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l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

再発見!クレパス画 身近な画材の可能性

2010-06-25 | アート鑑賞
うらわ美術館 2010年4月24日(土)-6月27日(日)



実は先月のGW中にたまたま観た展覧会。浦和に用事があったついでにランチでも、と浦和パインズホテルに行ったところ、入り口で本展のポスターを発見。列記してある作家の顔ぶれも錚々たるものだし、“GW期間中は無料”とあれば、足は自然と美術館入り口へ。実際のところなかなか楽しめる内容で、棚ぼたとはまさにこのことだと思った次第です。

本展はクレパスという画材で描かれた作品が集められた展覧会だが、まずは「クレパス」とはどんな画材かという説明から。展示室入口にあったパネルの解説によると、クレヨンとパステルの長所を活かして、棒状絵具として開発されたクレパスは、1925年(大正14年)に日本で生まれた。ちなみにクレヨンは19世紀末から20世紀初めにかけてヨーロッパで誕生し、日本には大正期の前半にアメリカから輸入されたと言われている。

そのクレパスも油脂類を使用しているために温度の影響を受ける。よって当初は「かたい・夏用」と「やわらかい・冬用」と2種類あったが、改良が重ねられて1年中同じ硬さの「本当のクレパス」が誕生したのは昭和3年。鮮やかな発色で重ね塗りも可能であり、紙への定着性にも優れ、そして廉価であるこの画材は、学校教育を通して普及したために子供のお絵かきの道具とのイメージが大きいが、多くの画家にも愛用されてきた。

そんなクレパス画を、本展ではサクラアートミュージアムと笠間日動美術館のコレクションから選りすぐった計77名の作家による146点と、うらわ美術館所蔵の竹内鶴之助のパステル画22点を加え、合計168点の作品で構成。

では印象に残った作品を少々挙げておきます:

福本章 『林檎一つ』 (2006)



色合いは淡い感じだが、いろいろな色が複雑に、繊細に塗り重ねられている。クレパスは、脇田和 『静物』(1950-60)のように油彩と見まごう程に力強く塗り込んだ、厚味のあるマチエールの作品にすることもできれば、この作品のように水彩画のような瑞々しさを残すことも自在。

通常油彩画だと、パレットの上でしっかり色を作ってキャンバスにのせていくけれど、クレパスの場合は元の色、筆触はそのままに上に塗り重ねて、独特の色のグラデーション、絵肌が出来上がっていく。筆触も、線にせよ色面にせよ、いろいろな強弱がつけられるのだ、と改めて思う。お花のカラーを描いた笠井誠一 『カラー』にしても、私の知るこの画家の明瞭な油彩画とは異なる繊細なタッチが見て取れ、これはこれで味があると思った。

須田国太郎 『マミジロとモクゲ』 (1950-60)



彼の油彩画でもお馴染みの、引っ掻き跡が画面全体を走る。思えば私も子供の頃、クレヨンで色を厚塗りしては引っ掻き落していた。でもマチエールを考えてのことなどでは勿論なく、削り落したカスで遊ぶため。凡庸な子供はやはり凡庸な大人になるもので(どうでもいいコメントですね)。

熊谷守一 『裸婦』



裸婦の身体を赤い輪郭線でシンプルに捉えているが、このようにササッと的確な線描を引くのはきっと難しい。肌を黄色で、髪の毛を青で塗っているあたりは守一独特の色彩感覚だと思って眺めた。

線描と言えば、5点ほど出展していた猪熊弦一郎のリズミカルな作品や、赤紫色のクレパスでデッサン風に肖像画を描いた船越桂「習作」(2002)も素敵だったし、西村愿定(ともさだ) 『牛』の、テントを張ったような牛の身体も印象に残った。



左は絹谷幸二 『春風』 (2006)、右は岡本太郎 『虫』

パステルは色彩が濁らず、鮮やかとあるが、赤い鼻筋がインパクを放つ絹谷作品の色遣いは本当に綺麗だなぁ、と思う。岡本太郎の、虫から放出されるエネルギーも、まさに芸術は爆発だ!という感じ。子供が自分の中で創造した怪獣を一心不乱に描いているような、と言うと失礼かもしれないが、何やら「絵を描く」と言う本能のほとばしりのようなものを感じる。

最後の展示室を埋める22点のパステル画を描いた竹内鶴之助という画家は、今回初めて知った。どんな人かというと、1881年に横浜で生まれ、1908年にロンドンの美術学校に留学。ジェームズ・スタットという人に個人的に師事し、油彩画とパステル画の指導を受けた。始めの頃は「雲が下手」だとか「絵描きの眼がない」などと言われたそうで、このスパルタ教育が功を奏したのでしょう、最終的に作品が王室のお買い上げになったり、ロイヤル・アカデミーの会員に推されるまでに。1913年に日本に帰国してからは文展に出品したり、日本パステル画会の顧問を務めたりしたとのこと。

「雲が下手」の一言がこの画家を発奮させたことは、そこにずらりと並ぶ雲を描いた作品からも如実に伝わってくる。ピンク、オレンジ、黄、青、緑、グレーと様々な色を美しく調和させた『黎明』から始まり、朝靄や月光がぼんやり射す晩など、時間や天候によっていろいろな表情を見せる雲や空の様子を、微妙なニュアンスの中に美しく表現している。

というわけで、最後に竹内作品を1枚。

『気になる空』



蛇足ながら、コンスタブルもイギリスの空にわき起こる雲を飽かず描いていましたね。ハムステッド・ヒースに寝転がって、ボーっと雲でも眺めていたいなぁ。。。

生誕120年 奥村土牛

2010-05-30 | アート鑑賞
山種美術館 2010年4月3日(土)-5月23日(日)
*会期終了



展覧会名には「開館記念特別展Ⅳ」とある通り、昨年10月1日に場所も新たに新築されて再スタートを切った種美術館の、開館を記念した特別展の一つであるらしい。スケジュールを見ると、今後もⅤ(「浮世絵入門)Ⅵ(「江戸絵画への視線」)、そして開館1周年記念展(「日本画と洋画のはざまで」)と続いていくようだ。いずれにせよ、私にとってこれが山種美術館への初めての訪問。そして奥村土牛(1889-1990)の個展というのも初めて観る。

まずは、この画家の経歴をチラシから要約:

1889年、東京・京橋生まれ。16歳で梶田半古塾に入門して画業の道へ。院展を活動の中心とし、横山大観、小林古径、速水御舟などから多くを学びつつ、「東洋画と西洋画」、「写実と印象」、「線と面」、「色彩と墨」、「立体と平面」という、相反する要素の間で試行錯誤を重ね、両者が融合した独自の芸術世界を築き上げる。101歳で亡くなる直前まで絵筆を持ち続けた。

尚、本名は奥村義三というが、土牛という画号は「土牛、石田を耕す」(石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては美田に変える)という唐代の詩から取って父が命名したそうだ。文字通りそんな画業を貫いて「九十の齢を出てやっと、自分の好きなものを好きなように描くという心境になれた」という土牛の残した言葉に感銘を受ける。

山種美術館は、本画・素描・書を合わせて135点の土牛作品を蒐集しているそうで、今回はその国内外屈指の「土牛コレクション」から選りすぐりの約70点が並ぶ。

構成は以下の通り。大きく二つの章立てとなっており、テーマごとに分けられた小コーナーも設けられていた:

第1章:土牛のあゆみ―大いなる未完成 
トピック1:清流会 
トピック2:干支の動物たち
第2章:土牛のまなざし―醍醐の桜と四季折々の草花
素描・画稿


では、印象に残った作品を数点挙げておきます:

『兎』 (1936)



都内にアンゴラ兎を飼っている人がいると聞いた土牛が、写生に出かけて描いた作品。いかにもフワフワの、兎の真っ白な毛並みが何とも言えず(画像では潰れてしまうが、繊細な毛が丁寧に描き込まれている)。観ているだけでその感触が手に伝わるよう。

『軍鶏』 (1950)



目に飛び込んできたときギョッとした。すごい存在感。鶏というより、あたかも老獪なおじいさんのようで、下手をすると説教でもされそうだ。

と思って図録の解説を読んだら、この軍鶏の持ち主は70歳前後の老人で、土牛が写生する傍らに常に腰かけ、尋ねてもいないのに軍鶏の性格や癖などについて丁寧に解説をしてくれたとのこと。もしかしてその持ち主の人格も少し反映されているのかな、と楽しく想像も。ペットは飼い主に似ると言いますから。

『聖牛』 (1953)



「目が楽しいから生きものを描くのが好き」「私の云う写生は、その意味の、外観の形よりも内部の気持ちを捉えたいということである」という言葉通り、土牛の描く動物たちはどこか人間っぽさが漂う。この作品は、出産後の「落ち着きと気品」が感じられたという、画面一杯に堂々と描かれた母牛とその子。胡粉を何度も塗り重ねられた白い身体は神々しく、上を向く表情は嬉しそうで誇らしげでもあり。

動物を描いた作品と言えば、静かに水中を泳ぐ3匹の鯉を描いた『緋鯉』(1947)も、それぞれの鯉の視線に思惑が漂っているようで印象的だった。

『雪の山』 (1946)



木立が西洋画風で、ちょっぴりセザンヌっぽい。と思ったら、資料展示のコーナーに師匠である小林古径からもらったというセザンヌの画集があった。「昔からなんといっても絵はデッサンがもとです。それを超えた芸術性はその人の心の高い低いで絵ができると思います」とは土牛の言葉。

画風は異なれど、何となくこの間の小野竹喬とイメージが重複するなぁ、と思ったら、二人とも生まれ年が同じく1889年。そうだった、両方ともチラシに生誕120年と書いてある。

この二人やその師匠たちと、この頃の日本画家が西洋画と盛んに対話していた様子がとても興味深い。実際ヨーロッパに乗り込んで画風を追求した竹喬に、日本を出ることなく、家の裏の畑で様々な作物を耕すがごとく自分のスタイルを追求した土牛、なんてイメージも浮かぶ。

『那智』 (1958)



縦273.4cmもある大きな作品。岩肌の色面がやっぱりセザンヌ。

『鳴門』 (1959)



漆喰のような厚塗りの画面で、とても迫力がある。

土牛の奥様が徳島の人で、彼女の実家からの帰途、船上から鳴門の渦潮を見て「描きたいという意欲がおさえ難くわき上がってきた」ため、妻に帯を掴んでもらって写生したとのこと。ターナーが嵐の絵を描くために、荒れる海に出てマストに自分の体を括りつけてスケッチした、という話を聞いたことがあるが(真偽のほどは知らない)、土牛の画家魂もすごい。

『城』 (1955)



見上げたアングルが面白い。歪みに味があって、城が威張っているようにも見える。

『門』 (1967)



私が今回観た中で一番胸に響いた絵。姫路城には昔、いろは順に名付けられた門が15あって、これは「はの門」だそうだ。重々しい木の門扉を開けると眩しいほどの白壁が現れ、更にそこに開けられた銃眼の向う側へ、と視線を誘う明暗の対比、奥行きの表現も素晴らしいが、何より眺めているうちに心が落ち着いてくる。作品の傍らには、門の横に正座してこの絵を制作中の土牛の後ろ姿を撮った写真があり、それがまた染みた。

『睡蓮』 (1955)



最後に軽やかな1枚。青味がかった鉢、オレンジの金魚、赤い蓮の花、緑の葉。色のバランスが絶妙で、いくら観ても飽きなかった。

あおひー個展 「すくいとる」

2010-05-26 | アート鑑賞
antique studio Minoru 2010年5月1日(土)-5月5日(祝・水)



ゴールデン・ウィーク真っ只中の5月3日にあおひーさんの個展、「すくいとる」を拝見しました。すぐに感想を書かせて頂くつもりだったのに、観に行った翌日の家丸ごとの燻蒸作業(結構大変)、その翌日の大掃除(更に大変)とタイミングを逸し、その後もドタバタして、はたと気づいたら5月も終盤という事態に愕然(ダメな私)。

今頃になって逆に失礼かもしれないと思いつつ、やはり自分用のアート鑑賞記録として残しておきたいと、あの日撮った写真の画像をPCに取り込んだりしていた矢先に、あおひーさんからご丁寧なお礼状と、作品をアレンジした素敵なしおりが!

 勿体なくて、しおりにはできません。

これからの季節にぴったりの、情緒あふれる作品。きっと雨の降る日に手に取ったら、しっくりと心に染みいることでしょう。あおひーさん、いつも細やかなお心遣い、本当にありがとうございます!

さて、個展「すくいとる」。経堂の駅から商店街を入ってすぐのその会場は、とても可愛らしいギャラリーでした。



扉を開けて「こんにちは~」と入っていくと、あおひーさんがちょうど先客の方々に作品の説明をされているところでした。

まずは作品を、と入口付近の壁に目をやると、昨年のグループ展で拝見したことのある作品が数点並んでいて、季節が異なるせいか、自分の心理状態のせいなのか、それらも少し異なって観えるから不思議でした。淡い風景に信号が浮かぶ『無題2』はやっぱり私のお気に入りです。

全体を見渡してみてまず思ったのは、モノクローム、カラー共に「黒」の存在感。目黒川に浮かぶ桜の花びらを撮った『限界線』は夜空にばらまかれた星くずのようだし(そいうえば今年の桜の花びらは、何だか白っぽかったなぁ、などと思いつつ)、黒い背景に赤いライトが連なって浮かぶ作品は色の対比にインパクトがありました。

そして、和紙に印刷したという一連の作品群。まるで銀河に浮かぶ惑星のようにも見えますが、全てグラスの中に入った水と氷を撮ったものだそうです。撮影時、少し酩酊状態だったりするそうですが、このような着眼点はさすが。

勿論ほんわりしたカラー作品もあり、椿をモティーフにした『椿(PINK&GREEN)」は色合いが本当に可憐で、今回とても人気があったそうです。

ところで、展示室のパネルにあおひーさんの解説があり、写真についてよく使われる「風景を切り取る」という表現に違和感を覚えていた、というくだりに興味を引かれた私。あおひーさんに「そもそもなぜこのようなピントをぼかした作品を撮るようになったのか」「どのようにしてその手法が出来上がったのか」と質問攻めに。。。

お答えによると(私の理解では)、デジカメ全盛で誰もが美しく写真を撮れるこの時代に、写真の作品でどのように個性を出し、識別化してもらえるか、ということがまず背景にあったとのこと。そしてぼかしのテクニックは、テクノのDJデッキの操作にヒントがあり(テクノもお好きだったのですね~♪)、本来カメラのマニュアルにはない操作で撮ってみたところ、期待していた通りの今の作風が誕生したそうです。

ひょいとポケットから取り出して見せて下さったカメラはとてもコンパクトで、そこからこのようなアーティスティックな写真作品が生み出されているなんて、改めて驚きです。

そして、いわば「切り取る」ことに違和感を覚えて生まれた「すくいとる」という個展のタイトルは、あおひーさんの柔らかい感性にぴったりだと思いました。何というか、私を含め普通の人が見落としてしまうような日常の中から、あおひーさんは何かをすくいとっているのだ、と。

今日もあおひーさんの感性は、あの小さなカメラを通して何かを捕えていることでしょう。次回はどのような世界を拝見できるのか、また楽しみに待ちたいと思います。

☆あおひーさんご自身が今回の個展の解説をされている記事をリンクさせて頂きます→こちら

所蔵水彩・素描展―松方コレクションとその後

2010-05-23 | アート鑑賞
国立西洋美術館 新館2階[版画素描展示室] 2010年2月23日(火)-5月30日(日)



チラシを入手した時からとても気になっていた企画展示。版画素描という展示作品の性格上、照明を落とされたあのシンとした小さな展示室に足を踏み入れるのは毎回楽しみだけれど、今回も期待にたがわず密度の濃い作品が並んでいた。

『舟にて』 (1900-06) ポール・セザンヌ



水分をたっぷり含ませた筆がサラサラと、縦に横にと紙の上をすばやく動き、緑と群青の帯を織りなしていく。身をかがめて作業する人々の姿は風景の中に溶け込んでしまいそうなほどおぼろげだけれど、観た瞬間、何とも言えずセザンヌ。

『背中を拭く女』 (1888-92頃) エドガー・ドガ



とても完成度の高いパステル画。力を込めて背中を拭く右手(こすっているところが赤くなってしまっている)に体を支える左手、と力強いポーズを取る女性の後ろ姿だが、描き込むドガの筆触も力強い。ドガの指先の力がダイレクトに伝わってくるようです。この、描き手の生々しい指の動きを感じ取れることが、素描や水彩画、パステル画などの魅力。

『聖なる象』 (1885頃) ギュスターヴ・モロー



魔法にかかったようにじっと立ちつくしてしまった。この絵には何かが漂っている。優美に舞う天女たちの翼がふわりふわりと妖気をこちらに送ってくるのか、じっとこちらを見る象の眼がこっそり呪文を投げかけているのか。このえも言われぬ美しさに、モローの魅力を再認識。

『漁船』 (20世紀初頭) ポール・シニャック



こちらに向かって停泊する漁船、水面にゆらめく反映、空にたなびく雲。きっとあっという間にスケッチしてしまうのでしょうね。淡い色合いも素敵。

『青い胴着の女』 (1920) パブロ・ピカソ



キャッチャーミットのようなごっつい手が凄いけれど、袖のふわりとしたブラウスの感じが好きでした。

他にもピエール・ピュヴィ・シャヴァンヌ『トレヴーの肖像』(1895)にドキリとしたり、ピーダ・イルステズ『縫い物をするイーダ』(1889年頃)を観て2008年のハンマースホイ展を懐かしく思ったり。

全部で38点の作品が並ぶ本展示は、フランク・ブラングィン展に合わせて今度の日曜日、5月30日(日)までです。




フランク・ブラングィン展

2010-05-22 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2010年2月23日(火)-5月30日(日)



公式サイトはこちら

「国立西洋美術館開館50周年記念事業」のトリを飾る展覧会、であるのに、私はこのフランク・ブラングィンという英国の芸術家を今回初めて知ることとなった。

フランク・ブラングィン(1867-1956)は、正規の美術教育を受けていないながら、油彩画、版画、家具、カーペット、陶器など様々な分野の作品やデザインを手掛け、それらはイギリスのみならずフランスやアメリカなどにも残っているとのこと。夏目漱石の『それから』にも登場し、その頃の日本では知られた芸術家であったらしい。

父親がブルージュでゴシック復興を担う建築家、インテリア・デザイナーとして活躍していたということや(ブラングィンはブルージュで生まれ、7歳まで過ごしたそうだ)、長じたフランク自身がウィリアム・モリスの元で職人としてカーペットの図案を写し取る仕事をしていたという点なども、ブラングィンの活動が分野的にも地理的にも多岐に渡っている背景としてあるように想像される。

展示会場入口の前に掛っていた、彼の油彩画の大きなバックドロップ(というのかな?)を見た瞬間、タペスリーみたい、と思ったのは私だけではないでしょう。よく知らずに画家だと思って足を運んだ本展だけれど、観終わってみれば装飾芸術家としての側面の方が印象に残る芸術家だった。

また、何より最大のポイントは、国立西洋美術館のコレクションの基礎となった「松方コレクション」とブラングィンの深い関わり。追ってもう少し書いておこうと思うけれど、大変興味深いストーリーでありました。

Ⅰ 松方と出会うまでのフランク・ブラングィン

この章にはブラングィンが手がけた家具類や油彩画等が並ぶ。最初の方で目を引く、サクラやナシなど様々な木材が組み合わさって作られた『版画キャビネット』(1910年頃)は、前面が人々の群像やフラミンゴなどが浮き出るような輪郭を持って象嵌細工され、工芸的に美しい。その画面にはブラングィンの絵の特徴がそこはかとなく漂っているようにも思う。

1895年、パリにある日本の美術・工芸品を扱う店のために制作された装飾画『音楽』は、人物も背景もとにかく茶色が支配していて、他の作品でもこの「ブラングィンの茶色」は私の中に強いイメージを残す。彼はスペイン、アフリカ、トルコへ度々旅行に出かけ、その豊かな色彩感覚を身につけたというような説明があったが、強烈な陽光に照らされた「土色」が画家の中にかなり強いインパクトを残したのではなかろうか?と思わずにいられない。

『海の葬送』(1890年)



航海中に船上で亡くなった人の亡骸が、仲間の手によって船から海へ葬られる水葬の情景。画題にふさわしく、さめざめとした色合いで写実的に描かれている。よく描けてはいるけれど、油彩画としては凡庸と言えば凡庸な印象も。パリのサロンで3等賞を取ったそうだが、何となく3等賞と言う感じ。

『ラージャの誕生日の祝祭』 (1905-08年)



ラージャを乗せている象と群衆が混ざり合って、判然としない混沌とした絵に私の目には映る。うねうねと勢いよく絵具が乗せてあり、箇所によっては刷毛のように広い筆でガシッガシッと塗られた感じ。この人のデッサン画や版画作品を見ると上手いなぁ、と思うのだけれど、この絵のみならず彼の油絵具の塗り方は個人的にあまり好きではなかった。『海賊バカニーア』(1892年)にしても、構図はおもしろいと思ったものの、カンディンスキーが絶賛するようにはピンとこなかった。ま、素人鑑賞者の好き嫌いの話ですから。

『孤独な囚人』 (1914-17)



これは次のⅡ章の、戦争絡みの主題の作品が並ぶ中にあった1点。リトグラフ作品で、ちょっと暗い主題だけれど、上手だなぁと思ってポストカードを買ってしまった。

Ⅱ フランク・ブラングィンと松方幸次郎

川崎造船所(現・川崎重工業)の初代社長である松方幸次郎は、第一次世界大戦の軍需を見越して先手を打ったお陰で、造船事業で莫大な利益を得る。1916年、取引で訪れていたロンドンでブラングィンに出会い、その芸術的才能にほれ込んだ松方は、以下の三つをブラングィンに依頼(サイトより引用):

①東京に建設する美術館のデザイン作成
②ブラングィン自身の作品の売却
③他のヨーロッパ絵画の購入

上記三つが順調に達成されていれば、東京にも欧米の美術館に引けを取らない美しい西洋美術の殿堂が出現していたことでしょう。しかし。。。

松方は220点を超えるブラングィンの作品を収集したにも関わらず、日本の税法の変更や川崎造船所の経営危機などにより、ブラングィン以外の作品も含めそのコレクションはロンドンの倉庫に長らく足止めをくらうことに。そしてこともあろうに1939年にその倉庫が火事に遭い、そこにあった作品は全て焼失。何という大損失でしょうか。今我々が西美で観られる松方コレクションは、奇蹟的にフランスに残され、寄贈返還されたものだそうです。もしロンドンにあったコレクションも全て揃っていたら・・・(涙)。

そして①。日本に欠けていた文化環境である美術館の建設を、という松方の高い意志を汲んでブラングィンが設計したその美術館は「共楽美術館」と命名され、この章ではその俯瞰図や図面なども展示されている。噴水のある中庭をぐるりと囲む回廊型の美術館は、想像するだにルネッサンス好きには堪らない建造物。しかし、やはり川崎造船所の経営悪化に伴い、実現ならず。ちなみにこの美術館は麻布に建てられる予定だったそうである。

『松方幸次郎の肖像』 (1916)



泰然とした感じの松方幸次郎を、すばやくキャンバスに写し取ったブラングィン。

『背後に別館を配した美術館の俯瞰図』 (1918) 



これが幻と終わった「共楽美術館」。会場には資料を元に再現されたCG映像も。

Ⅲ 壁面装飾、版画。その多様な展開

ブラングィンは生涯に18点もの壁画を制作したそうだ。うちイギリスにある二つの作品について会場で映像が流されていたので、ちょうど足が疲れてきた頃でもあり、ゆっくり座って鑑賞した。

一つは、ロンドンにある「スキナーズ・ワーシップフル・カンパニー」のホール上方の壁面装飾。カンパニーの歴史をシーンごとに描いてパネルにしたもので、ぐるりとフリースのように部屋を囲んでいる。何というか、家具の木製象嵌細工のような、いかにもブラングィンらしい独特の茶色っぽい画面。

もう一つは彼が下絵を描いた、リーズ市のセント・エイダンズ教会のモザイク壁画。ふと思ったことだが、輪郭のはっきりしたモザイクだとブラングィンの構図がより分かり易い。ステンドグラスの作品はデザインしなかったのかしら?

この章で印象に残ったのは、私の好きなピラネージの趣を漂わせる、建造物を配した風景版画作品。『ジェノヴァのサン・ピエトロ・ディ・バンキ』(1913)はとても良かった。これを含め、東京国立博物館がブラングィンの版画作品を多数所蔵しているのは嬉しい限り。

会期は5月30日(日)までと残すところあと僅かになってしまったが、常設展の「所蔵水彩・素描展―松方コレクションとその後」(こちらも5月30日まで)もとても良かったので、合わせて是非。

マネとモダン・パリ

2010-04-23 | アート鑑賞
三菱一号館美術館 2010年4月6日(火)-7月25日(日)



公式サイトはこちら

4月6日(火)に丸の内に開館した三菱第一号美術館。新しい美術館ができる、というのはそうそうあることではないし、ずい分前から新聞その他でいろいろ報道されていたから、興味津津だった。

一応この美術館の歴史をごく簡単に説明しておくと、「三菱一号館」は1894年にイギリス人のジョサイア・コンドルの設計により建設されたレンガ造りの建物。1968年に解体されるが、このたび内装も含めオリジナルに忠実に再現され、美術館として生まれ変わった。

そんな美術館のこけら落としがエドゥアール・マネ(1832-1883)に関する展覧会とくれば、気分も更に高揚。「近代絵画の父」と紹介される彼の画業については、実のところ『草上の昼食』や『オランピア』について何となく理解している(と思っている)程度で、マネの作品を一度に沢山観る機会自体これが初めてとなる。

いつもはのんびり構えている私も、今回は開催2日目の平日に足を運んでみた。お日柄もよく、有楽町からてくてく歩いて行くと、報道でさんざん目にしたヴィクトリア朝風の赤レンガの建物が忽然と目の前に。後ろには34階建てのオフィスビルがそびえ立ち、ちょっと奇妙な光景(でも今や、本家イギリスでもロンドン塔の横に高層マンションが建つご時世ですから)。本展のチラシやチケットに使われている『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』のフラッグが頭上高く風にはためいている下に入り口を見つけたが、どうもそこから入れるのは日時指定券を持っている人だけのようで、一般チケットの人は後ろの広場入り口へ回り込むよう但し書きが出ている。

この美術館は入口が二つあるのかと思いながら、矢印の方向へ曲がりこんだ瞬間、私のテンションは一気に上昇。そこには、狭いながらあたかもロンドンの小路に入り込んだような空間が広がっていた。美術館の赤レンガの壁、陽光の中に眩しい芝や樹木の緑、カフェのテーブル、ベンチに座る人々(芝地がもっと広くて人々が寝転がっていたら更にいいけど、いかんせんここは丸の内のオフィスビルのど真ん中)。「ブリックスクエア」と名称された一角らしい。のちほど丸の内で働く友人に聞いたら、たまにこのあたりでランチをするそうで、丸の内のオアシスだと言っていた。羨ましいなぁ。。。

さて、いよいよ美術館の中へ。元々銀行に使われていたという1階部分だが、当日券売り場は当時の窓口のような風情を醸し出していて、レトロ感がなかなかいい感じ。展示を観るにはまずエレベーターで3階に上がらなくてはならないようなので、招待券を持っていた私はそのままエレベーターの方へ向かった。が、その手前で何やら携帯端末でお客さんのチケットをスキャンしていたタッフの人から、招待券の引き換えが必要なのでまずはくだんの窓口に行くよう指示が。何だそりゃと思いつつ、言われた通りに窓口に戻って招待券を差し出すと、QRコードの入った小さめのチケットを渡された(招待券は半券がちぎられて一緒に戻ってくる)。どうもエレベーターの前でそのQRコードをいちいち読み取っているらしい。招待券や前売り券を持っていても、この、時代に逆行したようなシステムは今後も続行するのでしょうか?

いつになく前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題へ。

本展は、「マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもの」(チラシより抜粋)。

代表的作品といっても、さすがに『草上の昼食』や『オランピア』などはないが、出展されたマネの油彩画、素描、版画は80点を超え、他の同時代の作家たちによる作品や写真などの資料を合わせると展示数は150点以上にもなり、とても丹念に構成されている。改めて思えば、サイトにも書いてある通りマネは51歳の若さで亡くなっており、よって画業も短く、作品の希少価値の高さから美術館同士の貸し借りもなかなか難しい。実際この画家の個展は世界でもそれほど開かれていない、と聞くと、油彩画だけでも今回よくこんなに集まったものだと思う。

本展は3部構成になっているものの、1章の手前にいわば導入部のような部分があって、本来3章に組み込まれている作品がそこにあったりと、必ずしも順番通りに掛っていない。私はとりあえず出品目録の順に従って、印象に残った作品を挙げておきたいと思います(画像にアップしたのは、すべてマネの作品):

Ⅰ. スペイン趣味とレアリスム:1850-60年代

『ローラ・ド・ヴァランス』 (1862)



マネが関心を寄せ、ルーヴルで模写をしたベラスケスなどの17世紀のスペイン絵画は、当時あまり知られていなかったという。端的にではあってもこのような意外な事実を知る度に、画家への理解も深まる。この作品も、スペインの踊り子が大胆な筆致で描かれ、マネのスペイン趣味を思わせる一点。衣裳が色彩のごった煮のようだと批判されたと言うが、私は体型の方が気になった。プリマドンナにしてはずい分体格がいいような気が。。。

『死せる闘牛士(死せる男)』 (1863-1864/1865(切断と改変))



この絵は実はもっと広範囲に闘牛場の情景を描いたものだったが、遠近感が奇妙などと批判され、画家が上下に切断してしまったもの。今回展示されているのはその下半分の方のみで、他の闘牛士などが描かれた上部は横に写真が展示されていた。そんな作品なので、無背景の中ちょっと闘牛士の身体が宙に浮いているように見えなくもなかったが、闘牛士自体は美しく描かれていると思う。ポーズや表情が穏やかで、まるで劇中のシーンのようでもあるけれど、頭髪、眉毛、衣裳、靴、とマネの黒が引き立つ。

『街の歌い手』 (1862頃)



地味と言えば地味な絵だけれど、黒い帽子、上着の縁取りがメリハリを出しているせいか、やはり人物の存在感は浮き立っている。何とはなしに、小学生の頃好きだった『笛を吹く少年』(恐らく新聞のおまけの複製画)を思い出した。目の辺りがちょっと似ているのかな。今思えば、背景は何も描かれていない斬新性とか、遠近だの輪郭線だの全く知らずに、『笛を吹く少年』は単純に子供心をも捉えたということなのでしょうね。

『エミール・ゾラ』 (1868)

 

マネと親交の深かった小説化エミール・ガレの肖像画。これは文句なしに素晴らしい絵です。目に飛び込んできたときの絵の放つ力が違う。この作品を観られただけでも来てよかったと思った。背景には『オランピア』や浮世絵、琳派風の作品がさりげなく描き込まれ、マネ自身の主義主張も込められている。乱雑に置かれた机上の書物の中にさりげなくMANETの署名があるのもニクイですね。

マネが「近代絵画の父」と言われる所以の一つは、パネルの解説を元に理解すると、「主題の優越や、遠近法・明暗法を用いた三次元空間の描写」という、それまでフランス画壇で主流であったアカデミックな教義に従わなかった点。とはいえ、マネはルーヴルでオールド・マスター達の模写に励んだり、オランダやイタリアなど美術館巡りの旅もしたりと非常に研究熱心な人だった。その温故知新の土台があってこそのマネの解釈を、この肖像画は雄弁に語っているように私には思えます。

先に挙げた『街の歌い手』もそうだが、主題の優越という点では、ボードレールの影響で「ささやかな日常や市井の生活」に題材を求めたという解説があり、『扇を持つ女(ジャンヌ・デュヴァルの肖像)』(1862)などもその一つ。この作品は、アンバランスとも思えるプロポーションや粗い筆触が見てとれて、素人目に観てもマネの実験性が強く感じられるように思う。他には『オランピア』の習作なども印象に残った。

Ⅱ. 親密さの中のマネ:画家と友人たち

1870年に勃発した普仏戦争に従軍したマネ。続く内戦などで荒廃したパリを離れ、地方で制作された作品や、マネの生涯の友人であったという詩人ステファヌ・マラルメ訳の、エドガー・アランポー『大鴉』のための挿絵などが並ぶ。しかしやはり一連のベルト・モリゾの肖像画は大変興味深かった。

『横たわるベルト・モリゾの肖像』 (1873)



2007年に東京都美術館で開催された「オルセー美術館展」で初めて『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』(1872)の前に立った時は、ただただうっとり眺める以外なかった。黒ってなんて美しいのだろう、と思った。この度その作品を含め、計5点のマネによるモリゾの肖像画が一部屋に集められており、本作品はそのうちの1点。

逆光の中でじっと正面を見据える『すみれ~』に比べ、この作品では横たわってリラックスした姿勢で、柔和な視線をこちらに投げかけてくる。いずれにせよ利発そうな大きく瞳が印象的な、可愛い顔立ちの人だったことがとわかる。

Ⅲ. マネとパリ生活

この章では、マネ後期の作品や、他の画家による当時の華やかなパリの風俗を描いた油彩画などと共に、産業化著しい19世紀パリの様子を示す写真やら建築物の図面など、諸々の資料が沢山盛り込まれている。

『ラトュイユ親父の店』 (1879)



この1枚の絵は部屋をぱっと明るくする。こういう時、絵ってすごいな、と思う。マネは印象派展には一度も出展しなかったが、画風の影響は受けており、明るい色彩で清々しく描かれたこの作品はそんな1点かと思われる。ブリックスクエアのカフェにこの作品の模写を掛けたらぴったりじゃないでしょうか?

マネの油彩画としては他に、レモンやリンゴ、花などを描いた静物画の作品群が珍しかった。また、さり気なくドガの美しい油彩画『ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場』(1872)が観られて得した気分に。ドガも秋口に横浜美術館で個展がある。

図面などの資料では、横で「あら、ポン・ヌフよ」とご主人に嬉しそうに囁いているマダムがおられたが、パリ好きの人には充実した内容で楽しめるのではと思う。 エクトール・オローという人の手による『パリ市のためのオペラ座建築設計案』(1843)などは、設計のための図案で括るには惜しいほど繊細な作品だった。建物の周りに集う人々の描き込みも風情があって、今ならこの手の図案はCGでチャチャッと作ってしまうのでしょうが、やはり手描きの深さは違う。

7月25日までのロングラン開催ではあるけれど、場所柄、そして話題性でGWや週末などは結構混雑すると思われるので、なるべく早めに、出来れば平日に行かれることを勧めします。

「見つめる」展

2010-04-20 | アート鑑賞
川口市立アートギャラリー・アトリア 2010年4月17日(土)-5月30日(日)



家から徒歩で行けるギャラリーでの企画展。曇天ながら前日の雪(!)が消えた麗らかな日曜日の午後、散歩がてら足を運んでみた。こんな天変地異ともいえる異常気象の中、まだしぶとく咲いている桜の木も結構あるものですね。

さて、「見つめる」と題されたこの展覧会では、野田弘志、大野廣子、諏訪敦という全く画風の異なる3人の画家の作品が並ぶ。

私なんぞが言うまでもなく、「見つめる」ことは創作の原点。対象に形があろうとなかろうと、描き手はそれに対峙し、じっと見つめる。今回の三氏は形があるものを見つめて具象絵画を描くが、ふと思うに、芸術家の方ってもの凄く眼光が鋭い感じがしませんか?残念ながらこのお三方にはお会いしたことがないのだが、今まで自分が遭遇した画家の方たちを思い起こすに、やはり目力が印象に残る人が多い。

ま、それはともかく、この展覧会でも上記3人の画家の目を通して見つめられ、それぞれの感性、技法で平面に再構築された世界が展開する。ギャラリー入り口から野田氏、諏訪氏、大野氏の順番に一部屋ずつあてがわれての展示だったので、その順に回って行った。

【野田弘志】

チラシに使われている『やませみ』(1971)の作者である、超絶技巧の写実画家。お名前は存じ上げていたが、実作品を拝見するのは今回が初めて。

「私は絵によって人が存在することの意味を、生きていることの意味を深い次元で探りたいと考えています」という言葉で始まる入り口のパネルには、「神が天地を創造したように現実のものを再創造したい」、そしてそれは「不可能への挑戦かもしれない」という画家のコメント。

制作に膨大な時間がかかるから生ものは描けない、という率直な言葉に思わず微笑んでしまったが、そんな画家がモティーフに好んで選ぶのは、本人が「造形の絶妙なお手本」と言う化石、骨、髑髏など。背景は漆黒だったり、モティーフが白い台に載っているだけだったりと、主役以外の描き込みはほとんどない。

しかし、対象物の完膚なきまでの描写には息を飲むほど。画像だと平坦に見える『かわせみ』をしゃがんで見上げてみたら、モティーフのところだけ筆跡が盛り上がり、油絵具が光っていた。

『黒い風景 其の三』 (1973)

刈り取られ、束ねられた黄金色の麦の穂。その下には葉脈が活動を終え、乾燥してカサカサになった枯れ葉が積もる。しかし、その周りに細かく舞っているのは孵化した蛾。これは画家にとって期せずして起こったことで、麦の穂にいつの間にか蛾が卵を産みつけており、制作中にこのような状況になったそうだ。ある意味ヴァニタス画のようでもある。



鉛筆画も何点かあり、『グラスとピーナッツ』(1988)は、変わった形のグラスの中で、今にも氷がカランと軽やかな音を立てて動きそう。どの作品も繊細だけれど、署名の文字がまたミクロ。

70歳を超えて尚、「私の絵はまだまだ全然描けていないです」と言い、「もうやることはやり尽くしたという人もいますが、いつの時代もそういうところから出発するもの」という飽くなき絵画への情熱は本当に凄いと思います。

【諏訪敦】

薄暗い空間に、何やら不穏なコントラバスとチェロの演奏が流れる展示室(私は機械に疎いのでよくわからないが、ギャラリー入り口で頂いた資料によると、今回の展示に合わせて特注されたという音響装置が部屋の片隅に置かれている)。入口のパネルには「さまざまな眠りの様相を通して“ひとつながり”のサイクルを観ていただけたら」というコメントがあった。ここで言う眠りとは、乳幼児の無垢な眠りから遺体の永遠の眠りまで、そして麻酔による人為的なものも含む。

『untitled』 (2008)



入り口入ってすぐに掛っている作品。鉛筆のみで、すやすやと眠る乳幼児の姿が精緻に描かれている。“ひとつながり”の人生というサイクルの、そしてこの展示の始まり。

でも、その穏やかな絵から目を離し、展示室をぐるりと見渡すと強い衝撃を受ける。入り口から見て正面の壁には、鼻の穴や耳に綿をつめた、画家の父親の死に顔のアップが大きな画面に描かれているのだから。

一瞬怯むが、とりあえずまた順に従うことにして壁に目を戻す。

乳児期の次は若年期、全裸の若い女性が眠る姿を捉えた「スリーパー」シリーズ。ベッドの上で身体をくの字に折って眠る全身像や、水槽のようなものに下半身を浸して目を閉じる姿が続く。『うつらうつらと、流れた』(2006)は、確か2007年のDOMANI展で拝見した作品。ベッドの上で子供のように眠る、美しい女性の裸体が写実的に描かれているこの絵を観たとき、画家のアトリエで全裸で眠り込むモデルの心境とはどんなものだろう、と思ったものだが、展示室に置いてあった図録の作家のインタビューをざっと読むと意外なことが書かれていた。何でも、モデルの肉体的負担の少ない方法ということで眠ってもらったのがきっかけだったと(中にはタヌキ寝入りのモデルさんもいたとか)。

さて、いよいよ人生の終わりに向かっていく。作家のお父様がチューブにつながれながらICUのベッドに横たわる『father』(1996)。そして、最初に目に飛び込んできて衝撃を受けた、死に顔を描いた『gaze』。まだ未完なのだそうだが、これは作家いうところの「遺体の絶対な静寂」。

私を含め、何故この画家は実の親の死に顔をこんなに冷徹なまでに写実的に描くのだろうか?と思う人もたくさんいることでしょう。作家は「父の死に目にあえず、それがある種の執着につながった」とし、荼毘に付すまでの二日間、遺体の傍らで死に顔のデッサンをしたことは死を受け入れる儀式に似たプロセスであったと述べている。

そう聞いても私などは、このように表現せずにはいられない人の精神の営みは、しかしやはりその表現者にしかわからないと思うのが精一杯。

ところで諏訪氏は「本来的な意味での写実絵画を全うできている画家は、(今の自分も含め)残念ながら日本には一人もいないかもしれない」と言っている。野田氏といい、写実の画家の制作態度には本当に厳しいものを感じます。

【大野廣子】

今回唯一の日本画家。「モンゴルのゴビ砂漠で月と太陽に挟まれたとき、地球が浮かんでいるのを実感」したことが、自分の画業に影響を与えているとのこと。制作道具一式を戸外に持ち出して描く日本画家というのは異例だそうで、確かに作品は自然観察をダイレクトに作品に描き出しているという印象。

『日月山水図屏風』 (1995)



六曲一隻(172.4x360.0cm)の屏風絵。画家の口からセザンヌの名が言及されていたが、画法の違いこそあれ(膠がすぐ固まってしまうので、このような大作を戸外で描くのは大変とのこと)、樹木の緑色が何となくセザンヌのそれを想起させる。本作品は背景の水色もとても美しい。

画像はないが、こちらも六曲一隻の『銀河図屏風 エンデバーに捧ぐ』(1991)は、深みのある濃紺の宇宙を背景に、上から夥しい光の粒子を降らせたように銀河が滝のように注ぎ込まれた作品で、しばし見とれた。

本展は5月30日(日)まで開催しているので(入場料は300円)、お近くに来られた際は是非お立ち寄り下さい。

生誕120年 小野竹喬展

2010-04-15 | アート鑑賞
東京国立近代美術館 2010年3月2日(火)-4月11日(日)
*会期終了



「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」という「奥の細道」からの句が添えられたチラシの作品に、ずっと心を惹かれていた。水田をこんなふうに美しい水色に描く小野竹喬とは、どんな画家なのだろう?

もうとっくに終わってしまった展覧会だけれど、鑑賞の記録を残しておきたいと思います。

まずは小野竹喬(1889-1979)の画業の変遷を、パネルの説明からざっとまとめておきます:

1903年に竹内栖鳳に師事。写生派の伝統とカミーユ・コローの写実表現を融合させた師の元で、竹喬自身もセザンヌや、富岡鉄斎の南画に関心を寄せていく。そんな中、自分の目指す写実表現を岩絵具にて表すことに無理を覚え、1921年に渡欧。約1年間の滞在で再認識したのが東洋画における線描写。帰国後は南画風の表現に至るも1939年頃に転換期を迎え、日本画の素材を活かした大和絵風の表現へ向かっていく。最晩年は水墨画も取り入れた。

そのような試行錯誤を繰り返した竹喬の生誕120年を記念して企画された本回顧展では、初公開作を含む代表作100点とスケッチ50点で構成。画業の大きな転換をみた1939年頃を境とし、、「第1章 写実表現と日本画の問題」「第2章 自然と私との素直な対話」という二つの章立てになっていた。

また、第1章のあとに「特集展示1 竹喬の渡欧」、第2章の終りに「特集展示2 奥の細道句抄絵」というセクションも設けられていた。

では、印象に残った作品を挙げていきます:

第1章 写実表現と日本画の問題

『島二作(早春・冬の丘)』 (1916)

  

最初にパネルの解説を読んだせいか、この章に並ぶ風景画の数々は、色彩の力強さや画面構成などがやはり西洋画を意識して描かれているような印象を受けるものが多かった。この春と冬の景色が対になっている作品は、縦長ながら前景、中景、後景と構成が西洋画のようにきっちりしているように思う。

『花の山』(1909)は、起伏のある山道に薄ピンクの花が咲き誇る桜の木がとてもきれい。折しも東京は桜の季節、人工的に整然と並ぶ桜並木と、その周りにぎっしり集って飲食する人々という情景に比べ、このように山里に自然に咲く桜はさぞや美しいことだろうと憧憬した。

『南島四季のうち春秋』(1913)はどことなくスーラを想起させられ、『七瀬』(1915)、『初夏之海』(1915)、『郊外の家』(1915)、『桃咲く頃』(1915頃)などはゴーギャンを思わせた。『七瀬』は茅葺屋根の家が描かれているけれど、西洋の村のようにも見える。『瀬戸内の春』(1916頃)はどことなくメルヘンな感じで西洋の絵本の挿絵みたい。『夏の五箇山』(1919)は、解説に「岩絵具の特性のため平坦な印象」とあったが、よく観ると森、木々、山並みなど緑色を丁寧に捌いている。本作の2年後の1921年に、竹喬はとうとう渡欧することになるのですね。

「特集展示1 竹喬の渡欧」

1921年に渡欧した竹喬と、同行した土田麦僊によるイタリアやフランスなどで制作されたスケッチ作品が展示されていた。セーヌ河、ピサ、コロッセオ、アッシジ、ポンテ・ヴェッキオなど名所の数々。湿気の多い日本と異なり、色の彩度が高いヨーロッパの青い空や海、樹木の明るい緑、重量感のある石造りの建造物などを目の当たりにし、竹喬は何を想っただろう?油彩画をやりたいとは思わなかったのでしょうか?(←すごく素朴な疑問)

第2章 自然と私との素直な対話

展示室をぐるりと見渡すと、青、緑、サーモンピンクが目に飛び込んでくる。入り口にあった解説パネルに、竹喬は「中国絵画や西洋画にはない純粋な日本山水画を創造しようとする大和絵新解釈の時代」に入ったとあったが、渡欧後、構図は短略化され、色彩がより大らかになった印象を受けた。

『奥入瀬の渓流』 (1951)

早い渓流の流れが、薄いピンクとブルーのパステル調の色彩で表されていて美しい。日本の山の渓流というともっと嶮しい感じがするものだけれど、竹喬の手にかかると(大きな木が渓流の上に倒れて画面を横切っているにもかかわらず)、優しい作品になる。

『高原』 (1956)



高原の斜面、青い空、湧きおこる雲、というミニマムなモティーフで夏の高原の雄大な風景を大胆に描き切った1枚。雲が姿を変えながらどんどん流れていくような、山の上の気流に包みこまれる感覚を覚えた。

『黎明』 (1960)

右から左へ伸びる、葉の落ちた木の梢。枝の向うに薄いピンクの雲が一片たなびく。背景の青が深くきれい。この青を出すのに竹喬はとても苦労した、と確か解説にあったと記憶しているが、そばに寄ると顔料がキラキラ輝いていた。

『宿雪』 (1966)



春先、木の根元から雪が溶け出すことを「根開け」というそうだ。これはその情景を描いた作品。しなやかに伸びる細い木の幹は、緑色だったりオレンジ色だったり。それらの根元の雪は、木の体温で溶けたように楕円に穴があいている。幻想的で美しい作品。

『野辺』 (1967)



目線を下げて、草花を見上げた構図。竹喬の自然観察の目は万遍なく行き渡る。青い空と天高くたなびく真っ白な雲を背景にそよぐ、野辺の草花がとても爽やか。

『池』 (1967)



池のブルーの諧調と浮島に生える草の緑。そよそよと風が渡ってくる。

『日本の四季 春の湖面』 (1974)



柔らかいパステル調の色彩がきれい。竹喬はブルーのイメージが印象に強いが、このようなエメラルド・グリーンと、恐らく春の夕日が湖面に反映したのであろうピンク色の溶け合う画面も美しい。

『茜』 (1978)

80歳を過ぎてからの作品もずい分展示されているが、竹喬の筆や観察眼は衰えることなく、相変わらず木々の枝ぶりなど繊細で、表現もみずみずしい。最晩年は墨絵にも関心を持ったそうだが、亡くなる前年、89歳のときに描かれたこの作品は画面下方が墨絵で木立が描かれ、上方はパステル調のブルーの空にピンクの雲がたなびく。

『奥の細道句抄絵 まゆはきを俤にして紅粉の花』 (1976)



「奥の細道」の句意を絵画化したシリーズの作品10点が並ぶうちの1点。どの作品も構図は単純化されながら、詩情豊か。この一連のシリーズ制作にあたり、竹喬はまず句を選び、娘婿に現地に赴いて撮影をしてもらい、その写真を元に絵の構想を練り、満を持して自ら現地への取材旅行を敢行したそうだ。この作品では、竹喬ブルーともいえる青を背景に、黄味がかったオレンジの紅花が3輪、思い思いの方向へ茎をしならせ可憐に咲いている。余談ながら俤は「おもかげ」と読むのですね。難しいな漢字って。

『奥の細道句抄絵 田一枚植ゑて立ち去る柳かな』 (1976)

冒頭に挙げた、チラシに使われている作品。春風にそよぐ柳の若葉の明るい緑、手作業で丁寧に植えられた稲、水が張られた水田に写りこむ白い雲。この作品は紛れもなく日本人の心そのもの。

美術館を出た後、竹喬の作品を想い浮かべながら皇居のお堀沿いに友人の待つ丸の内まで歩いた。お堀伝いに植えられた木々を見上げ、ああ、竹喬はいつもこうして自然の風景を見上げたり、見渡したり、足元に目を落としながら、何十年も描き続けたんだなぁ、としみじみ思った。


第29回 損保ジャパン美術財団 選抜奨励展

2010-04-01 | アート鑑賞
損保ジャパン東郷青児美術館 2010年3月13日(土)-4月4日(日)



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損保ジャパン美術財団より全国の公募美術団体に授与される「損保ジャパン美術財団奨励賞」。その受賞作を展示する本展覧会も、VOCA展と並んで私が毎年この時期楽しみにしているものの一つ。今回は平面作品部門の作家36名、立体作品部門の作家17名(立体作品は隔年開催)、推薦作家26名の作品、合計79点が集った。

私の油絵の先生が三軌会に所属されているので、三軌展をはじめ国展や二紀展などには何度か足を運んだことがあるが、絵画だけでもプロ・アマ問わず100号以上の夥しい数の力作が美術館の壁を覆い尽くしていて、日本の絵画人口の多さにいつも驚かされる。それぞれに特色を持った美術団体の数も全国に一体いくつあるのかわからないけれど、そんな中で「選ばれた新進作家たち」の多様でハイレベルな作品を一度に拝見できるのは貴重な機会に思える。

コンクール形式にもなっている本展の、今回の受賞作品をまず挙げておきます:

<平面部門>
損保ジャパン美術賞 
杉本克哉 『distance/ヘイタイ来ても、トマトつぶれても・・・』 (2009)

秀作賞
大川ひろし 『行き場をなくした素顔』 (2008)
田尚吾 『記憶に咲く花』 (2008)
三宅設生 『リビドー競争』 (2008)

<立体部門>
新作優秀賞
加治佐郁代子 『キノキの記憶』 (2009)

新作秀作賞
中村隆 『思考 No.8』 (2009)
藤澤万里子 『次元の廻廊』 (2009)

では、個人的に印象に残った作品を:

永原トミヒロ 『Untitled 09-01』 (2008)
人影もなく、家が数軒並ぶだけの殺風景ともいえる情景を、青っぽいモノクロームの色彩でぼんやりと描いた作品。作家が住む大阪の町を描いたそうだけれど、実在感がなく誰もが心に持つ心象風景のよう。夢の中の世界のように儚げ。

水野暁 『The River α+(共存へのかたちについて/吾妻川』 (2008)
卓抜した写実描写で、画面全体をグレイトーンで描いた川原の風景。グレイといってもきっと様々な色を混色して出しているのでしょうが、川辺に転がる大小の石やら草やら何やらの質感を、ほとんどモノクロームの色彩で画面に立ち上がらせる技量はすごいなぁ、と思った。これだけ色数の揃った油絵具で、敢えてこの色世界。奇しくもお隣が墨絵の作品だったので、思わず両者を見比べながらそんなことを思ってしまった。

田中晶子 『動くと動く。ゆうるりと』 (2009)
悠然と水面から顔を出すカバの顔。水野暁のシブい作品に浸った直後だっただけに、この絵が目に飛び込んできたときはその明快さが愉快だった。水面を悠々と移動するカバの顔の回りにはその動きで出来た波紋がゆらゆら。近寄って観ると、その波は青磁色とシルバーとで美しく表現されていた。

伊庭靖子 『untitled 12-2009』 (2009)
染付の光沢部分をアップで描いた作品。いつ観てもいいですね。

大鷹進 『パンドラの朱い実』 (2009)
繊維だけになったほおずきの房。透けて見えるその房の中には橙色のまん丸い実があり、緻密に描き込まれた網状の房(や房の外の地上)には小さな人間たちがうごめいている。赤黒い背景は美しくもあり不穏な感じでもあり。

榎俊幸 『獏図』 (2009)
あの、夢を食べて生きるという想像上の動物である獏の絵。アクリル絵画だけれど、金箔も使われていて琳派風といえばそんな感じ(に私には見える)。典雅な草花や雲を背景に、尻尾をもたげ、牙の生える口を開けてこちらにのっしのっしと向かってくる、ちょっと恐竜系のパワフルな獏。身体を覆う鱗のような模様、尻尾に走る細く繊細なスジなど、私が今まで見たどの獏よりもゴージャス。

朝倉隆文 『流出スル形ノ転移』 (2009)
植物の根のような細いものがのたうち、よく観ると西洋の顔立ちの具象も描き込まれ、観れば観るほど混沌。墨でよくこんな緻密な描き込みができるものだと見入った。

杉本克哉 『distance/ヘイタイ来ても、トマトつぶれても・・・』 (2009)
正直、まな板の上のトマトとその周りに群がる銃を持った兵隊たちという作家の感性に、自分が共有できる部分はすぐには見当たらなかったけれど、トマトと流れ出す中身の質感描写のリアルさは印象に残った。

青木恵 『狭間を渡る』 (2009)
岩絵具で描かれた華やかな作品。純粋にきれいだなぁ、と思ってしばし観ていた。赤で輪郭を引かれた金色の大きな花を中心に、ほのかに色づく白っぽい花々が咲き、薄いブルーの蝶が舞う。背景の明るい青色も美しかった。

藤澤万里子 『次元の廻廊』 (2009)
立体作品。ステンレス・スチール製の筒の中を覗き込むと、高透明シリコンで作られた液体が下がり、その向こうにやはり透明の手が生えている。更に顔を近づけると鏡のようにピカピカの筒の内側で中のオブジェの反射がたわみ、その視覚効果で妙な感覚を覚える。

以上です。

水野暁の作品に添えられたコメントに、現代絵画では技術力、描写力は評価されにくいというようなことが書かれてあり、私のような素人鑑賞者にもその意味するところが何とはなしに理解されるけれど、毎年この展覧会に並ぶ作品は技術的に高度で見応えのあるものが多く、素晴らしいと思います。

VOCA展2010 -新しい平面の作家たち-

2010-03-29 | アート鑑賞
上野の森美術館 2010年3月14日(日)-3月30日(火) 会期中無休



公式サイトはこちら

まずは本展の概要について、チラシから転載しておきます:

1994年に始まったVOCA(ヴォーカ)展は今回で17回目を迎えます。VOCA展は全国の美術館学芸員、ジャーナリスト、研究者などに40才以下の若手作家の推薦を依頼し、その作家が平面作品の新作を出品するという方式により、毎回、国内各地から未知の優れた才能を紹介してきました。

去年に続いて、この短い会期に何とか間に合って足を運ぶことができた。今年は35名の作家の作品が集結。私にとってこの展覧会は、未知の日本人作家のおもしろい作品に出会えるのが一番の楽しみ。

会場に入って一番最初に目に飛び込んできた作品が、現代美術に疎い私ですら既にビッグ・ネームに思える石川直樹の作品だったのはちょっと意外だったが、去年も名和晃平、三瀬夏之介、小金沢健人らの作品が出ていた。結局のところ、今回私が既知の作家はその石川直樹の他には齋藤芽生ましもゆきのお三方くらい。

今回の各賞受賞者は以下の通り:

VOCA賞 三宅沙織 『内緒話』『ベッド』

VOCA奨励賞 中谷ミチコ 『そこにあるイメージⅠ』『そこにあるイメージⅡ』

VOCA奨励賞 坂本夏子 『BATH, L』『Funicula(仮題)のための習作b』

佳作賞 清川あさみ 『HAZY DREAM』

佳作賞/大原美術館賞 齋藤芽生 『密愛村~Immoralville』

上記作品の中で、私が個人的に最もインパクトを受けたのが中谷ミチコの作品。石膏、ポリエステル樹脂を使用したどちらかというと立体作品の範疇に入りそうな作風だけれど、とにかく実作品を観ないことにはその仕掛けの面白さはわからない。彼女らの目を覗き込んだら最後、右に動こうと左に動こうと、あなたを追いかけてきます。

VOCA賞の三宅沙織の作品は、一見普通の白黒の平面作品に観えるけれど、フォトグラムという古い写真技法を用いて制作されているそうだ。清川あさみも、写真の上にビーズやスパンコールなどが縫いつけられた、手の込んだ作品。受賞は逃したけれど、線香で和紙を焦がしながら作成するという市川孝典もいて、現代作家の作品を観るにはその手法も前知識として持っていないと鑑賞の楽しみも半減してしまうということが最近やっとわかってきた(レベルの低い話で・・・)。

話を受賞作家に戻し、坂本夏子の油彩画は歪んだ、ちりめんのような画面がユラユラ。齋藤芽生は相変わらずヒッソリと毒を吐いているような、怖くて美しい独特の世界。

勿論受賞作品以外にも個人的に目を惹いた作品がいろいろ。いくつか挙げておきたいと思います。

山本理恵子 『おばあちゃんと椅子』『生花』『お夜食』
それぞれのタイトルのモティーフが、言われてみれば頷けるという程度に抽象化された形で描かれている。絵具がとてもきれい。虹のようなグラデーションがひかれた、しっかり色が塗られた部分と、薄く溶いた絵具が染み込んでいる部分があり、色彩感覚が目に楽しい。

ましもゆき 『永劫の雨』
本作は真ん中にドンと鳳凰が構えていて、とても華やかでかっちりした構成という印象。相変わらずペンとインクによる緻密な描き込みは見事で、うっとりする。お馴染みのヒヤシンスの根っこのようなものも健在だったけれど、個人的にはもっと脳の営みが拡散したような、得体の知れない世界が好きかもしれない。

大庭大介 『SAKURA』
画面全体が淡い色で描かれ、しかもパールのような光沢を放つ作品。アクリル絵具でこんな典雅な画面が出来上がるのか、と新鮮にも感じた。美しいです。

以上、次回も多様な作品に出会えるよう期待したいと思います。