生きていると、人の死に出会う事の回数が増えていくのも当然かも知れない。日本は紛争地ではないので、目の前で亡くなっていく死の数はそれほどではないのかも知れないが、人が亡くなる事で「自分」の死を考える事が私にはよくある。
私が中高生の頃から、文学や芸能に興味を持っていくきっかけを作ってくれた媒体(メディア)を通じての人達が今年も多く亡くなられた。残念である。例えば、歌舞伎界。
私には、勘三郎よりは、「勘九郎」さんという名前の方がしっくりくるのだが、この人と「松島屋」さんは、僕を歌舞伎へといざなってくれた。大学生の時に「歌舞伎座」の立ち見で見た忠臣蔵が、テレビではなく、生の歌舞伎の初体験。
私は、金持ちでもないし、学識があるわけでもない。世間では、ゴルフ、オペラや歌舞伎というと「高尚」だ、とか価格が高いという理由で敬遠される方々がいらっしゃるようだが、(私にもその傾向がなかったとはいえないが、、、)それは、食わず嫌いでもったいないなぁと思っている。確かに南座も1等席とか25,000円もして、「タケーって」思う。我々庶民には数年に一度の観劇しか無理かも知れない。
人間の心はおもしろい。そのお金があれば、貯金しよう。服を買おう。いいものを食べよう。とか天秤に掛ける。そこまでして、見に行ったものの、踊りに興味がいないと、ついつい寝てしまうときもある。だが、
「人はパンのみにて生くるにあらず」(本来の意味からはずれるかも、、、)ではないが、実利的な事ばかりで人間は生き抜けるんだろうか?
戦国武将がなぜ「茶」にはまったのか。お金持ちは古美術品をなぜ蒐集したがるのか。私達が「カラオケ」を利用するのはなぜか。おっちゃん達はどうしてこの寒い中、青空将棋や囲碁に集まるのか。賭け事依存にどうしてはまってしまうのか。弱いタイガーズをどうして応援してしまうのか。などなど、
私には、井原西鶴に代表される上方(大坂)文芸の世界観。「銭が全てだっせ」という現実主義も面白く感じられ、その感覚で行くと、「高い金払うて歌舞伎でっか?あほらしい。なんの役にも立ちまへんでぇ」と言う声にも耳を傾けてしまうのです。
私は、もう若くないから、「買いたいものがあったら、今買おう」と言う感覚に舵を切ろうとしているのだが、逡巡している。(笑)
私は例によって、実に中途半端である。
いや、久しぶりに歌舞伎を体験しに行こうかなぁ。あー、仁左衛門の5段目、6段目味わいたいけど、猿之助や中車の襲名もナァ、、、。息子にみせるにゃ、川連法眼館の宙乗りか。芝居はいいですよねぇ。

よろしくお願いします。
お読み頂きましてありがとう存じます。