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アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

没後400年 特別展「長谷川等伯」

2010-03-28 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 2010年2月23日(火)-3月22日(月・祝)
*会期終了



公式サイトはこちら

長谷川等伯(1539~1610)の没後400年という節目の年に開かれる、チラシによると「史上最大にして最上の大回顧展」。国宝3件、重要文化財30件を含めて約80件の作品で展観。

そんな貴重な展覧会なのに、東京での開催期間はたった25日間。早く行かなかった自分が悪いとは言え、最終週は平日ですら午後3時前でも長蛇の列。平成館と本館の間に姿を現した、建築中の東京スカイツリーを見やりつつ、何度か折り返しながら牛歩のごとく列を進むこと1時間弱。やっと中に入るも、当然ながらどの作品の前にも分厚い人垣が出来ていて、思うように鑑賞出来ず。それでも閉館時間ギリギリまで第1会場、第2会場と二順し、頑張ってはみたものの・・・(ため息)。

余談ながら、3月21日の鳩山首相のスケジュールに、“午後0時20分、特別展「長谷川等伯」を鑑賞”とあり、しかも“1時、公邸”とある。あの混雑の中、その短い滞在で(もっともその前に館長さんに会われていたようですが)、首相はどんな鑑賞をされたのでしょうか?

何はともあれ、長谷川等伯についてはほとんど『松林図屏風』のイメージしかない自分にとって、本展はとりあえずこの絵師の画業を知るよい機会となったことは事実。自分にとって印象に残った作品を、章ごとに挙げておきたいと思います。

第1章 能登の絵仏師・長谷川信春

等伯は石川県七尾(ななお)市生まれ。自身が熱心な法華信徒で、能登時代には信春(のぶはる)と名乗り、仏画を描く絵仏師として活動していたとされるそうだ。本展でも、信春時代に描かれた作品には「長谷川等伯(信春)筆」と明示してある。

『日蓮聖人像』 (1564) 重文



これは法華経の宗祖、日蓮の肖像画。聖人が身にまとう着物や、その前に置かれた机、その上にかけられた布、頭上の天蓋など、すべて細密にしっかり描き込まれ、絵師としての卓抜した腕が知れる。

『善女龍王像』



小さい作品(縦約35cm)ながら、遠目にも一目で惹かれた。解説によると、善女龍王は空海が旱魃(かんばつ)にあたり、雨乞いを行ったときに愛宕山に現れて雨を降らせた神様。幼女のような風貌の神様と、彼女を護る龍という図像がどことなく観ている側の母性をくすぐるような感じがする。大きく蛇行する龍のプロポーションも見事。

第2章 転機のとき―上洛、等伯の誕生―

1571年、等伯は33歳にして妻と幼い息子、久蔵(きゅうぞう)をともない京都に上京。本法寺の世話になりながら活動を開始するも、大徳寺の仕事を請け、絵師としての頭角を現したのは上京18年後、51歳のとき。

『牧馬図屏風』 重文

  部分

屏風絵に関しては、今回どの作品も一歩下がって全体を見渡すという本来の鑑賞がかなわなかった。よって、近視眼的な鑑賞になってしまったが、思った通りに記しておきます。

この作品には毛色や模様も多様な馬が沢山描かれているけれど、等伯の描く馬は割と個性的(と私には思えたが、もしかしたらこれが当時の馬の描き方のスタンダードだったのでしょうか)。たてがみも毛のフサフサ感というよりは固形の肌触り、中には立てたモヒカンみたいなのも。模様も苔むしたようだったり、魚のウロコ風だったり。そして口元がぐにゃぐににゃ。

『春耕図』



この作品を観た瞬間、木の枝ぶりや足元の岩場(?)など、直線とチョンチョンという点の描線が狩野派っぽいなぁ、と思ったら、上京後にのちのライバル狩野派の門をたたいて、絵のテクニックを磨いていた可能性があるとのこと。

『山水図襖』 (1589) 重文

  部分

派手な地の模様(雲母(きら)刷りの桐紋様)が邪魔して、水墨画が埋没しているような妙なこの襖絵。実は、大徳寺の塔頭(たっちゅう)である三玄院の襖絵を描きたいと等伯が懇望していたにもかかわらず、開祖の春屋宋園(しゅんおくそうえん)が一向に首を縦に振らないので、その留守中に等伯が強引に上がり込んで一気呵成に描き上げた、と伝わる作品だそうだ。確かに何らかの理由がなければ、このような襖に水墨画は描かないでしょうね。

同じ年に、等伯は千利休を施主として同じ大徳寺の三門楼上の仕事を請け負っているとのことで、やはりこの強行突破作戦が功を奏したと想像すると、等伯のガッツに拍手を送りたくなります。

『臨済・徳山像』



弟子との問答に常に竹箆(しっぺい:禅宗で、自分を戒め、または人を打つのに使う平たい竹製の杖/角川の国語辞書より)を持って打ったという徳山と、大喝をもって弟子の禅機(ぜんき:禅の修行によって得た無我の境地から出る心の働き/同)を開発したという臨済。右手をこぶしに握りしめ、目を剥きだす臨済の形相も迫力があるが、無表情な顔で竹箆を持つ徳山はドS的な怖さがある。

第3章 等伯をめぐる人々―肖像画―

このセクションには、等伯が手がけた僧侶、武将などの肖像画が並ぶ。信春と名乗っていた時代の作品と、等伯と改名した後の作品が半々。

『千利休像』 (1595) 重文



これは等伯筆となっている。装飾的な僧衣をまとった僧侶たちの肖像画も微細な描き込みが素晴らしけれど、それこそ侘寂(わびさび)という言葉が浮かぶようなこの千利休の肖像画はとても美しいと思った。じっと対面していると静謐な空気が漂ってきて、心が穏やかにも、身が引き締まるような気持にもなる。

第4章 桃山謳歌―金碧画―

狩野派の独占状態にあった京都御所障壁画制作への割り込みを図った等伯、そしてそれを必死に阻止した狩野永徳。しかし等伯はついに豊臣秀吉から大きな仕事をもらい・・・という辺りのドラマを、NHKの特番や「美の巨人たち」で予習バッチリ、とても楽しみにしていたのだが、解説にあるような「壮大なスケール感」を堪能するような満足いく鑑賞ができなかった。残念。

『楓図壁貼付』 (1592頃) 国宝

チラシ(左側)に使われている、絢爛たる作品。狩野派の嫌がらせからほどなくして、豊臣秀吉から受注して制作されたもので、3歳で亡くなった秀吉の子供、鶴丸(昨年の妙心寺展でもこの鶴丸に関する作品が数点出ていて、この子に対する秀吉の寵愛ぶりを伺い知った)のために創建された祥雲寺の金碧障壁画の一つ。本展にはもう一つの作品、『松に秋草図屏風』も並んでいた。

とりあえず列に加わって、ケースの前をじりじり移動しながら端から端まで観て行った。右端から左方を観たとき、構図のアクセントともなっているように思える群青の川に差し掛かる、ピンクに色づいた楓の葉が光って見えた(チラシにあるのがちょうどその部分)。恐らく顔料が剥落して、元は赤かったのがピンク色のようになってしまっているのかもしれないが、他の部分でも散らばるこのピンク色が、画面をより柔和で華やかな雰囲気にしているように思えた。

『柳橋水車図屏風』

  部分

数多くの作例が存在する、長谷川派のベストセラー作品だそうだ。銀色の川、柳の木以外はほぼ全て金色。画像では右下が潰れてしまってわかりにくいが、若い柳のチリチリした葉の表現が細かい。

『波濤図』

  部分

この作品以外にも登場するが、等伯の描く岩が私には氷山に見えて仕方がない。

第5章 信仰のあかし―本法寺と等伯―

等伯が上京後にお世話になった京都・本法寺に伝わる品々。等伯の画の他、等伯がこのお寺に寄進した日蓮や日親の書なども。

『仏涅槃図』 (1599)

 1599年作  1568年作

等伯が本法寺に寄進した、高さ10m、横6mもある大きな涅槃図。全体を壁に掛けるには会場の高さが少し足りず、下の方は床に寝かす形で展示されていた。とにかくその大きさには圧倒される。裏には本法寺の歴代住職や長谷川一族の名前が記されているそうだ。第1章にも、信春と名乗っていた頃に描かれた『仏涅槃図』が展示されていたが、見比べてみると仏のポーズも異なるし、背景の描き方はこちらの方がすっきりしている。

第6章 黒の魔術師―水墨画への傾倒―

祥雲寺の煌びやかな金碧画作品を描いた等伯は、それ以降水墨画制作に注力していった。その理由は判然としない、と解説にあったが、素人考えでいろいろ想像してしまった。まずは需要の求めありきなのでしょうけれど、装飾の極致を極めた金碧画制作に描き手として飽食した反動とか、年齢を重ねるごとに余分なものを削ぎ落としていく心境があったとか、画業の後半戦として、より高度な精神が試される水墨画への古典回帰の念に囚われたとか。そういえば、加山又造も最後は水墨画に行き着きましたね。

『豊干・寒山拾得・草山水図座屏』

 裏面(草山水図)

展示ケースの中に2基の座屏が並んでいて、1基の表面には虎にまたがる豊干の姿、もう1基には寒山拾得が描かれているが、ここに載せた画像はそれぞれの裏側に描かれた草山水図。等伯が強い関心を示した中国の水墨画の名家の一人として玉澗(ぎょっかん)の名が挙げられているが、この作品はその玉澗様による草体の水墨山水画だそうだ。皮膚呼吸を封じられたような金碧画と正に対極的な、清澄な空気感を感じる。

『竹林七賢図屏風』 (1607)

  部分

この作品のみならず、等伯は竹をこのように直線的に描く。何だか私には合点がいかないのですが…。

『枯木猿猴図』 重文

  部分

前期のみ展示の『竹林猿猴図屏風』は今回見逃してしまったが(去年の妙心寺展で観たけれど)、図録で両者を見比べてみると、こちらの方がちょっと粗い感じ。でも闊達な筆の動きが躍動していて、猿の表情にも和む。

第7章 松林図の世界

等伯といえば、の国宝『松林図屏風』。この章では、それに加えて『月夜松林図屏風』、『檜原図屏風』の三点が展示。

『松林図屏風』 国宝



この作品は数年前のお正月にも東博で観ているのだが、故郷七尾の風景であるとか、千利休や殺されたという説もある息子・久蔵への想いが込められているとか、継ぎ目がずれているから誰かが後に並べて構成したのだとか、直前にテレビでいろいろ知恵をつけられていたので、今回どのように観えるか楽しみにしていた。しかし人波に負け、時間も切れてまともな鑑賞ならず。またいつかゆっくりお目にかかれる日を期待したい。

尚、本展は京都に巡回します:

京都国立博物館
2010年4月10日(土)-5月9日(日)

公式サイトはこちら

絶対早目に行かれた方がいいですよ!GW中なんて、きっととんでもないことに…。

マッキアイオーリ 光を描いた近代画家たち

2010-03-21 | アート鑑賞
東京都庭園美術館 2010年1月16日(土)-3月14日(日)
*会期終了



公式サイトはこちら

この展覧会のプレス・リリースにお伺いしたのが昨年の9月。残暑の中、来年なんてまだまだ先だなぁ、なんて遠い目で思っていた東京での展覧会が、はたと気づけばあと1週間でおしまいとなっており、泡を食って出かけて行った。時の流れ、恐るべし(というより、私の計画性のなさが恐るべし)。

では、章ごとに感想を残しておきたいと思います。今回ポストカードは売られておらず、一応図録を買ったものの残念ながら作品の印刷状態が今一つで、しかも見開きになっているものも多く、あまり取り入れられませんが:

第1章 カフェ・ミケランジェロのマッキアイオーリ

本展で初めて知った「マッキアイオーリ(またはマッキア派)」という画派。1855年頃にフィレンツェで興り、当時の硬直した美術学校の教育に疑問を呈した芸術家グループ。カフェ・ミケランジェロは、そんなマッキア派の画家たちが集い、議論を交わしたフィレンツェのラルガ通りにあるカフェ。この章には何人かの画家の初期の作品が並び、主題も歴史画、肖像画とまちまちでイントロダクション的な構成。本展ではこの章に限らず、各作家の細かいプロフィールや、全作品に解説がついているのにはちょっと驚かされた。

『カフェ・ミケランジェロ』 アドリアーノ・チェチョーニ (1866頃)



カフェ・ミケランジェロに集う芸術家24名が風刺的に描かれた水彩画。各人物に番号がふってあり、誰であるかわかるようになっている。資料的作品。このカフェが1866年末に閉鎖されたとき、埋葬の儀式が執り行われたそうだ。

『ジュゼッペ・ガリバルディの肖像』 シルヴェストロ・レーガ (1861)



マッキア派の活動の背景にある特殊な事項、リソルジメント(イタリア統一運動)。言われてみれば、5世紀の西ローマ帝国の崩壊後、政治的な統一を失っていたイタリア半島がやっと部分的な統一をみたのが1861年。イタリアの歴史に詳しくない私も、赤シャツ隊は耳にしたことが。リソルジメントで貢献した軍事家、ガリヴァルディが率いた1000人の義勇軍「千人隊」の別称が「赤シャツ隊」。皆こんな赤シャツを着て戦っていたのですね。

第2章 マッキア(斑点)とリアリズム

私が理解した範囲で平たく言えば、マッキアとは斑点を意味し、対象を明暗の中に素早くブロックで捉えて描く手法。マッキア派の画家たちの作品が登場した時、批評家たちはそれらに習作以上の価値を認めることができず、1861年に「マッキアイオーリ」(子供が誤ってつくるようなシミや斑点の意)という新造語の蔑称を与えた。画家たちもあえてこれを受け入れ、自らをマッキア派と名乗るようになる。

『糸つむぐ人』 ヴィンチェンツォ・カビアンカ (1862)



暖かい陽光が照り出す白壁や女性たちの白い頭巾やブラウス、そして暗い影。初秋の午後の穏やかな暖かさと、じきに忍び寄るひんやりした空気が漂ってくるような作品だった。

同じく夕暮れ時の逆光の中に農民たちの姿を描いたクリスティアーノ・バンティ『農民の女性たちの集い』(1861)もよい作品だった。

『わんぱく坊主』 ラファエッロ・セルネージ (1861)



なんてことはないシーンだけれど、イタリアの濃く青い空、白い壁、赤い扉という明快な色構成が目に心地よい。左側の塀など、太めの筆で一気に描き上げられている。よく観ると、いちじくを放ろうとしている少年の左側にある暗い部分は何なのだろうと思うが。この絵を描いたセルネージは、第三次独立戦争に参加して1866年に28歳で夭折。

『回廊の内部』 ジュゼッペ・アッバーティ (1861-1862)



ああ、これがマッキア派ね、と頷く。文字通り石のブロックが色彩のブロックでさっと捉えられている。まあ確かに絵画作品の完成度としてどうかと思わなくもないけれど、彼らがやろうとしていることはよくわかる例だと思う。

第3章 光の画家たち

マッキアイオーリの最大の支援者であった評論家ディエゴ・マルテッリは、自分が相続したリヴォルノ近郊のカスティリオンチェッロの広大な土地をマッキア派の画家に開放。フィレンツェ近郊のピアジェンティーナもマッキア派が好んで通った田園地帯。この章ではそれらの場所などで描かれたトスカーナの風景画が並ぶ。

『カスティリオンチェッロの谷』 ジュゼッペ・アッバーティ



明暗対比に重きを置いたマッキア派にとって、やはり室内より郊外での制作活動だろうな、と思う。このセクションには横長の風景画の作品が多く(アッバーティ『カスティリオンチェッロの眺め』(1867)なんて10x86cm)、図録も見開きになっていて画像が取り込めない。でもこの作品からも、カスティリオンチェッロがどういう場所なのか何となく伝わってくる。他の作品からは、この場所が海の入り江に近いこともうかがい知れるが、赤茶けた土や岩やコバルトブルーの海が印象的な、自然味溢れる所なのでしょう。

『荷車をひく白い牛』 ジョヴァンニ・ファットーリ



ファットーリは今回もっとも出展数が多い画家だが、やたら白い牛を描く人だなぁ、と思っていると解説が。それによると、「それは奥深い田舎の地帯であるマレンマをふちどるトスカーナの海岸における重要で特徴的なもの」であり、アッバーティとファットーリはカスティリオンチェッロで白い牛の研究に熱心にとりかかった、そうだ。恐らく光の反射を捉えるのに格好のモティーフだったのでしょうね。この作品では、牛の眩しそうな顔が印象的。

第4章 1870年以降のマッキアイオーリ

1870年にローマの併合によりイタリア半島の統一を見るのに伴い(1865年から1970年まで首都であったフィレンツェからローマへ遷都)、マッキアイオーリの芸術運動も凋落し始め、画家たちはそれぞれの芸術の道を進み始める。

『セッティニャーノ通りの子供たち』 テレマコ・シニョーリ (1883)



ちょっと印刷が今ひとつなのだが、いい作品だった。高台の、陰になった通りに子供たちが佇んでいるだけなのだが、冷んやりした大気と、左にある家の白壁に射す陽光の照射がこの場所の空気感を運んでくる。セッティニャーノはフィレンツェ近郊の丘の上の村だそうだ。

『母親』 シルヴェストロ・レーガ (1884)



こんなに大きい作品(191x124cm)だとは思わなかった(ちなみにチラシに使われている、同じくレーガの『庭園での散歩』は小さくて驚いたが)。ガリバルディの肖像を描いた人が、20年後にこのような作品を描いているなんて、時代の変化を如実に感じる。

第5章 トスカーナの自然主義たち

1870年代以降、マッキアイオーリの画家の中にはイギリスやフランスなど海外に活路を見出す画家も相次ぎ、グループの結束も失われ、ついには消滅へとつながる。その一方でマッキアイオーリ第二世代たちも育ち、この章ではそんな画家たちの作品をみていく。

『水運びの娘』 フランチェスコ・ジョーリ (1891)



プレス・リリースで初めて目にして以来、実作品を観るのをとても楽しみにしていた作品。実際に対面してみると、縦に147cm ある、結構大きい作品だった。女性の立つ野原などは感覚的に素早く絵の具が置かれている。よくよく考えれば、労働に従事する女性の後ろ姿が単体でこんなに大きく描かれる構図は斬新でもあるかもしれない。少しだけのぞく横顔やほつれ髪を見ながら、女性の顔を想像したりした。髪の色からいって、力強い眉の、目鼻立ちのくっきりした顔ではなかろうか。

以上、一通りざっと書き出してみたけれど、19世紀中頃のフィレンツェでこのような芸術の動きがあったこと自体全く知らなかったので、本展はそれに触れられる良い機会となった。

もう少し言えば、イタリアには何度か行ったことがあるけれど、言うまでもなくルネッサンス及びその前後だけで質・量ともに観切れない芸術品に溢れているので、観光者の短い滞在では近代美術にまでとても手が回らないというのが正直なところ。実際2006年に訪れたミラノのブレラ美術館の図録をめくってみると、ファットーリ、レーガらの作品がちゃんとあるのに、ほとんど記憶にない。でも今はほら、一目で「おお、ファットーリ!」とわかるようになりました。

麗しのうつわ

2010-03-08 | アート鑑賞
出光美術館 2010年1月9日(土)-3月22日(日・祝)



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展覧会名にある「うつわ」と「やきもの」というひらがなの響きが優しいが、焼き物の知識に自信のない私にも肩肘を張らずに楽しめる、魅力的な作品がたくさん並んだ素敵な展覧会だった。

構成は以下の通り:

Ⅰ 京(みやこ)の美―艶やかなる宴
Ⅱ 幽玄の美―ゆれうごく、釉と肌
Ⅲ うるおいの美―磁器のまばゆさと彩り
Ⅳ いつくしむ美―掌中の茶碗

では、順を追って個人的に印象に残った作品を挙げていきます:

Ⅰ 京(みやこ)の美―艶やかなる宴

『色絵芥子文茶壷』 野々村仁清 (江戸時代前期)

チラシに鎮座する壺。写真ですら何てきれいなのだろうと思ったが、実物の存在感は想像以上。高さ43cm、胴体の丸い膨らみも堂々たるもの。紅の花びらには金色で、金色の花びらには紅で輪郭が取られ、灰がかった青紫色の花がリズムを生んでいるように感じる。くっきりした花々と淡い葉の描きわけの緩急も美しいし、上部に散らした金も華やか。隣で観ていた金髪美女が「なんてゴージャスなんでしょう」と呟いていたが、やきものの美を体感するには、やっぱり実物を観なきゃ駄目ですね。

ちなみにこの作品は重要文化財で、隣のケースには同じく仁清作の重文『色絵鳳凰文共蓋壺』(江戸時代前期)も展示されていた。大きさは同じくらいだが作風は全く異なり、四つに仕切った窓のそれぞれに鳳凰が描かれ、隙間も紋様で埋められた装飾密度の高い壺。こちらもゴージャスだけど、個人的には『色絵芥子文茶壷』の方が好みだった。

『色絵梅花文四方香炉』 野々村仁清 (江戸時代前期)
四角い香炉の蓋の上に、耳の長いウサギがちょこんと乗り、胴体の左右からは象が顔を出す。ウサギの乗る蓋には、ちょうどウサギを中心にしてマーガレットの細長い花びらのような形に八つの穴が開けられており、ウサギの長い耳と呼応しているように感じる。仁清の手になるこのような変わり種風のものに出会えて楽しい。

『色絵鶏香合』 野々村仁清 (江戸時代前期)
こちらも初めて拝見。高さ10cm足らずの小さな鶏だけれど、赤いとさか、半円状の黒い尾、金彩に縁取られて丁寧に入れられたブルーの羽毛など手がこんでいる。

『色絵紅葉文壺』 尾形乾山 (江戸時代中期)
遠目にも目を引く絵柄の壺。水色、黄色、赤茶、グレーの大ぶりの紅葉の葉が散り、それらは葉というよりは星かヒトデのようで、私にはポップでサイケな印象。乾山の遊び心も感じる。

『色絵桜花文鶴首徳利』 古清水 (江戸時代中期)



名称に鶴首とある通り、ほっそりと長い首にふっくらした胴体が特徴ある形。涼しげに枝垂れる葉や、赤、青、黄の桜の花びらが可憐。対になっているのが鶴のつがいのようでいい感じです。

Ⅱ 幽玄の美―ゆれうごく、釉と肌

『灰釉短頸壺』 猿投窯 (奈良時代)
力強さを感じさせる丸みを帯びた薄茶色の壺で、上から緑色の灰釉がかけられている。肩からいく筋も流れるその釉の先は玉のように溜まる形で途中でとまっており、これを「玉垂れ」というらしい。私にはすべてがとても美しく思えた。

この章の説明パネルに、幽玄とは「生命のはかなさ、そしてはかないゆえの美を愛惜する心から生まれた美意識」とあったが、釉がここまで流れ落ち、留まった奈良時代のとある一瞬が永遠に閉じ込められ、今に伝わることの不思議さを思った。

『絵唐津柿文三耳壺』 唐津窯 (桃山時代)



一見地味目の壺だけれど、これはとても心に染みた。葉の落ちた枝に丸い柿の実が描かれただけの素朴な絵柄は、枯れていても侘しさはなく、照明に当たるとその薄茶色の肌が素晴らしい光沢を放つ。まるで金色に輝いているように感じるほど。

この他、志野茶碗も印象に残った。私はお茶の嗜みがないので本来の魅力を理解できていないと思うが、その武骨なまでの厚味と手の温もりを感じさせる塊感、とりわけ淡いオレンジ色のものは、日々土をいじる農家のおかみさんのような温かみと力強さを感じた。

Ⅲ うるおいの美―磁器のまばゆさと彩り

『色絵柴垣桜花文向付 六客』 鍋島 (江戸時代中期)
ざる蕎麦のおつゆをいれる器のようなシンプルな形をした向付。朱の桜花の背景に青の縦筋でびっしり表現された柴垣が、最上部の口のところ5mくらいを真っ白の余白として残しているところにくすぐられる。

『色絵柴垣椿文皿』 鍋島 (江戸時代中期)
絵付けしたあとに釉薬をかけてやいたものを「釉下彩(ゆうかさい)」、釉薬をかけて焼いた後に絵付けしたもの(=上絵付け)を「釉上彩(ゆうじょうさい)」と呼ぶ、という解説がとてもよく理解できる作品。釉下彩で描かれた柴垣の部分はガラス質で照明を反射しているが、釉上彩で描かれた椿の部分に目を転ずると光沢が失せる。

『色絵花卉文虫籠形香炉』 古伊万里 (江戸時代中期)



直径8.4cmの小さい作品だけれど、細部まで凝った作りと華やかな色彩に(よく観ると朱と緑が主で、色数は少ないのに)、心が浮き立つ。松虫、鈴虫、ホタルなどを飼う虫籠の形を模した造形だそうだが、なんて可愛らしい香炉なのでしょう。そっと両手で包んでみたい。

同じ展示ケースに並んでいた『海浜蒔絵貝形茶箱』(江戸時代中期)も、貝の形に箱の輪郭を取るという意匠の凝った作品で、隣にいたアメリカ人らしき女性が「本当に貝みたい。よくこんな表現ができるわね~」と感嘆していた。日本のお家芸なんですよ~(嬉)。

『葆光彩磁花卉文花瓶』 板谷波山 (昭和初期)



やきもの初心者の私、今回初めて板谷波山の作品に酔いました。本当は一緒に展示されていた『葆光彩磁草花文花瓶』(大正6年)の方が、絵柄がすっきりしていて好みだったのだけれど、ポストカードがなく。いずれにせよ、薄い半透紙で包んだたような表面の淡く柔らかい絵柄、質感は、そのまろやかな形といい、まるで砂糖菓子のよう。画像では伝わらないかもしれないが、観た瞬間に言葉にはできないような魅力で五感を刺激される。葆光(ほうこう)彩磁とは、「光を包みかくす」不透性の釉をかけたものだそうだ。

ちなみに隣にあった同じく波山による『彩磁玉葱形花瓶』(明治30年代)は、通常の釉の透明な光沢を放つ、アール・ヌーヴォー風の艶やかな作品。こちらはまるでガラス製のようだった。

Ⅳ いつくしむ美―掌中の茶碗

『赤楽茶碗 銘 酒呑童子』 道入(ノンコウ) 江戸時代前期

黒楽の作品も凛とした存在感があって素敵だったけれど、人の手で造形した温もりがダイレクトに感じられるような赤楽の作品も美しいと見入った。

『天目茶碗』 板谷波山 (昭和13)
直径12.3cmの小さいお茶碗だけれど、その白さはどこまでも深遠で、その光沢はどこまでもまばゆく。吸い込まれそうだった。

以上、私には程よい作品数で日本のやきものの多様性とその魅力を充分楽しむことができた。時代を経て語り継がれるような作品が放つ力の凄さは、こうして実物に対峙しないとわからないもの。まだまだ勉強不足だけれど、これからも機会があれば本物の作品をたくさん観て、目、心を肥やしていきたいと思いました。

ルノワール ~伝統と革新

2010-02-28 | アート鑑賞
国立新美術館 2010年1月20日(水)-4月5日(月)



公式サイトはこちら

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の芸術の全容を、国内外の美術館のコレクションから集めた80点ほどの作品で紹介する展覧会。

生涯に絵画だけで6000点を超える作品を残したというだけあって、国内外問わずどこにでも彼の作品があるような印象を受けるが、考えてみれば私にとってルノワールの大がかりな個展というのはこれが初めて。

日本ではまるで国民的画家と言えそうなほど人気のある画家なのかもしれないが、私には正直、「ああ、いいな」と思える作品と、「ん~、苦手」と感じるものとがあり、どちらかというと後者の方が多い。そのことについて改めて探るのにも、本展はよい機会となった。

本展の構成は以下の通り:

第Ⅰ章 ルノワールへの旅
第Ⅱ章 身体表現
第Ⅲ章 花と装飾画第
第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統


以下、章ごとに見ていきたいと思います:

第Ⅰ章 ルノワールへの旅

まず、約60年に及ぶルノワールの画業について、大きく三つの時代に区分けできるという解説があった。すなわち、①19歳~38歳(シャルル・グレールの画塾での修業時代。印象主義の画風を編み出し、他の印象派の画家たちと1874年開催の第1回印象派展にも参加)、②39歳~50歳(印象派から離れ、サロンでの成功を収める。アルジェリアやイタリア旅行を経験し、模索と試行の時代)、そして③51歳~78歳(モダニズムと絵画の伝統の間で常に模索しつつ、様式を集大成させる)。

ルノワールの名前の前には必ずと言ってよいほど「印象派の巨匠」という言葉が冠されるが、上記の説明によるといわゆる印象派の技法を追ったのは画業の初期だけで、あとは作風に関してずっと試行錯誤を続けた人だった。

さて、この第1章は「ルノワールゆかりの人物や風景画」が並ぶとのことで、様々な年代に渡って描かれた肖像画や、彼が住んだり訪れたりした場所の風景画などが展示されていた。これはまあイントロダクション的な意味合いの章かもしれないが、以下続く章立ての構成も制作年ではなくモティーフや主題で括られている。このような大規模な回顧展であれば、個人的には制作年代で追った方がルノワールの画風の変遷がわかりやすかったのでは、と思ったけれど、どうでしょうね。

『アンリオ夫人』  (1876)



ルノワールは温厚な性格だったため、モデルをリラックスさせるという点では肖像画家向きだったと聞く。このアンリオ夫人の首から下はほとんど淡い背景と溶け込んでしまいそうで、その分くっきりした大きな瞳がより強い印象を放っている。この女性は女優で、かつルノワールの恋人だったとされ、1870年代の作品に多く描かれているそうだ。

『団扇を持つ若い女』 (1879-1880)

チラシに使われている作品。ん~、これは素人目に観て構図の比重がどうかと思った。背景の花と手前の女性の描き分けがあまり感じられず、どちらが主役なのだろうか、と。ガチガチに肖像画だと考えずに観ればいいのでしょうか?

『ジュリー・マネの肖像』 (1894)

ジュリーは、画家ベルト・モリゾとエドゥアール・モネの弟であるウジェーヌ・マネとの間に生まれた女の子。父、母、伯母が立て続けに世を去って、16歳にして孤児となってしまったそうで、これはその頃に描かれた肖像画。黒いドレスを着て長く豊かな髪をたらす美しいジュリーの瞳には、深い孤独感が漂っているように見受けられる。衣服や背景をそれほど描き込まず、少女の沈んだ感情をキャンバスに写し取ることに集中し、とても速い筆運びで描き出したような作品。

『ブージヴァルのダンス』 (1883)



181.9x98.1cmの縦長の大きめの画面に、踊る男女の全身像を捉えた作品。踊りながら身を翻す女性の躍動感が伝わってくる。男性のファッションが何だか野暮ったいような気もするが。女性のモデルとなったのは、のちにあのモーリス・ユトリロの母となるマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンだそうです。

第Ⅱ章 身体表現

ルノワールが生涯を通して探究したという裸体画。実は、観ているうちにこちらの平衡感覚が失われていくようなモヤモヤした風景画(失礼!)と共に私がルノワール作品で最も苦手とするコーナー。確かに一言で裸体と言ってもその表現には年代ごとに変化が見てとれるが、例えば「厳格な輪郭線と量感の表現による古典的なアングル様式」と言われる1880年代の作品群を観ても、私にはどうにもピンとこない。とりわけ最晩年の、バラ色の裸婦像群はお手上げ。描かれた女性の内面的なものが感じられず、ひたすら肉塊を追っているように感じてしまうのです(我ながらひどい言いようだが)。

話は飛ぶが、次の第Ⅲ章に『アネモネ』(1883-1890)という、花瓶に入った花の静物画が展示されているのだが、解説に「花を描くことは、ルノワールにとって女性の肌の色合いや質感の表現を探求するための重要な機会」とあり、それも附に落ちなかった。花を描くのだから、「花」を描けばいいのに、なんて思ってみたり。

がしかし、展示室で裸婦像に観入る初老の男性たちを観察しているうちに、やはり鑑賞の側には自然な性差があり、かつ自分はルノワールに求めてはいけないものを求めているだけなのだと思い始めた。これらの、はち切れそうなバラ色の肉体を描いたのは、重度のリューマチに苦しみ、車椅子に座ってキャンバスに向かった晩年のルノワール。その生に対する前向きな創作意欲はすごいではないか。

次の第Ⅲ章に入る前に、最新の光学調査によって判明したルノワールの技法(例えば肌の光の当たっている部分を表現するために、あらかじめ鉛白が塗られているとか)を映像やパネルで解説する大がかりなコーナーが設けられていた。油彩画の鑑定などでよく耳にする用語の説明があったので、メモしてきた。

光源から発せられる電磁波の波長が、可視光線(人間の目による鑑賞)より短いものが紫外線、長いものが赤外線、そして紫外線より短いのがX線

鑑定箇所によって以下のように使い分けられる:

紫外線→絵画の表層
赤外線→絵の具層の下のデッサン
X線→支持体の状態

第Ⅲ章 花と装飾画

この章では、「絵画は壁を飾るために描かれるものだ。だから、できるだけ豊かなものであるべきだ」という言葉を残したルノワールの、“装飾”を切り口にした作品群が並ぶ。

『花瓶の花』 (1866)



これは落ち着いた色彩が好みだったのでポストカードを買った。初期の作品。あとは『水差し』(制作年不詳)が良かった。

第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統

そもそもルノワールは13歳で陶器の絵付け職人として働き始め、20歳の時にようやく貯めたお金で画塾に入った人。絵付け職人の時代は、ルーヴルに通って学んだロココ風の図柄を陶器製品に描いていたということで、この章では18世紀フランス絵画の伝統をその作品に追う。

『レースの帽子の少女』 (1891)



この作品は、2006年にBunkamuraで開催されていた「ポーラ美術館の印象派コレクション展」で年明け早々に観て、新年らしくとても爽やかな気分にさせてくれたことを覚えている。モネの睡蓮を思わせるような美しいブルー・グリーンの背景と、心身ともに健やかそうな少女の自然な肌色、レース飾りのついた帽子の筆触が好きだった。

最後に、年表やルノワールがしたためた書簡を見ながら改めて思ったのは、ルノワールが生きた時代は決して穏やかではなかったのだということ。20代の時に自ら徴兵された普仏戦争や、息子二人を徴兵された第一次世界大戦などが起こっていた時代の中で、その時勢を嘆きつつも後に「幸福の画家」と呼ばれるような生命賛歌的作品を、よくこれほど描きまくったものだと思った。

愛のヴィクトリアン・ジュエリー展

2010-02-16 | アート鑑賞
Bunkamura ザ・ミュージアム 2010年1月2日(土)-2月21日

   

展覧会のタイトルから、宝飾品が優雅に並ぶ軽やかな展示会場を勝手に想像していたが、実際はジュエリーのみならず英国のヴィクトリア朝時代(1837-1901)の文化をより広い視点から紹介する、とても充実した展覧会だった。出展作品が300点近くある上、解説も懇切丁寧であるし、資料的なものも沢山出ているので、思いのほか観るのに時間を費やした。

展示の仕方についても、作品の素材やテーマごとに分けられた大小の個別のケースが適度な間隔で並べられ、また柱をくり抜いた中に作品を飾るような演出などもあり、見やすさと美観が考慮された素敵な空間が出来上がっていたと思う。会場内の様子は公式サイトに動画「スペシャル・ビジュアルツアー」があるので、是非ご参照を。

本展の構成は以下の通り:

プロローグ ヴィクトリア女王の愛
Ⅰ アンティーク・ジュエリー
Ⅱ 歓びのウェディングから悲しみのモーニングへ
Ⅲ 優雅なひととき―アフタヌーン・ティー


では章ごとに目に留まった解説や作品など、ほんの少しですが挙げていきます:

プロローグ ヴィクトリア女王の愛

#1 『若き日のヴィクトリア女王』 (1842) F.X. ヴィンターハルター工房

まずはパネルの解説を端折っておさらいからいきましょうか。ヴィクトリア女王(1819-1901年)は、1837年に18歳にして大英帝国の王位につき、以後64年間に渡ってヴィクトリア朝時代を治めた女王。1839年、20歳のときにアルバート公と結婚。産業革命を経て植民地政策で大いに栄える大英帝国にて、二人は美術工芸を奨励し(ヴィクトリア&アルバート博物館も二人の功績を物語ります)、ヴィクトリア女王はファッション・リーダー、そしてアフタヌーン・ティーやクリスマス・ツリーを流行らせるなど英国中産階級の文化のトレンド・セッターでもあった。9人の子宝に恵まれ、「平和の家庭の象徴」とされるも、結婚21年目で夫アルバート公が死去。以降25年間喪に服す。

この油彩画は(といいつつ画像がないが)、ヴィクトリア女王が寵愛したドイツ人画家、ヴィンターハルターの工房による女王の肖像画(ヴィンターハルターというと、昨年の「THE ハプスブルク展」で人気を集めたエリザベート妃の肖像画が記憶に新しいが、英国のロイヤル・コレクションにも、この画家による作品が100点以上所蔵されているとか)。1842年というと、女王23歳。最愛の伴侶を得て第一子も既に授かっており、その大きなブルーの瞳には落ち着きと自信の萌芽が宿っているように見える。胸のハート型のロケットには、きっとアルバート公の写真が入っていたのでしょうね。

Ⅰ アンティーク・ジュエリー

#5 シトリン&カラーゴールドパリュール (1830年頃)
ヴィクトリア朝時代のアンティーク・ジュエリーと聞くと、よくポートベローやカムデンなどのアンティーク・マーケットのガラス・ケースに並ぶ華奢な作りの宝飾品を思い浮かべるが、本展ではさすがにしっかりしたものが並ぶ。

同一の素材とデザインで作られた一揃い(ティアラ、ネックレス、ブレスレット、ブローチ、イヤリング)のジュエリーをパリュールといい、この作品は黄味がかった褐色のシトリンとゴールドの台が一体化していて美しい。やはり揃っているというのは一番おしゃれ。

ちなみに カラーゴールドとは合金。ゴールドは純粋な状態で加工するのが難しいため、赤味が欲しい時は銅、青みが欲しい時は銅を混ぜるそうです。本展ではそんな説明が盛りだくさん。

#13 『リガードパドロックペンダント』 (1820~30年頃)



Ruby、Emerald、Garnet、Amethyst、Ruby、Diamondの6種類(実際はルビーが重複しているので5種類)の宝石を使い、その頭の文字を綴ってREGARD(敬愛)を表す装飾を「リガード装飾」という。19世紀初期のセンチメンタリズム(感傷主義)に呼応する装飾法だそうで、これはそれを取り入れたペンダント。小さな作品だけど、金細工の台座にトルコ石やパールなども加えられ華やか。

#16 『ターコイズ&ゴールドブローチ』 (1830年頃)
小さなターコイズがあしらわれた羽を広げて飛翔する金の鳩が口にくわえるのは、勿忘草。これもセンチメンタル・ジュエリー。いじらしいというか奥ゆかしいというか。チラシ裏の右上の角に見えるのがそのブローチ。

#31 『シードパールミニチュアールブローチ』 (1800年頃)
シードパールったって、こんな白ゴマみたいに微細なものもあるのですね。職人さんも息を留めないと作業中に飛んでしまうのでは?と余計な心配まで。。。

#36 『シードパールティアラ』 (19世紀初期)



シードパールのみで装飾されたティアラ。どんなに小さなパールの粒にも孔が開けられ、細い糸で台座に固定されている。身につけた人の動きに合わせて各パーツが頭の上で揺れる作りになっているが、実際展示ケースの前を歩く人の振動だけでフルフルと震えるように動いていた。

#57 『スイスエナメルブローチ』 (19世紀中頃)
山々と山小屋が、空気遠近法とでもいうような見事な描写で描きこまれている。

#68 『オニキスカメオ&ダイヤモンドブローチ』 (19世紀中頃)
バラのリースを頭に載せたクピドの横顔。背に生える小さな羽が愛らしい。ちなみに浮き彫りをカメオと呼ぶのに対し、沈み彫りというのもあって、これをインタリオと呼ぶそうだ。そのインタリオの作品も何点か並ぶ。元々このような技法を使った装飾品は男性が権力の象徴として身につけていたために、モティーフは神話や古代の英雄が多かった。ヴィクトリア朝時代から女性の装身具につかわれるようになり、繊細なデザインが登場。カメオの素材もシェル、石、コーラル、べっ甲と様々。

#71 『ラブラドライトカメオペンダント』 (19世紀中頃)
初めて知ったラブラドライトという石。観る角度によって色が変わるが(これを遊色効果というらしい)、このペンダントのミネルヴァの横顔も青、緑、黒と変幻する。

#84 『ローマンモザイク&ゴールドブレスレット(ペア)』 (19世紀中頃)
踊る男女が描写された一対のブレスレット。ローマンモザイクは細かいガラス片(2万色もあるとは驚き)を敷き詰めたもので、一見してモザイクに見えない滑らかな表面が美しい。このコーナーにはフローレンスモザイクの作品も並ぶ。こちらはベースの大理石にモティーフの輪郭を彫り、その中に様々な色の半貴石を平らにカットして嵌め込んだもの。

#107 『フレンチペーストブローチ』 (1830年頃)
ダイヤモンドのように見えるが、ペーストという技法でガラスを加工したもの。ダイヤモンドについては「18世紀にベルギーでブリリアント・カット技術が発明されて以来、宝石の中心となり、それまで唯一の産出国であったインドに加え1725年にブラジルで鉱脈が発見されるとヨーロッパで大流行」との説明があった。きっと生産に追い付かないほどの需要があったはずだから、このペーストという技術は大ヒットだったのでは?

この辺りのケースには、この他べっ甲、アイボリー、珊瑚や珍しいところでは雄牛の角、昆虫、サメの歯など、本当に様々な素材の宝飾品が並んでいて見応えがあった。

#150 『ラーヴァカメオ「メドゥーサ」』 (19世紀中頃)
柱をくり抜いたケースの一つを覗き込むと、何とも美しいメドゥーサが。繊細な髪の毛の表現、苦悩しているような眉間のしわ。この作品は旧イスメリアン・コレクションから。

他にも宝飾史上最も貴重なものとして世界的に高く評価されているという「旧ジョン・シェルダン・コレクション」からの作品も並んでいた。

#153 『チャールズ1世のモーニングスライド』 (1658年頃)
一見きれいなブローチ風だけれど、英国王室で唯一処刑された王であるチャールズ1世の遺髪を水晶で覆ったモーニング・ジュエリー。華やかなヴィクトリア朝からピューリタン革命の時代に飛んでちょっと意表を突かれたが、歴史資料としても珍しい作品を観られて良かった。

ところで英国王室の君主には家臣に宝飾品を贈答する風習があり、特にヴィクトリア女王は裏方の人々にも様々な品を贈ったという。この辺りのコーナーには、そんな品々や王室メンバーにちなんだ作品(なぜかダイアナ妃のダイヤモンドリングまで)が並ぶ。

Ⅱ 歓びのウェディングから悲しみのモーニングへ

ヴィクトリア女王の身に起こった「歓び」と「悲しみ」を主題にした展示品。歓びとはすなわちアルバート公との結婚であり、悲しみとはアルバート公の死。展示品は見事に歓びの白と悲しみの黒が対照を見せる。

前者は、白いウェディングドレスや英国における結婚指輪の交換はヴィクトリア女王の挙式から始まったということで、1840年頃のウェディングドレスや指輪類、ヨーロッパのレース類や装身具の類が並ぶ。

後者は、黒のモーニングドレスに始まり、漆黒の宝石であるジェットを素材にした宝飾品類など。ヴィクトリア女王はアルバート公の死後25年に渡って喪に服し、公の肖像と遺髪を入れたロケットを生涯身につけていたという。

Ⅲ 優雅なひととき―アフタヌーン・ティー

アフタヌーン・ティーの習慣が完成したのもヴィクトリア朝時代、ということで、このセクションにはその関連の品々が並ぶ。主に19世紀の、シルバー製カトラリー類。

この展覧会と一緒にBunkamuraのル・シネマで上映中の映画ヴィクトリア女王 世紀の愛を観ると、更にヴィクトリア朝時代の雰囲気に浸れます。ちなみに本展は2月21日までですが、映画の方は2月26日までだそうです。


国宝 土偶展

2010-02-15 | アート鑑賞
東京国立博物館 2009年12月15日(火)-2010年2月21日(日)



ロンドン公演を成功裏に終えて無事帰国した「縄文のスーパースター。」たちに会ってきた。まずは彼らのプロフィール並びに本展の趣旨について、公式サイトから転載しておきます:

 “ひとがた”をした素焼きの土製品「土偶」の発生は、縄文時代草創期(約13,000年前)にまでさかのぼります。伸びやかに両手を上げるもの、出産間近の女性の姿を表すもの、極端に強調された大きな顔面のものなど、多様な姿かたちをする土偶は「祈りの造形」とも称され、縄文時代の人々の精神世界や信仰のあり方を具現化した芸術品として、世界的に高い評価を得ています。

本展は、イギリスの大英博物館で2009年9月10日(木)から11月22日(日)まで開催されるTHE POWER OF DOGUの帰国記念展で、国宝3件と重要文化財23件、重要美術品2件を含む全67件で構成されます。縄文時代早期から弥生時代中期にわたる日本の代表的な土偶とその関連資料を一堂に集め、土偶の発生・盛行・衰退の過程と、その個性豊かな造形美に迫ります。

構成は以下の3章で分けられており、1が土偶(38点)、2が国宝3体(3点)、3が土器その他(26点)というシンプルな括り。

1 土偶のかたち
2 土偶芸術のきわみ
3 土偶の仲間たち


括りはシンプルでも、そこに並ぶ土偶たちは観れば観るほど味があって一筋縄ではいかない。確かに形は異様といえば異様だけれど、技術がプリミティヴというより、そのデフォルメされた形に縄文の人々の作意がダイレクトに反映されていて芸術的。小さなヘラでちまちまと緻密につけられた模様は数千年を経た今も縄文人たちの息吹を感じさせ、やっぱり日本人って手先が器用だなぁ、とか、これ誰かに似ているなぁ、などと思いながら観るのも楽しい。

ほの暗い展示室に浮かび上がる土偶ワールド、個人的に面白いと思った作品は以下の通り:

1 土偶のかたち

#10 『子供を抱く土偶』 縄文時代中期(前3000~前2000) 東京都八王子市宮田遺跡
横座りのポーズがとても女性的で、母性を感じさせた。

#27 『筒型土偶』 縄文時代後期(前2000~前1000) 神奈川県横浜市稲荷山貝塚
何となくコケシにつながる造形のルーツを思わせた。

#14 『立像土偶』 縄文時代中期(前3000~前2000) 山形県舟形町西ノ前遺跡

重要文化財

横から見ると、ずい分お尻を後ろに突き出し、のけぞったポーズで立っている。足が短くずんぐりした造形の土偶が多い中、彼女はとてもスタイルが良い。まるで美脚ベルボトムを履いたヒッピー風。かっこいいじゃんと思いながら眺めた。

#23 『ハート形土偶』縄文時代後期(前2000~前1000) 群馬県東吾妻町郷原

重要文化財

なんて均整のとれた美しいハート型なのでしょう。その成形の技術にも驚くけれど、そもそも顔をこんな形にするという発想が面白い。

#32 『遮光器土偶』 縄文時代晩期(前1000~前400) 青森県つがる市亀ヶ岡遺跡

重要文化財

教科書を思い出す。両生類のような、あるいは胎児のような面持ちが強烈な印象を残すけれど、よく観ると身体の装飾や頭部などかなりデコラティヴ。この独特な出目が、極地地域の民族が雪の反射から目を守るために使う遮光器(スノーゴーグル)の形に似ていることから「遮光器土器」と名付けられたとのこと。

2 土偶芸術のきわみ

さて、国宝3体。どれも面構えが何とも言えない。チラシの裏に上半身のクローズアップがあったので借用(全体像は冒頭のチラシに)。



左から:
#39 『縄文のビーナス』 縄文時代中期(前3000~前2000) 長野県茅野市棚畑遺跡
#41 『中空土偶』 縄文時代後期(前2000~前1000) 北海道函館市著保内野遺跡
#42 『合掌土偶』 縄文時代後期(前2000~前1000) 青森県八戸市風張1遺跡

『縄文のビーナス』は、目のつり上がったおかみさん(いや、ビーナスか)で、お相撲さん以上にでっぷりした下半身。いかにも多産と豊饒の願いが込められている感じの造形で有無を言わせない存在感。『中空土偶』は、そのほけーっと上を見上げる表情が何とも言えずなごむ。ボディの装飾も手が込んでいておしゃれ。中空とは、中が空洞である作りを指す。『合掌土偶』は、その名の通り組み合わされた手がとても印象的。座ったポーズも写実的で洗練されているし、衣裳もちょっとSFチックで現代風。

3 土偶の仲間たち

#44 『土偶把手付深鉢型土器』 縄文時代中期(前3000~前2000) 神奈川県相模原市大日野原遺跡
土器の縁に、上半身のみの土偶が両腕をかけてあたかも中身を覗き込むように載っている。ちょっとメルヘンチックなデザイン。この土偶はどのような意味合いがあるのか作った人に聞いてみたい。

#65 『猪形土製品』 縄文時代後期(前2000~前1000) 青森県弘前市十腰内遺跡
コロンとした身体、その身体を支えるふんばった太く短い四肢、上を向いた短い尻尾、少し開いた口。猪というより子ブタちゃんという感じで、そのままトットットットっと歩きそうでやたら可愛い。“土偶と愉快な仲間たち”ですね。

#67 『巻貝型土製品』 縄文時代後期(前2000~前1000) 岩手県一関市中神遺跡
とても写実的な巻貝の造形に加え、見事にコップの役割を果たせそうな実用性を感じさせる作品。これで縄文時代のきれいな清流から冷たいお水をすくって、ごくごく飲んだら美味しそう。

ここに挙げたのはほんの一部で、他にもいろいろな形相の土偶たちが勢ぞろい。本館の一角で地味目に開催されている展覧会なのに、2月12日の時点で入場者10万人突破だそうです。今度の日曜日で閉会だけれど、国宝3点が揃い、またこれだけ整えられた土偶展というものもなかなかないと思われるので、時間がある方は是非行かれることをお勧めします。

ボルゲーゼ美術館展

2010-02-14 | アート鑑賞
東京都美術館 2010年1月16日(土)-4月4日(日)



公式サイトはこちら

私はボルゲーゼ美術館に行ったことがないので、この展覧会は去年からずっと楽しみにしていた。全48点の出展作品中、絵画は40点と少なく、観終えてちょっと期待過多だったかな、と思わなくもなかったが、目玉であるラファエロの『一角獣を抱く貴婦人』を東京にいながらにして観られるのは有り難く、また初めて知る画家による作品で気に入ったものにもいくつか出会えたのは収穫。ボルゲーゼ美術館に行きたい、という気持にも拍車がかかった。

本展の構成は以下の通り:

序章 ボルゲーゼ・コレクションの誕生
Ⅰ 15世紀・ルネッサンスの輝き
Ⅱ 16世紀・ルネッサンスの実り―百花繚乱の時代
Ⅲ 17世紀・新たな表現に向けて―カラヴァッジョの時代


では章ごとに印象に残った作品を挙げていきます:

序章 ボルゲーゼ・コレクションの誕生

『シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像』 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1632)



ローマの名門貴族ボルゲーゼ家のシピオーネ・ボルゲーゼ(1576-1633)枢機卿が1605年にローマ市北東部に広大な土地を購入・整備し、夏の離宮および自分の芸術コレクションを所蔵・展示する館として建設したのがこのボルゲーゼ美術館。卿のそのコレクションは、古代彫刻とルネッサンス~バロック期にかけての彫刻・絵画作品を核とし、とりわけジャン・ロレンツォ・ベルニーニとカラヴァッジョの作品は点数も多い。1902年よりイタリア国家の管轄下となり、一般公開されている。

ボルゲーゼ美術館といえば私は真っ先にベルニーニの彫刻作品群を思い浮かべるので、彼の手になる作品が一点でも観られて嬉しい。襟の柔らかい布の質感、あごの周りの肉のたるみなどの表現はお見事。ああ、観たいなぁ、『プロセルピナの略奪』と『アポロとダフネ』。

『オルフェウスの姿のシピオーネ・ボルゲーゼ』 マルチェッロ・プロヴェンツァーレ (1618)



とても色鮮やかなモザイク画。一片がかなり小さいので、ぱっと見にはモザイクと思えない滑らかな画面になっている。弾いているのが竪琴ではなくヴァイオリンのような弦楽器であることや、上を見上げた表情が、ラファエロの『パルナッソス』を想起させる。足元に寄り添う鷲とドラゴンはボルゲーゼ家の家紋に使われているシンボル。ドラゴンはまるで主人にかしずく犬のように可愛らしい。縁の模様は、たまにヨーロッパの宮殿の庭で見かける植木で作ったメイズ(maze:迷路)みたいだった。

Ⅰ 15世紀・ルネッサンスの輝き

『一角獣を抱く貴婦人』 ラファエロ・サンツィオ (1506頃)



20世紀に修復が行われる前までは、ユニコーンのところに車輪が上描きされていて、聖カタリナを描いた作品だと見なされていたという。その辺りの解説が、修復前の作品の写真とともにパネルにあり、なかなか興味深かった。

背景にはほとんど何も描かれておらず、非常にすっきりと明るい肖像画。ユニコーンは小さくて、昔貴婦人の手を温めていたというチワワのよう。そのユニコーンの顔が誰かに似ているなぁ、と思って眺めていたら、中尾彬夫人の池上志乃さんの笑った顔だった。家に帰ってしみじみポストカードを眺めていたら、今度は女性の顔が、その大きな瞳といい小さな口元といい、何となく鳩山首相に似ているような気がしてきた。

何やら妙な感想になってしまったが、いい絵だと思います。

Ⅱ 16世紀・ルネッサンスの実り―百花繚乱の時代

『若者の肖像』 ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド (1530頃)

残念ながらポストカードがなかったので画像はないが、今回初めて知る画家にして個人的にとても気に入った作品。どんな画家なのだろうとオックスフォードのアート辞書を引いたら”highly attractive minor master”と思わずクスリと笑ってしまうような紹介がされていた。それはともかく、小さい作品ながら、やや物憂げな表情を浮かべた青年の顔や、しなやかな手の指の表情、衣服の自然な質感は大変魅力的だった。ボルゲーゼ美術館にはこの画家による『大天使ラファエルとトビアス』という作品もあることがわかり、是非観てみたいもの。

『魚に説教する聖アントニオ』 ヴェロネーゼ (1580頃)



上3分の1ほどを空とし、遠景に山も描いて奥行きを出しつつ、崖の上に立って劇的なポーズをとる聖アントニオを頂点に群像を右半分に収めた構図。左半分は暗い海で、聖アントニオの説教を聞きに来た魚の群れが作る水面のしぶきは、何だかお堀や池に集まる鯉の群れを思わせる。聖アントニオは聖フランシスコ会の修道士、と聞けば、創始者の聖フランチェスコの『鳥への説教』を意識した作品かとすぐ合点がいく。

『レダ』 ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ (1560-70頃)



この人も初見の画家。この作品と対をなすように、同画家による『ルクレツィア』(1560-70頃)が横に並ぶ。主題は全く異なるが、2点とも漆黒の背景の中に美しい色白の女性が描かれており、その一帯に独特の雰囲気を醸し出していた。この『レダ』のちょっと妖しく甘美な振り向き顔、KOされる男性も多いのでは?

『幼児礼拝』 ペッレグリーノ・ディバルディ (1549)

上から降りてくる天使を頂点に、劇的な動きをしながら聖母子の周りに集う人々が二等辺三角形の構図を作る画面。完成度も高く、今回並ぶ宗教画の中では好みの作品だった。

『アメリカ大陸発見の寓意(珊瑚採り)』 ヤコポ・ズッキ (1585)

割と大ぶりな構図の作品が多い中、52x42cmと小さいながら密な描き込みが目を引いた作品。手前の岩場の上には様々な貝殻や大粒の真珠、赤いサンゴ礁にまみれた人々(大方は何かの擬人だと思われる裸婦)がごった返す。遥か彼方の岩場にも沢山人影が見えるが、まるでムーミンに出てくるニョロニョロのよう。

Ⅲ 17世紀・新たな表現に向けて―カラヴァッジョの時代

『洗礼者ヨハネ』 カラヴァッジョ (1609-10)



前半の目玉がラファエロなら、こちらは後半のハイライトということになるのでしょう。カラヴァッジョは1610年に亡くなっているから、まさに最晩年の作品(と言ってもまだ38歳の若さだったけれど)。カラヴァッジョの描く人物たちは、例え下を向いていても強烈な存在感を放つが、このヨハネはこちらを見ているにも関わらず、どこか虚脱しているような感じを受ける。この画家の波乱に満ちた生き方を思えば、最晩年の作品、と聞くと余計に彼の人生に対する諦念のようなものが反映されているような印象を受ける。目元、口元にもやや自嘲的な微笑みがうっすら浮かんでいるようにも感じるのは気のせいだろうか。緋色の敷物の襞がやたら美しく思えた。

『ゴリアテの首を持つダヴィデ』 バッティステッロ (1612)



ゴリアテは巨人だけれど、この首は余りに大きくてちょっと怖かった。厳しい表情のダヴィデが足をクロスしてリラックスしたポーズでその首を持っているけれど、軽々しく持っているのが不自然に思える。

最後にやっぱり一言。行きたいなぁ、この白亜の館に!

 ボルゲーゼ美術館

ついでにもう一つ。カラヴァッジョを主題にした映画「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」が公開中です(公式サイトはこちら)。予告編を観たけれど、映像がとてもきれいだったので、早いとこ是非観に行きたいと思います。今年はカラヴァッジョが亡くなってちょうど400年の節目なのですね。


柴田是真の漆x絵

2010-02-09 | アート鑑賞
2009年12月5日(土)-2010年2月7日(日) 三井記念館美術館
*会期終了



公式サイトはこちら

昨夏Bunkamuraで開催された「だまし絵展」にて、柴田是真(しばたぜしん)『滝鯉登図』を観ているのだが、その時は作者の凄さを全く理解していなかった。本展も例によって会期最終盤に駆け込んだが、行かなかったら一生後悔したことだろう。何せここで怒涛のごとく次から次に現れて心を奪う素晴らしい作品の7割は、アメリカ人コレクター、エドソンご夫妻の所蔵品の初の里帰りのお披露目であって、普通に考えて「次回」があるかどうかわからないのだから。

ちなみに本展は以下の通り京都と富山を巡回するので、東京展を見逃した方もまだチャンスはなきにしもあらず。しかもご当地限定の出品もあるので、もしご都合が合うようであれば是非!

京都展
相国寺承天閣美術館 2010年4月3日(土)-6月6日(日)

富山展
富山県水墨美術館 2010年6月25日(金)-8月22日(日)

柴田是真(1807-1891)については、是非公式サイトをご覧ください。大雑把に言うと、是真は幕末・明治期に活躍した漆芸家にて絵師。本展では、漆芸の超絶技法を駆使した漆工作品と、和紙に漆を用いて描く漆絵が見どころであります。その孤高の技術に酔いしれ、時にまんまと騙され。。。

いくら画像を取り込んだところで余りその魅力をお伝えできないかもしれないが、記録として自分が印象に残った作品を挙げておこうと思います(作品が絞り切れなくて、ずい分頑張ってしまった):

『竹葉文箱』



一目ぼれ。柔らかい丸みを持った蓋の表面に走る、清々と流れる木目の縦筋が滝の流れのようにも見え、その上に描かれた竹の葉の間合いが何とも絶妙(あたかも竹の葉越しに滝を眺めているような)。観ているだけで心が洗われるような心持にもなり、またそっと触ってみたい衝動にかられ、しばし動けず。

『柳に水車文重箱』



この世にこんな美しいものがあったのかと息を飲む。漆の変塗(かわりぬり)の技巧の一つである青海波塗(せいがいはぬり)で表された波を挟んで、春と秋の風情が盛り込まれた5段の重箱。この作品が収められたケースの周りを、ぐるぐると何周したことだろう。柔らかく下がる柳の若葉、うっすらと紅葉した葉。願わくば、自然光の中で愛でてみたいなぁ。

『砂張塗盆』



縁の不規則な歪み。ちょっぴり錆びた風情を持つ面の凹み。それを反射する光。どう見ても金属にしか見えないが、これが是真の「だまし漆器」。茶道でお菓子を乗せるのに使う盆で、「暗い茶室で盆が回ってきたときにその軽さに驚くという筋書き」との解説があったが、こうしてケースに入って展示されていても、観れば観るほど金属です。他に『瀬戸の意茶入』という、どう見ても瀬戸物の壺にしか見えない作品も出てくる。何だか、是真のお茶目な魂が展示室に漂っていて、そのだましのテクニックに驚嘆する我々鑑賞者をニコニコ見守っていそうな気がした。

『波に千鳥各盆』



画像では真っ黒にしか見えないかもしれないけれど、ゾクゾクした一品。屈んで見上げると銀色に波頭が隆々と立ちあがり、小さな白い千鳥たちが舞いあがる。緩急をつけた青海波塗による波の表現に、感嘆のため息。

『蛇籠に千鳥角盆』

   千鳥のアップ

千鳥のフォルムが何とも言えず好きでした。

『流水蝙蝠角盆』



一瞬、花柄の蝙蝠かと思ったら、黒い蝙蝠のボディに描かれているのは片喰(かたばみ)の葉だそうです。いずれにせよ、羽を広げた真っ黒な蝙蝠のシルエットにこの装飾のセンス、ポップでよろしいのではないでしょうか。

『沢瀉と片喰図印籠』

  右が表、左が裏

表も裏も、すっきりしたデザインがとても素敵。表に描かれる、細長く尖った葉は沢瀉(おもだか)と言って、水田の脇などに生える多年草だそうだ。多分見たことはあるのだと思うが、今度機会があったらじっくり観察してみたい。

『稲穂に薬缶角盆』

 部分

朱色の薬缶が大きく描かれた大胆な構図。本体底部や、注ぎ口などの部品の接合部分には、ぼかした陰影で影が作られ、絵画的。薬缶の上に置かれた稲穂の黄金色の房は蒔絵で施され、取っ手の部分に目を凝らすと、背景の黒に溶け込むようにキリギリスが止まっているのがニクイ。

『烏鷺蒔絵菓子器』
 


その変わった形状もおもしろいが、遠目に黒と金の装飾模様に見えたものが実は烏と鷺の群れ飛ぶ姿であることに気づく瞬間が楽しい。真黒に見える烏も、顔を近づけて見るとちゃんと羽や尾にも線が入れられ、姿態も様々。少しもくどくないのは、バランスの妙。

『蔓草小禽図戸袋』



唐突に三つの房の先端だけ姿を見せる1枚目。枝は2枚目の画面で下に消え、3枚目でまた姿を現す。そして4枚目には枝のか細い先端と鳥。構図に遊び心があっていいなぁ、と思いつつ、この赤い実は何だろう?と。こんな戸袋がある部屋にいたら、日がな眺めていそうだ。

『瀑布に鷹図』

   こちらが全体図  

一対の作品だが、始めに右幅にうっすらと浮かび上がる鳥の顔を観て亡霊?と思ってしまった。実は左幅に描かれている鷹の親子の、親鳥の顔が滝の水面に写っている図だそうだ。何から着想を得たのだろう。おもしろいね、是真って。

『盆花に蝶図漆絵』



図録の用語解説によると、色漆の色数は、天然の鉱物性顔料を練り込んだものとしては褐色の5色しかないそうだ。そんな制約を感じさせない画面である以上に、よく漆でこんな瑞々しい花弁が、と思う。以前、「美の巨人たち」で漆絵のデモンストレーションを見たが、漆は粘り気があって上手く伸びず、薄い和紙に描くのは至難の業。そもそも木の上に滑らかに塗り重ねることだって大変な修行がいるそうなのに。是真ってすごいな、と心から思う。

『霊芝に蝙蝠図漆絵』



霊芝も吉祥のモティーフだそうで、繊細な蝙蝠の表現と対照的な、こってりした存在感を放っている。褐色の諧調も独特。表具は弟子の手によるものだそうだが、塗りが何だか弱々しい印象を受けたのは私だけかしら?

『宝貝尽図漆絵』



漆絵で描かれた貝の上に、青貝などが砕かれて貼り付けられている。角度を変えて観ると、貝の模様の中に青い光がキラキラ。

この他、動植物などを描いた漆絵の画帖も何点か展示されていたが、油絵とは異なる漆のマット感、角度によって鈍く放たれる反射光など、観ていて目に楽しかった。それにしても、このように自由自在に漆を操れるようになるまでの是真の努力を改めて思う。

『花瓶梅図漆絵』 (1881)

   アップ

「美の巨人たち」で取り上げられていた一品。変塗の一つ、紫檀塗で紫檀の材質を見事に再現した漆絵。84.5x40.4cmあるのに、重さは450gほどと発砲スチロール製のボードくらいしかないという。でもいくらアップで見ても木ですから!

最後にチケット。その頑張りにニッコリしてしまう。単眼鏡を持った人もそうでない人も、つま先立ってみたり、屈んだり、首を左右に動かしたり(ケースにおでこをぶつけたり)と忙しい展覧会であったことを、後々になっても思い出させてくれそう。



余談:帰りの電車内に貼られていた缶コーヒーのROOTSの宣伝広告。画面に流れる褐色の液体が、どうしても是真の漆絵とイメージが重なり。。。

医学と芸術展

2010-01-26 | アート鑑賞
森美術館 2009年11月28日(土)-2010年2月28日(日)



公式サイトはこちら

「医学と芸術」と言われても、わかるような、わからないような。副題に「生命(いのち)と愛の未来を探る―ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト」とあるけれど、同じ森美術館で数年前に観たレオナルドの「レスター手稿」が浮かぶ程度。あとはデミアンの、去年同じくこの会場で観た、真っ二つに切断されて内臓も露わな牛のホルマリン漬くらい。

しかしフラフラと行ってしまった、元旦に。カミュ風に言えば「太陽のせい」。そして行ってしまったのだから、順番に観ていくとします。

第1部 身体の発見

最初に出迎えてくれる2枚の絵は、ジャック=ファビアン・ゴーティエ・ダコディの女性の解剖図。『横からみた妊婦解剖図』(1764-65)では、女性が躍っているように両手を上げているが、首から下は皮が剥がされた赤い筋肉がむき出し。紙がめくれるようにお腹の皮がめくれていて、胎児を宿す子宮が露わ。首から上が普通の女性の顔で描かれているので、かなり異様。こういう作品を愛好する人たちもいるわけですね。

嗚呼、今年観る最初のアート作品がこれだなんて。。。

続いてアントニオ・カッターニ(倣エルコレ・レッリ)のエッチング作品、『実物大男性コルシェ(前面・後面)』(1780-81)。実物大の男性の立姿を、前面と後面から見た一対の図だが、両方とも皮が剥がされ、筋肉の組成が描写されている。コルシェ、とあったのでWikiで調べたら、「人物画や絵画、彫刻において、皮膚を除いて筋肉を表しているもの」をそう呼ぶそうだ。後ろ向きの男性は、腰に手を当てて左踵を持ちあげ、まるで窓外の風景でも見ているかのような自然なポーズ。筋肉をさらけ出して。

順路を進んでいくと、リヤカーに巨大な心臓が載っている。白宜洛(バイ・イールオ)『リサイクル』。作者の意図は観たまま。

スペースを取ってスペシャル待遇で展示されているのは、英国のエリザベス女王所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図2点。『頭蓋骨の習作』(1489)『肝臓の血管』(1508)。レオナルドは脳内の諸機関の関係を明らかにするために脳室に蝋を流し込んだとか、解剖によって死因が血管系にあることを突き止めた、というような丁寧な解説や、作品の拡大パネルなども展示。創作の探求のために人間や動物の解剖に走った芸術家は他にもいるが、レオナルドの場合、芸術の範疇では括れない。

円山応挙『波上白骨坐禅図』(1787)。波の上で坐禅を組む一体の骸骨。応挙は博物学、西洋の解剖学も学んでいたそうで、肋骨や指の関節などが丁寧に描かれている。「人間の煩悩は、絶えず動き静まらない波に例えることができ、それを静めようと坐禅をしている図」だそうだ。元旦にありがたい戒め。と言いながら、私もこの骸骨のように歯がボロボロになっても煩悩から逃れられそうにないような気がする。

『工場の工程にたとえた人体の生理的活動』(1930)。ドイツの化学産業をモティーフに、化学工場の工程を人体の機能にたとえた絵図。上部では会議中の人々や、時間、スピード、温度などを図る計器が並び、下るに従い解体作業、産廃の輩出、と相成る。同じような主題のトビアス・ベーコン『人体の器官を家の構造にたとえた図』(1708)というのもあった。このあたりはまぁ普通のアート作品として鑑賞できた。

隣の小部屋にはこれまた解剖系の様々な作品。ミケランジェロ『脚の解剖図』(1515-20)、当時の珍獣であったサイを背景に身体の動きがエレガントなベルンハルト・ジークフリート・アルビヌスのコルシェ、お腹がパカっと取り外せる象牙製の人体模型(女性の子宮にはもれなく胎児が)。何年も前に恐る恐る訪ねた、解剖人形のコレクションで有名なフィレンツェのラ・スペーコラを思い出してしまった。あの時、しばらくお肉は食べられないと思ったっけ。

第2部 病と死との戦い

デミアン・ハースト『外科手術(マイア)』(2007)。スーパー・リアリズム絵画。手術室の光景をこんなに克明に描く人がいるなんて想像できないから、目に入った時は写真だとばかり思った。デミアンの奥様の帝王切開の場面だそうで。しかし彼はこんなに絵が巧かったのか、と思った人は案外多いのでは?芸術の基本はやはり画力なのでしょうね。平面、立体問わず奇をてらったような作品を造る芸術家たちも、学生時代のデッサン画などを観ると皆巧いもの。

狩野一信『五百羅漢図』。芝の増上寺所蔵の、全100幅あるうちの第59幅の作品だそうだ。神通力を頼って集まった病人や怪我人に、羅漢が処方箋の御札を書き与えている。札を渡している人の顔が怪しげ。

『鉄の肺』は1940-50年代にイギリスはウェールズの病院で使われていたという人工呼吸器。一言でいって巨大なふいご。レディオヘッドの曲に『My Iron Lung』というのがあって、彼らの造語かと思っていたら本当にこういう器具が存在したのか!と驚いた。

ここのセクションには、義手、義足、義眼、医療器具類なども沢山並ぶ。観方はそれぞれだと思うけれど、私のように美術館賞というマインドセットで行けば、鑑賞目的で造られたわけではないこれらの展示品にちょっと戸惑いを感じるかもしれない。

第3部 永遠の生と愛に向かって

ジル・バルビエ『老人ホーム』(2002年)。老人ホーム入居者たちによる、スーパーマン、超人ハルク、ワンダーウーマンなどアメリカのコミック・ヒーロー/ヒロインのコスプレ集団。それぞれのキャラの実年齢で制作されており(例えばスーパーマンは1938年に登場したそうだから、この作品の制作年の2002年時に64歳という設定だったと思う)、蝋人形でできているのでリアル。何とも言えない雰囲気を醸し出していた。

遠目から、本当に西洋人の小学生くらいの男の子が二人壁に寄りかかってゲームの画面を覗き込んでいるのかと見まごうのは、パトリシア・ピッチニーニ『ゲーム・ボーイズ・アドヴァンス』(2002年)。近寄ってみると髪には白髪が交じり、顔や腕などの肌にも皺。これは6歳で死んだクローン羊のドーリーから着想を得て造られた作品だそうだ。

他に自分の腕の皮下に人工的に形成した耳を取りつけたステラーク、クラゲの蛍光物質を作る遺伝子をウサギに埋め込んだエドワルド・カッツ等、バイオテクノロジーや遺伝子工学など最先端医学の行く末に不安をよぎらせる作品も。

本展で唯一私がポストカードを買ったのはこの作品:

『クリムソン・クィーン・メイプル(しだれモミジ)』  ロナ・ポンディック (2003年)

 部分

横幅3m50cmに枝を伸ばすステンレスの紅葉の木。画像ではお伝えできないかもしれないが、枝々の先についている芽は人間の顔になっている。一人とは限らず、双子だったり三つ子だったり。普通にアート作品として楽しめた。

最後に、森美術館のプレスリリース資料から本展の趣旨、及び今回150点を出展したウエルカム財団の説明について転載しておきます:

本展は、近年の医学の状況を踏まえ、ロンドンのウエルカム財団から借用する約150 点の貴重な医学資料や美術作品に約30 点の現代美術作品を加えて、医学と芸術、科学と美を総合的なヴィジョンの中で捉え、人間の生と死の意味をもう一度問い直そうというユニークな試みです。また、日本初公開となる英国ロイヤルコレクション所蔵のダ・ヴィンチの解剖図3 点も展示公開します。

ウエルカム財団とは
製薬業で成功したヘンリー・ウエルカム卿(1853 〜1936)の遺志をついで、医学や生命科学の研究と発展に資することを目的に、1936 年に創設された英国の財団です。優れた医学、生命科学の研究に対し資金援助を通じて支援し、アートを含む親しみやすい表現を用いて、それらの学問の重要性を世に知らしめる活動を行っています。またヘンリー・ウエルカム卿が「人間と医学に関するあらゆる事物」を蒐集したコレクションは、古代から現代までの、世界中の様々な資料およそ200 万点からなり、人間に関した資料のコレクションとしては世界有数のものです。

もう一つおまけに、展望台のカフェでは本展限定のスペシャルドリンク、「エレメント」というものが頂けるそうな。“「身体」からインスピレーションを得て創作されたスペシャルメニュー。赤桃のピュレと白桃のコンポートに、XY染色体を連想させるブルーとレッドのゼリーが鮮やかなドリンク”だそうです。あの展示を観た直後に私には飲めそうにないが、ご興味のある方はどうぞ。

DOMANI・明日展2009

2010-01-24 | アート鑑賞
国立新美術館 2009年12月21日(土)-2010年1月24日(日) *会期終了



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会場を、損保ジャパン東郷青児美術館から国立新美術館に移して2回目となる今回のDOMANI展。閉会間際に滑り込みで観てきた。

今回の出品作家さんは以下の12名(展示順):

久保田繁雄 (繊維造形)
吉仲正直 (絵画)
栗本夏樹 (漆造形)
吉田暁子 (現代美術)
伊庭靖子 (絵画)
安田佐智種 (写真)
磯崎真理子 (彫刻)
呉亜沙 (洋画)
高野浩子 (彫刻)
藤原彩人 (彫刻)
三田村光土里 (ビデオ&インスタレーション)
浅見貴子 (絵画)


個人的に印象に残った作品を挙げておきます:

入り口入って最初に出迎えてくれた、久保田繁雄 『The Wave Space V』 (2007)。宙にふわりと浮かぶエアリーなオブジェ。朱色、オレンジ、黄色のグラデーションも軽やかで、観ているこちらの心にも浮遊感、高揚感が湧きあがってくる。



栗本夏樹の漆、蒔絵、螺鈿を駆使した作品群は、日本の伝統工芸をスタイリッシュに表現した感性が素敵だった。アフリカの国々の国旗を思わせる大胆な色遣いの大きな作品も目を引いたけれど、黒や茶系の古典的な色面を仕切る、エメラルド色に輝く細い螺鈿細工の線が私は好きだった。

左折して次の展示室に入ると、視界が急に開ける。室内なのに、眩しい解放感。吉田暁子の絵画やオブジェが、真っ白な壁の上、高い天井の方まで散らばっている。見上げた時の気持ちよさ。私は森林浴よりも、こういう非日常的なアート空間の方が癒されるなぁ。。。

伊庭靖子の絵画。実は出展された12氏の中で唯一お名前を存じ上げる作家さんで、今回のお目当て。「視覚によって触覚的な感覚を得る」という作家さんの意図が結実した絵画群は、本当にお見事です。間近で観ると筆触も神経症的に滑らかというわけではないのに、なんとも美しい絵肌。柔らかい繊維の質感描写もうっとりするけど、私は染付作品の光沢に見惚れてしまった。小さめの作品しか拝見したことがなかったので、今回大きな作品も含めこれだけまとめて拝見できて幸せ。

伊庭靖子 『untitled10-2009』 (2009)



次に目に飛び込んできたのが、チラシにも使われている安田佐智雄の写真群、『Flying』シリーズ。画面から飛び出してくるように斜めに屹立するビル群には、瞬間的に水晶の原石を想起した。

呉 亜沙 『樹海』 (2009)。画面下の、モノクロームでリアルに描かれた都会の情景と、絵本の登場人物のような女の子の頭から生える木とそのカラフルな葉っぱが面白いコントラストを生んでいた。他の出展作品、および作家のコメントからも、社会や他者との関わりの中で自分の立ち位置を確認する作業が創作の源の一つになっているように感じた。



藤原彩人『Swimming Woman』 (2009)。陶製のいくつかのパーツを組み合わせて造られた、横幅4m近くもあるとっても大きなオブジェ。見上げながら、私には空を舞う天女に観えた。



上記以外の作家さんの作品もヴァリエーションに富み、それぞれ見応えがあった。前回に比べ、全体的に会場の展示スペースの使い方や、12名の作家さんたちの作品の流れがとても良かったように思う。次回も期待しています。