国立新美術館 2010年10月1日(金)-12月20日(月)
本展の公式サイトはこちら
タイトルに「こうして私はゴッホになった」とある通り、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の太く短い画業の変遷を、本人の作品のみならず、影響を受けた芸術家たちの作品や関連資料なども交えて紹介する展覧会。ゴッホの油彩画36点、版画・素描32点、他の芸術家の油彩画31点、版画8点、その他の関連資料が16点、合わせて123点という作品構成になっている。
大がかりなゴッホ展といえば、2005年に近美で開催された展覧会が印象深いが(あれから5年も経つとは早いものです)、あの時私にとって発見だったのは、『レストランの内部』(1887年)という、スーラ風の点描技法で描かれた作品だった。私の不勉強もあるが、言ってみれば力でねじ伏せるような絵の具の厚塗り画面で描く人というイメージが強かったゴッホが、こんな柔らかい画風の絵も描いていたのか、と意外だった。
今回の展覧会は、この画家がどのように独自の画世界を築いていったのか、時代を追ってより深く探るもの。バルビゾン派、写実主義、オランダのハーグ派、ドラクロワの技法、印象主義、そして浮世絵。概ね独学だったという彼がインプット(他の画家の作品の模写など)とアウトプット(自作制作)を飽くことなく繰り返し、試行錯誤していく様は観ていてとても興味深い。
こんな言い方をしたらとても失礼かもしれないけれど、素人目にはゴッホの描いた模写作品などは技術的に余り上手に思えなかったし、彼自身の作品にしても、とりわけ後半の方の波打つ筆触の油彩作品は個人的にあまり得意ではなかった。
でも、ゴッホが絵描きとして過ごしたのはたったの10年間。その短い時間でこの精神活動の密度はやはり凄いことだと改めて驚くし、観ていくうちに、絵を描くことはゴッホにとって「自己の存在理由」に他ならないのだということがひしひしと伝わってきもした。
いきなり長々と書いてしまったが、本展の構成は以下の通り:
Ⅰ. 伝統―ファン・ゴッホに対する最初期の影響
Ⅱ. 若き芸術家の誕生
Ⅲ. 色彩理論と人体の研究―ニューネン
Ⅳ. パリのモダニズム
Ⅴ. 真のモダン・アーティストの誕生―アルル
Ⅵ. さらなる探求と様式の展開―サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
では、いくつか作品も挙げておきたいと思います:
『灰色のフェルト帽の自画像』 (1887年)と『自画像』 (1887年)
自画像でもこの画風の差。帽子を被っている方は、背景の処理も含めてまるでモザイクのよう。絵の具を筆で塗るというよりは、木版画を彫刻刀で彫っているような、あるいは色をはめ込んでいくような力強さ。
『アルルの寝室』 (1888年)
私が近美で観た同名の作品(オルセー所蔵)とちょっと違うなと思ったら、実はこの有名な作品は3点存在するそうで、オランダのファン・ゴッホ美術館所蔵のこちらがオリジナルとのこと。会場では絵の横にこの寝室が実物大に再現されていた。
『ゴーギャンの椅子』 (1888年)
ゴッホが南仏アルルに芸術家仲間との共同体を夢見てコツコツと準備した「黄色い家」。結局ゴッホの呼びかけでやってきたのはゴーギャンただ一人、そしてその数ヵ月後にあの余りに有名な悲劇的結末を迎えてしまう。この家でゴーギャンが座っていた椅子に本と共に置かれた一本の蝋燭の灯に力はなく、祈りが通じなかったゴッホの無念を象徴しているようにも思える。
『ある男の肖像』 (1888年)
「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」。ちょっと変わったアングルで男性の表情を捉えたこの肖像画は、そんなゴッホの言葉の通り、今にも語りかけてきそうだ。男性の上着と背景の色の対比も鮮烈。
『あおむけの蟹』 (1889年)
どんな対象物にも真摯に対峙したゴッホの描く蟹は、やはりすごい存在感を放つ。
『渓谷の小道』 (1889年)
私にはとても不思議な絵に映った。真ん中の下半分に髭を生やしたおじいさんの骸骨があり、山肌の紅葉した草木が燃えながら浮遊する人魂のようにも。いずれにせようねりまくった筆触に軽いめまいを起こしそう。
『アイリス』 (1890年)
背景のクローム・イエローはまさにゴッホの色。どの油彩絵もどうしても筆触の迫力に目が行ってしまうが、やはりゴッホは色彩の人だとしみじみ思う。
私が行ったのは10月下旬で、まだオルセー展ほど混んでいなかったけれど、今日本展のサイトを見てみたら入場者数も既に30万人を突破だそうです。来月はもう師走、これからという方も極力早目に行かれることをお勧めします。
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タイトルに「こうして私はゴッホになった」とある通り、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の太く短い画業の変遷を、本人の作品のみならず、影響を受けた芸術家たちの作品や関連資料なども交えて紹介する展覧会。ゴッホの油彩画36点、版画・素描32点、他の芸術家の油彩画31点、版画8点、その他の関連資料が16点、合わせて123点という作品構成になっている。
大がかりなゴッホ展といえば、2005年に近美で開催された展覧会が印象深いが(あれから5年も経つとは早いものです)、あの時私にとって発見だったのは、『レストランの内部』(1887年)という、スーラ風の点描技法で描かれた作品だった。私の不勉強もあるが、言ってみれば力でねじ伏せるような絵の具の厚塗り画面で描く人というイメージが強かったゴッホが、こんな柔らかい画風の絵も描いていたのか、と意外だった。
今回の展覧会は、この画家がどのように独自の画世界を築いていったのか、時代を追ってより深く探るもの。バルビゾン派、写実主義、オランダのハーグ派、ドラクロワの技法、印象主義、そして浮世絵。概ね独学だったという彼がインプット(他の画家の作品の模写など)とアウトプット(自作制作)を飽くことなく繰り返し、試行錯誤していく様は観ていてとても興味深い。
こんな言い方をしたらとても失礼かもしれないけれど、素人目にはゴッホの描いた模写作品などは技術的に余り上手に思えなかったし、彼自身の作品にしても、とりわけ後半の方の波打つ筆触の油彩作品は個人的にあまり得意ではなかった。
でも、ゴッホが絵描きとして過ごしたのはたったの10年間。その短い時間でこの精神活動の密度はやはり凄いことだと改めて驚くし、観ていくうちに、絵を描くことはゴッホにとって「自己の存在理由」に他ならないのだということがひしひしと伝わってきもした。
いきなり長々と書いてしまったが、本展の構成は以下の通り:
Ⅰ. 伝統―ファン・ゴッホに対する最初期の影響
Ⅱ. 若き芸術家の誕生
Ⅲ. 色彩理論と人体の研究―ニューネン
Ⅳ. パリのモダニズム
Ⅴ. 真のモダン・アーティストの誕生―アルル
Ⅵ. さらなる探求と様式の展開―サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
では、いくつか作品も挙げておきたいと思います:
『灰色のフェルト帽の自画像』 (1887年)と『自画像』 (1887年)
自画像でもこの画風の差。帽子を被っている方は、背景の処理も含めてまるでモザイクのよう。絵の具を筆で塗るというよりは、木版画を彫刻刀で彫っているような、あるいは色をはめ込んでいくような力強さ。
『アルルの寝室』 (1888年)
私が近美で観た同名の作品(オルセー所蔵)とちょっと違うなと思ったら、実はこの有名な作品は3点存在するそうで、オランダのファン・ゴッホ美術館所蔵のこちらがオリジナルとのこと。会場では絵の横にこの寝室が実物大に再現されていた。
『ゴーギャンの椅子』 (1888年)
ゴッホが南仏アルルに芸術家仲間との共同体を夢見てコツコツと準備した「黄色い家」。結局ゴッホの呼びかけでやってきたのはゴーギャンただ一人、そしてその数ヵ月後にあの余りに有名な悲劇的結末を迎えてしまう。この家でゴーギャンが座っていた椅子に本と共に置かれた一本の蝋燭の灯に力はなく、祈りが通じなかったゴッホの無念を象徴しているようにも思える。
『ある男の肖像』 (1888年)
「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」。ちょっと変わったアングルで男性の表情を捉えたこの肖像画は、そんなゴッホの言葉の通り、今にも語りかけてきそうだ。男性の上着と背景の色の対比も鮮烈。
『あおむけの蟹』 (1889年)
どんな対象物にも真摯に対峙したゴッホの描く蟹は、やはりすごい存在感を放つ。
『渓谷の小道』 (1889年)
私にはとても不思議な絵に映った。真ん中の下半分に髭を生やしたおじいさんの骸骨があり、山肌の紅葉した草木が燃えながら浮遊する人魂のようにも。いずれにせようねりまくった筆触に軽いめまいを起こしそう。
『アイリス』 (1890年)
背景のクローム・イエローはまさにゴッホの色。どの油彩絵もどうしても筆触の迫力に目が行ってしまうが、やはりゴッホは色彩の人だとしみじみ思う。
私が行ったのは10月下旬で、まだオルセー展ほど混んでいなかったけれど、今日本展のサイトを見てみたら入場者数も既に30万人を突破だそうです。来月はもう師走、これからという方も極力早目に行かれることをお勧めします。