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JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

思い出したように・・・

2010-12-29 17:00:46 | Weblog
前回「今年最後の更新」的な記事を書いておきながら、暇に任せて年内にまた更新する僕をお許し頂きたいと思いますw

昨夜は会社の忘年会でした。最後にやった抽選会で液晶TVが当たったりして、何だか幸運に恵まれた今年を象徴するかのような締めくくりだったと思います。

その後、先輩方を車に乗っけて(僕は一切呑んでませんw)夜の街に繰り出し、午前3時頃に宿に戻ってきました。というわけで、今日は寝不足です。

2010年は僕にとってかなり内容の濃い年でした。仕事は忙しくて肉体的には大変でしたが、そういう中でも不必要に周りに振り回される事なく、あくまで自分で状況をコントロールしながら物事をこなせたと思います。

別の言い方をすれば、今までの自分がいかに周りの目ばかりを気にしながら生きてきたのかを実感できた1年だったとも言えます。

己の中で「ちょっと自己主張し過ぎたかな?」とか「生意気だったかな?」と思える場面でも、周囲はそのことで必ずしも不快にはなっていないという状況が多々あり、そういう事が積み重なっていった事で、ある意味自信が付いてきた気がします。

勿論、入社して1年という立場だから大目に見てもらっているという所もあるのかもしれませんが。

というわけで、内容の濃かった今年も終わろうとしています。

来年はどんな年にしようか、明日からの旅行中で考えようと思っています。今流行のパワースポットを幾つか巡ってこようと思ってます。

今年も終わる

2010-12-17 13:20:01 | Weblog
早いもので今年もあと2週間足らず。会社のほうでも忘年会の話が出るなどしていて、すっかり年末だなと感じる今日この頃です。

今年も独身のまま年を越すことになり、そこには一抹の寂しさもあるわけですが、その他の私生活は割合に楽しかったので良しとしたいと思っています。

とはいっても僕は自分自身が典型的な「リア充」ではないということは理解しているつもりです。会社に行けば色々と良くしてくれる先輩や同僚がいるわけですが、家に帰ればまた独りです。

ただ、会社での自分のテンションで私生活でも周りの人と関われるかというと甚だ自信はありません。多分持たないと思います。素の自分というのは昔も今も変わらずネクラです。

ある本に「30過ぎて自己肯定できない人間は周りの人に迷惑をかける」という趣旨の事が書いてあって、なるほどと思いました。極端な話、そういう人間が今日茨城で起きた無差別殺傷事件を起こすんではないかと。

「人生を終わらせたかった」と犯人は述べているようですが、若干27歳でそんなこと言えるほどコイツが濃い人生を歩んできたのかは疑問です。この歳で「自己肯定」できなかったばっかりにやけっぱちになったとしか思えません。・・・勿論捜査はこれからなので何とも言えませんが。

振り返って己が自己肯定できているかと言うとまあ道半ばです。自己肯定とは単純に今の自分を好きになるという事なのではないかと勝手に理解しているんですが、こんな人間だけどまあ生きててもいいか、と思えているのでとりあえずは第一歩は踏み出せているかなと感じています。

来年もパッとしない年になるかもしれませんが、ボチボチ行くしかないと思ってます。

明日は前にも書いたように宝くじ買うために東京行です。早起きは辛いですが、久々に都の空気を吸ってきます。

良い意味での勘違い状態?

2010-12-09 03:24:07 | Weblog
最近、会社の先輩達から「みんなでお金を出すから宝くじを買ってきて」と頼まれました。その理由は「こーじーに頼めば当たりそうな気がするから」との事(笑)。

少し迷いましたが「多分、無駄金になりますよ」と念押しした上で引き受けました。今度、東京の当たりが良く出るという売り場に行ってくる予定です。

こんな事ではありますが誰かに頼りにされるというのは嬉しいものでもあります。確たる証拠はないのですが、JWを出た直後よりは人として少しはしっかりしてきたかなとも思います。

おかしなもので、組織内であれだけ色々な仕事を任されていたにも関わらず、僕にはそこから「責任感」というものは全くと言っていいほど育たなかった気がします。

少なくともJWにいた頃は、組織曰く「世俗の仕事」においては僕は全く使い物にならない存在でした。幸い勤めた会社で上の人に可愛がってもらったおかげで給料を貰っていた気がします。

今はその頃に比べれば人並みには仕事ができるようになったという自負があります。実際、会社の人にもそういう評価を貰っています。

そう考えると結局、JWというのは人間の成長には何の役にも立たないことばかり構成員にやらせていたんだなと思います。

こうしてまともな思考を持った人たちの中で少し認められるようになると、以前とは比べ物にならないほど自分に自尊心が芽生え、積極的になれたという気もします。

これもあの組織の中では味わえなかった感覚です。あれだけ寝る間も惜しんであくせくとJWにこき使われても一切といっていいほど自分に自信など持てなかった事とは雲泥の差です。

もちろんそこには多少は自信が持てたという「勘違い」があるのかもしれません。それでも今は、その勘違いしているかもしれない自分の状態を許容できる心の余裕が生まれてきたように思います(ちょっと変な言い回しですがw)。

この状態でこのまま生きていければすごく楽だろうからこのまま行けたらな、と密かに狙う今日この頃です。

焦り、のようなもの

2010-11-22 00:06:43 | Weblog
今の会社に入って、本当に沢山の人と出会い、これまでの人生の中で一番打ち解けた関係を築けていると実感している今日この頃。

30代前半という自分の年齢は、この会社の中ではダントツに若い部類に属するので、ある人は子供のように、またある人は孫のように扱ってくれてるみたいです。

逆に若い人たち(といっても数人しか居ないんですが)とはどうも上手くいかないと感じることがあります。これはJWの頃と同じで、あの頃もたとえば若い人同士で遊びに行くとか集まるとかいった行事は誘われてもほぼ全てパスしてました。だから若い人らの中では僕は非常に浮いた存在だったと思います。

その影響は学校にも及び、特に高校時代は酷いもので、たとえJWをやってなくても孤立していたと思います。だから僕は友達が作れない欠陥人間だと思ってました。

しかしこの年齢になると、それまでは諦めていた自分の性格を変えなければならないと焦りに似た感覚を覚えるようになってきました。いくら周囲の人は若いと言ってくれても、三十過ぎと言えば将来の事を嫌でも考えなければならない歳です。

このままの性格では、やがて独りぼっちになってしまう。

独りぼっちには慣れていた僕が今になってそういう感覚に襲われたのも、今の会社に入って人の暖かさに改めて触れ、それがいかに虚しく、人生を損していたかを実感したからだと思います。

うちの父を見ていてもその怖さを感じます。父もJWを辞めてからは会社と家の往復だけの生活で、僅かな親戚以外には関わる人間もおらず、休みはTVの前でいつの間にか眠るこけるばかり。おそらく葬式にも殆ど人は来ないでしょう。

別に葬儀が寂しくてもいいんですが、母が居なければこの人は多分ホームレス等になっていたのではないかと思います。僕は歳を取ってからそうはなりたくない。父に同情はしないけど、自分の将来の姿を見るようで悲しくなる事はあります。

何とか、もう少し自分が生きていて人生を少しは楽しんでいるという実感を持てれば思います。


それは寛容さじゃない

2010-10-06 04:37:36 | Weblog
先日テレビでアメリカの「アーミッシュ」と呼ばれる聖書の教えを厳格に守る人達の事をやっていまして。確かハリソン・フォードが出てた映画で彼らのコミュニティーの中で生活しているうちに未亡人と恋に落ちるみたいな内容のがあったので「ああ、あの人たちか」という感じで見ていました。

詳細な点は省きますが個人的に一番感銘を受けたのは「子供達は16歳になるとそのまま信仰を守るか一般社会に出て行くかの選択ができる」というシステムがあるという事です。

その決定の仕方というのが真に合理的(?)で、それまでコミュニティー内で聖書の教えを叩き込まれ、規則にがんじがらめにされていた子供達にいきなり酒や遊び等のあらゆる楽しみを一定期間与えた上で判断させるのだそうです。

ただその番組が言うには「子供達の9割は元の生活を選んでコミュニティーに戻る」と言っていました。でも裏を返せば1割の子供達は、その先に苦労はあるものの自由を得て社会に出て行く事ができるわけです。

今更願っても詮無い事ですが、もしJWにこのシステムがあったらどれだけ沢山の若者が精神疾患やその他のあらゆる苦しみから解放されるだろうなと思いました。まだあの中にいた頃、僕はそういう人達を何人も見てきました。

親のため、生活のため、やむを得ずJWに居つづけざるを得ないものの、傍から見ても心身共にボロボロな人達・・・。そしてそういう人達に「個人研究が足りない」だの「世の事を考え過ぎてる」だのと、アドバイスという名の「感情の強制」を喰らわすベテラン信者者・・・。そのせいでどれだけの人達が地獄絵図のような毎日を送っていた事か。

しぶとくJWに残るには余程の馬鹿(失礼!)でないと自分の感情が保てなくて無理ないのではないかと、組織を出た後によく思ったものです。

そう言えばそのベテラン達は己らの宗教がいかに寛容かを折に触れてぐだぐだと言っていましたが、本当の寛容さとはアーミッシュの人達のやっているようなものじゃないかと思えてなりませんでした。

日本も宗教の自由は結構ですが、信仰の強要は是非とも憲法で禁止して欲しいとつくづく思います