シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

【コラム】成功する企業と失敗する企業

2011年12月26日 23時43分45秒 | Weblog
(韓国大手新聞、朝鮮日報 11.12.25記事抜粋)
 成功する企業と失敗する企業を見分けることは、それほど難しいことではない。本業に忠実ではなく、他の事業に手を出している企業は、その分、倒産する可能性が高い。特に最高経営者(CEO)やオーナーが長きにわたって培ってきた家業を投げやりにし、突然無謀な事業に巨額な投資をした場合には、必ず疑ってかかるべきだ。
 一点集中して成功したケースがベーカリーチェーン「パリバケット」で有名なSPCグループで、よそ見をして滅びたケースが100ウォン(約6.7円)のクリームパンで有名なサムリプ食品だ。もともとサムリプ食品の創業主は、長男にサムリプ食品を、次男にはシャニーの後を継がせた。当時、シャニーの売り上げはサムリプ食品の10分の1程度しかなかった。ところがサムリプ食品は、パン事業に代わる新たな成長エンジンとしてリゾート事業に巨額を投資し、結局3億ウォン(約2020万円)の手形を処理することができず、不渡りを出すことになった。一方、弟のホ・ヨンイン会長はパンを作ることだけに集中した。米国の経営学修士(MBA)への道をあきらめて、米国の製パン学校に入学。パンと菓子の製法について学んだ後、米国のパン屋に就職した。まさに下積みからの出発だった。帰国後、フランスパンからヒントを得て、パリクロワッサンとパリバケットを設立した。その後、ホ会長は太極堂と高麗堂が牛耳っていた韓国のパン市場に新たな旋風を巻き起こした。米国の製パン学校時代に親しかった人脈を通じて、ダンキンドーナツとバスキンロビンス(サーティーワンアイスクリーム)を韓国国内に取り入れたほか、パスクッチというコーヒーブランドも立ち上げた。
 ホ会長は、事務室の片隅に大きなテーブルを置き、系列会社が手掛けた数多くのパンを小さく切って食べることから1日をスタートする。海外出張する際は、必ず仁川空港にある系列会社の売り場を歩き回り、パンとコーヒーを購入する。そんなホ会長に対し、医師は「パンを食べ過ぎたら太る」と警告するが「パンを作る職人がパンを食べなければ、一体誰が食べるのか」と聞く耳を持たない。結局パンに没頭し続けたホ会長は、法廷管理下(日本の会社更生法に当たる)にあった親会社のサムリプ食品を買収した。
 企業であれ飲食店であれ、成功する方法はさほど変わらない。コムタン(牛肉や内臓などを煮込んだスープ)を専門としている店なら、コムタンのスープを作ることに誠心誠意を尽くすべきだ。コムタンの決め手は、スープの味と新鮮さだ。年に何度かたまたま絶品の料理を作るよりは、1年間を通じて常に同じ味を維持し続けることが成功の秘訣だ。特に商売がうまくいっているとの噂が流れ始めた時は要注意だ。コムタンの経営者としては、一刻も早く事業を拡大したい欲望に駆り立てられる。まずは、多くの地域に支店を出してフランチャイズ事業を展開する。料理の味と品質を管理するよりは、マーケティングと広報で勝負に出る。マーケティングが功を奏し、最初のうちは客足があったとしても、コンテンツのないマーケティングは所詮「砂上の楼閣」にすぎない。
 ソウル市江南区清潭洞には、シェフのオ・ユングォン氏が経営する「リストランテ・エオ」というイタリアン料理店がある。オ氏は無一文でイタリアに渡り、あらゆる苦労と下積み時代を耐え忍び、超一流の料理人と言われるまでになった。おかげでエオは、2週間前に予約しなければ入れないほどの人気を呼んだ。おいしいという噂を聞きつけ、その名声を利用しようとする人々が周囲に群がり始め、やがてピッコロ・エオ、オステリア・エオのように似通ったネーミングの飲食店が登場し始めた。ある店はオ氏が直接料理を手掛け、ある店では名前だけを貸した。しかし、顧客たちは名声に及ばない料理に飽き飽きした。これをきっかけに、オ氏は他の飲食店をすべて整理し、現在はリストランテ・エオの1店舗だけでより一層料理に励んでいる。
 今や競争が激しくなったことで、成功するのが非常に厳しい時代だ。しかし、自分が得意とする分野を探求し、誠心誠意を込めて投入するなら、成功への道はそう遠いものではない。そして、最も警戒すべきは、成功後にも決して驕(おご)ることなく、無理しない程度に自分のペースを維持し続けることだ。
金泳秀(キム・ヨンス)記事企画エディター





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