出光美術館 2009年10月31日(土)-12月20日(日)
出光美術館と、カタカナの「ユートピア」という展覧会名の組み合わせが何となく新鮮に感じた。そしてその「ユートピア」という白抜きの5文字が映える、溢れそうな紅葉の絵柄が使われたチラシも目を引き・・・。
裏を見ると、「日本美術の世界には、さまざまな想像の翼が大胆かつ自由に広がっています。(略)“ユートピア”(理想郷)をテーマに、絵画・工芸の優品、約60件を展示し、古来描かれてきた「夢」と「楽園」の知られざる特質を探ります」とある。何やら形而上学的にも響くが、美しいものにお目にかかれそうな予感に、私には珍しく開会して間もなくの11月上旬に足を運んだ。図録もないし、そろそろ記憶も危うくなり、本当に“夢かうつつか”になってしまいそうなので、急いで記録を残すことにします。
公式サイトはこちら
本展は以下の4つの章立てで構成されている:
Ⅰ 夢ものがたり―夢見と夢想、そして幻想
Ⅱ 描かれし蓮菜仙境―福寿と富貴
Ⅲ 美人衆芳―恋と雅
Ⅳ 花楽園―永遠なる四季
それでは順番に:
Ⅰ 夢ものがたり―夢見と夢想、そして幻想
『馬上残夢図屏風』 伝 狩野山楽 (桃山時代)
ロバに乗ったまま、うなだれて眠りに落ちている官僚。夢見るは安穏な隠遁生活。現代の、電車の中で居眠りをしているお疲れモードのサラリーマンの姿とダブる。この章では「厳しい現実からの救済」としての眠り、夢がテーマに扱われているが、みた夢が楽しければ楽しいほど起きた時の落胆は大きいもの。この官僚も、目が覚めたら隠遁どころか残夢は残務となっていることでしょう(それがキビシイ現実というものよ)。
『洞裡長春』 小杉放庵 (昭和3年(1928))
部分
手前にフレームのごとく描かれた洞窟。その暗闇を抜けて向う側へ出れば、ホ~ラ、そこは桃源郷!穏やかな表情の唐子がのんびりと草原に座り、芳しい花の香りを楽しんでいるのが見える。現実と夢の境界線がこの洞窟、ということらしい。通常は洞窟に入って桃の花を見つける漁師の姿が描かれる主題らしいが、いずれにせよ暗い洞窟に入る勇気のある人だけに許されるのが桃源郷なのでしょうか。
『吉野龍田図屏風』 (室町時代)
チラシで楽園に誘っている作品。六曲一双の、装飾の極致たる絢爛な屏風。右隻には吉野の満開の桜、左隻には龍田の紅葉した楓。桜も楓の葉も画面から溢れんばかりで、枝ぶりはどうなっているのだなどと考えても意味がなさそう。ソファに座ってじっと対面していると幻惑され、まさに現実から浮遊して夢の中の世界へ。
『日月四季檜図屏風』 (室町時代)
六曲一双の屏風で、右隻に春と夏、左隻に秋と冬。檜の立姿だけで四季を表現した、私の今回のお気に入り。構図はシンプルながら葉の描き方は緻密で濃い。春はまだか弱さを漂わしつつ、上を向いて成長を予感させる若木、夏は葉もこんもりしてきて命の隆盛を思わせ、秋には枝ぶりもうなだれてくる。
Ⅱ 描かれし蓮菜仙境―福寿と富貴
『粉彩百鹿文双耳扁壺』 景徳鎮 中国・清「大清雍正年製」銘)
ふっくらとした壺。百鹿とある通り、鹿があちらこちらに。毛並みがとても丁寧に描かれている。鹿は禄と発音が同じなので、富をもたらすもの。だからこんなに一杯。山の峰々の青色、ちょこっと描かれた梅の花(?)のピンク色もきれい。
『寿老四季山水図』 池大雅 (宝暦11年(1761))
部分
寿老人と福禄寿は日本では同一視されることもあるが、厳密には別々の神様。パネルに解説があったので、簡単にメモを取った。
中国古来、南半球で最も明るい星を南極老人星(カノープス)と呼んだ。長寿と天下泰平を司る星として祀ってきたこの星の化身が、道教の神様として描かれると寿老人。対して福禄寿(福星・禄星・寿星の三星を神格化したもの)は鹿や幸福を表す蝙蝠などと一緒に描かれたが、この画題が中国から日本に伝わった際に両者の混乱が生じた。
また、江戸時代の日本の絵師は、いかに笑いを誘うかという点に重きを置いて寿老人を描いた。ということでこんな頭に。池大雅の作品では後ろの鶴のくちばしもずい分長く引き伸ばされている。寿老人の表情はとても優しそうで、観ていて和む。
『福禄寿・天保九如図』 円山応挙 (寛政2年(1790))
そして応挙の福禄寿。滞りの全くないとてもきれいな線描だけど、輪郭の太い線が漫画っぽいと思ってしまった。
『百寿老画賛』 仙 (江戸時代)
100歳の老人がわやわやと100人以上集まり、楽しそうに大宴会。脱力系微笑的作品。仙崖が生きた江戸時代には、100歳まで生きるなんてそれこそ夢の話だったと思うが、今や日本の100歳以上の人口は4万人を突破。夢は如実に現実味を帯びてきている。仙の描くご老人たちのように、健康で微笑んでいられたら100歳まで生きるのも悪くはないけど。。。
『四季花鳥図屏風』 山本梅逸(やまもとばいいつ) (弘化2年(1845年))
部分
まるで水彩画のような瑞々しい屏風。岩や樹木に使われているこげ茶の諧調が全体をやわらかくまとめ、笹や植物の葉の淡い色彩と溶け合う。花やタンチョウの頭の赤もアクセント的に映える。画風がとても好み。
Ⅲ 美人衆芳―恋と雅
『桜下弾弦図屏風』 (江戸時代)
満開の桜の下で、三味線を弾いたり書を読んだりと遊興に興じる3人の女性と二人の女の子。それぞれが羽織る着物の柄も、尾を広げて舞う孔雀や永楽通寶の硬貨をモティーフにしていたりと凝っていて、とても艶やか。
『美人鑑賞図』 勝川春章 (江戸時代)
高塀に囲まれた女の秘密の花園。品を作る女性たちも優美だが、整然と走る直線が作る、妙な遠近法で描かれた建物も現実離れしていておもしろかった。
Ⅳ 花楽園―永遠なる四季
この章では、タイトル通り草花がモティーフの作品が並ぶ。花の命は短い。種類によって咲く時期も限られている。だから、最も美しい瞬間を描きとどめておきたい。四季を問わずその姿を愛でたい。とりわけ好きな花をいつも眺めていたい。そんな想いで四季の花々が咲き乱れる屏風画などが生まれたのだということが理解される(世の男性諸氏が女性に求める幻想のような。。。)。小さい作品だったけれど、鈴木基一の『秋草図』などもさりげなく置かれていていたし、『粉彩牡丹文瓶』 景徳鎮 (中国・清「大清雍正年製」銘)は、描かれた桃色の花に一瞬にしてふわふわと夢心地にさせられた。このような感覚にさせてくれる作品に会えるから、美術館通いは止められない。
出光美術館と、カタカナの「ユートピア」という展覧会名の組み合わせが何となく新鮮に感じた。そしてその「ユートピア」という白抜きの5文字が映える、溢れそうな紅葉の絵柄が使われたチラシも目を引き・・・。
裏を見ると、「日本美術の世界には、さまざまな想像の翼が大胆かつ自由に広がっています。(略)“ユートピア”(理想郷)をテーマに、絵画・工芸の優品、約60件を展示し、古来描かれてきた「夢」と「楽園」の知られざる特質を探ります」とある。何やら形而上学的にも響くが、美しいものにお目にかかれそうな予感に、私には珍しく開会して間もなくの11月上旬に足を運んだ。図録もないし、そろそろ記憶も危うくなり、本当に“夢かうつつか”になってしまいそうなので、急いで記録を残すことにします。
公式サイトはこちら
本展は以下の4つの章立てで構成されている:
Ⅰ 夢ものがたり―夢見と夢想、そして幻想
Ⅱ 描かれし蓮菜仙境―福寿と富貴
Ⅲ 美人衆芳―恋と雅
Ⅳ 花楽園―永遠なる四季
それでは順番に:
Ⅰ 夢ものがたり―夢見と夢想、そして幻想
『馬上残夢図屏風』 伝 狩野山楽 (桃山時代)
ロバに乗ったまま、うなだれて眠りに落ちている官僚。夢見るは安穏な隠遁生活。現代の、電車の中で居眠りをしているお疲れモードのサラリーマンの姿とダブる。この章では「厳しい現実からの救済」としての眠り、夢がテーマに扱われているが、みた夢が楽しければ楽しいほど起きた時の落胆は大きいもの。この官僚も、目が覚めたら隠遁どころか残夢は残務となっていることでしょう(それがキビシイ現実というものよ)。
『洞裡長春』 小杉放庵 (昭和3年(1928))
部分
手前にフレームのごとく描かれた洞窟。その暗闇を抜けて向う側へ出れば、ホ~ラ、そこは桃源郷!穏やかな表情の唐子がのんびりと草原に座り、芳しい花の香りを楽しんでいるのが見える。現実と夢の境界線がこの洞窟、ということらしい。通常は洞窟に入って桃の花を見つける漁師の姿が描かれる主題らしいが、いずれにせよ暗い洞窟に入る勇気のある人だけに許されるのが桃源郷なのでしょうか。
『吉野龍田図屏風』 (室町時代)
チラシで楽園に誘っている作品。六曲一双の、装飾の極致たる絢爛な屏風。右隻には吉野の満開の桜、左隻には龍田の紅葉した楓。桜も楓の葉も画面から溢れんばかりで、枝ぶりはどうなっているのだなどと考えても意味がなさそう。ソファに座ってじっと対面していると幻惑され、まさに現実から浮遊して夢の中の世界へ。
『日月四季檜図屏風』 (室町時代)
六曲一双の屏風で、右隻に春と夏、左隻に秋と冬。檜の立姿だけで四季を表現した、私の今回のお気に入り。構図はシンプルながら葉の描き方は緻密で濃い。春はまだか弱さを漂わしつつ、上を向いて成長を予感させる若木、夏は葉もこんもりしてきて命の隆盛を思わせ、秋には枝ぶりもうなだれてくる。
Ⅱ 描かれし蓮菜仙境―福寿と富貴
『粉彩百鹿文双耳扁壺』 景徳鎮 中国・清「大清雍正年製」銘)
ふっくらとした壺。百鹿とある通り、鹿があちらこちらに。毛並みがとても丁寧に描かれている。鹿は禄と発音が同じなので、富をもたらすもの。だからこんなに一杯。山の峰々の青色、ちょこっと描かれた梅の花(?)のピンク色もきれい。
『寿老四季山水図』 池大雅 (宝暦11年(1761))
部分
寿老人と福禄寿は日本では同一視されることもあるが、厳密には別々の神様。パネルに解説があったので、簡単にメモを取った。
中国古来、南半球で最も明るい星を南極老人星(カノープス)と呼んだ。長寿と天下泰平を司る星として祀ってきたこの星の化身が、道教の神様として描かれると寿老人。対して福禄寿(福星・禄星・寿星の三星を神格化したもの)は鹿や幸福を表す蝙蝠などと一緒に描かれたが、この画題が中国から日本に伝わった際に両者の混乱が生じた。
また、江戸時代の日本の絵師は、いかに笑いを誘うかという点に重きを置いて寿老人を描いた。ということでこんな頭に。池大雅の作品では後ろの鶴のくちばしもずい分長く引き伸ばされている。寿老人の表情はとても優しそうで、観ていて和む。
『福禄寿・天保九如図』 円山応挙 (寛政2年(1790))
そして応挙の福禄寿。滞りの全くないとてもきれいな線描だけど、輪郭の太い線が漫画っぽいと思ってしまった。
『百寿老画賛』 仙 (江戸時代)
100歳の老人がわやわやと100人以上集まり、楽しそうに大宴会。脱力系微笑的作品。仙崖が生きた江戸時代には、100歳まで生きるなんてそれこそ夢の話だったと思うが、今や日本の100歳以上の人口は4万人を突破。夢は如実に現実味を帯びてきている。仙の描くご老人たちのように、健康で微笑んでいられたら100歳まで生きるのも悪くはないけど。。。
『四季花鳥図屏風』 山本梅逸(やまもとばいいつ) (弘化2年(1845年))
部分
まるで水彩画のような瑞々しい屏風。岩や樹木に使われているこげ茶の諧調が全体をやわらかくまとめ、笹や植物の葉の淡い色彩と溶け合う。花やタンチョウの頭の赤もアクセント的に映える。画風がとても好み。
Ⅲ 美人衆芳―恋と雅
『桜下弾弦図屏風』 (江戸時代)
満開の桜の下で、三味線を弾いたり書を読んだりと遊興に興じる3人の女性と二人の女の子。それぞれが羽織る着物の柄も、尾を広げて舞う孔雀や永楽通寶の硬貨をモティーフにしていたりと凝っていて、とても艶やか。
『美人鑑賞図』 勝川春章 (江戸時代)
高塀に囲まれた女の秘密の花園。品を作る女性たちも優美だが、整然と走る直線が作る、妙な遠近法で描かれた建物も現実離れしていておもしろかった。
Ⅳ 花楽園―永遠なる四季
この章では、タイトル通り草花がモティーフの作品が並ぶ。花の命は短い。種類によって咲く時期も限られている。だから、最も美しい瞬間を描きとどめておきたい。四季を問わずその姿を愛でたい。とりわけ好きな花をいつも眺めていたい。そんな想いで四季の花々が咲き乱れる屏風画などが生まれたのだということが理解される(世の男性諸氏が女性に求める幻想のような。。。)。小さい作品だったけれど、鈴木基一の『秋草図』などもさりげなく置かれていていたし、『粉彩牡丹文瓶』 景徳鎮 (中国・清「大清雍正年製」銘)は、描かれた桃色の花に一瞬にしてふわふわと夢心地にさせられた。このような感覚にさせてくれる作品に会えるから、美術館通いは止められない。
こういう美人に囲まれていれば、まさにユートピアなんでしょうね。(私には)
確かにタイトル、二通りに取れますね。美人が集まって掛け軸の観賞会をしているのを鑑賞している私たち。
こんなに沢山の美女たちに囲まれたら、一村雨さんでも落ち着かないのでは?