落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈> 「くじ」による使徒の補充  使徒言行録1:15~26

2009-05-18 14:24:55 | 講釈
2009年 復活節第7主日 2009.5.24
<講釈> 「くじ」による使徒の補充  使徒言行録1:15~26

1.復活節最後の主日
この主日が復活節最後の主日である。先週の木曜日に、復活したイエスは昇天された。つまりイエスの姿は見えなくなった。イエスはもういない。これからはわたしたちだけでやっていかねばならない。考えてみるとこれは大変なことである。イエスは十字架にかかる前、弟子たちに「あなたがたをみなしごにはしておかない」(ヨハネ14:18)と言われたが、今や弟子たちを残して天に昇られた。ともかく、これからは自分たちだけでやっていかねばならない。フッと、考えると12人いた弟子も1人抜けて今は11人になっている。何か空虚感が漂う。やはり弟子集団は12人でなければやりにくい。それがユダヤ人である彼らの数字感覚であった。そこで彼らが最初にしたことは欠けた12人を補うことであった。少々大げさに言うと、本日のテキストは教会の歴史において最初の主教選挙の記録である。
2. 使徒選出の手続き
初めに、その時の手続きを確認しておく。先ず使徒の数は12人でなければならないということが前提とされている。その上で、1人欠員ができた経過が報告される。次に、ユダに代わる使徒を選ぶことについての聖書の根拠が読まれる。続いて、使徒職に相応しい人物についての条件が語られる。イエスの活動に最初から最後まで参加していたこと、もう少し限定すると生前のイエスと行動を共にした人物ということであろう。その上で、出席者全員による選出作業がなされ、候補者が2人に絞られる。最後に、くじによって1人が選ばれる。
3. ペトロの演説
まず、ペトロの演説内容を検討しておこう。ペトロは「兄弟たちの中に」立ち上がって演説を始めた。演説のポイントは2つある。1つはユダの問題についての最初期の教会の理解(解釈)であり、もう一つはユダの脱落による使徒の補充の問題である。それを論じる前に「兄弟たちの中に」という言葉の意味を確かめておこう。ペトロが演説をする前に、11人の使徒の名前が確認されている。ここでわざわざ11人の名前をあげる必要があったのだろうか。その必要があったのである。この仰々しさがこの場が公式の「議場」であったことを示している。ペトロが「兄弟たちの中に立って」という場合、使徒団を代表してという意味が強調されている。非常に厳粛な雰囲気の中でペトロは使徒団を代表して演説を始める。
4. ユダについての教会の見解
ユダの「裏切り」の問題は、生まれたての教会にとってかなり深刻な打撃を与えたものと思われる。この問題に対してはっきりした理解を示すことができなければ、教会は存続できない。イエスの直弟子の一人がイエスを金銭で売ったというのであるから、イエスの運動に反対する立場の人々はもちろんのことイエスの弟子たちの中からも厳しく批判された。なぜイエスはユダを使徒団に加えたのかといういわばイエスの「任命責任」が問われる。つまりイエスの人格と能力に対する否定的な意見である。12弟子の選出についてイエスは人選を間違ったのだ。イエスには人を見る目がない。当然、その批判の矛先は使徒団にも向けられた。イエスが選んだ使徒団はそれ程権威のあるものではない。12人の使徒たちとは軽率な人選の結果ではないのか。イエスとはその程度の人間であった。そのような批判に対して、ルカははっきりと否定する。イエスの人選は神によるものである。そのことがルカ福音書6:12~16の弟子の人選の物語において明白に主張される。
ルカは、12弟子の選任について次のように語る。「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである(ルカ6:12~16)。このリストは使徒言行録のリストと多少順序は異なるが同じである。ルカはイエスが12弟子の選出に当たって前夜徹夜で祈ったということをかなり意識的に述べている。12弟子は神の意志によるということをルカは主張する。それなら、なぜユダはイエスを裏切るに至ったのか。この問題に先ず答えなかればならない。その答えが16節である。「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです」。この「実現しなければならなかった」という言葉は事柄の必然性を意味する。もちろん、この場合の必然性とは神による必然性である。ユダが弟子に選ばれたことも、そのユダがイエスを裏切るに至ったこともすべて神の意志による、という結論に達するまではかなり苦悩したものと思われる。そして、やはり決定的なことは聖書の言葉との出会いである。ここに2つの箇所が引用されている。最初は詩編69篇26節のギリシャ語訳からの引用で、しかもかなり自由に解釈している。言い換えると苦しい解釈である。「その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ」。現在の詩編ではこの箇所はこうなっている。「彼らの宿営は荒れ果て、天幕には住む者もなくなりますように」。この言葉の元来の意味は「敵の陣地が荒れ果て、誰も住まなくなれ」という意味で、この言葉がユダの行動によって実現したという。少し説明が必要であろう。ここでは裏切りそのものというよりも、ユダが裏切りによって得た報酬によって入手した土地が呪われて「血の土地」と呼ばれるようになったという意味である。この詩編からユダの裏切りを必然的出来事と解釈したのである。かなり苦しい解釈であると思うが、ともかく彼らはそう考えた。
5. 使徒職の継承問題
次に使徒補充についての聖書的根拠が問われる。単純に考えて、もう使徒を選出する権能をもったイエスはいない。従って選出不能というのが最もすっきりする結論であるが、彼らはそれでは落ち着かない何かがある。使徒団は12人でなければならないと彼らは考えた。しかし、その根拠も聖書に求める必要がある。様々な議論の末、その根拠を詩編109篇の8節の言葉に見いだした。「その務めは、ほかの人が引き受けるがよい」。これもかなり苦しい解釈である。現行の詩編では「彼の生涯は短くされ、地位は他人に取り上げられ」となっている。ヘブライ語の聖書では「その財産をほかの人にとらせてください」という意味であり、この詩編も敵を想定し、その敵が彼の土地財産を奪われ、本拠地から追い払われて放浪するようになれ、といういわば呪いの詩編である。従って、「地位の継承」とはほど遠い。ところが、この詩編がギリシャ語に翻訳されるときに、「財産」という言葉が「監督職(エピスコペー)」とされたために、ユダの使徒職をほかの人に譲ることを意味すると解釈したのである。これもかなり苦しい解釈である。こういう解釈が堂々とまかり通った環境はすごい。というよりも、そうしてでも聖書のテキストにこだわりを持つユダヤ人社会というものを理解しなければならないであろう。
6. 12人へのこだわりと使徒の資格
以上の2つの点を確認した上で、使徒に選ばれるべき人の条件が語られる。一人の欠員を補うことが可能であるということは、言い換えると使徒になる資格を持っている者が11人以外にもいたということであろう。ルカがあげている使徒の資格は、「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者」(1:21~22)である。その条件に合う者の中から、何らかの方法により候補者は2人に絞られた。それが「ユストともいうヨセフ」と「マティア」であった。ここまではいわば人間的判断である。そして、最後はやはり神の意志を問うている。2人を立てて、祈り、最後に「くじ」で決めている。これは注目に値する。その結果「マティア」に当たったので、彼が「11人の使徒たちに加えられることになった」(26節)。
7. くじで選ばれた
教会史上最初の主教選挙が「くじ」によって決定されたということは興味深い。使徒の選出において重要なことは、人間が選ぶということと神が選ぶということとの一体化ということである。そこが、自分たちの代表を選ぶという民主主義の手続きと根本的に異なる点である。神が選ぶということが忘れられると、教会は人間中心となり堕落する。どの時点で、どういう方法で神が選ぶということが現れるのか。初代の教会ではそれは「くじ」という方法で示された。ところが、現在の教区主教の選出においてはこの点が一種の精神論になり、建前化してしまっている。ここに聖公会の根本的問題がある。
8. 使徒の職務
ペトロの演説において、使徒の職務について、こう語られている。「ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました」(17節)。つまり12人の使徒たちには「同じ任務」が「割り当てられ」ていた。ペトロの言葉としてこの言葉は注目すべきである。ペトロにだけ突出した任務が与えられていたのとは異なる。
何よりも、ペトロ自身がこの演説で述べている使徒の任務とは「主の復活の証人」(22節)ということである。これはいかなる時代においても変わらない使徒職(=主教職)のもっとも基本的な任務であろう。もっとも、使徒の時代におけるそれとそれ以後の時代におけるそれとでは内容はかなり変化を受けているのは当然のことであろう。
この演説の中では触れられていないが、おそらくペトロの心の中には、あのティベリアス湖畔において語られた復活のイエスの言葉が甦ってきたことであろう。あの時、あの場でイエスはペトロに「わたしの羊を飼え」と3度も繰り返された(ヨハネ21:15ff)。これも重要な使徒の職務である。教会の外に対しては「復活の証人」、教会の内部に向かっては「羊を飼う者」、この2つが使徒の基本的な任務である。しかし、時代が進み、いろいろの層の人が教会に加わってきた頃、使徒の任務は使徒だけで担うことが難しくなってきた。このとき、「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない」(使徒言行録6:2)と言われている。使徒がすべてのことを取り仕切ることは「好ましくない」。このことは教会の健全な運営にとって、使徒職にとって好ましくない任務もある、ということを示している。その時、使徒職とは別に執事職が制定され、使徒の任務は「祈りと御言葉の奉仕に専念」(6:4)するようになった。

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