l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

フランク・ブラングィン展

2010-05-22 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2010年2月23日(火)-5月30日(日)



公式サイトはこちら

「国立西洋美術館開館50周年記念事業」のトリを飾る展覧会、であるのに、私はこのフランク・ブラングィンという英国の芸術家を今回初めて知ることとなった。

フランク・ブラングィン(1867-1956)は、正規の美術教育を受けていないながら、油彩画、版画、家具、カーペット、陶器など様々な分野の作品やデザインを手掛け、それらはイギリスのみならずフランスやアメリカなどにも残っているとのこと。夏目漱石の『それから』にも登場し、その頃の日本では知られた芸術家であったらしい。

父親がブルージュでゴシック復興を担う建築家、インテリア・デザイナーとして活躍していたということや(ブラングィンはブルージュで生まれ、7歳まで過ごしたそうだ)、長じたフランク自身がウィリアム・モリスの元で職人としてカーペットの図案を写し取る仕事をしていたという点なども、ブラングィンの活動が分野的にも地理的にも多岐に渡っている背景としてあるように想像される。

展示会場入口の前に掛っていた、彼の油彩画の大きなバックドロップ(というのかな?)を見た瞬間、タペスリーみたい、と思ったのは私だけではないでしょう。よく知らずに画家だと思って足を運んだ本展だけれど、観終わってみれば装飾芸術家としての側面の方が印象に残る芸術家だった。

また、何より最大のポイントは、国立西洋美術館のコレクションの基礎となった「松方コレクション」とブラングィンの深い関わり。追ってもう少し書いておこうと思うけれど、大変興味深いストーリーでありました。

Ⅰ 松方と出会うまでのフランク・ブラングィン

この章にはブラングィンが手がけた家具類や油彩画等が並ぶ。最初の方で目を引く、サクラやナシなど様々な木材が組み合わさって作られた『版画キャビネット』(1910年頃)は、前面が人々の群像やフラミンゴなどが浮き出るような輪郭を持って象嵌細工され、工芸的に美しい。その画面にはブラングィンの絵の特徴がそこはかとなく漂っているようにも思う。

1895年、パリにある日本の美術・工芸品を扱う店のために制作された装飾画『音楽』は、人物も背景もとにかく茶色が支配していて、他の作品でもこの「ブラングィンの茶色」は私の中に強いイメージを残す。彼はスペイン、アフリカ、トルコへ度々旅行に出かけ、その豊かな色彩感覚を身につけたというような説明があったが、強烈な陽光に照らされた「土色」が画家の中にかなり強いインパクトを残したのではなかろうか?と思わずにいられない。

『海の葬送』(1890年)



航海中に船上で亡くなった人の亡骸が、仲間の手によって船から海へ葬られる水葬の情景。画題にふさわしく、さめざめとした色合いで写実的に描かれている。よく描けてはいるけれど、油彩画としては凡庸と言えば凡庸な印象も。パリのサロンで3等賞を取ったそうだが、何となく3等賞と言う感じ。

『ラージャの誕生日の祝祭』 (1905-08年)



ラージャを乗せている象と群衆が混ざり合って、判然としない混沌とした絵に私の目には映る。うねうねと勢いよく絵具が乗せてあり、箇所によっては刷毛のように広い筆でガシッガシッと塗られた感じ。この人のデッサン画や版画作品を見ると上手いなぁ、と思うのだけれど、この絵のみならず彼の油絵具の塗り方は個人的にあまり好きではなかった。『海賊バカニーア』(1892年)にしても、構図はおもしろいと思ったものの、カンディンスキーが絶賛するようにはピンとこなかった。ま、素人鑑賞者の好き嫌いの話ですから。

『孤独な囚人』 (1914-17)



これは次のⅡ章の、戦争絡みの主題の作品が並ぶ中にあった1点。リトグラフ作品で、ちょっと暗い主題だけれど、上手だなぁと思ってポストカードを買ってしまった。

Ⅱ フランク・ブラングィンと松方幸次郎

川崎造船所(現・川崎重工業)の初代社長である松方幸次郎は、第一次世界大戦の軍需を見越して先手を打ったお陰で、造船事業で莫大な利益を得る。1916年、取引で訪れていたロンドンでブラングィンに出会い、その芸術的才能にほれ込んだ松方は、以下の三つをブラングィンに依頼(サイトより引用):

①東京に建設する美術館のデザイン作成
②ブラングィン自身の作品の売却
③他のヨーロッパ絵画の購入

上記三つが順調に達成されていれば、東京にも欧米の美術館に引けを取らない美しい西洋美術の殿堂が出現していたことでしょう。しかし。。。

松方は220点を超えるブラングィンの作品を収集したにも関わらず、日本の税法の変更や川崎造船所の経営危機などにより、ブラングィン以外の作品も含めそのコレクションはロンドンの倉庫に長らく足止めをくらうことに。そしてこともあろうに1939年にその倉庫が火事に遭い、そこにあった作品は全て焼失。何という大損失でしょうか。今我々が西美で観られる松方コレクションは、奇蹟的にフランスに残され、寄贈返還されたものだそうです。もしロンドンにあったコレクションも全て揃っていたら・・・(涙)。

そして①。日本に欠けていた文化環境である美術館の建設を、という松方の高い意志を汲んでブラングィンが設計したその美術館は「共楽美術館」と命名され、この章ではその俯瞰図や図面なども展示されている。噴水のある中庭をぐるりと囲む回廊型の美術館は、想像するだにルネッサンス好きには堪らない建造物。しかし、やはり川崎造船所の経営悪化に伴い、実現ならず。ちなみにこの美術館は麻布に建てられる予定だったそうである。

『松方幸次郎の肖像』 (1916)



泰然とした感じの松方幸次郎を、すばやくキャンバスに写し取ったブラングィン。

『背後に別館を配した美術館の俯瞰図』 (1918) 



これが幻と終わった「共楽美術館」。会場には資料を元に再現されたCG映像も。

Ⅲ 壁面装飾、版画。その多様な展開

ブラングィンは生涯に18点もの壁画を制作したそうだ。うちイギリスにある二つの作品について会場で映像が流されていたので、ちょうど足が疲れてきた頃でもあり、ゆっくり座って鑑賞した。

一つは、ロンドンにある「スキナーズ・ワーシップフル・カンパニー」のホール上方の壁面装飾。カンパニーの歴史をシーンごとに描いてパネルにしたもので、ぐるりとフリースのように部屋を囲んでいる。何というか、家具の木製象嵌細工のような、いかにもブラングィンらしい独特の茶色っぽい画面。

もう一つは彼が下絵を描いた、リーズ市のセント・エイダンズ教会のモザイク壁画。ふと思ったことだが、輪郭のはっきりしたモザイクだとブラングィンの構図がより分かり易い。ステンドグラスの作品はデザインしなかったのかしら?

この章で印象に残ったのは、私の好きなピラネージの趣を漂わせる、建造物を配した風景版画作品。『ジェノヴァのサン・ピエトロ・ディ・バンキ』(1913)はとても良かった。これを含め、東京国立博物館がブラングィンの版画作品を多数所蔵しているのは嬉しい限り。

会期は5月30日(日)までと残すところあと僅かになってしまったが、常設展の「所蔵水彩・素描展―松方コレクションとその後」(こちらも5月30日まで)もとても良かったので、合わせて是非。


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