地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

「北国街道」(別名善光寺街道)二十一宿を歩く①

2010年04月21日 |   北国街道四人旅
歴史の街道歩き第2回目  
      信州追分宿より 北国街道を歩き始める!!

北国街道は、中山道と北陸道(北陸街道)を結ぶ街道で、信濃の追分宿から越後の高田宿まで約35里
(約140km)の道だ。加賀藩をはじめとする北陸諸藩の参勤交代の道であり、また、佐渡金山で産出した
金を運ぶ道としても重要視された街道である。
また、長野の善光寺参拝を目指す旅人が多かったことから善光寺街道の名もある。

北国街道の行程は、中山道の追分宿から分かれ、小諸宿、田中宿、海野(うんの)宿、上田宿、坂木宿、
戸倉(とぐら)宿、矢代宿、丹波島(たんばじま)宿、善光寺宿、新町(あらまち)宿、牟礼宿、古間宿、柏原
(かしわばら)宿、野尻宿を経て越後国に入り、関川宿を経て、高田宿で北陸道と連絡していた。

平成17年11月、中山道歩きの途中、追分の「分去れ」に立って、

   さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿

という道しるべ石を見た。
今回は右の道すなわち北国街道を歩こうということになった。
中山道の旅と同じように、また、素晴らしい旅を期待し、分去れ(わかされ)を出発した。



【第1日目】10-4-19 追分から小諸宿へ
分去れ


そば処 追分せんにて。結構美味かった。ビールも。

【追分宿】江戸時代、軽井沢宿、沓掛宿、追分宿は“浅間根腰の三宿”として知られた。なかでも追分宿
はもっともにぎわいを見せ、貞享年間には旅籠71、茶屋18を数えたという。

■朝9時過ぎ池袋発の高速バスは、予定より少し早く12時前に目的地の追分に到着した。列車で来るH
氏と追分宿郷土館にて待ち合わせ。歩くには丁度いい気温で気持ちよく歩きだした。中山道を歩いた時
にはなかった分去れ近くの「そば処せん」にて、ビールとそば。出発祝いを。


浅間山 2542m 日本百名山の一つ。
■2~3日前東京にも雪が降った日、こちらでは20cm位積もったらしい。41年ぶりの遅い雪。その時の雪か、
浅間山はいつもの年に比べ、雪が多く残っている。
 吹飛ばす石も浅間の野分かな(芭蕉)  
北国街道の道の標識、表示が無いので、大きく道を外れて歩いていたみたいだ。雄大な浅間山を右手に眺
めながら、のんびり畑の道をあるいた。2~3日前だったら寒くてこうは行かなかったろう。
それにしても小諸は遠かった。






揚羽屋(一ぜんめし)
■島崎藤村がよく利用したという小諸の揚羽屋(一ぜんめし)で夕食。「千曲川のスケッチ」に出てくる。
平日だからなのか客は我々だけだった。店の照明は少し薄暗く、それが何となくいい雰囲気でユックリできた。
一ぜんめし定食は、豆腐揚げ、揚げ出し豆腐、おから、コイのあらいが付いた。初日なので、少し豪勢にという
ことで馬刺しなども注文。名前は忘れたが辛口の地酒の熱燗も良かった。思ったより安く上がった。
身内でやっているという駅前のビジネスホテルも、値段の割には良かった。

【第2日目】10-4-20 小諸宿から布引観音を経由し、田中宿へ


山吹味噌 小諸出身の画家 小山敬三氏の実家とか。
■明け方雨がぱらついたが、上がったので「ホッ」。昨日教えてもらった駅前の喫茶店は、8時になっても開か
ないので、仕方なく立ち食いそば。駅から降りる大勢の高校生たちと北に向って歩き、北国街道に出る。






海応院
■院内は静かで、綺麗に清掃されていて気持ちが良かった。樹齢370年の「潜龍の松」が見事。
「コモロスミレ」はまだ咲いていなかった。




光岳寺




小諸宿本陣


大手門(重文)




三の門(重文・懐古園入り口)

懐古園
・小諸城
木曽義仲の武将小室太郎光兼が現城址の東側に館を築いたのが起こり。大井光忠が小室氏の勢力を
抑えて鍋蓋(なべふた)城を築き、その子光為がさらに出城として乙女坂城、別名白鶴城(二の丸跡)を
構えたが、武田信玄の攻略により落城、信玄が山本勘助と馬場美濃守信房に命じて築城したのが、
現在の小諸城址で酔月城とも呼ばれている。
豊臣秀吉の時代から関が原の合戦後にかけて千石秀久が城主となり、その子忠政とともに小諸城と
小諸城下町を完成させた。
・三の門
・微古館
・藤村記念館


黒門橋



小諸なる古城のほとり  島崎藤村

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず 若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る

あたたかき光はあれど 野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む




【小山敬三美術館】


小山敬三画伯(小諸市出身)1972年に制作した「浅間山残雪」


■懐古園の中では、この美術館脇より見る風景が一番良かった。
展望台があるところは、藤村の時代には当然無かったであろうダムが、千曲川の景観を台無しにしていて、
「だいたいあのダムは何のために作ったんだろう」などと文句をいいたくなってしまう。


■北国街道をはずれ布引観音にお参り。厳しい坂を20分登らなくてはいけない。こちらからの道は、年配者は
無理ではないか。山の向こうは望月の駒の御牧ヶ原だということだ。










■厳しい坂を上りきったところに観音堂があった。ここからの風景は、今回の旅で一番だ。
【布引観音】
「牛にひかれて善光寺参り」の伝説の舞台となった寺としても有名


■現在の田中宿。電柱を埋設したので、空が広い。

■小雨の中の行軍で全員少々疲れ気味。予定を切り上げ今回はここまでとした。
しなの鉄道で軽井沢に戻り、バスで池袋へ。

第一回目の旅を終えて。
・歩いた距離
 1日目 24,613歩(17.23Km)
 2日目 31,696歩(22,19Km)

・想定外
 布引観音堂までの厳しい登り
 北国街道の道案内の無さ
 思った以上の歩きのきつさ 
 しょぼつく雨

・良かったこと、助かったこと
 小諸懐古園のほぼ満開のさくら、街道の桜、花々
 食事とお酒
 滋野駅近くの「道の駅」での食事と休憩

次回は5月23、24、25。新緑の信州路へ

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