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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

連休最後の日

2013年05月06日 | 文学(古典)


 結局、外へ出て運動せずに、屋内で本を読んだりしている。

 久しぶりに、小学館古典シリーズ。『宇治拾遺物語』

 最初のごく一部。昔読んだものの、ほとんど忘れている。先日吉野へ行ったので、金峯山関連説話が楽しかった。説話は読みやすいし、結構下品なお笑い話もあって楽しい。古典落語などには多く取り込まれていると思われる。杓子定規にではなく、やんわりと理、道理を教えてくれているようだ。

 鎌倉期には、貴族達の手によって多く写本がなされていると思われる(また、私の独断と偏見であるが。本当は900年代に作られた話かも分からないが、後の世の貴族、僧侶達によって改作、増作が行われたはずである。失われたものもあるだろうし、逆に得られるものも多いであろう。

 説話は大変読みやすい。そして、面白い。古典に近づくにはこの『宇治拾遺物語』は本当に親しみやすい。

 宇治の別荘で源隆国が執筆したと考えると、「宇治」に行きたいなぁって思う。宇治金時も食べたい。

 散りぬるとも 香をだに残せ梅の花 恋しき時の思ひ出にせむ

 この和歌は宇治拾遺と関係ありません。僕がなんとなく好きなだけ(*^O^*)

平安期の女流作家

2013年01月24日 | 文学(古典)

感情で生き抜けるタイプの人は羨ましい。きっと僕が次に生まれ変われるのなら、女性がいいと思っているのは、その点かな。

『紫式部日記』『蜻蛉日記』等女性の日記を読むと、思った事を正直に書いている気がします。

さて、紫式部さんは、実に頭がいい女性だなぁ、と思います。赤染衛門や和泉式部を論評する筆致は心地良い。

清少納言に対しては、ちょっと辛辣かなぁと思うけれども…

清少納言さんは、無意識に明るいだけの女性のような気がします。自慢げな人だと誤解されるタイプですかね。

いろいろ想像しながら日本人の 心の 原型を感じ取る。古典の勉強の面白い所何ですがねー。

『あんたの話は難しい』と言われるのがつらいなぁ。

1000年前の文献が読める幸福を感じつつ、日本の女性たちの逞しさに敬服致します。



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センター古文は難しくないよ

2013年01月04日 | 文学(古典)
義太夫節の腹にずんずん来る響きが好きで、文楽をよく鑑賞します。

でも、最近は、能鑑賞の機会が増えました。日本人の原型が能の謡、舞、楽にはあると感じます。

今年は「自分は自分」と言い聞かせて、己のしたい事をしていきたいものです。
さて、センター試験も近づき、この客観性を測る国語問題もどうやって解けば満点が取れるか。

語彙を識っている。
自分の主張を出さない。
選択肢と本文箇所を幾度も照らし合わせる。

受験生の皆さん、寒いけど乗り切りましょう。

2問程度は外してもいいじゃないですか。

百人一首の西行さん

2012年12月16日 | 文学(古典)



「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる 我が涙かな」

ある学者先生に言わせると、この歌は『百人一首』の中では最も人気がないならしい。

嘆いている、やるせない心境を月のせいにしているわけだが、皆さんもそんな時がないだろうか。

私はよくやっている。

気分がふさぐのは、曇りのせいだ。

仕事に行きたくないのは、この寒さと雨のせいだ。

他人のせいにして、その場を乗り切るのも、実に大事なストレスマネジメントだと痛感している。

「投影」である。

で、和歌でも詠んで「知性化」「昇華」が出来るといいのだが、、、。

月を見ていると、「何か物思いを自分の心の中に」入れ込んでしまうという発想が東アジアにはあるらしい。



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西行桜

2012年12月15日 | 文学(古典)

私には、伝えられている 西行法師の事が大変よく心に響きます。

今年も、何回となく お能を楽しみましたが、印象深く残っているのが、『西行桜』です。

京都縦貫道が出来てしまいそうなのですが、西行庵があったという伝説の地。桜もありますよね。確か。近くには大原野神社(平安遷都時に藤原氏の氏寺:春日大社を移したもの)もあって、風情がある場所です。

洛西小塩山 花の寺 勝持寺。


さて、『西行桜』

花の時期に人が大勢やって来ます。西行は機嫌を悪くします。

「花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける」

桜をみようと群れつつ人がやって来る。(で、僕が邪魔される)そんなところだけが桜の罪ですよ。

群集心理といいますか、人は「同一化」をはかって誰かと一緒ならば、別の誰かの迷惑は顧みません。好き勝手な行動や勇ましい言動、少々派手でもスカッとさえすればよい。群集心理の中には危険が一杯です。古代ローマの昔から、いや恐らく人がアフリカを出発するときからこのテーマは普遍的なんでしょう。

くり返すんですが、、、。短いスカート長いスカート、トカネ、、、。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

人の事は言えませんが、、、。 

後半では、桜の精が出てきて、「桜はただそこに咲いているだけです。桜にはなんの罪もありませんよ」と西行に言うわけです。

人間はいろんな生育史を抱えて生きています。どんな倫理道徳で判定しても、その人が自分を正しいと感じていれば、その人は正しいので、、、。つまり、なぜ俺の邪魔をするんだ、あの桜の見物人どもは。で、桜の罪だよって結構持って回った理由付けのつもりでも桜はただそこに存在しているだけ。それは、周囲の解釈の問題だ。と桜の精に言われてしまうわけですよ。

どんな思想信条の違っている人間であっても、持っている「魂」は愛で、みんな平和に笑いあえるはずなのですがね。

人は変に「生き抜く知恵」を持ったつもりでいますから、「仮想敵」を作って「勝つ」事を生きる目的にしてしまう。ダーウィン進化論だけでは種は生き延びないらしいですよ。



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