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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

僕は本当に頑張っているんだろうか

2016年07月27日 | 自分は何処へ旅しているのだろう?

この前、カウンセリングの勉強会で学んできたこと。

先の見えない不安にどう立ち向かうか。

色んな理論と実践があるのですが、帰宅してから録画してあったあるビデオを見て思いました。

「ここまで僕は頑張って生きてきたのだろうか?」「どうか親愛なる君よ。頑張ったよ、と言って欲しい」

色んな意味で、僕は本当に頑張って生きてきたのだろうか?実は大変疑問なのです。なぜでしょうね?理論は万とあります。人それぞれに実践も違います。僕は本当に頑張って生きてきたのだろうか?

そのビデオは、『プライベート ライアン』  スピルバーグの戦争映画。劇場公開時にみてはいるのですが。 

父も戦争に行っています。僕は行っていません。


僕は本当に頑張って生きてきたのだろうか?ひたすらこの問いかけが心に響く最近の日本国だと思っています。




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カリタスカウンセリング 96

2016年06月17日 | 自分は何処へ旅しているのだろう?



第九命題

環境との相互作用の結果として、とくに他人との評価的な相互作用の結果として、自己構造が--わたくしは、わたくしに(を)の特質や関係についての知覚の、体制化された流動的な、しかし首尾一貫している概念パターンがこれらの諸概念に結びつけられる諸価値とともに形成される。

私はよく「他人から良く思われようとしている」と言われる事がある。八方美人とも。
仕事でグループのリーダーになった時に、上司と部下の間に挟まったり、消費者との間に挟まったりする時、いい顔をするような傾向はある。

・その場を上手く収めたい
・自分が「嫌だなぁ」と感じる時間を出来るだけ短くするために状況を早く改善したいと思う。

他人にどう思われようと「平気」で御座いぃ。と思えないわけだ。だから、先を読む。
結構この思考パターンは負のストレスをため込みやすい。後悔と怒りがいつまでも収まらないわけだ。
皆さんはどうでしょうか。私は、でーんと構えて、周囲に迷惑をかけようが「吾関せず焉」と決め込みたいのだが無理なようだ。




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カリタスカウンセリング 95

2016年05月21日 | 自分は何処へ旅しているのだろう?
Rogers  第八命題

「全体的な知覚の場の一部は次第に自己(THE SELFISH)として分化されるようになる」


不幸でも幸福でも、悲劇や幸せも、ドカーンと感じたときに、う~ん、と感じているわけだが、最初からいちいち理屈立てて目の前の現象を捉えることは出来ない。しかし、自分の知覚や認識、認知能力というのは加齢、環境、遺伝などにより個人個人別々のものである。自分のアイデンティティーが確立されないとなかなか「知覚」した事が自己の統制下には置く事が出来ない。

また、体験や経験した事をコントロールできて初めて「主体性」が芽生えるのかも知れないので、結構難しいのだ。人間ものは取りようで、人から言われた事を悲観的に取るときもあればなんとも思わないときだってある。

私はよく他者から言われたひと言がずっしーんと腹の底に沈み込んで胸がおもたくなる時がある。これも個性だから仕方がないと思って納得しているのだが、この「納得」が自己意識なのかも知れない。

娘は今小学校の講師をしているのだが、そこのボスに「君本当になりたいものがあるんだったら他を当たってみては」と言われて、帰宅して泣いていた。積極性があるかないかは見ていれば分かるので、娘には感じられないのかも知れない。あるいは、敢えて来年の選考も近づいているので発破をかけてくれたのかも知れない。いずれも本人の受け取り方、つまり体験の解釈である。「クソー!」と思って発憤するのもよし、メソメソ泣いて引き下がるもよし、これは全て自分次第だ。






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カリタスカウンセリング 94

2016年04月25日 | 自分は何処へ旅しているのだろう?

Carl Rogers

第7命題

「行動を理解するために最も有利な観点は、その個人自身の内部的照合枠から得られるものである」

照合枠とは、
自己認知の枠組み
internal frame of reference
と言われるもので、各人の行動は各人それぞれの認知構造の下で理解されてゆくのかなと感じている。

鬱病を患っていたとき、自分が自分ではないような感じがしていた。それでも感情はあってその時なりの「悲しみ」、「楽しみ」(ほとんど無かったが)は認知されていたんだろうと思う。悲しい知らせをどう読み解いていたか。子ども達の成長をどう感じているかなんてその人の体験の解釈から来るわけで、他者と自分とは感じ方が全く違うのであろう。健全な精神状態の妻にとっては鬱病の私と向き合うのはさぞかし辛いことだったと容易に想像が可能だ。例えば、

ヒトラーにしても、自分の行動は自分としては正しいわけだ。多くの「思想」「信条」についても、宗教や支持政党なんかについても「自分」の照合枠でもって選び取って何らかのアクションを起こしている。

本人が自分の行動を理解するのは自分次第ということか。





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カリタスカウンセリング 93

2016年04月10日 | 自分は何処へ旅しているのだろう?

命題6

「情動は述べてきた目標指向的な行動を伴い、かつ一般的にはこのような目標指向的な行動を促進するものである。」
情動って何?

情動・・・怒り・恐怖・喜び・悲しみなどの感情のうち、一時的に激しくわき起こるもの。情緒。

私は「怒り」が特に影響を自分自身に与えてきた。自分の夢や目的は世の中のことや自分の生育歴への「怒り」という情動から怒っていた気がする。

タックスヘイブン なんて事は30年前から知っていたわけで、イギリスや米国の金融ネットワーク、今の株や郵貯なんて一体何だよってわけで。納税をせよ!と言っているもの達が納税逃れをしている。日本の財政も、「カネ」に関しては帝を初めとして真善美をはっきりしておく必要があって、そこにマスコミや正義を持った人々が切り込まなければ待機児童とかアベノミクスなんてばかばかしい事になるわけだ。

あながち「Carl・Marx」の経済理論は間違いとは言えない。

「情動の種類は行動の追究的様相が完成的様相に関連しており情動の強さは有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている」

若い頃は怒りが私の行動の源であったのは事実です。大学選び、学部選び職業選び、と。しかし、私にはあと少しの「勇気」が無かった。なので現状のような鳴かず飛ばずの人生なわけです。

今後は「喜び」を上位において残りの人生を送ろうと思っております。




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