Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

大谷石

2021年08月15日 | 日記
 私が住んでいる益子教会の建物は、一階の部分の外壁が大谷石という、栃木県大谷町付近一帯で採掘される石材で造られています。私は個人的に大谷石の存在を栃木に引っ越すまで知らなかったのですが、先日、大谷石資料館に行く機会がありました。その資料館は、地下の採掘場跡からなっていて、夏でも12℃という涼しさです。その採掘場は地下深く、またとても広い空間が広がっており、以前どのように採掘していたかの説明と展示がされています。暗い空間に、ところどころライトアップがなされていて、あたかも古代エジプトの遺跡に見えるような錯覚を覚えるほど、幻想的な場所でした。大谷石が使われ始めたのは6-7世紀に遡り、1960年代迄は手作業で石を切り出していたそうで、暗い地下に働き続けていた労働者の方の苦労を思いました。大谷石で出来ている建物は、夏でも涼しく、昔から穀物や食物の倉庫(石蔵)として用いられ、栃木県のあちらこちらで、今でも大谷石で出来た倉を見かけます。大谷石は比較的柔らかく加工しやすい石材でありますが、耐震性、耐火性は強いとのこと。西洋諸国と異なり、日本のほとんどの建築が木造でしたので、昔から石材の建物が日本でもあったというのは以外でした。
 
 石材といえば、古代イスラエル国のソロモン王が建てた神殿も石で建築されていました。その神殿の建築についての詳細が聖書に記されていますが、その時の様子について下記のような記録があります。
 
「神殿の建築は、石切り場でよく準備された石を用いて行われたので、建築中の神殿では、槌、つるはし、その他、鉄の道具の音は全く聞こえなかった。 」 第一列王記6章7節
 
この「よく準備された」という形容詞の原語は「シャーレーム」が使われているそうですが、「自然なままの」、あるいは「完全な」という意味があるそうです。そして、「平和」を意味するそうです。神殿の建築現場では、すでによそでカットされた石材を組み立てるだけでしたので、石を切る時の大きな音がしていなかったということでしょう。もちろん、多少石を組み上げていく上で音がしていたとは想像しますが、それでも現場にこのような静けさがあったということは不思議です。神様が臨在する聖なる場所、神様を礼拝するための場所にふさわしいことだなと改めて思わされました。

 石や岩というのは聖書的にも意味があり、神様を石や岩として譬えられます。「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。」*1の「隅の親石」というのがキリストを指し、イエス様ご自身がこの聖書の箇所を下記のように引用しています。この時代の建築において、土台となる隅の親石は基礎部分において重要でしたが、にも関わらず、この譬えでは神殿を建築している当事者がそれと認識できず、「この石はどこの部分なのだろう」と捨ててしまったとあります。その当事者はユダヤ人であり、彼らにはメシア(救い主)が与えられることを昔から預言者を通して示されていましたが、いざイエス様が来られてもメシヤだと認めず、十字架に架けてしまうことが示されています。そしてイエス様の救いは、ユダヤ人以外の民族へ与えられるということを比喩で預言しています。そのおかげで、日本人である私も、現代でイエス様を信じることが出来ているわけです。また、ユダヤ人であっても、キリストをメシヤだと信じれば救われます。

 使徒パウロが、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 」*2と記しているように、キリストを信じる信徒が神の神殿であるという根拠は、何人であっても、誰であっても、イエス様を救い主として信じた者はイエス様という基礎の上に一体となり、神の宮として建て上げられているからであり、神の霊(聖霊)が私たちの内に住んでおられるからです。これは、神様がなぜそのように図られたのかが私たちにはわからないので、私たちの目には不思議に見えるわけです。

 私たちは「自然なまま」で、ありのままで恵によって救われましたが、そしてイエス様を信じる信仰によって、少しづつ「完全」に内側が変えられていく石となっていきたいと思います。聖霊の業によって、私たちはよく準備された石となって、キリストの体、神様の神殿の一部に組み入れられ、愛の実を結ぶ神の民になりたいと。一夜にして出来ることではないですが、日々祈りつつ、キリストに委ねていきたいと願います。

 イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」 マタイによる福音書 21章44節 (新共同訳聖書)

*1 詩編118編22-23節
*2 第一コリント信徒への手紙3章16節