l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情

2008-12-31 | アート鑑賞
2008年9月30日-12月7日 国立西洋美術館



ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)というデンマーク人画家は、今回初めて知ることとなった。あとで知ったことだが、2007年に東京都美術館で開催された「オルセー美術館 19世紀 芸術家たちの楽園」にて『室内、ストランゲーデ30番地』(1904年作)が展示されており、私も観ている筈なのだが、例によって節穴だらけの私の眼はその絵の前をさしたる注意を払うことなく、まんまと通過したらしい。今思えばハンマースホイに刺激を与えたというジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラーの、『灰色と黒のアレンジメント第一番、画家の母の肖像』が同展に展示されていて、その印象があまりに強烈だったからかもしれない。いずれにせよ、今年初めに本年度の展覧会の案内で『背を向けた若い女性のいる室内』(1904年作)を観た瞬間心をつかまれ、誰この画家?と非常な興味を引かれて、それ以来ずっと楽しみにしていた。

画家の大回顧展である本展覧会は、以下のように構成されていた:

Ⅰ. ある芸術家の誕生
Ⅱ. 建築と風景
Ⅲ. 肖像
Ⅳ. 人のいる室内
Ⅴ. 誰もいない室内
Ⅵ. 同時代のデンマーク美術―ピーター・イルステズとカール・ホルスーウ

Ⅰ. ある芸術家の誕生
”このセクションは、この展覧会の導入部でありながら、じつはハンマースホイの画業の全容を知ることのできるクライマックスでもある”という解説通りの作品群。

画家の2歳年下の妹を背後から描いた『若い女性の後姿(アナ・ハンマースホイ)』(1884年作)の青白いうなじにドキリとした。それほど写実的に描かれているわけではないのに妖気のようなものが絵から漂う。だいたいこの角度で上半身を画面一杯に描くだろうか?誰もいない室内を描いた『白い扉』(1888年作)はその後繰り返し描かれて発展していくモティーフだし、後ろ姿の人物、女性たちの着る黒っぽいドレス、背景のグレーや灰褐色の色など、画家の視点、興味の対象、使うべき色彩などが初期の段階で既に確立しており、彼の画業を通して不変であったことが、展示室を進んでいくうちに理解される。

Ⅱ. 建築と風景
コペンハーゲンの街の中心に位置するというクレスチャンスボー宮殿の絵が大小数点。これといって優美な感じでもなく、とにかく大きな石の建造物といった風情の宮殿を、晩秋や雪景色の中に落ち着いた柔らかい色調で描いている。他には『旧アジア商会』の建物や倉庫などを暗い色彩の中に写し取っているが、どの絵にも人影はなく、無機質な感じだ。『若い樫の木』(1907年作)で描かれる若木も、なんだか頼りなげでこれから成長していくという生命力があまり感じられない。ハンマースホイの絵には、モティーフが何であれ、有機的な要素があまり感じられない。

イタリアに3度も行っているのに1点しか作品を残さず、反対にロンドンでは何点も描いているという事実には頷ける。どう考えてもハンマースホイの気性、嗜好にラテンな都市は合わなさそうだし、同じ北ヨーロッパ圏内でどちらかというと内省的なイギリス人気質の方がはるかに彼のそれに近いと思われる。彼がロンドンで滞在したエリアは、大英博物館、ロンドン大学が所在するほか、ブルームズベリー・グループが誕生したことでも知られる地区で、文学者、芸術家、学者などを呼び寄せる独特な雰囲気があることが想像される。

Ⅲ. 肖像
この画家は極度に内向的で、あまり外へ向けて心を開くことのない人だったのだろう。人づきあいは恐らくもっとも苦手なことだったに違いない。友人や家族以外の肖像画を残しておらず(親しくもない人と部屋の中に二人きりでこもり、何時間も何日間も対面していることなど、彼には耐えられないことだったのだろう)、義理の兄の妻、妹、自分の妻の3人の女性を描いた『3人の若い女性』(1895年作)の中でも、3人は視線を交わすことなくそれぞれの思考に沈んでいるような風情。同じ室内に並んで座っているのに、あたかも自分以外には誰も存在しないかのように。

それにしても、画家の妻イーダを描いた『イーダ・ハンマースホイの肖像』(1907年作)。ウワサには聞いていたが、実作品を目にして思わず苦笑してしまった。いくらなんでも、これはないだろうと思った。このときイーダは38歳だったそうだが、額に太く浮き上がった血管、たるんだ眼の下、憔悴したような表情はとても30歳代には見えない。顔や手などの肌の色は不気味な緑色で、まるで異星人のよう。その約10年くらい前に描かれた『二人の肖像』(1898年)では、彼女は頬もふっくらしていて歳相応に健康的な女性に見える。10年間でこんなに激変してしまうなんて、ハンマースホイとの結婚生活がよほど辛かったのだろうか?などと勘ぐってしまう。もしかして短命だったのかと思ったら、実際は彼より33年間も長生きしていたが。

Ⅳ. 人のいる室内

  
主に、画家夫妻が暮らしたストランゲーゼ30番地の室内画が並ぶ。画中に妻のイーダが描かれるが、ほとんどが黒いドレスをまとって髪を結い上げた後姿。窓辺やピアノの前に佇んでいたり、テーブルやピアノに向って座っていたり。正面や斜めに顔が見えるものもあるが、ほとんどが伏し目がちでぼやっと描かれ、表情はあまりはっきりとは読み取れない。顔の描写に画家はさほど関心を持っていなかったように思えてしまう。

彼の室内画はフェルメールなどのオランダ絵画から着想を得ているとのことだが、確かに構図にその点が見て取れるとは言え、彼が絵に据え置く主眼はフェルメールとは全く異なるように私には思える。その思いは、続く「誰もいない室内」にて展示されている作品群でますます強くなっていく。

Ⅴ. 誰もいない室内

  

人の気配のない部屋を描いた作品が連綿と続く展示室。グレイのグラデーションの世界が延々と続く。きっと限られた数種類の、同じ色の絵の具ばかり減ったことだろう。特にホワイトの消費量は半端じゃなく大量だったに違いない、などと思ったりしながらぐるりと見渡して、この画家の精神状態は正常ではない、という思いも頭に浮かぶ。ある意味、自閉症的な内的世界。そして、絵画としてはこのような世界にどこか惹かれて観入ってしまう自分。

実際の部屋には花などもあったようだが、絵では有機的なものは一切削除されている。あるのは閉ったり開いたりしている白い扉、窓、椅子やソファなどの家具、調度品、イーゼル、窓から差し込む陽光、それを反射したり、影を映じる壁や床。

実際のところ、無人の部屋を執拗に描き続けたハンマースホイの心境を、他者である私が推し量っても余り意味はないのかもしれない。一つだけ私の中でリンクしたのは、昔聞いたイギリス人にとって家は「魂の器」であるという言葉。人間であれ植物であれ、有機的生命体は朽ち果てるが、建造物はずっとそこにあり、これら生命体が生まれ、死んでいくのを見守っている。言いかえれば、詰まるところハンマースホイの関心は常に人間にあったのかもしれない。




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