l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

オルセー美術館展2010 「ポスト印象派」

2010-08-05 | アート鑑賞
国立新美術館 2010年5月26日(水)-8月16日(月)



展覧会の公式サイトはこちら

パリにあるオルセー美術館の、印象派及びポスト印象派の展示室の改装に伴って実現した、世界を巡回する「ベスト・オブ・オルセー」展。「モネ5点、セザンヌ8点、ゴッホ7点、ゴーギャン9点、ルソー2点をはじめとする絵画115点が、オルセー美術館からごっそり来日(うち初来日の作品は約60点)」とある。因みに日本の前にはオーストラリアのキャンベルで開催、日本では東京のみの開催で、このあとサンフランシスコのデ・ヤング美術館に巡回するらしい(2010年9月25日-2011年1月18日)。

ついでに言えば、このデ・ヤング美術館は現在、やはりオルセー美術館からの貸し出しで”Birth of Impressionism”という展覧会を開催中(9月6日まで)。こちらにはエドゥアール・マネの『笛を吹く少年』なども巡業に出されている模様。オルセー美術館、凄いですね。

話を東京に戻し、恐らくもう二度と見ることのできない空前絶後の展覧会という言葉に背中を押され、私も夏バテ気味の身体に鞭打って行って参りました。実際のところアンリ・ルソー『蛇使いの女』と、ギュスターブ・モロー『オルフェウス』だけはどうしても観たかったので。

ということで、さっさと本題に入ります。

印象派以降、絵画作品は大きな様式というもので括れなくなり、「個」の時代に入って行く、というようなことが美術書の類に書いてあるが、それを裏付けるかのように本展では以下の通り10もの章に分けられていた:

第1章 1886年―最後の印象派
第2章 スーラと新印象主義
第3章 セザンヌとセザンヌ主義
第4章 トゥールーズ=ロートレック
第5章 ゴッホとゴーギャン
第6章 ポン=タヴェン派
第7章 ナビ派
第8章 内面への眼差し
第9章 アンリ・ルソー
第10章 装飾の勝利


では、個人的に惹かれた作品を挙げていきます:

『ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光』  クロード・モネ (1904) *1章



ビッグ・ベンの愛称で親しまれる時計台で有名なロンドンの国会議事堂。建物としてはウェストミンスター宮殿と言うべきなのかもしれないが、いずれにせよこの作品では、その建物のヴィクトリア・タワーと呼ばれる部分とその周辺のあたりが描かれている。

否、主役は霧の中に差し込む陽光と、テムズ河の川面に映るその反射光。

フランスのセーヌ河は女性的、イングランドのテムズ河は男性的、とよく言われる。周りの建物の雰囲気が多分に影響していて、このチャールズ・バリー設計によるロンドンの国会議事堂の、垂直が強調されたゴシック風建築にも確かにあまり色気は感じられない。そんな場所をも、モネはこんな風に美しい色彩で、叙情的に描き上げてしまう。ロンドンの霧は私も住んでいた頃に体験したけれど、こんな風に陽光が射すのなどついぞ見たことがなかった。単にロンドンの大気の状態がモネが滞在していた頃と異なるのか(昔は工場からの煙が凄かったとは聞くけど)、自分のイマジネーションが欠落していたのか?

1章では、この他アルベール・ベナール『ロジェ・ジュルダン夫人』(1886)が良かった。夕闇に浮かぶ顔に控え目に入れられた陰影も自然で、一歩踏み出したような夫人の動きもワルツを踊っているように優雅。この作品と対をなすように隣に並んでいたアンリ・ジェルヴェクス『ヴァルテス・ド・ラ・ビーニュ夫人』(1889)は、ポーズ、衣裳とも暑苦しい印象だったので、余計前者が軽やかに観えたのかもしれない。

『ポーズする女、後ろ向き』と『ポーズする女、横向き』  ジョルジュ・スーラ (1887) *2章



スーラに関しては完成された緻密な点描技法の作品しか観たことがないので、この章の冒頭にある、少年の口の痕跡がわからないほど粗めのブラッシュ・ワークで描かれた『青い服の少年農夫(競馬騎手)』(1882年頃)が目に入るや、おおっ!となった。そして点描作品の代表作『アニエールの水浴』や『グランド・ジャト島の日曜日の午後』の習作なども並び、彼の構築した「網膜上での混色」技法に至るまでの変容を垣間見ることのできる、大変興味深い一角となっていた。しかしながら分厚い人壁に負け、じっくり作品をそばで見られなかったのは至極残念。

『水浴の男たち』  ポール・セザンヌ (1890年頃) *3章



私は単純に、セザンヌの斜めに走る筆触と色遣いが好き。「堅牢な画面」と言われる通り、確かに見事な三角形の構図だなぁ、と思いつつ、右側の雲に原色に近い赤や黄色がちゃちゃっと入っている辺りにも目がいく。

『自画像』  フィンセント・ファン・ゴッホ (1887) *5章



いろいろな色をすくっては、マッチ棒のような短い線をキャンバスに引きながら構築していった自分の顔。目の周りの青はとても大胆。顔や頭髪が、まるでハリネズミの身体を覆う針のごとし。

『星降る夜』  フィンセント・ファン・ゴッホ (1888) *5章



群青の夜空に瞬く北斗七星の放つ光は闇ににじむ。南仏の眩しい陽光に憧れ、その中に照らし出される明るい風景を描き出そうと一心不乱に絵筆を動かしたゴッホも、夜になるとそのほとぼりが冷める一瞬があったかもしれない。孤独感に襲われ、彼の目に涙がにじんでいたりしたのだろうか、などとつい感傷的にもなる作品。

『紫の波』  ジョルジュ・ラコンブ (1895-96) *6章

海に面してハート形のような口を開いた暗い洞窟の内部から、こちらに向かってなだれ込む波を捉えた変わった情景。波頭を立てるその薄紫色の波は雲のようでもあり、日本の江戸絵画のようでもあり。

『護符(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川』 ポール・セリュジェ (1888) *7章

小品だが、景色の中にある事物を色の塊に捉えて描かれている抽象画のような作品。画面上の、色の調和がとても美しい。解説によると、画家がアヴェン川のほとりで描いているときにゴーギャンがやってきて助言したそうだ。“黄色に見える木には黄色を、青く見える影にはウルトラマリンを、赤い葉にはヴァーミリオンを”。絵心とはそういうものなのでしょうね。

『ボール(ボールで遊ぶ子供のいる公園』 フェリックス・ヴァロットン (1899) *7章

2007年のオルセー展で初めて観た時もインパクトのあったこの作品に再会できて嬉しい。現実感と白昼夢を見ているような感覚が同時に襲ってくる不思議な作品。

『オルフェウス』  ギュスターヴ・モロー (1865) *8章



想像通り美しい作品。しかしながらここに至る間にすっかり目がポスト印象派の作品群に慣れてしまったようで、この作品の前に立ったら妙に「古い絵」に感じたのには自分でも驚いた。今回出展された115点の中で制作年が最も古い作品でもあり、ある意味浮いてしまうのは仕方ないのかもしれないが。

『目を閉じて』 オルディ・ルドン (1890) *8章

逆にこの絵はすーっと心に入ってきた。海を思わせる水平線の上に唐突に現れる、肩から上の女性の顔。右肩を前に差し出し、やや右に首を傾け、顔と首の左側に淡い光が当たる。両目と口元は固く閉ざされ、深淵なる面持ち。青味がかったグレー・トーンの背景も素敵な色で、それまで人波をかき分け、つま先立ちで絵を観てきた疲れを癒してくれるような作品だった。

『蛇使いの女』  アンリ・ルソー (1907) *9章



『戦争』(1894年頃)と共にルソーの2作品のみで構成された9章の部屋。2作品のみと言っても、そのどちらも物凄い求心力を放つ。ルソーは独学で絵を修めた素朴派の画家と紹介されるが、自分も素人のせいか、この『蛇使いの女』の画面構成などお見事!と言いたくなる。鬱蒼としたジャングルを右4分の3に収め、空いた左側に月とピンクのフラミンゴ。折り重なる様々な葉の色調も驚くほど丁寧に描き分けられていて、その部分をじっと観ているだけでも楽しい。

ということで、この展覧会も残すところあと10日余り。もしこれから観に行かれるのであれば、夜8時まで開いている土日の5時以降が比較的混雑が少なくなっているとのことです(サイトからの情報)。


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2 コメント

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Unknown (一村雨)
2010-08-07 07:43:29
相変わらずの大混雑のようですね。
それでも、見ごたえ十分な展覧会でした。
私もロンドン国会議事堂の美しさに見とれてしまいました。私の中では、ブリジストンのベネチア黄昏と双璧をなすモネの作品となりました。
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Unknown (YC )
2010-09-07 22:27:00
☆一村雨さん

自分がロンドンに住んでいた頃は、地元の美術館に
ロンドンの情景を描いたモネの作品があっても
ほとんど素通りしていたのに、今やこんな風に
愛でているのですから、ないものねだりという
のは恐ろしいものです。

ブリジストン美術館、しばらく行っていません。
今度チェックしてみます。
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