シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

韓国が対日批判の名分を失った5年前の「事件」【コラム】   

2015年03月17日 08時30分07秒 | Weblog
(投稿者注)
このようなまともな記事が書けるマスコミ人が増えれば良いのだが・・・。


荷物をまとめるだけでどっと力が抜けた。私の祖国は金基宗(キム・ギジョン)容疑者(55)が大暴れした国だった。このテロリストが何とかいう団体の「長」という肩書きを振りかざして「進歩系の人物」扱いされ、一部政治家が支援金まで渡していたという嘆かわしい国に、私は戻らなければならなかった。
 生まれてからずっと見てきた国なのに奇妙な気がした。「私が誇りに思う大韓民国はこんな国でしかなかったんだな」という実感、世界で一番しっくりこないのは事実だ。ドーバー海峡を離れ、大韓海峡(日本名:対馬海峡)に向かう飛行機の中で広げた新聞も、しばし忘れていた現実を激しいほどに吐き出していた。
 今もわれわれ韓国人の中にはテロリストを「烈士(信念を貫いた人)」「罪を憎んで人を憎まず」と擁護する勢力がある。「烈士の共和国」に戻る途中で冷笑を感じた。無表情な能面、その裏に隠された日本人たちのせせら笑いだ。
 日本人たちは「これぞまさに韓国のレベル」と哀れんでいるだろう。もし私が日本の新聞記者なら「白昼の刃傷沙汰」を「一部の韓国人は金基宗容疑者を『独立運動家』安重根(アン・ジュングン)や尹奉吉(ユン・ボンギル)と同列に扱っている」と皮肉っていたはずだ。
 こうした事実が知られれば、たちまち韓国の誇らしい対日抗戦史は色あせたものになってしまう。罪のない人々の首を切って殺害するイスラム過激派と同じレベルに転落する。なぜ韓国人は「克日」を叫び、損にしかならないことばかり引き継ぎ、やり続けるのだろうか。
 日本人たちは「韓国は日本人には無理だ」と、首を振っていることだろう。もし私が日本の新聞記者だったら「マーク・リッパート駐韓米国大使に刃物で切り付けた金基宗容疑者は、2010年に重家俊範・在韓日本大使にコンクリート片を投げ付けた人物だ。韓国の司法当局がこのとき、厳しく断罪していれば悲劇は起こらなかっただろう。しかし、韓国では当時…」と5年前にあった出来事を思い起こさせた上で、なぜ韓国の大統領が日本大使の見舞いはしないで、米国大使の所にだけ見舞いに行ったかについて弁明を要求すると思う。
こうした事実が再びクローズアップされたらその瞬間、韓国がこれまで日本に対し加えてきた圧力は名分を失う。果たして日本大使と米国大使のケースは何がどう違うというのか。不幸なのは、韓国社会はこのような「嘲弄(ちょうろう)」に対応する準備ができていないことだ。
 「日本はやられても当然」「過去の侵略も反省していないくせに…」と怒鳴り返す? それとも「日本大使と米国大使のケースは本質が違う」と反論する? どちらにしても、このようにあいまいな反撃が共感してもらえる所が、韓国内部以外にあると言えるだろうか。
 それでも韓国は5年前の事件について一言も言及せず、日本を訪問したメルケル独首相の発言の解釈に熱を上げている。その発言を全世界が韓国に味方し、日本を厳しく叱責(しっせき)する言葉だと受け取っているとしたら、勘違いも甚だしい。
 ちょうど300日間、英国に滞在して感じたのは、英仏・英独・独仏という三つの国の歴史は韓日関係よりもはるかに複雑で遺恨が深いということだ。しかし、この三つの国の国民たちが互いを「この野郎」「あの野郎」とさげすむところは見たことがない。
 それは、彼らが歴史を忘れてしまったからではない。相手を完全に許したわけでもない。三つの国の人々は「感情」よりも「理性」、「悪口」よりも「法律」、「対立」よりも「和解」の方が利益になるという事実を冷静に受け入れただけなのだ。それは現在の欧州連合(EU)を築く礎となった。
 天地がひっくり返らない限り、互いに顔を合わせずには生きていけないのが韓国と日本だ。大韓海峡が近づく帰国の途で、私は韓国人がもう少し利口に、そして「計算」して生きることができたなら…という希望を海に向かって投げた。
文甲植(ムン・ガプシク)先任記者
韓国大手新聞 朝鮮日報15年3月16日記事抜粋


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