シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

脱北した学生、「偽りの歴史」を悟る

2011年09月22日 23時12分21秒 | Weblog
(韓国大手新聞、朝鮮日報 11.9.18記事抜粋)
 「北朝鮮にいる時は、あの顔が世界で一番ハンサムな顔だと思っていましたよ。笑えるでしょう」
 9月6日、慶尚南道巨済市の捕虜収容所遺跡公園。北朝鮮を抜け出してきた青少年のための教育施設「ハヌルクム学校」の女子学生、ソン・クムジュさん(20)は、展示館に展示されていた故・金日成主席の肖像画を見て「2年前に北朝鮮から抜け出し、18年間信じてきたことが全てうそだったということが分かった。当時のむなしさときたら、言葉では到底説明できない」と話した。韓国戦争(朝鮮戦争)当時、巨済島の捕虜収容所には朝鮮人民軍15万人、中共軍2万人の捕虜が収容され、右翼・左翼による思想的葛藤で多くの若者が犠牲となった。ソンさんは「北朝鮮でもこの捕虜収容所を題材にしたドラマが放送されていたので、私たちもこの場所についてよく知っている。韓国が人民軍の捕虜を無慈悲に拷問し、搾取したという話を耳にたこができるくらい聞かされた」と語った。学生たちは金日成主席の肖像画を見ると「主席様の登場ですね」と冗談っぽく笑った。今回この地を訪れたのは、9月5日から3日間の日程で行われた「脱北青少年南道旅行」というイベントに参加した学生たちだ。全国8カ所の脱北者向け教育施設に通う脱北青少年180人が参加した。北朝鮮で、捏造された歴史について学んできた学生たちが、正しい歴史認識と安全保障観を抱けるように、巨済島の捕虜収容所遺跡の見学、海軍士官学校での兵営体験などの機会が与えられた。同行教諭は「学校で韓半島(朝鮮半島)の正しい歴史について教えると、北朝鮮出身の学生たちは初めショックを受ける。しかし、若くして韓国にやって来た学生たちは、北朝鮮が主張する“北侵説”(韓国戦争の時、先に韓国側が攻撃を加えたという説)が空論だということをすぐに悟るようになる」と話した。パクさん(20)は「北朝鮮では、“韓国戦争は先に南(韓国)が攻撃を仕掛けてきた戦争で、その後(北朝鮮が)すぐに反撃に出て3日でソウルを占領したが、これにソウル市民たちが万歳をして喜んだ”と学んだ」と説明した。学生たちは5、6日の2日間にわたり、慶尚南道昌原市の海軍士官学校で兵営生活を体験した。海軍士官学校の関係者は「北朝鮮を離れた学生たちを前に話をする際、韓国の一般人に説明するのと同じように、北朝鮮という言葉を“敵”という単語に置き換えて話していいのかどうか悩んだが、今ではそれが無駄な心配だったことが分かった」と話した。海軍士官学校の李仁浩は講堂で開かれた「士官生徒と脱北者の交流広場」で、脱北者向け教育施設「セネ学校」のパク・ヨンミョンさん(20)は「軍服を着た生徒と軍人を見て胸がドキドキしている」と話した。国軍兵士になることが夢というパクさんは、今回の兵営体験で入所者代表に選ばれた。海士2年生のチョン・ジェフンさんは、パクさんに「現在のところ北朝鮮出身の人たちは軍に服務できないが、法が改正されたら必ず入隊して素晴らしい軍人になってほしい」と胸の内を明かした。また、一行は7日、全羅南道宝城郡ポルギョ邑で干潟を見学した後、咸鏡北道の金東明(キム・ドンミョン)知事と面会した。同知事は韓国戦争当時、一番最初に38度線を突破し、北に収容されていた約10万人の人々を「興南撤収作戦」で避難させた英雄、金白一将軍の息子だ。イさん(18)は「金日成主席も将軍と呼ばれていたが、金白一将軍こそ“将軍”と呼ばれるにふさわしいお方のようだ」と話した。イベントを主催したMBCナヌムのチョ・ギュスン代表は「北朝鮮を脱出してきた青少年が、正しい歴史観を持ち、この国の本当の構成員になれるよう支援するために、今回の旅行を企画した」と、同イベントの目的について語った。


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