シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

金賢姫元死刑囚「隠れて静かに生きたかった」

2011年08月20日 20時34分52秒 | Weblog
(韓国大手新聞、朝鮮日報 11.8.19記事抜粋)
 最初に会ったとき「ここまでどうやって来たのか」と声を掛けたところ、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚は「そんなことを尋ねてはだめ」と事務的に答えた。話をするほど、金元死刑囚はかたいという印象を受けた。
 そこで、こんな冗談を言ってみた。
●一緒に暮らしていたら、ご主人は言いなりだろう。
 「夫は慶尚道出身で、ときどき大声を上げることがある。私は静かに話をするタイプだ」
 金元死刑囚は、自分を「偽者」に仕立てようとした前政権下で直面したことを語るとき、感情の抑制がうまくできなかった。声が上ずり、涙を見せたりもした。
●ストレスを感じたら、どうやって解消するのか。
「洗濯をして…」
●外部での活動は特になく、家では主に何をしているのか。
 「新聞を最初から最後まで細かく読む。読書をすることもある。少し前にジョージ・オーウェルの『1984』を読んだ。私は北朝鮮を知っているので、この本が一層リアルに感じた」
 金元死刑囚は、国家安全企画部(安企部、現在の国家情報院)で取り調べを受けたとき、自分に日本語を教えた「李恩恵(リ・ウネ)」について詳しく話した。これを基に、日本の警察はモンタージュを作り、金元死刑囚に写真で確認を取った末、李恩恵は1978年に2人の子どもを残して行方不明になった田口八重子さんだと発表した。金元死刑囚は2009年、田口さんの家族と面会した。また、昨年には日本を訪問。日本人化工作教育を受けたが、日本に行ったのはこのときが初めてだった。
●故ファン・ジャンヨプ氏(元労働党書記)と会ったことはあるか。
 「盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の末期だったか、ファン・ジャンヨプ先生が私に会いたいと言って訪ねて来た。私が“偽者”にされ、国家情報院と戦っていたときだ。ファン先生は“うそには絶対に屈してはならず、闘争しなさい”とおっしゃった」
●隠れて生き続けるのか。
 「ざんげしながら、隠れて生きたかった。しかし、静かに生きる運命にはないようだ」
●韓国で24年間暮らしてきたのに、なまりが…。
 「年を取るほど、北朝鮮なまりがひどくなってきた」





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