シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

伊良部・室伏…日本スポーツ“混血パワー”   

2012年01月24日 12時06分38秒 | Weblog
(韓国大手新聞、中央日報 12.1.20記事抜粋)
08年の日本プロ野球クライマックスシリーズで1試合に14奪三振、11年シーズンは18勝に276奪三振。背が高くバランスのとれた体格にエキゾチックな容貌、さらに球速が150キロといえば、誰のことか気になるはずだ。さらに名前が「ダルビッシュ有」なら、助っ人を連想するかもしれない。
イラン人の父と日本人の母の間に生まれたこの25歳の青年は、誰が見ても日本人らしくない。しかし彼は厳然たる日本人であり、日本野球のプライドだ。松坂大輔を超える威力的な直球と切れのある変化球に、野球ファンは歓呼と喝采を送る。何よりも猪突的な勝負欲から、日本人は失われつつある根性を見いだす。もしかすると彼の出身高校(東北高校)から、東北大地震の悪夢から抜け出せるという希望を見たのかもしれない。 変化を渇望する日本人にとって、ダルビッシュは適時に現れた時代のアイコンだった。彼を扱った漫画が多くの青少年に読まれているという点はこうした事実を間接的に伝えている。人と違った名前と容貌がむしろ変化と挑戦の象徴に変わるという逆接に、ダルビッシュのアイデンティティーがある。 しかし最初からダルビッシュが日本社会の主流にいたわけではない。大阪の多文化家庭で生まれ、東北高校を経て、日本ハムのマウンドに立つまで、彼にも過酷な通過儀礼があった。高校3年の時、喫煙している写真が雑誌に掲載されて停学処分を受け、卒業式にも出席できなかった。責任ある社会構成員になるためには個人の才能とは別に義務が伴うという痛恨の教訓を得た後、ダルビッシュは誰よりも多くの寄付と社会貢献をしている。日本は私たちが知っている通り閉鎖的な島国だ。しかし開放に消極的でもなく、排他的でもない。二律背反的に聞こえるが、開放と閉鎖の間には明確な原則がある。四面が開かれている地形らしく外には開放的だが、内部に到達するためには共有すべき過程を必ずたどらなければならない。 それがすなわち「和」だ。「和」は日本特有の共同体的価値を内面化することをいう。1998年のフランスワールドカップ(W杯)の呂比須ワグナー、ニューヨーク ・ヤンキースで活躍した投手の伊良部秀輝、2011年代大邱(テグ)世界陸上選手権のハンマー投げで金メダルを獲得した室伏広治もこうした過程を通った。特に、台湾出身の王貞治は日本プロ野球界で最も尊敬される人物の一人だ。王貞治は日本人より日本人らしいといわれる。日本人がダルビッシュに熱狂する理由も、まさにこの「日本人らしさ」だろう。 共同体の核心価値を分かち合えば、皮膚の色や容貌を越えてその価値の外延が拡張される。特にスポーツはこういう外延の拡張に有利だ。最近、帰化の意向を明らかにしたサッカー選手のラドンチチが太極マークを付けたからといて、大韓民国が、あるいは韓国サッカーがなくなったり損なわれたりするわけではない。グローバル化が時代の流れであるように、純血の民族に対する強調が時代錯誤的であることは否定できない。
しかしむやみに国籍を行き来することは警戒しなければならない。ショートトラックのアン・ヒョンスが惜しまれる理由もここにある。朴賛浩(パク・チャンホ)やパク・セリにあれほど熱狂したのも「韓国人らしさ」があったからだ。そして私たちが李大浩(イ・デホ)に期待するのも「朝鮮の4番打者」ではないのか。テキサス・レンジャーズと契約を終えたダルビッシュに期待する日本人の心情も、私たちが李大浩に抱く期待と違わないだろう。それがアイデンティティーであり、プライドだ。和而不流(和して流れず)!ダルビッシュはこうしたアフォリズムを伝えている。
                                 キム・ジョンヒョ博士(日本筑波大体育哲学専攻)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。