シニア花井の韓国余話

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【コラム】朴槿恵政権の“北朝鮮対応”

2012年12月30日 10時05分06秒 | Weblog
韓国大手紙・中央日報12年12月27日記事抜粋
今回の韓国大統領選挙期間中、北朝鮮では数え切れないほど多くの論評、記者会見、声明、寄稿が見られた。 大統領選挙でイシューに浮上した西海(ソヘ、黄海)北方限界線(NLL)論争はもちろん、朴槿恵(パク・クネ)議員の外交安保統一公約や維新復活論争が主な対象だった。 韓国大統領選挙で北朝鮮が自分たちの“選挙運動”を行ったのだ。
選挙がある度に行われる北朝鮮の“選挙運動”が結果に及ぼす影響はほとんどないため、韓国国内のメディアはほとんど注目しない。 しかし今回はやや特異な例があった。12月1日に祖国平和統一委員会(祖平統)書記局が朴槿恵候補を相手に出した「公開質問状」だ。 参考に祖平統名義で出てくるものは、労働新聞などに掲載される各種論評とは違い、南北関係懸案に対する北朝鮮当局の公式立場を知らせる目的を帯びているのが普通だ。
朴槿恵候補が外交安保統一分野の政策公約を発表したのは11月5日だった。 「3大基調、7大政策課題」で提示された公約に対し、北朝鮮は3日後、「祖平統報道官記者問答」形式で「全面対決公約、戦争公約」と非難した。 その北朝鮮が約20日後、朴槿恵候補を相手に新たに「対北朝鮮政策基本立場」を質問したのだ。
「公開質問状」の内容は、北朝鮮が常に主張していることであり、特に注目を引く部分はない。 ただ、形式と時期はかなり計算されたものと考えられる。 北朝鮮も朴槿恵候補が当選する可能性が高いとみて、対北朝鮮政策の転換を促したのだ。 選挙の結果が出た後にするようなことを操り上げて実行したのだ。 選挙期間に北朝鮮がこうした態度を見せたのは初めてだ。 この点は、朴槿恵次期大統領の新政権に対し、北朝鮮が新たに関係設定を模索することを示唆する。
08年初めに始まった李明博(イ・ミョンバク)政権に対し、北朝鮮は早くから期待をたたんだ。李明博大統領の就任後、北朝鮮は李大統領に対して一度も発言しなかった。金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が保守的なハンナラ党政権に変わり、対北朝鮮政策がどう変わるか確信できなかったためだろう。 そして08年3月26日、合同参謀議長に内定した金泰栄(キム・テヨン)氏が国会人事聴聞会で、北朝鮮の核兵器に対する先制打撃の可能性に言及したのをきっかけに急変した。北朝鮮は4月1日から一日に何度も李大統領に対し、口にできないような暴言を浴びせた。南北交渉が行われる期間を除いてずっと続いた。
北朝鮮が大統領選挙投票日の前に朴槿恵候補に公開質問状を出したのは、李明博大統領政権との悪縁を繰り返したくはないという意図を表したものと、記者は推定する。公開質問状の質問にはすべて「私たちを刺激するな」というニュアンスが含まれていたからだ。こうした推定が正しければ、北朝鮮は今後の相当期間、朴槿恵次期大統領または大統領を相手にした発言を自制するだろう。もちろん08年の「核兵器先制打撃」発言のような突発事件がないことを前提にした話だ。
決して容易なことではない。北朝鮮が激しく反応する懸案のほとんどは、私たちが納得しがたいことだからだ。有事の際に軍事作戦の総括的責任を担う合同参謀議長内定者が、議員の仮想状況に関する質問に答える過程で何気なく出てきた「核兵器先制打撃」発言が、南北関係に決定的な打撃を与えるとは、ほとんどの人が予想していなかった。あえて北朝鮮の立場を理解しようとすれば、「そうでなくとも保守政権に代わって泣きたいのに、先制打撃発言に一撃を食らった格好」とでも言えるだろうか。
朴槿恵議員の対北朝鮮政策公約の中に「韓半島信頼プロセスを通じて南北関係を正常化する」という内容がある。南北が政治・軍事、社会・経済の多方面で信頼と協力を築くことで葛藤を解決し、実質的な平和をもたらすという中長期政策だ。こうした信頼プロセスの最初のボタンを掛けることが決して簡単でないことは上の事例から分かる。「韓半島信頼プロセス」という長い過程が順調に定着するために、「朴槿恵政権」が考慮するべきことは無数にある。北朝鮮の機嫌に合わせる必要はないが、意図せずに流れを断ち切ることがないよう、知恵が求められる。
                                         姜英鎭(カン・ヨンジン)論説委員




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