シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

【コラム】韓国社会の責任意識と倫理観

2014年05月04日 14時00分28秒 | Weblog
韓国大手新聞 朝鮮日報14年5月1日記事抜粋
 国外に出れば「セウォル号沈没事故」のトラウマからしばし自由になれると思っていた。しかし帰国する飛行機に搭乗すると同時に、客室乗務員が韓国の新聞を手渡してきた。この新聞には、ある犠牲者の父親が「私は大丈夫。私がしっかりしないと…」とつらい思いで語っていたことを伝える残酷な記事が掲載されていた。泣きたくても泣けないこの父親のつらい心境を思ったとき、しばし目を閉じずにはいられなかった。
 事故関連のニュースは英国でもしつこいくらい報じられていた。『ザ・タイムズ』など英国の主要紙は1面で事故関連のニュースを詳しく報じていたし、BBCは全羅南道珍島と京畿道安山に特派員を派遣し、救出された高校生たちが苦しむ様子や、現場近くの彭木港で子どもたちの帰りを待つ親たちの事情やその言葉を詳しく伝えていた。100年前に旅客船「タイタニック号」が沈没したとき「女性と子どもが先」という救助の原則を徹底して貫いたのが英国だ。タイタニック号の船長と乗務員は乗客を救助するため、沈みゆく船内で最善を尽くし、最後は海に沈んでいった。この「紳士の国」の人たちは、乗客を放置して自分たちだけ救出された船長と乗務員の行動など到底理解できなかったことだろう。
 記者は今回取材のためスコットランドのエジンバラを訪れたが、ここは18世紀中盤まで「北欧のアテネ」と呼ばれたほど思想家による啓蒙運動や学問が盛んな土地柄だ。法律家や大学教授、牧師といった専門職が中心となったスコットランドの啓蒙運動は、米国の独立運動を率いたベンジャミン・フランクリンがこの地をわざわざ訪問するほど名高いものだった。エジンバラ城からホルリードハウス宮殿に至る道は「ロイヤル・マイル」と呼ばれ、『国富論』で有名なアダム・スミス、哲学者のデイヴィッド・ヒューム、牧師で数学者のヒュー・ブレアらが談笑しながら歩く姿を市民はよく目にしたという。ブレアが活動していたセント・ジャイルズ大聖堂の向かいにはヒュームの銅像があり、今なお当時の旺盛な知的エネルギーについてわれわれに語りかけてくれている。
 ヒュームの代表作『イングランド史』は18世紀に英国が世界文明の中心となった原動力を「市民階層の徳目」と喝破(かっぱ)した。共同体への献身の姿勢を持ち、礼節と教養を身に着けた市民が英国の発展を支えたというのがヒュームの見方だ。エジンバラ城やセント・ジャイルズ大聖堂、エジンバラ大学など市内の各所には、国のため戦争で犠牲となった指導者や市民の名前が刻まれた記念碑がある。これは欧米各国の主要な都市や教会、大学などでよくみられる光景だ。
 セウォル号沈没事故は、韓国社会の根幹を成すはずの職業倫理と公職意識がいかに脆弱(ぜいじゃく)なものであるかをまざまざと示した。「経済協力開発機構(OECD)加盟国」だとか「世界10位圏の経済大国」などの誇りも一瞬にして崩れた。今回の事故の代償は今後も何十倍、何百倍という形でわれわれに跳ね返って来るだろう。今後もし飛行機で、列車で、あるいは火災現場で同じような事故が発生すれば、子どもたちには「大人の言うことは聞かず、本能に従って勝手に逃げなさい」と教えなければならないのだろうか。この「信頼の欠如」は間違いなくより大きな犠牲を招く原因になる。
 ヒュームが英国市民社会の道徳心や教養に着目したように、徹底した責任意識と倫理観によって韓国社会を根本から作り直していかなければ、先進国の夢も民主主義の理想も全てが水の泡だ。このままでは第2、第3のセウォル号沈没事故がいつ起こるかわからないし、自分や家族の安全もいつ危険にさらされるか分からない。無責任な船長や強欲な船主、無能な政府を罵倒するだけでは何も解決しない。韓国社会の各所に根付いた「セウォル号の病弊」を見抜くことのできる知識人、すなわち「韓国のデイヴィッド・ヒューム」にぜひとも会いたいものだ。
金基鉄文化部次長



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