Bunkamura ザ・ミュージアム 2010年12月7日(火)-2011年2月17日(木)
本展の公式サイトはこちら
クロード・モネ(1840-1926)が、1883年、42歳の頃から住んだジヴェルニー村。パリから約80kmほど北西に位置するこの村で、あの一連の睡蓮や積みわら、ポプラ並木などの作品が生み出された。
というような解説はよく耳にするものですが、今回意外な事実を知りました。
今は日本人観光客も多く押し寄せるジヴェルニー村も、モネが移り住んだ当時は人口300人ほどの小さな村で、それもほとんどが農民。それが印象派巨匠の移住とそこから発表される作品のお陰で注目を浴び、1915年頃までに19カ国を超す300人以上の芸術家がここを訪れたそうです。しかも訪問者の70%がアメリカ人で、この村に滞在して制作活動をした画家も50人を超すことがあったとのこと。
本展はモネの作品のみならず、静かな一農村からインターナショナルな芸術家村へと変貌を余儀なくされたジヴェルニーで制作活動を行い、アメリカの印象派を形成したアメリカ人画家の作品に焦点を当て、計約75点で構成。
モネと睡蓮しか頭になかった私は「あら、そうなの?」状態だったが、よくよくチラシを見ると、英語の副題にちゃんと"THE BEGINNING OF AMERICAN IMPRESSIONISM"と謳ってありました。
そうそう、アメリカ人画家による出展作品の多くが「テラ・アメリカ美術基金(Terra Foundation For American Art)」の所蔵となっていますが、サイトをちょこっとのぞいてみたら、ビジネスマンでアート・コレクターだったDaniel J. Terra(1911-1996)という方によって設立されたものだそうです。
では章ごとに:
第1章 周辺の風景 1886~1890年
『花咲く野原、ジヴェルニー』 セオドア・ウェンデル (1889年)
この章は二つに分かれていて、アメリカ人画家たちがジヴェルニーで制作した一連の風景画と、「ジヴェルニーのモネ」と題して設けられたコーナーにモネの作品が9点。
村がパリからさほど離れておらず、英語も通じやすいという環境も手伝ってアメリカ人にも滞在しやすかったというような説明があったけれど、ある程度の規模の街ならともかく、こんな小さな村に英語が飛び交っていたらまるでリトル・アメリカ?
実際の作品はというと、アメリカの画家たちによる風景画は、まぁ可もなく不可もなくといったところでしょうか。どちらかというとボストンなど東海岸出身の人が多い印象で(もちろんカリフォルニア州の人などもいましたが)、ワスプ的というか、ヨーロッパを祖国として憧憬する心情も多分ににじみ出ているような気もしました。
第2章 村の暮らし 1890~1895年
『積みわらの習作:秋の日7』 ジョン・レスリー・ブレック (1891年)
秋の一日の時間の経過に伴う陽光の変化を追って、3日間で制作された計12点の積みわらの習作が、6点ずつ2段に分かれてずらりと並ぶ。積みわらを照らす光が逆光、側面、前面と移動していく様子を12段階で捉えていますが(公式サイトに展示風景を映した動画があるのですが、この12点をスライドショーのように映し出してくれるので光の変化がよりわかりやすい)、そのおにぎりのような積みわらの形や影は、モネの作品と比べるとずい分抽象化されているように感じます。
『朝霧と日の光』 ジョン・レスリー・ブレック (1892年)
そしてこちらが、習作を経て出来上がった作品。やはりきれいなおにぎり型(しつこいですね)に成形された積みわらが、少し湿り気の感じられる朝靄の大気の中、柔らかい朝日を受けて並んでいます。
『秋(新月)、ジヴェルニー』 ジョン・レスリー・ブレック (1889年)
さほど大きくない作品が並ぶ本展で最も大きい作品だったのではないかと思いますが、初めて「おっ」となった。うっすらと細い三日月が浮かぶ夕刻時の牧草地で羊の群れを連れて佇む羊飼いを描いたもので、どちらかというとバルビゾン風の抒情。じっと観ているうちに、少し傾斜している牧草地に自分も斜めに立っているような心持になりました。
第3章 家族と友人 1895~1905年
『メーベル・コンクリング』 フレデリック・ウィリアム・マクモニーズ (1904年)
一瞬、サージェントかと。自画像、室内画、肖像画と4点あり、筆致は印象派というよりはもうちょっとアカデミック寄りな感じ。初めて知った画家でした。
第4章 ジヴェルニー・グループ 1905~1915年
左は『庭の婦人』(1912年頃)、右は『百合の咲く庭』(1911年以前)、共にフレデリック・カール・フリージキー作。
ジヴェルニーでの活動も後半になると、アメリカ人画家たちの主題も風景から村の情景や庭の設定における女性/裸婦へと移っていき、それが20世紀のアメリカにおける「装飾的印象派」へとつながっていったそうです。
好みもありましょうが、フルージキーのむせかえるような色遣いにはビックリ。カラフルなアメリカのキャンディのようなというか、ネバダの砂漠にラス・ヴェガスを作ってしまう力技的というか、何ともアーティフィシャルな感じのする絵。だいたい「装飾的印象派」という言葉に何じゃそれ?と思ったのは私だけでしょうか?
このジヴェルニー・グループの画家たちも、中にはモネの義理の娘さんと結婚した人などもいたようですが、第一次世界大戦の勃発で大方は帰国の途に。
『睡蓮、水の光景』 クロード・モネ (1907年)
最後はやはり本家本元、モネの睡蓮シリーズ。今回展示されていた5点の中ではこの色彩が一番お気に入り。ホワイトの混ざった柔らかな緑色に紫がかったピンクの花が可憐。睡蓮の葉、花、周りの樹木などの色が溶け込んだ微妙な色のニュアンスを見せる水面が画面の半分近くを占め、清々しい感じも。
それにしても、ジヴェルニーの庭がどのようにして作られていったかという短い説明があったけれど、モネの作庭に向けた並々ならぬ情熱にも今一度驚くばかり。維持するのも大変でしょうけれど、どうか末永くオリジナルの姿のまま留まって欲しいものです。
本展は2月17日(木)まで。最後に挙げたモネの『睡蓮、水の光景』だけは2月7日(月)までの展示のようですので、もしご覧になりたい方はお早めにどうぞ。
本展の公式サイトはこちら
クロード・モネ(1840-1926)が、1883年、42歳の頃から住んだジヴェルニー村。パリから約80kmほど北西に位置するこの村で、あの一連の睡蓮や積みわら、ポプラ並木などの作品が生み出された。
というような解説はよく耳にするものですが、今回意外な事実を知りました。
今は日本人観光客も多く押し寄せるジヴェルニー村も、モネが移り住んだ当時は人口300人ほどの小さな村で、それもほとんどが農民。それが印象派巨匠の移住とそこから発表される作品のお陰で注目を浴び、1915年頃までに19カ国を超す300人以上の芸術家がここを訪れたそうです。しかも訪問者の70%がアメリカ人で、この村に滞在して制作活動をした画家も50人を超すことがあったとのこと。
本展はモネの作品のみならず、静かな一農村からインターナショナルな芸術家村へと変貌を余儀なくされたジヴェルニーで制作活動を行い、アメリカの印象派を形成したアメリカ人画家の作品に焦点を当て、計約75点で構成。
モネと睡蓮しか頭になかった私は「あら、そうなの?」状態だったが、よくよくチラシを見ると、英語の副題にちゃんと"THE BEGINNING OF AMERICAN IMPRESSIONISM"と謳ってありました。
そうそう、アメリカ人画家による出展作品の多くが「テラ・アメリカ美術基金(Terra Foundation For American Art)」の所蔵となっていますが、サイトをちょこっとのぞいてみたら、ビジネスマンでアート・コレクターだったDaniel J. Terra(1911-1996)という方によって設立されたものだそうです。
では章ごとに:
第1章 周辺の風景 1886~1890年
『花咲く野原、ジヴェルニー』 セオドア・ウェンデル (1889年)
この章は二つに分かれていて、アメリカ人画家たちがジヴェルニーで制作した一連の風景画と、「ジヴェルニーのモネ」と題して設けられたコーナーにモネの作品が9点。
村がパリからさほど離れておらず、英語も通じやすいという環境も手伝ってアメリカ人にも滞在しやすかったというような説明があったけれど、ある程度の規模の街ならともかく、こんな小さな村に英語が飛び交っていたらまるでリトル・アメリカ?
実際の作品はというと、アメリカの画家たちによる風景画は、まぁ可もなく不可もなくといったところでしょうか。どちらかというとボストンなど東海岸出身の人が多い印象で(もちろんカリフォルニア州の人などもいましたが)、ワスプ的というか、ヨーロッパを祖国として憧憬する心情も多分ににじみ出ているような気もしました。
第2章 村の暮らし 1890~1895年
『積みわらの習作:秋の日7』 ジョン・レスリー・ブレック (1891年)
秋の一日の時間の経過に伴う陽光の変化を追って、3日間で制作された計12点の積みわらの習作が、6点ずつ2段に分かれてずらりと並ぶ。積みわらを照らす光が逆光、側面、前面と移動していく様子を12段階で捉えていますが(公式サイトに展示風景を映した動画があるのですが、この12点をスライドショーのように映し出してくれるので光の変化がよりわかりやすい)、そのおにぎりのような積みわらの形や影は、モネの作品と比べるとずい分抽象化されているように感じます。
『朝霧と日の光』 ジョン・レスリー・ブレック (1892年)
そしてこちらが、習作を経て出来上がった作品。やはりきれいなおにぎり型(しつこいですね)に成形された積みわらが、少し湿り気の感じられる朝靄の大気の中、柔らかい朝日を受けて並んでいます。
『秋(新月)、ジヴェルニー』 ジョン・レスリー・ブレック (1889年)
さほど大きくない作品が並ぶ本展で最も大きい作品だったのではないかと思いますが、初めて「おっ」となった。うっすらと細い三日月が浮かぶ夕刻時の牧草地で羊の群れを連れて佇む羊飼いを描いたもので、どちらかというとバルビゾン風の抒情。じっと観ているうちに、少し傾斜している牧草地に自分も斜めに立っているような心持になりました。
第3章 家族と友人 1895~1905年
『メーベル・コンクリング』 フレデリック・ウィリアム・マクモニーズ (1904年)
一瞬、サージェントかと。自画像、室内画、肖像画と4点あり、筆致は印象派というよりはもうちょっとアカデミック寄りな感じ。初めて知った画家でした。
第4章 ジヴェルニー・グループ 1905~1915年
左は『庭の婦人』(1912年頃)、右は『百合の咲く庭』(1911年以前)、共にフレデリック・カール・フリージキー作。
ジヴェルニーでの活動も後半になると、アメリカ人画家たちの主題も風景から村の情景や庭の設定における女性/裸婦へと移っていき、それが20世紀のアメリカにおける「装飾的印象派」へとつながっていったそうです。
好みもありましょうが、フルージキーのむせかえるような色遣いにはビックリ。カラフルなアメリカのキャンディのようなというか、ネバダの砂漠にラス・ヴェガスを作ってしまう力技的というか、何ともアーティフィシャルな感じのする絵。だいたい「装飾的印象派」という言葉に何じゃそれ?と思ったのは私だけでしょうか?
このジヴェルニー・グループの画家たちも、中にはモネの義理の娘さんと結婚した人などもいたようですが、第一次世界大戦の勃発で大方は帰国の途に。
『睡蓮、水の光景』 クロード・モネ (1907年)
最後はやはり本家本元、モネの睡蓮シリーズ。今回展示されていた5点の中ではこの色彩が一番お気に入り。ホワイトの混ざった柔らかな緑色に紫がかったピンクの花が可憐。睡蓮の葉、花、周りの樹木などの色が溶け込んだ微妙な色のニュアンスを見せる水面が画面の半分近くを占め、清々しい感じも。
それにしても、ジヴェルニーの庭がどのようにして作られていったかという短い説明があったけれど、モネの作庭に向けた並々ならぬ情熱にも今一度驚くばかり。維持するのも大変でしょうけれど、どうか末永くオリジナルの姿のまま留まって欲しいものです。
本展は2月17日(木)まで。最後に挙げたモネの『睡蓮、水の光景』だけは2月7日(月)までの展示のようですので、もしご覧になりたい方はお早めにどうぞ。
こんばんは。
アメリカ人と日本人がとりわけ印象派の絵を好むと聞いてはいたのですが、モネを慕ってこんなにアメリカ人画家が大挙してジヴェルニーに集っていたとはビックリでした。ただし(本展に出ていた少数の作品を見る限りですが)、帰国後の彼らの路線は印象派の真髄から離れて行っているような感も否めませんでした。
ご無沙汰です。
実は十数年前、たしか銀座画廊?の方がジヴェルニー村に行きたいという事で地図を探した記憶があります。当時はインターネットも余り発達していなくて詳細の地図が無く訪れる事が出来なかったとの事です。
無事訪れる事が出来、後日個人で作成された立派な冊子を頂いた記憶があります。多分未だ家のどこかにありそうな気が。。。
コメント頂いていたことに、今頃気づきました。
新年以降またいろいろありまして、通知メールを見落としていたのかも。ごめんなさい!
記事の1年後にコメントを頂き、そのコメントを半年後にアップ。
なんちゅうテンポでしょうか。
でもこれに懲りずに、またのぞいてみて下さいね。
別途メールします。