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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

平成天皇 お言葉

2018年12月23日 | 第八章 魂と聖霊


平成天皇のお言葉


スピーチとして、実に感動的なお言葉であった。戦後人間宣言までしなくてはならなかった昭和天皇。今上陛下もタイの王室も英国女王陛下も『人間』だということを我々はまず念頭に置く必要がある。市民革命によって絶対王政と血みどろの権利闘争のあげく掴んだ民主主義思想ではないため、天皇も「人間」であるというところを意識しておかないと勘違いをする。どうして、この私と天皇と、人間としての日本における権利において相違があるのであろうか。幸か不幸か私は天皇家に生まれ落ちてはこなかった。また、婿入りもしていない。私には名字がある。こういった役回りの違いはもう「聖霊」の仕業としか思えない。いずれにせよ、本日のスピーチにいたく感動したのである。


平成が戦争の時代でなくてよかった。


平和惚けとか云う人達がいるが、平和で何がわるいのだろいうか?平和なんだから、傍目には「ボケーッ」としているように見えて当然である。


象徴天皇の責務


欧州王室のように、私有財産、また征服民の血税をもって、各国の王室とお付き合いをしてきたわけではないので、日本の過去の天皇は他の王制とは比較できないユニークな制度だ。中世より直接天皇が国家を統治したとは多くの歴史学者はいってはいない。そこに、戦後は国家、国民のシンボルという存在を憲法により担わされている。一個の人間として、大きな不条理に直面して、それを何とか咀嚼しつつここまで存留されてきたわけだ。そしてこれからも。


夫人へのねぎらい


この辺は日本流にやや男尊女卑のそしりは免れないが、夫人がスピーチできないのでまぁ、これからの課題となろう。こういった点も日本を象徴しているわけだ。


沖縄や戦争、そして移民やマイノリティへの視線


次代の天皇に引き継がれる課題でもある。人間は生きている限り、祭り、政治、経済から逃れられない。天皇家は、これからも保守的で普通の家族像が求められ続ける。これは実に窮屈な思いがついて回る。人間である限り、憎しみ、愛情、好き嫌い、快不快、といった感情の表出。自分の生き甲斐の追究。思想、信条の自由がついて回るはずである。本当に開かれた皇室になるのであれば、こういった本来の人間が持つ葛藤や孤独感、それの先に見えてくる希望と愛を持ちたいはずである。

どうか、上皇、美智子妃殿下には気持ち穏やかに老後をお過ごし願いたいものである。

お疲れ様でした。








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我々が背負っているもの

2018年06月11日 | 第八章 魂と聖霊


哀しいかなしい、虐待死のニュース。幼児が両親に虐待されると余計に感情に訴えるところが大きくてかなしく感じる。

しかし、つい100年前ぐらいまで、日本の寒村・貧困が襲う地方では、「間引き」が行われていたわけだ。人間のである。江戸時代までは公式に記録が残っている。これを残酷と片付けるのは浅はかであろう。であれば、このような虐待死、老人介護をめぐるもの、孤独死など殺人事件とは言えないまでも、悲劇と呼べる人間の負の歴史は何時までたっても絶えることがない。その命はそうなる運命だった。世の中が悪い。日本は駄目だ。さまざまな感想があるはずだ。ハッキリしているのはこうだ。

「株式市況が活況なら目をつぶる」とか、日本は神国だ、とか明らかな自己本位で近視眼的な視野に立つ限り、「排除」と「隠蔽」体質に浸ったままの発展性のない、ていたらくが待ち受けているだけだと感じる。

自分の母の痴呆症と戦い、自分がうつ病となり、医療機関や介護施設、また、数々の相談所なんかと関わりを持ってみると痛感するのは、何が悪で何が善かをしっかり弁えていない個々人があまりにも多いということだ。だから、善良なリーダーに付いていくことが出来ない。結果としてヒトラーのような邪悪なボスについてゆくという結末が待っているのが世の常のようである。

数々の神話や童話が語っているように「嘘」をついたり「真実を隠す」そして自分たちのグループ本位に立つ人々は滅びるということなのだが、なぜかそういう方向へと世の中は流れる。
一体我々はどうして贖罪の十字架を背負わされているのかよく考える必要があるようだ。自戒を込めて。






違反切符は国庫に入ります

2018年05月27日 | 第八章 魂と聖霊


またしても交通違反切符を切られてしまった。こんな善良な市民を。全く。
前の車について信号を通過。私の認識は黄色。前の車に続いて通過したんだから、、、。なぜか横に留まっていたパトカーが急にサイレン鳴らして僕だけ、、、
僕の後ろにも車がいたら絶対僕は助かっていたのだ、、、。「そのような仮定の話にはお答えできません」って感じ、、、。

国庫に9,000円も入れる。内閣府よ、ちゃんと使えよ!
今日の違反切符は納得がいかない。巨悪を見逃しすぎやで、、、。

これも、高速代をケチって国道で帰ろうとしたところ、初めて通った道でいきなり待ち伏せされていたわけです。ま、これも聖霊の導きとして「安全」に帰りなさいという高い通行料金。しかし、次の講習また、時間がかかるわぁ。

さて、私は気が小さいので職場でトイレに入ると、横に人が立つと暫く出ません。トイレが狭い場合は顕著です。でも駅やパチンコやなんかのトイレでは平気なんですがね。誰が横にいようと。不思議な現象です。自律神経なんでしょうか?

明日から仕事。実に重たい気分です。







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思考と直感

2018年05月19日 | 第八章 魂と聖霊

私は自分では論理的に物事を考えることが苦手だと認識している。
どちらかかというと、直感で行動する傾向があると思っている。しかし、うつ病になってからは一歩も二歩も引いて考えるようにはしている。もともと、決めるまでにはかなり思考を働かせて考えているが、最後まで詰め切れない性分が私にはある。詰め切れないから、もういいや。となるわけだ。

ヒトが恋に落ちる瞬間とか、何かを決断する瞬間とかは、意外に霊感のようなものに頼る傾向がある気がするが、如何であろうか。





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息吹を感じて

2018年04月10日 | 第八章 魂と聖霊


聖霊というとなんか堅苦しいのである。息吹というとどうだろうか。神様のイキ。多分神学的には不十分な解釈だと思うのだが私はそう解釈している。偉大なるぞんざい者の息吹が聖霊。

父と子と聖霊 三位一体 基督の復活

今は信仰ということをちょっと考えてみたい。私の妻は自分で「無宗教」だという。だからといって科学的なことを何でも正しいとは思ってはいないようだ。所謂ナチュラリストではない。やや神秘的なことを信じてはいるようだ。だが、
祈りということに関しては日頃からあまり大切にはしていない。この点が信仰を持っている人とそうではない人との違いなのかも知れない。私も絶えずというわけではないし、自分の利益のために祈ることも多い。だが、この祈りによって私たちは偉大なる存在者を感じることができると思う。

食べる前に、寝る前に、出かける前に、困難に立ち向かう前に、緊張しているときに、祈っていると偉大なる存在者がため息を私に送ってくれているかも知れない。



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