この週末、北京あんてぃーく倶楽部の恒例遠足に初めて参加させていただきました。
個人ではなかなかいけないようなディープなところを皆でバスで回ることができ、
大変有意義ですばらしい一日でした。
主催されている アンティーク倶楽部さん、素敵な活動に参加させていただいて、
ありがとうございましたー!
参加者は、北京在住の日本人23名、大所帯の賑やかな出発です。
日程(あんてぃーく倶楽部ブログより抜粋)
朝0730 建外SOHOA座ロビー集合
1000 霊厳寺大殿
1045 双林寺
1130 川底下村→昼食
1400 霊岳寺
1700 北京市内着 解散
・・・ということで、普段ぐうたらな生活をしていて、早起きの自信がない私は、結局一睡もできない状態で集合場所に到達(笑)。
目的地は、だいたいこんな感じの場所です。
北京の西側に暴れ川、永定河の激しい流れによって削られた門頭溝の谷間を進んでいきます。
永定河の流れとほぼ平行に作られた国道109号線に沿って、ずっと西に100㎞ほど遡っていくことになります。
今では穏やかな流れが、牧歌的風景を優雅に作り出している永定河ですが、
康熙帝が治水工事を終え、願いと自信を込めて「永定河」と改名するまでの名は「無定河」。
暴れ龍のようにのた打ち回って進んでいたんですねー。
まずは一番遠い西の端まで、一気にバスで行ってしまい、
そこから少しずつ、北京に戻りながら、4つのポイントを巡っていく、というコースでした。
最初に訪れたのは、門頭溝区斉家庄郷斉家庄村にある霊厳寺。
現存するのは本殿のみながら、その最大の見どころは、北京地区で現存する唯一の元代の木造建築だということ。
…木造と言っても、基本構造、というこです・・・。
壁はレンガで埋めて作られています。
事前の予習なしで参加したので、唯一の元代の建築と今知り、少し感動・・・・(爆)。
創建はなんと唐の武徳年間。
元の至正年間に再建されました。
明の永楽年間には、尼僧庵だったこともあるという。
抗日戦争期間中に日本軍によって焼失、現存するのは、大雄宝殿のみとなる。
不幸な歴史があったのですね・・・。
こちらは、石碑の頭の部分。
本殿の入口の前に転がり、皆の足の踏み台になっているのが、石碑の本体。
これは文革中にこのような姿になったとのこと。
帰りに村の爺様と雑談をしていたら、文革前までは本殿には木造の仏像のご本尊もあったという。
軒下には、まだ粉彩の色の名残りが見える。
東から見た遠景。
もともとは、山門殿、鐘鼓楼、太子殿、伽藍祖師堂、大雄宝殿、その東西の配殿があったそうだが、
今残るのは、大雄宝殿(本殿)のみ。
東側には畑が広がっている。
南側にある木が立派。。。
門頭溝区斉家庄郷斉家庄村の霊厳寺を見学した後、斉家庄村の中を散策します。
通り沿いにもいくらか、古い門構えが残っています。
薪取り帰りの爺様。
好々爺姿が、きれっきれの爺様。
絵になります・・・。
28号院というのが、古い豪邸が残っているというので、
横丁から入って行きます。
このおたくのようですね。
おお。確かに非凡なる佇まい・・・。
入口に蝋燭用の穴もあります。
夜、ここでほのかに蝋燭の火がはためく姿は、ぞくぞくするほど怪しげでしょうなああ。。。
個人のお宅なので、中を見せてもらうわけにもいかず、
なんとか外から屋根の写真だけでも撮ろうとします。。。。
塀の上には、ぺんぺん草が。。。。
バスのところまで帰ってきました。
華北名物「晒太陽(ひなたぼっこ)」。
ぽちっと、押していただけると、
励みになります!
個人ではなかなかいけないようなディープなところを皆でバスで回ることができ、
大変有意義ですばらしい一日でした。
主催されている アンティーク倶楽部さん、素敵な活動に参加させていただいて、
ありがとうございましたー!
参加者は、北京在住の日本人23名、大所帯の賑やかな出発です。
日程(あんてぃーく倶楽部ブログより抜粋)
朝0730 建外SOHOA座ロビー集合
1000 霊厳寺大殿
1045 双林寺
1130 川底下村→昼食
1400 霊岳寺
1700 北京市内着 解散
・・・ということで、普段ぐうたらな生活をしていて、早起きの自信がない私は、結局一睡もできない状態で集合場所に到達(笑)。
目的地は、だいたいこんな感じの場所です。
北京の西側に暴れ川、永定河の激しい流れによって削られた門頭溝の谷間を進んでいきます。
永定河の流れとほぼ平行に作られた国道109号線に沿って、ずっと西に100㎞ほど遡っていくことになります。
今では穏やかな流れが、牧歌的風景を優雅に作り出している永定河ですが、
康熙帝が治水工事を終え、願いと自信を込めて「永定河」と改名するまでの名は「無定河」。
暴れ龍のようにのた打ち回って進んでいたんですねー。
まずは一番遠い西の端まで、一気にバスで行ってしまい、
そこから少しずつ、北京に戻りながら、4つのポイントを巡っていく、というコースでした。
最初に訪れたのは、門頭溝区斉家庄郷斉家庄村にある霊厳寺。
現存するのは本殿のみながら、その最大の見どころは、北京地区で現存する唯一の元代の木造建築だということ。
…木造と言っても、基本構造、というこです・・・。
壁はレンガで埋めて作られています。
事前の予習なしで参加したので、唯一の元代の建築と今知り、少し感動・・・・(爆)。
創建はなんと唐の武徳年間。
元の至正年間に再建されました。
明の永楽年間には、尼僧庵だったこともあるという。
抗日戦争期間中に日本軍によって焼失、現存するのは、大雄宝殿のみとなる。
不幸な歴史があったのですね・・・。
こちらは、石碑の頭の部分。
本殿の入口の前に転がり、皆の足の踏み台になっているのが、石碑の本体。
これは文革中にこのような姿になったとのこと。
帰りに村の爺様と雑談をしていたら、文革前までは本殿には木造の仏像のご本尊もあったという。
軒下には、まだ粉彩の色の名残りが見える。
東から見た遠景。
もともとは、山門殿、鐘鼓楼、太子殿、伽藍祖師堂、大雄宝殿、その東西の配殿があったそうだが、
今残るのは、大雄宝殿(本殿)のみ。
東側には畑が広がっている。
南側にある木が立派。。。
門頭溝区斉家庄郷斉家庄村の霊厳寺を見学した後、斉家庄村の中を散策します。
通り沿いにもいくらか、古い門構えが残っています。
薪取り帰りの爺様。
好々爺姿が、きれっきれの爺様。
絵になります・・・。
28号院というのが、古い豪邸が残っているというので、
横丁から入って行きます。
このおたくのようですね。
おお。確かに非凡なる佇まい・・・。
入口に蝋燭用の穴もあります。
夜、ここでほのかに蝋燭の火がはためく姿は、ぞくぞくするほど怪しげでしょうなああ。。。
個人のお宅なので、中を見せてもらうわけにもいかず、
なんとか外から屋根の写真だけでも撮ろうとします。。。。
塀の上には、ぺんぺん草が。。。。
バスのところまで帰ってきました。
華北名物「晒太陽(ひなたぼっこ)」。
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私もあまり瓦は詳しくないのですが、
確かに上と下の瓦の形がちがいますね。。。
南方の方では、日本と同じように、上と下の瓦が同じ地方などもあるような気がします。
地方によってもちがいが。。。。
メジに塗り込んでいるのは、むしろぺんぺん草防止のためかしら、と感じました。
南方に行くと、塗り込んでいないところが多いのに、
確かに弥勒さんのご指摘のとおり、こちらではメジを近代的な素材で塗り込んでいます。
おそらく乾燥した土地に多いぺんぺん草が根を張って、
雨漏りの原因になるからではないのか、と予測します。
またいずれ詳しいことがわかることがあれば、
ご報告させていただきますねー。