シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

【コラム】何のために会社を営むのか

2012年01月16日 21時02分13秒 | Weblog
(韓国大手新聞、朝鮮日報 12.1.13記事抜粋)
 2008年、韓国財界トップ10に入るある大企業に製品を納品していたA社の社長室には、会社を倒産の危機に追い込んだ製品が並んでいた。大企業の研究所が提供した金型の新技術で生産し、納品した製品だった。きらきらと光輝く表面の効果で、従来の製品より優れていたその製品は、韓国国内では何の問題もなかった。しかしアフリカ・中東などに輸出するや、問題が発生した。暑い地方に行ったところ、小さな気泡が発生したのだ。
 A社は、大企業が指示した工程通りに製品を生産し、納品しただけだった。大企業の研究所が直接確認作業を行ったが、彼らが指示した工程から外れた部分は全くなかった。しかし大企業は、不良が生じた原因を、自分たちが開発した新技術のせいではなく、A社の生産上の誤りだとして責任を転嫁し、40-50億ウォン(現在のレートで約2億7000万-3億4000万円)相当の不良品の在庫すべてをA社に押しつけた。A社の社長は激怒したが、激しく抗議して対立すれば会社が倒産の危機に追い込まれるどころか、本当に倒産してしまうため、どうすることもできずにいた。後日、その大企業の生産協力室がA社の事情を把握し、会社の最高経営陣に報告した。その後、大企業はA社に背負わせた不良品の在庫を半分に減らした。
 ここまでなら、「中小の納品業者と共に生き残ろうとせめてもの努力をする一大企業の物語」で終わっただろう。ところがその後も話は続いた。08年下半期のリーマンショックで、グローバル金融危機が押し寄せた。その直後の人事で、この大企業は、まず最初に生産協力室の組織をカットした。副社長1人と役員4人のうち、役員1人だけを残し、そのほかの社員は全員会社を去った。不況がやって来ると、納品業者の立場を社内に伝える生産協力室は「目の上のたんこぶ」のような存在だった。かつてA社に転嫁した責任を、半分とはいえ再び背負ってくれた最高経営層の決定も、実際は「共生のまねごと」でしかなかったことが明らかになった。
 韓国実業家精神の伝統は、時代や国家の課題を企業が背負う、というものだった。故・朴泰俊(パク・テジュン)ポスコ名誉会長は「必ず会社を成功させ、祖国近代化の牽引車になろう」という使命感と「製鉄報国」精神で浦項製鉄を創業し、率いてきた。サムスンの創業者、故イ・ビョンチョル会長も同じだった。イ会長は「第一製糖の創立から2年で、わたしは巨富の称号をもらった。一身の安楽のためには、それで十分だったろうが、蓄財を目的とするよりは、むしろ新生祖国に寄与できる新しい事業を模索していた。実業家は、国家に何が必要なのかを発展的に把握し、一つ一つ新しい企業を段階的に興していくとき、この上ない創造の喜びを持つ」と語った。いわゆる「事業報国」だ。
 大企業と中小納品業者の同伴成長が大きな話題となった一年がすぎた今、各企業は早くも不況の冷気に震えている。今年はさらに不況がひどくなるだろうと、各社が予想している。多くの大企業がそれぞれ打ち出してきた同伴成長案や社会貢献活動の真実性も、不況という試験台に上る。その時、実業家は、何のために会社を営んでいるのか自問してみてもよいだろう。生存と無限の拡張だけが最高の価値なのか。あるいは、企業を取り巻く国家と社会、その構成員と共に健康に成長することなのか。



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